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人が死に向かっていく最終段階の道には、いろいろな道があるという学び

category - 日記
2017/ 04/ 24
                 
シュウトメちゃんのことを書くと、読む方には、愚痴っぽく感じられるのかもしれませんが、
実際には、現在は月に2泊3日の介護だけで、とても楽をしています。
福祉の恩恵や、スタッフさん方のお仕事ぶりに関しては、本当に有難いと感じていて、
愚痴なんか言ったら罰が当たるとしか思えません。

世の中には毎日の介護に疲れ切っている人も多く、そういう話を私はいろいろ知っています。
例えば、シュウトメちゃんは、左半身不随でその上歩けないので、
介護状態、大変な面もありますが、徘徊する心配はありません。
ボケの兆候があると言っても、大声で叫んだり、何かを叩いたりして騒がしいこともありません。
この2つが揃ってしまうと、施設で拒否されることも多く、
家族はヘトヘトでも自宅介護に迫られます。

こういう実例をいろい見聞きしますと、胸がつかえるような気持ちになります。
先日は100歳のおばあさんを80代の長男夫婦さんが自宅介護していられて、
騒ぐタイプの認知症状が出ているので、ショートステイも難しく、
何とか1泊2日なら何とかしますが、2泊3日は無理と言われたそうです。

昔に比べても、私はとても楽になっていますし、全く愚痴を言う気持ではありません。
ストレスはありますが、ちゃんと人参は準備してあります、(笑)

それなら誤解されるような日記を書かなければいいかもしれませんが、
私のブログは、今日はこんな日でした、というブログです。
シュウトメちゃんが帰宅して介護一色になっている日に、
ブログを書かない、あるいはそのことに触れないというのは、
私にとって不自然極まりないのです。

人間が生きていれば、排せつはつきもので、自分でトイレに行けなくなれば、
その処理が介護者に回ってくるのは当然のこと。
人は自分の人生しか生きられませんから、ちょっとブログで他人の人生を垣間見て、
ふ~ん、そういうことがあるんだぁ・・と思う経験を重ねるだけでも、
独りよがりからの脱出がやや進む、と私は考えていますので、
ブログ仲間はある意味、そういう情報交換をして、
お互いに独りよがり度を減らす共同体と言えるかもしれませんね。

私も今回の件で、(トイレに連れて行って紙パンツを降ろしたら、
全体にウ〇チが広がってて、軽くパニック~)という経験をしました。
(石鹸とお湯を持ってきて、シュウトメちゃんのウ〇チの付いたお尻を素手で洗ったよ~。
ウオッシュレットは大騒ぎされて役に立たなかった)と書いたところ、
(大便はばい菌がいっぱいだから、ひょうそになる可能性だってありますよ。
使い捨ての手袋は必須です)とコメントいただいて、助かりました。

ブログを書かず、内緒にしていたら、来月もまた同じことをしていたかもしれません。
実際にはやはり事後に気になってたまらず、何度もゴシゴシ手を洗って、
手が荒れて痛くなったので、やらなかったかもしれませんが、
それは(ひょうその危険もある行為だから)との認識があっての行動ではありません。
ちゃんと知識を得られたのは、ブログでのやり取りのおかげです。

ボケるというのは、付け焼刃が取れてしまうと言うことです。
生れてから今までに身に着けてきた、こんなことは非常識だからしないとか、
ご迷惑をかけてはいけないとか、ヘンな人だと思われたくないとか、
そういう形で自分をガードしてきたものが、消えてなくなってしまう。

シュウトメちゃんもボケが入ってきたし、施設にもそういう方がたくさんおいでで、
私のボケに対する認識も、少しずつ変わってきました。

シュウトメちゃんは、食事をがつがつと食べます。
(愚痴でも見下しでもありません。単に私の目に見えた現実を書いているだけです)
食事中は一言もしゃべりません。美味しいねとか、〇〇を食べるのは久しぶりだとか、
以前は少しは会話しながらの食事でしたが、今はもうそうではありません。
順番に味わうこともありません。おじやを食べる時はおじやだけ完食。
おかずも1品ずつ完食して、機械的に平らげていきます。
ビニール製のエプロンをかけて食べますが、そこにもたくさんこぼします。
食事が終わったらさっとエプロンをはずさないと、エプロンにこぼれたものも食べます。

