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廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)とフェノロサ

category - 日記
2012/ 10/ 20
                 
名古屋ボストン美術館で、本物のボストン美術館にある
日本美術が里帰りして、展示されています。
昨日見てきました。とてもよかったです。

どうしてこれらの美術品がボストンに所蔵されているのか。
もちろん購入したからなのですが、
普通に、気に入った作品を買った、というだけでない背景が
そこにはあったのでした。


アーネスト・F・フェノロサ。
米国の日本美術研究家。
この美術展を見て、私がとても心惹かれた人物です。

岡倉天心が彼の教え子で、通訳をしたということなので、
きっと岡倉天心と一緒に習ったのでしょうけど、
あまり勉強してなかったせいか、記憶にありません。

日本の美術に惹かれていったフェノロサは、
寺社仏閣や仏像仏具の破壊が進んでいく様子を見て、
強い衝撃を受け、日本美術の保護に立ち上がったのでした。

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さて、フェノロサが衝撃を受けた美術品の破壊というのは、
廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)のことです。


明治維新の直後、神仏分離令が発布され、
民衆が暴徒化してたくさんの仏像が破壊され、
寺が廃寺になったのが廃仏毀釈でした・・・よね?

記憶があまりにあやふやなので、調べてみました。

廃仏毀釈とは、仏法を廃し、釈迦の教えを捨てるという意味だそうです。

暴徒というと、最近の中国の日本攻撃を思い浮かべますが、
日本人がそんな暴徒になって、寺を襲い、仏像を壊し、
あるいは略奪して売り飛ばした背景は何だっけ?

暴動と言うのは、感情の波が高まらないと出来ないことですが、
どんな感情の波に突き動かされて、廃仏毀釈が進んだのか・・・?

いろんな方のいろんな説がネットでヒットした中で、
歴史に疎いおばちゃんの感性でまとめたものですので、
一説としてさらっと読み流してください。
詳しい方の「ここ違うよ~」などのご指摘があると嬉しいです。


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江戸時代に徳川幕府は仏教を優遇し、神社の敷地に寺院を建てたり、
神社に仏像を置いたりしてきました。
これに対し、「日本の国教は仏教ではなく神道です。
仏像を神体とすることを禁止(壊せってこと)し、
神社からの仏像・ 仏具の追放(壊せってこと)を命じます」
と言ったのが、神仏分離令。

あくまで神社の中の、というくくりの中で壊せと言っていました。

それが拡大されて、寺院を暴徒が襲うようになったのはなぜなのか。

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理由1 
 平田篤胤が唱えた「復古神道」の影響。


神仏習合も仏教によって神道が穢された状態であるとして、
神道を仏教伝来以前の姿に戻すべしという考えが「復古神道」。


外国への脅威を感じ始めていた日本人に、かなりの信奉者を生み、
特に神社の神主には熱烈に支持(当然ですね)されたとのこと。

また、幕末の尊皇攘夷運動の思想的背景を支えたのは、
「復古神道」を支持した国学者たちでした。
明治政府はこうした国学者たちを、維新の功労者として、
宗教政策を担当する神祇官として政府に登用したそうです。
国学者たちが、神祇官として、一定の権力を得て、
廃仏毀釈を推進したという説もあれば、
国学者の影響は強くなかったから違う、という説もありました。

神道を国家の根幹にしよう、神道こそが唯一の国教、
だから仏教は破壊しよう、

そういう考えが影響したのは間違いないかなと思います。

新しい時代が来るという興奮の中で、
天皇こそが、神道こそが素晴らしい!
仏教に関するものは破壊してしまえ!
そういう感情のうねりが日本をおおったのでしょうか。
(あくまでkoalaの感想です。諸説があります。)

政府も国学者も、具体的に廃仏毀釈の命令はしなかったかもしれません。
でも、都合がいい方向に扇動したんじゃないかな~とも感じました。
現代の中国の暴動の様子を考えると、そう思えませんか?

