FC2ブログ

Post

        

古い日記を読み直す

category - 日記
2017/ 06/ 27
                 
小林麻央さんが亡くなったことで、がんで家族を亡くした私のような人たちが、
麻央さんを悼むと同時に、亡くした家族をより一層思い出したのではないかと思います。

あのころ、たくさんの方の癌ブログを読んでいました。
末期がんを宣告された人は私の母だけではなく、
がんの進行に心が折れそうになるのも私の母だけではありません。
当たり前のことですが、同じような立場の方たちや、
私の気持ちをわかってくださる方たちと、語り合ったり、
情報交換したりするのは、私の心を救ってくれました。

母ががんと共存していた頃、楽天ブログを書いていましたので、
読み返すと、すっとあの頃のことを思い出すことができます。

調子がよかったころの母との時間、こんなブログを書いていました。
母は、興味のある場所に連れていくと、母は喜んで、結構な距離でもてくてく歩いていました。

過去ブログは画像のあるものを選んだので、よろしかったら画像だけ見られます。










母のがんが見つかった時、余命3か月、もっと早いかもしれない、
実はいつその時が来ても不思議ではない、半年は無理だと思ってください、そう宣告されました。
がんの告知は母の診察時、私と一緒の時にいきなりの告知がされましたが、
この余命告知は私だけにされたので、私は母に何度聞かれても、
「余命診断は外れやすいから、あの先生はやらないんだって」と言い切ってこられました。
奇跡が起きて、1年7か月、母はそこそこのQOLを保った形で生きていてくれました。




勧められて、お受けしました。
空きが出るまで待機で、そのうち特別室が空き、次の普通の個室に入りました。

ホスピスに入ってからの母は、どんどんと弱っていきました。
痛みのコントロールはかなり機能していて、母はそれほどは辛い思いをしないですんだと思います。
もちろん、私に見えていたよりはずっと苦しいこともあったでしょうけれど、
穏やかな表情の母は、うとうとしていることが多かったです。


ホスピスに入る、ほんの1か月前には、お出掛けを楽しんで、歩き回っていました。


その更に一か月前には、夜の花火見学に出かけるくらい元気でした。




最後は寝たきりでしたが、意識はあって、時々おしゃべりしました。
母の命のロウソクが消えそうなのは、私にもわかりました。
この画像を写してから、1か月弱で母は亡くなりました。

72歳の母を亡くして8年半、私は56歳のおばちゃん、それでも、読み返すだけで涙が出ます。
34歳の若さで逝かれた麻央さんのご家族の喪失感はどれほどのものかと思います。

母とは関係ないのですが、こんな日記も見つけました。


自分の読んだ話、それも感動してブログに書いているのに、
全く忘れていました。
背筋がしゃんとしました。

「おばあちゃん。おばあちゃんと別れるなんてとても出来ないよ」
それに答えた70代後半のおばあさんの言葉が素敵でした。

「あたしには何の不足もないんだよ。
あたしは充実した人生を充分に生きた。
おまえさんの目には満身創痍で、いのちのかけらしか
残っていないように見えるだろうが、あたしはね、
たっぷりの命をもらって生きてきたんだよ。
人間はパイみたいなものさ。
両親に一切れ与え、愛する人に一切れ与え、
子供達に一切れ与え、自分の仕事に一切れ与える。
だから死ぬ時には自分のパイがなくなっている人もいるだろうさ。
自分がどんなパイだったか、思い出せない人だっている。
でも、あたしは自分がどんなパイだったのかがよくわかってる。
これだけは誰もが自力で見つけるものだからね。
あたしは本当の自分の姿を知って、
この世から旅立つことが出来そうだ。」
スポンサーサイト



                         
                                  

コメント

非公開コメント
        

No title
過去ブログ読ませていただきました。
素敵な記録ですね。

私も2年前に父を癌で亡くしました。
父も最後はホスピスでした。
離れているので、父の末期を看たのはほんの数週間だったというのも
あるけど、思い出すのは元気な頃の父ばかり。
いい人生送ったんじゃないかなぁ~と私なりに納得しています。
今も毎日父と話している感覚あります。

父についてはもっと長生きしてほしかったとか、
色々思うところはありますが、癌であっという間になくなったから
(検査などしない人だったので、見つかった時はステージ4)
美化できる面もあります。
これがボケて暴言吐きまくりの、老老介護で家族共倒れの、
そんな経験をしなくて、家族に良い思い出だけ作ってくれて、
天国へ行きました。
No title
koalaさん、こちらではご無沙汰です。
昔のブログ拝見しました。

