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おらおらでひとりいぐも

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2019/ 04/ 14
                 
「おらおらでひとりいぐも」は2017年下半期芥川賞受賞作。
作者の若竹千佐子さんが63歳の新人という事で騒がれました。
テレビにお顔が出て、丸顔の可愛らしい方だなぁという印象を受けたのを覚えています。

タイトルの言葉は、私の好きな『永訣の朝』という宮沢賢治の詩の中に出てくる
病気で死を目の前にしているとし子さんの言葉です。

詩の中に、とし子さんの言葉は3つ出てきます。

あめゆじゅとてちてけんじゃ
  雨雪を取って来てください、賢治にいさん。

  賢治は詩の中で、この妹の言葉にこう言っています。

  ああとし子
  死ぬといふ いまごろになって
  わたくしを いっしゃう あかるく するために
  こんな さっぱりした 雪のひとわんを
  おまへは わたくしに たのんだのだ

 
Ora Orade Shitori egumo
  おら おらで しとり いぐも ローマ字表記になっています。
  私は私で、1人で死んでいきますという意味ですが、
  だから心配しないで、私は大丈夫だから。一人で旅立てるから。
  そんな気持ちを私は感じます。
  

うまれて くるたて
こんどは こたに わりゃの ごとばがりで
くるしまなあよに うまれてくる
  
  私の中では、解釈が2つに分かれるのですが、両方の意味があるのかなと思います。
  生まれ変わったら、今度はこんなに自分のことでお兄さんが苦しまないように、という意味と
  今度は、自分の病気の苦しみにではなく、もっと人のために時間も心も使いたいという意味。
  私はただの詩の好きな主婦なのでテストでこの解釈が出たらどう書くのが正解か知りませんが。

この3つの言葉がとし子さんの言葉で東北弁。
その東北弁を生かすために、他の部分はみんな標準語で書かれています。

なので、タイトルを聞いたときには、Ora Orade Shitori egumo!
そう思って、宮沢賢治の話かと思いましたが、どうも違うらしい、
そこまでで私の思考は止まってしまい、本を買うことはありませんでした。
でも先日、たまたまブックオフで見つけたので数冊の本を買い、この本もそのうちの1冊でした。

我ながら、前置きが長い!なかなか本の話に入れません。(笑)
でも作者がこのタイトルをつけた気持ちはよくわかった気がします。
方言の力が生き生きと迫ってきてすごいです。
賢治の詩と同じく、標準語と方言が混じって使われています。

主人公の桃子さんは、ご主人に先立たれ(心筋梗塞)一人暮らししている70代のおばあさんです。
東北生まれで、24歳の時に、1人で東京に飛び出してきました。
東京オリンピックで湧く好況の時代、同じく東北出身の周造と出会い、結婚しました。

周造の望んだのは控えめな女ではなく、元気でわがままな楽しい女でした。
桃子さんは全力で周造の期待に応えてきました。
周造は、桃子さんが都会で見つけたふるさと。寄りかかって支える関係でした。
長男長女を産み育てて、子供は独立していき、周造は心筋梗塞であっけなく死んでしまいます。

東北弁の力がすごいので、少しずつ抜き書きしてみます。


周造、逝ってしまった、おらを残して
周造、どこさ、逝った、おらを残して
うそだべうそだべうそだべだれかうそだといってけろあやはあぶあぶぶぶぶぶ

ああ、くそっ、周造、いいおどこだったのに

かえせもどせかえせもどせかえせってば

おらしあわせだったも
身も心も捧げつくしたおらの半生
周造のためにためにで三十と一年。満足であった。最高でござんした。

おらは半分しか生ぎてないと言ったの忘れだが
ときたまあぐびをかみ殺したの知らねど思ってるだが

愛というやつは自己放棄を促す
おまけにそれを美徳と教え込む
誰に
女に

女が、弱いと見せかけで実は強い女が、やられっぱなしでいだべが、づごどだ
やられたらやりかえしていだのす。もちろんこれは無意識のごどだども。

周造が死んだ、死んでしまった。おらのもっともつらく耐え難いとぎに、おらの心を鼓舞するものがある。おらがどん底のとぎ、自由に生きろと内側から励ました。あのとぎ、おらは見つけてしまったのす。喜んでいる、自分の心を。んだ。

周造は惚れた男だった。惚れぬいだ男だった。それでも周造の死に一点の喜びがあった。
おらは独りで生きでみたがったのす。

あのどきにおらは分がってしまったのす。死はあっちゃにあるのでなぐ、おらどのすぐそばに息をひそめて待っているのだすごどが。それでもまったぐといっていいほど恐れはねのす。
何如って。亭主のいるところだおん。

ちらりと横を見る、その途端、赤いものが目の端に飛び込んできた。なんとカラスウリだった。

あいやぁ、こんなとこさ、なんで。
桃子さんは笑って、ひとしきり笑って、
あ。
立ちどころに桃子さんは分かったのである。あの笑いの意味。ひっきりなしにこみあげる笑いの意味。
ただ待つだけではながった。赤に感応する、おらである。まだ戦える。おらはこれがらの人だ。


書きだしてきましたが、ニュアンスだけは伝わったかな?
途中からの書き抜きは、桃子さんが足の痛みに耐えつつ周造のお墓詣りに行く道中の脳内会話です。
いろいろな年齢の桃子さんが出てきます。

若い頃に読んだら、何が言いたいの?って思ったかも。
好きな人に出会って、その人の人生を励ますような存在であろうと妻として頑張った
2人の子供を産んで、一生懸命に愛した
ご主人に先立たれたことが辛くてたまらないのはわかるけれど、
それでも周造の死に一点の喜びがあった?おらは独りで生きでみたがったのす?