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   理由2
当時、仏教の勢力は非常に大きく、目に余る腐敗ぶりがあったため。


江戸時代を通じて武士階級と密着してきた寺院の権力を、
明治の新政府や国学者、神社といった勢力が、
とことん叩こうと考えたとしても不思議ではありません。

政府や国学者が煽ったにせよ、民衆側がお寺や僧侶たちに
深い信仰心と尊敬を感じていたなら、
ありえないほどの破壊度の暴動にはならないと思います。
民衆の意識に、寺や僧侶に対する強い反感があったんじゃないかなぁ。
そう思って、更にしつこく調べてみました。

幕府による檀家制度で僧たちの生活が安定し華美になっていました。

当時は本山に多額の金銭を納付して短期の修業をすれば、
簡単に僧侶の資格が得られる事で、無学に近い僧侶が、
多数、出現した
という話もあります。

また、寺が檀家に、華美な葬儀や法要を強制し、
多額な布施を要求したり各種名目での寄付を強要したりで、
民衆は疲弊していたという背景があったようです。


ろくな修行もせず、えばっていて、人格者でもない僧侶が、
華美な生活をして、民衆から高額のお金をむしりとってれば、
そしてそれが、幕府の後ろ盾があってのことだったら、
周囲が根強い反感を持っていても無理はないです。
その後ろ盾だった幕府が倒され、神仏分離令が発布され、
煽る人たちがいたら、徹底的な破壊が起きても当然かもしれません。


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怪しい日記「koalaの部屋」もたまには役に立つ記事を載せますね~。(笑)
しばしの間、歴史を振り返るのもいいものじゃないですか?

この廃仏毀釈は、西の方がひどかったようです。
三重県は伊勢神宮があるので、神社の勢力が強かったんでしょう。
奈良市の興福寺で、僧侶全部が神主になり、
仏像や伽藍を破壊した話は有名です。
鹿児島では、県内約1066の寺院はすべて破壊されて消滅したというすごさ。


しかし、あんなにお寺も神社も多い、京都は大丈夫だったのですよね。
石川県も被害が少なかったようです。
理由まで書いてなかったですが、想像するしかないのでしょう。
仏教美術の価値がわかる人、守る勢力が、一定数以上いたのは
間違いないんじゃないかなと感じましたが、あくまでkoalaの感想です。

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フェノロサについても、美術館で説明を読んで感動したので、
帰宅してからネットで、色々調べてみました。

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1870年に17歳でハーバード大学に入学して哲学を学び、
4年後に首席で卒業した(卒業時の成績は99点!)という天才。
13歳で母を病気で亡くし、25歳の時に父親が自殺。
彼は親を失うと共に、キリスト教社会で罪とされる社会の中で
非常に辛い思いをします。

その頃、ハーバード大に出された東大の求人情報を見た彼は、
それに応募し、東大で哲学や経済学を教えるようになります。

当時の日本は先進国の欧米に追いつく為に、
学者・技術者・軍人などの多くの欧米人を
高給で雇い入れていたということです。

ボストン美術館付属の絵画学校で学んだこともあり、
美術にも造詣の深かった彼は、日本美術に深く魅了され、
フェノロサ自身も狩野派に師事。
狩野永探理信という号まで貰うほど日本美術に傾倒しました。

こういう熱い情熱の人、大好きです。

鎖国の解けた日本人が西洋の美術に圧倒され、
これこそ素晴らしいと感じ、日本のものなどつまらない、
日本古来のと感じていた時、フェノロサは宣言しました。
「日本画の簡潔さは“美”そのもの。
手先の技巧に走った西洋画の混沌に勝ります」
「日本にしかない芸術があるのです!」


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フェノロサが狩野芳崖の絵を見て気に入り、
面会に行った時の話に心打たれました。
この時芳崖は54歳。
彼はかつて天才絵師として狩野派画塾のリーダーを務めた人でした。
当時、彼は貧困のどん底で、陶器の下絵塗りで生計を立てていました。
物好きな外人を追い返す、落ちぶれた狩野芳崖。