私はブログを始めた時期にはとっくに
お友達でしたが、改めて読ませていただくと、大変だったけれどご両親をしっかり
看取られて流石です。
私の大変なときはお世話になったのに
お母様のときは何も力になれなくて
ごめんなさい。

しかし時を経て改めて読ませていただくと
ご両親はよい娘さんを持たれて
幸せだったと思います。

それから日記をつけない私が、
この頃は…と思いだせて懐かしい。
koalaさん、綴り続けてくださり
ありがとうございますhttps://s.yimg.jp/images/socialproducts/blog/img2/emoji/103.png">
No title
野際陽子さんは、お嬢さんに抱かれながら亡くなったそうですが、ご両親もそんな満足感を感じながら天に昇ったのではないでしょうか。憎き(笑い)おシュウトメサンでも、あれだけの心遣いをなさるのだから、ご両親にはさぞかしだったと思います。

私も最近、仏壇の前で父母の日記を少しづつ読んでいます。胸が迫ることがあります。こんなことも親子のつながりだと思っています。
No title
ねえねさんへ

旅先の宿で、大分県の宇佐神宮に行く前日に、ねえねさんのブログを読んで、
お父様のためにお祈りしないと!と感じたあの日のことを、
今でも鮮明に思い出します。不思議なことでした。
宇佐神宮が、全国八幡宮の総本社ということを私は知りませんでした。
ツアーだったので、調べなくても、案内していただけるので調べてなかったの。
ねえねさんから、お父様と八幡様のご縁をうかがって、
背筋が伸びる気がしました。呼ばれたんだと思いました。

いい人生を送られたと思いますよ、お父様。
最後にボケて暴言吐きまくりという方もいらっしゃいます。
それはそれで仕方ないことですが、父親として娘に見せたくない姿です。
最後まで立派なお父様で逝かれるというのは、大きな幸せだと思います。
No title
すみれさんへ

とんでもない・・・励ましていただきましたよ。
本当に、折れそうな心を、たくさんの方に励ましていただいて乗り切れました。
すみれさんも、たくさん辛いことがありましたよね。

私がブログを始めたのは、すみれさんの節約ブログがきっかけでした。
パソコンなんて、ニュースを見るぐらいだった私に、簡単だよ~と言って、
いろいろ教えてくれてありがとう。
すみれさんがいなかったら、私はブログなどとは無縁だったかもと思います。
シュウトメちゃんとの同居のストレスを、ブログがどれだけ癒してくれたか。

お店のバーゲン、行きたかったけど、なかなか行けなくてごめんなさい。
職場に行くのにちょうどいい上着が欲しいけど、あるかな~?
No title
sioさんへ

シュウトメちゃんにはひどい目に遭ってきましたが、今はもうそんな気力はなさそうで、
多分、私をいびった記憶もないでしょうし、私も別に憎くはないですが、
こうしてあげたらいいだろうなとアイデアは湧くのに、
実の娘が全くそう思わない人たちでお気の毒だけど、私はそこまで出来ないわと
そこそこの嫁仕事しかしておりません。
シュウトメちゃんは1日が長くて退屈でボケそうなところがありますから、
それを埋めるアイデアがいろいろ湧いてくるんですよ。でも実行は大変です。
親なら迷わず実行したでしょうが、シュウトメちゃんのためにはそこまで出来ません。
以前はそのことに少し心の疚しさを感じていましたが、もうそれもありません。
離れて暮らして、私の心身に余裕があるので、クールでいられます。

お仏壇の前で思いを馳せていただいて、ご両親、喜んでおられることでしょうね。
No title
おはようございます(^^)。

ゆっくり読ませて頂きますね、私の父も癌で亡く成りました。。。
色んな思いが廻ったのですねhttps://s.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s376.gif">

今日も笑顔で素敵な一日を過ごしましょうhttps://s.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s310.gif">https://s.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s316.gif">
No title
みゆきママさんへ

がんは今や二人に一人とも言われていますね。
寿命が長くなったこと、他の病気の治癒率が高まったことなどが大きいと思いますが。
義父もがんで亡くなりました。その時代は告知はなかったので、
隠しながらお世話するのも大変だったと思います。
時代は変わりましたね。今は告知が当たり前で、
自分のステージまで知っているのですから。