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「な~んだ、そうだったのかぁ、koalaちゃん!」と自分ツッコミしてみる

category - 日記
2013/ 09/ 22
                 
昨日、少し職場のことを書きましたが、これは一体
今の私に何を提示しているんだろうと考えてみました。

ちょっと復習。(笑)
このサイトに説明があります。一部抜粋↓
仏教では、もの事を生じさせる直接の原因を「因」と云い、
間接的な原因、即ち因に加わる事情、条件を「縁」と云い、
それによって生じるものを「果」と云い、その過程の中で、
「因」が「果」に及ぼす力を「業」と説きます。


因果律のことを思うと、私の目の前に展開することは「果」、
それはかつて自分が作った「因」があって起きてきていることになります。
そして私がそのことに対し、どう対処したかというのが、
新しい「因」となります。
「果」を見つめれば、私の中の「因」も「業」も見えてきそうです。
「縁」の詳細は見えてこないでしょうが、
縁があることだけ感じてればいいのでは。

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ジャイアンに対する気持ちは、私の中で随分変わってきました。
面倒くさいというのは変わっていないのですが、
偏った感覚を正義だと押し付ける偏屈さへの怒りは、
湧いてこなくなったんです。

ジャイアンにもいろいろ事情はある、と感じます。
常に指導的立場でいたい人。
あるスポーツがとても上手な人で、10代から一目置かれる存在でした。

有能でなければ。
指導者でいなければ。
いつも正しい人でいなければ。


こういう気持ちをいっぱい背負ってたらきついよね。
「あなたは間違っている」なんて指摘を受けるたび、
全力で跳ね返してくるのは、実は不安からかも。

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さて、こういう風にいろいろ挙げてみて、
それを全部自分にひっくり返して感じてみるとどうなるか。
「これは私自身の中にある問題ですか?」と自分に問いかけてみる・・・。


「ないですよ!」と即答が返って来るけれど、もう1度
「本当に、全く、ないのですか?」と問いかけてみると、
そういえばあるかも・・・という気持ちになってきました。

指導者でいたことはないので、これはないですけど、
有能でなければ、というのは、役に立たない人間では?という不安から、
正しい人でなければ、というのは、間違いだらけの人間ではという不安から、
私の心の中に、ちゃんと根っこを生やしている気持ちでした。


「な~んだ、そうだったのかぁ、koalaちゃん!」と
自分にちゃん付けして自分ツッコミしてみました。
以下、自分ツッコミで湧いてきた言葉です。

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役に立たない人間では?って心配なの~?
一応3次元に生きてるから、心配になっても仕方ないけどね、
魂は3次元の存在じゃないから、そんなの全部放り投げちゃっていいんだよ~。

役に立つって、効率よく人のために働けるかってことでしょう?
それはそんなに大事にすることだと本気で思ってる?
あなたはそのうち死ぬけれど、死ぬ時のことを想像してみて。
死ぬ間際に、私は効率よく生きてきた!と叫んでみる想像をして。
効率ってどのくらい大事なものですか?


役に立つのは、効率の問題だけじゃないよね。
評価が伴うけど、本当はこっちの方が気になるでしょう?


もう1度、死ぬ時を想像してみて。
死ぬ間際に、自分は評価されてきた!と叫んでみる想像をして。
評価ってどのくらい大事なものですか?

正しいって何?間違うって何?
良心に従って選ぶか、好奇心に従って選ぶか、
損得の判断に従って選ぶかの違いはあっても、
誰しも、自分が選んだ方がいいと思った道を選んでいるだけでは?

死ぬ間際に、私は正しい道を選んで生きてきた!と叫んだら、
それは嘘だなとつぶやく私がいるような気がします。
いろんな選択をして、いろんな経験を積んだ!でいいんじゃない?

私たちは大河の一滴として生じてきて、3次元にしばらく存在し、
大河の中に戻っていき、大河に身をゆだねる存在・・・。


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~でないとダメ、という認識が自分の中にあると、
そうでない自分を否定するエネルギーで自分が疲れる気がします。
同じような否定すべき面を持った人を見ると、
その人の欠点(に見える性質)の中に、自分が否定しているものが見えるので、
やっつけないと気がすまないような気持ちになるかもしれません。


全部そうだとは言いません。
相手にカチンと来た時には、そういう場合にあてはまるかな?と
想像してみるのもいい手かも。

カチンと来たってもちろんいいんです。
自分がカチンと来たことに気がつかないふりは止めましょう。
カチンと来ることに罪悪感があると自分の首を絞めます。
相手が哀れなお年寄りの形で存在していても、実像は魂です。
「それは私に要求することじゃないよ」と伝えた方がいいです。


私はシュウトメちゃん対策で、実にいろんな手を試していますが、
カチンときた時には、思いきり、自分の感情を認めてあげたほうがいいです。
そして、自分の中でストレスを受け止めて、ワンクッションおいた後で、
「それはできません」と言うのが大事かなと今は思ってます。
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コメント

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No title
有能でなければ。
指導者でいなければ。
いつも正しい人でいなければ。>私、ずっとそうでした。
日本での職業がそうでしたから。
傍から見たらジャイアンみたいかも(笑)。

死ぬ時のことを想像してみて>効率よくとか訳に立ったかよりも
どれだけ愛せたかを自己評価にしたいです。まぁまぁかな(´▽`)。

評価ってどのくらい大事なものですか?>死んだら人からの評価じゃなくて神様が評価してくれると思ってるから、せめて落第しないくらいにしたいです。

ナイス凸
No title
koalaさんが言わんとしたことからずれると思いますが、いくつか考えさせられたことを書きます。
一つは、ある人の言動を不快に感じるときには、自分の思い通りにならないとき、否定したい自分が見えるときですね。仏陀がいうように「すべてのものは心が作る」というのは本当だと思います。自分のこころのありどころで、不快になったり、無関心であったりするのでしょう。
もう一つは、反応にワンクッション置くという態度。それが得られてきたのは、こころの修行のたまものだと羨ましく思います。私も努力していますが、ぱっと反応することが多いですし、それどころか相手の言葉を中断させることもあります。今は、とにかく相手の言うことをどんなことであろうと辛抱強く聞こうと努めています。
No title
ねえねさんへ

有能でなければ。
指導者でいなければ。
いつも正しい人でいなければ。

このこと自体は、向上心と責任感のある
日本人のオトナのマナーとも言えます。
特に仕事をバリバリこなしていく上では大事なことですよね。

問題はその根本に怖れと自己否定がある場合で、
ジャイアンの場合はかなりそんな感じがあります。

ねえねさんがジャイアンみたいってことはないと思いますよ。
ジャイアンの注意は他の人に聞いても??な内容が多いんです。
No title
sioさんへ

>ある人の言動を不快に感じるときには、自分の思い通りにならないとき、否定したい自分が見えるときですね。

世の中は思い通りにならないことに満ちてますからね。
思い通りにならないことにすぐムッとする未熟さは、
なかなかいい年になっても抜けませんが、
若い頃よりは遥かにマシになりました。

否定したい自分が見えるときというのも、
自分で気がつくようになって来ました。
自分が不快になった時に、そのことを深く見つめていくと、
自分が何にこだわっているのか見えてきて面白いですね。

反応にワンクッション置くという態度は、私の場合、
シュウトメちゃんや義姉やジャイアンに磨かれたかも。
ヒステリックな人に責められるという経験も、
役に立つという見本でしょうか。(苦笑)