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永井隆さんを知っていますか?

category - 日記
2017/ 02/ 07
                 
永井隆氏は、島根県に生まれ、長崎医科大学を卒業して医者になりました。
当時多かった肺結核の発見、治療のため、多量の放射線を浴び続けた結果、
被ばくによる白血病のため余命3年という診断を受けていました。
長崎に原爆が落とされて、さらに被曝する2か月前のことでした。
何度か危機はありましたが、余命宣告の倍ほどは生きておられました。

長崎に原爆が落ちた時、永井博士は、長崎医科大学にいました。
爆心地により近い木造の建物は瞬時に押しつぶさて、吹き飛ばされ、燃えてしまったので、
中にいた人は全員死にました。
少し離れたコンクリート製の建物は、運よく生き残った人も少しはいました。
永井隆氏は、運よく生き残ったグループに入りました。

実験室の焼け跡の灰の中に先生方であろう幾つかの黒焦げの骨がある。
大体部屋の見当をつけて女性の骨を見つけた。これが辻田君であろう。
この骨はもう「ネエ、ほほ!」とは笑わない。紙に拾い集めながら、
夢ならば夢ならば、と繰り返し思う。
梢ちゃんが授業を受けていた行動の焼け跡に来る。
しらじらと陽に光る灰の中に、ああ、整然と並んでいる幾十の黒骨!
この中にわが片岡君もまじっているのか。
ノートを取るペンを握ったまま一瞬に若い生命を奪われた学生たち。
       中略
多分、山下君、吉田君、井上君が先に働いているところへ、
後から浜君と小柳君とがやってきて声をかけたのだろう。
3人が立ち上がって手を握った。2人も手を振って駆けだした。
その瞬間に叩きつけられたものに違いない。
3人と2人は離れて倒れている。
「秀ちゃん、」「ミッちゃん」と婦長さんが肩に手をかけて揺さぶったほど、
あどけない死に顔だった。こんなに早く死ぬ子なら、
あんなに叱らねばよかったと、山下君の可愛い鼻を見つめていて思う。・・・後略

黒焦げになっていたり、べろべろに皮が剥げて死んでいったり、
生きているのに、火の出た建物の中で動けず、焼け死んでいったり。
沢山の人が命を落としていく中で、生き残った永井博士とその仲間たちは、
手当の必要な人々を助ける作業に励みました。
薬も包帯も何もかも、爆風で吹き飛ばされたりして足りませんでしたし、
永井博士自身も、顔の動脈を切る大怪我をして、ひどく出血をしていましたが、
脈は弱くなってきたがまだ大丈夫だろうと医者らしく客観的な判断で治療に当たっていました。

被害について、永井博士は、「長崎の鐘」の中でわかりやすく書かれています。

爆圧は言語に絶する強大なもので、爆弾に対して露出していた者、すなわち、
戸外、屋上、窓辺などにいた者は叩きつけられ、吹き飛ばされた。
1キロ以内では即死、または数分後に死んだ。
500メートルで母の股間に胎盤のついた嬰児が見られ、
腹は裂け腸の露出した屍体もあった。700メートルで首がちぎれて飛んでいた。
眼玉の飛び出た例もある。内臓破裂を思わせる真っ白な屍体があり、
耳孔から出血している頭蓋低骨折もあった。
熱もずいぶん高温だった。500メートルで顔の黒焦げが見られた。
1キロ内外で受けた熱傷はまったく特異のものであり、
私はこれを特別に原子爆弾熱傷と命名したい。
これは熱傷部の皮膚剥離を伴うもので、即時発症した。
熱傷を受けた部分だけが皮下組織から剥離し、1センチくらいの幅に細長く裂け、
その中途、または端で切断されることもあり、縮み上がり、少しく内方に巻き込み、
ぶらぶらとボロ布か塵払いみたいに垂れ下がっている。・・・・後略

原子爆弾の原子病をその発現の時期に従って述べてみよう。
まず被爆後3時間くらいしてから放射線宿酔が感じられ、24時間後が最高で、
後次第に軽快して行った。第3日目ごろから消化器障害があらわれ、
多くは一週間後くらいに死亡した。軽度の物では下痢が長くみられた。
第2週に出血をみた者があらわれた。これは血液障害で多くは死亡した。・・・・後略

博士は「現場のスケッチも、傷の写真も、解剖したことも、標本もないので、
医学論文としての価値はないでしょう。」「これは医者の立場から見た、
原子爆弾の実相をひろく知らせ、人々に戦争をきらい、平和を守る心を起こさせるために
書いたものです」と述べておられます。

生き残った医療者の方たちは、不眠不休で治療に努め、
頭脳を絞って、療法の発見に努めました。
宿酔にはビタミンBとブドウ糖の注射がよく効き、熱傷には鉱泉療法が効きました。
9月になって、皮膚溢血斑、高熱、咽頭潰瘍などを伴う重篤な患者が多数出たのには、
患者の血液を2立方センチ取り、そのまま患者の臀筋肉に注射する療法がよく効きました。