食事中に会話するとか、汚い食べ方をしないようにとか、
そういうのは人間にとって(人によるのかもしれませんが)
付け焼刃だったんだなと思います。

これは、品のあるきちんとした食べ方をしたいと思っている人間にとっては、
大きな恐怖だと思うんですよ。
でも反面、きちんとしていなくてはみっともない、という気持からの解放でもあります。
今までそんな風に考えたことがなくて、シュウトメちゃんの食べ方を怖いと感じていました。

今回、ふいに、誰にどんな風に見られているか気にしないことって、
すごいことではないか?という思いが湧いたんです。

シュウトメちゃんの一時帰宅は大変なこともありますが、
私に老いを見せてくれる、貴重な経験でもあります。
私の両親は、そこそこ元気な時に末期がんが発覚し、ボケることはなく、
72歳で亡くなっていますので、私は両親の、ガンで死んでいく老い方しか知りません。

今度は、身体が不自由になって、不自由度を増していって、老いていく生き方を
叔母とシュウトメちゃんを通じて、学ばせていただいているのだと思います。
人が死に向かっていく最終段階の道には、いろいろな道があるんですよね。

私は今、自分の人生を楽しみつつも、時々そういう学びをさせていただいています。
死に向かって、というのは過激に感じる方もおいでかもしれませんが、
生れてきたというのは、死に向かって歩いているということだといつも思っています。
そしていつがその人の最終段階なのかなんて、人間にはわかりません。

シュウトメちゃんの死が近いという意味では全くないです。
今は100歳越えのおばあさんなど全く珍しくありませんし、
シュウトメちゃんは、なんだかんだ言っても、生命力が強い人です。

私がブログに何を書いても、可哀想~!なんて思わないでくださいね。
私は楽をしているし、学ばせていただいているだけです。

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コメント

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No title
赤ん坊は本能だけ備えて生まれてきて、人生経験を重ねるつれ、
一般的に言われる「常識」を身に着けますが、
歳とるとまた本能だけになって還っていくのかな、と思います。
No title
koalaさんのブログは、役立っています。普通、介護は大変だ。下の世話は大変だで片付けてしまうところを、かなりリアルに描いているので、自分の近い未来の姿が見えて参考になります。

ところで言葉尻をとらえることになるのですが、付け焼刃が取れるというのには異論があります。ダイエットに努力して美しい姿態を維持していた女性が、呆けてぶくぶく太ったからといって、女性の本当の姿はぶくぶくだとは思いません。
ほっそりとした姿もぶくぶくした姿もその人の真実です。

例がセクハラになってすみません。女優の晩年を見ていて思ったので。
No title
みゆきママさんへ

ボケはまだまだ未知の領域です。
このまま未知の領域であることを祈りますが、
脳内で何が起きているのか、それまでの生き方とボケ方に繋がりがあるのか、
興味がないと言えばうそになります。
No title
ねえねさんへ

そうですね。
ただボケ方は一様ではありません。
その違いが、脳が機能不全を呈している箇所によるだけのことか、
それまでの生き方が反映するのか、ちょっと興味があります。
No title
sioさんへ

見回しただけでも、老い方は千差万別なので、
シュウトメちゃんとは共通点がなさそうなsioさんに
不要な恐怖心を植え付けていないか心配です。

女優さんの例、わかりやすいですね。
ほっそりとした姿もぶくぶくした姿もその人の真実です。そう思います。
この例ですと、ほっそりしてきれいでなければいけないという気持ちが消えたことを
「付け焼刃が取れた」とは言えないでしょうか。
別にこの表現にこだわっているわけではありませんけど、
いろんな「~でなければ」という気持ちがボケると消えている気がしまして。
でもそんなにたくさんのボケた人を見てきたわけではないので、断言できません。