翌日もやって来たフェノロサに、毛利家に伝わる古い絵を
見せてみたところ、フェノロサは作品の見所を完璧に語り尽くしました。
そして芳崖の目を真っ直ぐに見て力説したそうです。
「あなたはもう一度筆をとるべきです!
日本美術は大切な宝なのです!
あなたほど優れた才能を持っている方が絵を描かないのは国家の悲劇です!」
「今後、あなたが描いた絵は必ず全て買い取ります。
迷惑でなければ、絵に専念できる家も提供させて下さい」


芳崖は日本人が見向きもしない自分の絵を、
親子ほども年の離れたアメリカ人が必死で、
その価値を説くことに激しく感動したといいます。
2人は固い握手を交わし、フェノロサはこの翌年から
芳崖に生活費の支給を始めたそうです。


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明治23年にフェノロサは、ボストン美術館東洋美術部長に就任、
自身が集めたコレクションの整理にあたったそうです。

明治37年(1904)にフェノロサの後を継ぎ、
ボストン美術館東洋美術部長になったのが岡倉天心。

いいお話でっしゃろ?

今日の日記を書くの、時間はかかったけど楽しかったです。
自分の楽しいことに時間を使わなくちゃね~。
でも、急がないと、仕事に遅れちゃう。(笑)
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コメント

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No title
フェロノサは学びましたよ。
廃仏毀仏といえば、当時の和算から洋算に代わって行った事情がしのばれます。
明治初期は何もかもがガラガラポンの時代。
今のニッポン人に理解できないでしょうね。

新県道ができてから電動車椅子での外出がうんと増えました。
上下水道工事が終われば、歩道の整備工事。
町はこの道に将来を託している感じです。

会社勤めのかたわら、フェロノサの記事までありがとう。
おっしゃる通りだと思いますよ。
No title
こんにちは。

とても素敵なお話をありがとう。

日本は、日本の文化のいいところを見逃して、失くして、前に進もうとしている気がします。
飯のタネにならないものは価値がない、って感じかな。
だから、いろいろな研究費にかけるお金が少なかったり、伝統文化を継承するための保護がなかったり……
心の栄養も大切なんだって、忘れずにいようと思いました。
No title
dkさんへ

さすがですね。
私はホントに脳みそつるつる化が進行しているんですよ。(涙)
歴史が大きく変わる時のエネルギーは、すさまじかったんでしょうね。
寺院の腐敗で直接被害を受け、うっ憤が溜まっていたならなおさら、そのエネルギーが破壊に向かった時、めちゃくちゃな事態を引き起こしてしまったことにもうなづけます。
京都府や石川県の被害が少なかった理由が知りたいですね。

>新県道ができてから電動車椅子での外出がうんと増えました。

よかったですね!
外出して外の空気と日の光を浴びることって大事だと思います。
叔母にそういう時間がほとんどないことが可哀想だと感じています。
No title
tetsumamaさんへ

おはようございます。
>飯のタネにならないものは価値がない、って感じかな。

これ、とても心に響きました。
そうなんですよね!
日本人がもっとうんと貧しい時代にも、
今ほど「飯のタネにならないものは価値がない」とう感覚が
浸透していたのかと疑問に思います。
「飯のタネになるもの」はもちろん大事です。
なければ餓死してしまいます。
でも、「飯のタネにならないもの」の中にある
豊かさを愛する心を失うことは悲しいことです。
私もすぐ、無駄なことを排除しないと、という価値観に支配されるので(笑)、気をつけようと思います。
No title
とても興味深く読ませていただきました。歴史って苦手だったので、こういう事も知りませんでした。ありがとうございます。日々忙しい時ほど自分の好きなことに時間を使うって大切ですね♡
No title
Sachiさんへ

私も歴史に詳しくないので、
興味の湧いたときに調べられて面白かったです。
Sachiさんはお若いのでわからないと思いますが(笑)
50歳を過ぎると、自分でもびっくりするくらい、
能率が落ちるんです。さくさくっとたくさんのことがこなせません。
もう能率なんて捨てなさいという神の声かも?(笑)
好きなこともしながら、した方がいいこともぼちぼちとこなしていくしかないかなって思っています。