一方では、原発が落ちて3日目、博士は自宅へ行って、
台所奥さんの骨を拾ってきていました。
子供は疎開していて無事でした。

日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から、憲法を改めて戦争放棄の条項を削れ、と
叫ぶものが出ないとも限らない。そしてその叫びが、いかにももっともらしい理屈をつけて、
世論を日本再武装に引き付けるかもしれない。
そのときこそ・・・誠一よ、カヤノよ(永井博士のお子さんで2人とも60代で亡くなられています)、
たとい最後の2人となっても、どんなののしりや暴力を受けても、
きっぱりと「戦争絶対反対」を叫び続け、叫び通しておくれ!
たとい卑怯者とさげすまれ、裏切り者とたたかれても「戦争絶対反対」の叫びを守っておくれ!

この叫びに、私は深く頭を下げたくなりました。

「どんなののしりや暴力を受けても」
「たとい卑怯者とさげすまれ、裏切り者とたたかれても」
弱虫な私にはとても言えないセリフです。

ましてや、博士はいつ死んでもおかしくない体で、原爆で母を亡くして、
ほどなくして父をも失おうとしていて、子供はまだ幼いのです。

永井博士も奥様も敬虔なクリスチャンでしたので、
世間の損得や評価など、超越した世界に生きていたのでしょう。

博士は、白血病を抱えながら原爆でも被爆するという運命の中、
人々のために、全力で生き抜きました。
寝たきりになっても、執筆を続け、たくさんの著書を書きました。

旅行の3日目には、永井博士ゆかりの場所を巡ってくる予定です。
2時間のガイドさんをお願いしてあります。

お天気は、なんと3日とも、曇り時々雪に。
昨日は最終日だけは雪マーク、なかったのに。

ちょっと今回の旅行は、「楽しんできま~す♪」というノリではない内容なのですが、
味わってきます、と言っておきましょうか。
いっぱいお祈りをする旅行になりそうです。
できたら、雨も雪も降らないで欲しいですが・・・。

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コメント

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No title
長い隆さん、存じ上げませんでした。

観光にグルメにお買い物~も楽しいけど、
長崎はやはり原爆は離して考えられませんね。
有意義な旅行になりそうですね。
No title
永井隆さんも忘れられるほど時が経過しましたね。
今回は重い旅のようですが、ご主人とこういう重い話ができるのですか。だとするといいですね。

私は五島列島に行きましたが、一人旅でよかったと思いました。
No title
こんにちは(^^)。

ちょっと重たい気持ちになりますよね、、、広島も長崎も…私は二度とは行きたくないと思いました、気持ちが滅入るから。
でも絶対に二度と引き起こしては成らない戦争の悲劇は確りと身に付きました。

今日も笑顔で素敵な一日を過ごしましょうhttps://s.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s310.gif">https://s.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s316.gif">
No title
永井隆博士、知っています。

私が通っていた学校の修学旅行は、中学では広島、高校では長崎とその周辺でした。

いよいよ出発の日は近づいてきましたね。楽しんできてください~https://s.yimg.jp/images/socialproducts/blog/img2/emoji/064.png">
No title
ねえねさんへ

お若い方はご存じない方が多いかもしれませんね。
映画化された本もあるので、私たちの年代は、名前は知っている人が多いですが、
作品を読んだとか、映画を見た人は、そんなに多くないようです。

旅行時期にあわせたように(涙)大寒波が来ていますけど、
長崎を味わってきますね。ありがとうございます。
No title
sioさんへ

sioさん、五島列島に一人でご旅行されたのですか?
ちょっと・・・かっこよすぎます。(笑)
奥様に重い話は似合いませんか?
案外話してみれば、会話が弾むかもしれないですよ。
でも女性は男性と重い話をするのが嫌いなところがあるかもしれません。
蝶々のような軽やかな存在でいたいからかな~?(謎)
私自身も、友人との方が重い話をしやすいです。
No title
みゆきママさんへ

みゆきママさんは広島・長崎にはもう行きたくないですか?
私は広島は行ったことがなく、長崎は2回目ですが、
広島にも行ってみたいし、長崎は実は最初に行った時に心になじむ感覚があって、
石畳の坂道であるオランダ坂を歩いていた時は特にそれを感じました。
確かに原爆の悲劇の場所ですし、被爆のマリア像には気持ちが暗くなりましたが、
沢山の祈りが挙げられた土地でもあります。

戦争がまた起きるかもしれないようなきな臭さのある最近、
日本中が、もう一度あの戦争を振り返る必要がある気がします。
No title
ミセスRさんへ

修学旅行で戦跡を周ることもよくありますね。
私の学校ではそういうのが一切なかったのですが。

永井博士はご夫婦で敬虔なクリスチャンでいらしたのですね。
今、お嬢さんのカヤノさんの本を読んでいますが、
素晴らしい方だったと思います。