しかし私は若い娘さんじゃなくて、来年の誕生日に60歳になるおばちゃんなので、
桃子さんの気持ちはよくわかるのでした。

娘時代は○○さんのうちの娘さんで、結婚したら、○○さんちのお嫁さんになり、
子供を産んだら、○○ちゃんのお母さんになる、その関わりは有難いことです。

あの両親の娘でよかった、夫と結婚して良かった、あの子たちを授かってよかったという思いは、
もちろん嘘ではないのだけれど、自分はそういう関係性の中に埋没する存在かと言えば、
そういう肩書をすべて取っ払った向うに、素の自分が存在するという思いがあります。
ありがたい関係性だけれど、素の自分の発露を妨げる檻にもなる関係性。

依頼心の問題もあります。
周造さんが大好きなのは元気でわがままな楽しい女である桃子さん。
そういう女でいることで、夫に元気を与えられると桃子さんは張り切っていたでしょう。
多少演じる部分があっても、自分と乖離した性格ではなく、自然に妻として生きていたでしょう。
でも、夫に元気を与えるいい妻というのはある意味では檻で、裏返しの依頼心でもあり、
そういう形で夫を支配する側面もあったと思います。全部無意識ですが。

子供に対しても、小さい頃、可愛らしい服に憧れつつも着せてもらえなかったので、
自分のイメージする可愛い服を娘に「着せてあげよう」として、拒否された桃子さん。
子育ては自分の中の不足感が反映しやすいもので、私にも反省点がいっぱいあります。

桃子さんは一生懸命生きてきました。
たくさんの責任を背中に負って、懸命に生きてきました。
年を取って、そんな責任の重しは、ひとつずつ、背中から消えて行きました。
責任は、重いだけではなく、暖かく大切なものでした。
大切だったから、一生懸命に背負ったのです。
でもどんなに素晴らしく大切なものでも、重かったのも事実なのだなと感じました。

妻としてではなく、母としてではなく、素の桃子さんとして生きて死んでいく。
おらおらでひとりいぐも
お墓参りで見つけた赤いカラスウリを見て、「まだ戦える。おらはこれがらの人だ。」
あの世の世界をすぐそこに感じつつ、大地にしっかり根を下ろしたこの言葉が好きです。

いい本でした。お勧めです。
長々と書きました。
このつたない感想文を最期まで読んでくださった方、本当にありがとうございました。









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コメント

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No title
良い本なのですね。
読もうかどうか。迷ったまま、未だに読まずにいました。

こんなに愛する夫がいたと言うことが羨ましいです。
愛していると言い切れることが。

読んでみますね。
No title
Rさんへ

桃子さんは、74歳か75歳だったと思うのですが、
そのお年で、なかなか惚れぬいたおどこ、なんて言えませんよね。
嫌な面だっていっぱい見てしまっている年齢です。

でも、私の両親は特別仲良かったわけではなく、母は昔。
良く愚痴を言っていましたが、父が末期がんだと言われてからの母は、切なくてたまらなかったと思います。

連れ合いが元気で生きていることに感謝しつつ、自由に行きたいなと思いました。(笑)

おはようございます。
先日の告別式で見た事。

おじさんは86歳で生涯を閉じました。
自治会の会長など人様の面倒をよく見て来た人でした。
ただ、おばさんに対しては言う事も厳しく、文句も言わせないような
人でした。おばさんはただ黙って付いて行くような人と言う印象しかない人です。身体を壊して入院生活を送ってからは、退院後も施設に入り、おじさんとも離れての生活だったようです。
最近は認知症も入り、挨拶しても誰だか分からないようでした。

てっきり出席しないだろうと思っていましたが、娘さんが施設から連れて来て、車いすに乗せていました。
あんなにただ黙って付いて行くような厳しいおじさんでも、長年連れ添って来たので別れは辛かったのでしょう、何回も大声で泣いていました。

ちゃんと分かっていたんですよね。
そう思いたいです。

さて自分に置き換えると、妻に対して優しくしているだろうか?
決してそうは思えません。文句を直ぐに言ってしまいます。
反省しきりの自分でした。
No title
Fukawa農園さんへ

86歳で亡くなったお知り合い・・・男尊女卑で育って世代ですね。
私の義母さんは88歳ですが、早くに亡くなった義父さんが、
かなりの男尊女卑意識の持ち主で、苦労したそうです。
義母さんは、Fukawa農園さんのおしりあいのおばあさんのように
黙ってついていくタイプではなくても、、苦情を言いつつも
ついて行くしかない生活だったと思います。

今の時代は、誰も嫌なことを無理強いしてはいけないのが常識ですが、DVなどはなくなっておらず、人間の業の深さを感じますね。

私の両親が自営業、友人にも自営業の人がいて大変そうです。
農園のお仕事も、ご夫婦で一緒に仕事をすることになりますが、
家事育児は基本的に女性がすることがほとんどで、
色々と女性にはストレスの種があるかも・・・
と脅しておきます。(笑)