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西原理恵子の「あなたがいたから」 その3

category - 日記
2011/ 05/ 21
                 
 
タイに生活の拠点を置いて4年目の鴨志田さんは、
日本の漫画家である西原さんを知りませんでした。
漫画の取材でやってきた西原さんの通訳として
急きょ雇われた鴨志田さんと西原さんは気が合いました。
2人は結婚し、2人の子供に恵まれます。
仕事でも、西原さんの漫画で名コンビぶりを発揮します。

しかし、鴨志田さんに、戦場でのフラッシュバックが襲い掛かります。
吹き飛ばされた兵士の死体、泣き叫ぶ子供や女性達の姿。
鴨志田さんはお酒に逃げますが、飲んでも映像は消えてくれません。
世間の「カメラマンとしてはダメだったのに、
西原理恵子と結婚して名前が売れた」という声にも傷つきます。
酒量はどんどん増えていき、うつ病も患うようになりました。

西原さんにとって夫は、自分をギャンブル依存症から救い出し、
悲惨な現実の中にあっても笑う、
アジアの強さを教えてくれた人でした。
自分を“負の波”から救ってくれた夫が、
毎日ずっとお酒を飲んで、罵詈雑言を浴びせ、人を憎んでいました。


2人の子供を夫から守るだけで精一杯の6年間を過ごしましたが、
鹿児島に取材に出かけた夫にとうとう電話で言いました。
「お酒をやめるまで帰ってこないで」
鴨志田さんは帰宅する代わりに、
自宅と逆方向の那覇に行きました。

西原さんは当時のことをこんな風に語っています。

「沈みかけた難破船の中で、右手に子ども2人をつかんで
左手に彼をつかんでいるとしたら、現実問題として、
離すのは左手なんですよ」
「難破船の中で、一生懸命ただ柱につかまっているだけで精一杯の時に
『あなたにも悪い所があったんじゃない?もう一遍考え直したら?』って
やっぱり言われちゃうんですよ」


疲れ果て、悩み果てて、西原さんもうつ病になっていました。

那覇でも酒がやめられずに、鴨志田さんは吐血していました。
食道静脈瘤破裂による大量吐血・入院を10回も繰り返していました。
普通は2度やれば死に到るそうです。
離婚後も西原さんと鴨志田さんは連絡を取り合い、
共著も出し、子どもを連れて見舞いにも行ったそうです。

「お母さんがお父さんの悪口を言うのが、
私は子どもの頃から嫌だった。
女の人の被害者意識が大嫌いなんですよ。
『あんたたちのために、私は我慢してやっている』という意識が。」

子どもたちは、病院でチューブだらけになっていたり、
ウンコまみれのお父さんでも大好きでいてくれたそうです。


10回目の入院で、断酒を決意した鴨志田さんは、
3ヵ月後に退院し、精神科で抗酒剤を出してもらい、
3ヶ月間断酒します。実質半年飲んでませんでした。
家族と素面で会いたかったのです。
自分にご褒美、と思って入った寿司屋で、飲み物はお茶。
なのに、店の好意で出された奈良漬の酒と香りで、
簡単に再飲酒に戻ってしまったと言います。
アル中は怖いんです。治癒率は20%だそうです。

再飲酒になり実家に居た鴨志田さんは、
ニュースで師匠の死を知ります。
イラク戦争取材中の橋田信介さんと甥の小川さんが、
バクダッド近くで襲撃を受け、死亡したのです。

テレビのニュースに釘付けになった鴨志田さんに、
かつて師匠が言ってくれた言葉が蘇りました。
「ここはお前のいる場所じゃない。自分のすることを愛しなさい」

鴨志田さんはやっと決心して、精神科のアルコール病棟に入院し、
だんだん正気を取り戻していきました。

親しい医師とこんな会話を交わしたそうです。
「『治ったら帰って来ていいよ』と
嘘でもいいから希望を持たせてあげなさい。
そうすれば彼は希望のうちに闘病して死ねますよ」

「殺されるかと思ってやっと別れたのに」
「帰ってこられたら、その時はいい人に戻っていますよ」  

鴨志田さんはアル中を治して、自宅に帰ってきました。
2日間、西原さんは怖くて口がきけなかったそうです。
2日かかったけれど、怖かった数年間の鴨志田さんは、
病気だったのだ、病気の言動は本心ではなく、
病気は治ったのだと思ったら、ストンと腑に落ちて、
出会って好きになった頃の彼として、記憶が上書できたそうです。

でも、鴨志田さんはその時、ガンを患い、余命5ヶ月の体でした。

西原さんと鴨志田さんは、子どもたちのために約束します。
どんなに辛くても、最後まで笑って過ごそうと。

「私と彼、初めてだったんですよ。ケンカしない家庭って。
お父さんとお母さんがいがみあわないっていいものですね」


一緒にお風呂に入ったり、ご飯を食べたり、散歩したり、
普通の家族の生活をして、旅行も出来るだけして、
鴨志田さんは42歳で亡くなりました。

最後に、子どもを傷つけずにすんだ
人として死ねる事がうれしいと言っていたそうです。

リビングのテーブルで鴨志田さんの席だった椅子に、
大きなカエルのぬいぐるみが座っているそうです。
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コメント

非公開コメント
        

No title
ここ最近、娘の事で悩んで日記書く気にもならなかった私です。
とうとう。。。お仕事辞めてきたんです。
「あなたがいたから」って、思えるようになりたいです。
今は、心配で心配で仕方ないです。
でも、頭の半分では…もぅ二十歳だしっとも思ってるのですがね。。。
(今日は、少し愚痴のコメントでごめんなさぃね。)
No title
ぷりんちゃんへ

びっくりしました。
ドナドナの先輩の励ましでもダメでしたか・・・。
パティシエの世界は厳しくて、体力勝負の面もあるって
パティシエになった甥っ子が言ってました。
頑健な甥っ子が体力勝負というのだから、
女の子にはよほど過酷なのでしょうね。
不況で、人材には困らないので、
会社側も強気でこきつかうのかも・・・・。

でも、親としては心配でたまりませんよね。
いい道が開けることを祈っています。
わが娘も就活中ですが、なかなか決まらず、親としてはやきもきしています。