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義母さんについて  その1

category - 日記
2018/ 03/ 01
                 
私は「疲れた!」と思えば、いろいろ気分転換を計画、実行できますが、
若い頃の義母さんは、「疲れた!」の連続のような生活をしてきました。
その上で、「気分転換の計画などとんでもないこと」という生活をしてきたのでした。

一時帰宅時の回顧で、義母さんに苦労したことをいろいろ思い出してブログに書きました。
今は何て楽なのだろうという思いからですが、嫁につらく当たったのは、義母さんの一側面です。
義母さんにもいい面がありましたし、ああならざるを得なかった環境もありました。

「女三界に家なしという言葉を知らんのか!」と義母さんに怒鳴られたことがありましたが、
あれは嫁のくせに義母さんの言う通りにしないで反論などする若い日のkoalaに怒鳴るのと同時に、
長いこと自分に言い聞かせてきた言葉だったのだろうと思います。
子供時代は親に従い、嫁いでは嫁家に従い、老いては子に従うのが女性の運命で、
女性にはどこにも安住の地はないのだというオソロシイ言葉。
有難いことに今の日本では死語になっていますが、
昔はこれが現実だった人が多かったのですね。

義母さんは、たくさんきょうだいはいるものの、それは全部男のきょうだいでした。
男尊女卑の時代の田舎のことですから、子供の頃から、家の手伝いは女の仕事で、
他の兄弟家近くの子供たちが遊んでいる間も、女の子だからという理由で、それも一人娘ですから、
姉妹と手伝いの仕事を分け合うこともできなくて、遊ぶ時間が極端に少なかったそうです。

義母さんの言うには、当時の村の娘というのは、結婚は親がお見合いを決めてきて、
お見合いの席でも女性は相手を見たりせず下を向いておしとやかに。
見合いとは、男性側が、この女性でいいかどうか見る席なので、
義母さんは結婚式まで、自分の夫の顔を見たことがなかったとか。

結婚先の家(koala家)では、の両親は、養子娘と入り婿さんで、
結婚相手はその長男でお百姓さんでした。
当時ももう、専業農家は減っていて、サラリーマンと兼業が多かったのですが、
それは余程の大農家以外は、収入が少なかったからでした。
しかし、結婚して夫となった人には、農業に賭ける気持ちが強かったのでした。

家のこまごましたことでは、大姑さんが采配を振るい、
娘(義母さんの義母さん)には甘く、義母さんには厳しくという風でした。
過酷な農業、少ない収入、家事と子育て、親せき付き合いは義母さんの肩にかかりました。
例えば、歯が痛いので歯医者に行きたいとお願いしても、忙しいからダメと、
大姑さんに却下されたら行けず、痛みは激しくなり、虫歯は悪化して、歯はがたがたになりました。

たかだか一世代前の話とは思えない状況ですが、田舎の農家の封建的な考えはこんな風で、
こんな話はどこにでも転がっているというものだったらしいです。
これは義母さんの話してくれたことなので、家庭により差があったとは思いますが、
少なくても、義母さんの生まれた環境、嫁いだ環境は、このレベルの男尊女卑がありました。

長くなるので、その2に続きます。

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コメント

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No title
おはようございます(^^)。

そうですね、そんな時代でした。
私も少なからず嫁に行ったら実家には戻れないと思っておりました。
舅姑にも文句一つ言わずにずっと過ごしました当然だと(笑)大家族の中で大変でしたが良い経験でした。

今日も笑顔で素適な一日を過ごしましょう。
No title
みゆきママさんへ

昔はそういう感じでしたよね。
私は、結婚式で初めて旦那さんの顔を見たという義母さんの発言に仰天しました。
見合いの席で相手を見るのははしたない女、清純な乙女は下を向いていたそうです。

時代が変わってよかったわ・・・。