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友人に会いました

category - 日記
2014/ 05/ 18
                 
昨日は午後から友人に会いに名古屋に行きました。
私たちの家の中間地点が名古屋なんです。
幼馴染の私たちは保育園~中学まで同じでした。

彼女はお父様をガンで亡くされていますが、
この間、夢で話したそうなんですよ。
生きている間、あまり円満な関係を持てなかったことを
長い間、父親のあり方に問題があったからだと思ってきました。

でも、夢を見て、本当にそうだったのだろうか?という思いが湧いたそうです。
父親も娘と仲良くしたかったし、自分だって娘として愛されたかった、
親子関係を修復する方向に向かう選択を、父親も選べたし、
娘である自分も選べたのではないか?
ただ、選べないと思っていただけでは?
彼女の話は、私の心にすっと染みていきました。

私も両親をガンで亡くしていますが、
最期の日々を一緒に過ごす時間の中で、
それまで理解できていなかった両親の気持ちが、
もう死んでしまうという時期になって、
あの時はこんな気持ちだったんだと初めて分かったこともありました。

本当に、いろんなことについて、選択肢はいっぱいあったと
最近、私もしみじみ感じることが多かったので、
人生は選択の積み重ねだったと、お互いの感想を話し合いました。

シュウトメちゃんには我慢できないと、家を出る選択だって、
離婚する選択だって、私にはできたのだけど、しなかったのです。
特に両親が亡くなって実家が空き家になっているのですから、
「今日から一人で暮らします」と出ることなんて、本当は簡単なこと。
自分がした選択の積み重ねの上に今の自分がいるけれど、
違う選択をした人生をいっぱい想像できます。
それが良かったとか悪かったとかではなく、そういう選択があった中で、
自分はこういう選択をしたのだという事への理解が出てくるのです。

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「素晴らしい気持ちになることがあると、心地いいから、
ずっとそこに留まりたいって思うけど、できないね。」
友人はそんなことも言いました。
「できないのよね。すべては変化していくから。」
「そうなのよね」

すべては変化していくもの。

私は庭に出て、陽の光や月や風の音、鳥の声などを
ただ感じていることが好きなのですが、
例えば、この瞬間に見える木の葉も、鳥も、
変化し続けていて、何ひとつ変わらないものはないと感じます。
遠くに見える山も、手元にあるカップも、私自身の細胞も
刻々と変化しているのですよね。

「逆もあるけど、どうしてかな?留まりたくない嫌なことを反芻するの。
あれは無駄に思えるけど」と私が質問して、
愚痴についても、新発見がありました。
(彼女は心理の専門家なのです)

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少し前の日記に書いた「どうして私がこんな目に!」という気持ちは、
嫌な目にあった記憶であり、思い出すのも不愉快なはずです。
そんな不愉快な記憶を、あの時は腹が立ったとか、悔しかったとか、
何度も反芻して、わざわざ思い出すのはなぜか。
留まりたいような心地よい心境ではなくて、忘れたいことなのに。

今はそんなことはほとんどないのですが、昔はよくありました。

「自分が不当な扱いを受けたことで、ムッとするのは当然なんだけど、
愚痴を言っている間は、実は、自分が怒るのは正当ではないかも?
自分が悪いのかも?という疑いを感じていることが多いの。
自分が我慢すればいいんじゃないか、怒るのは間違っていないかって。
シュウトメちゃんの愚痴まみれの件は、単なる排泄かな。
自分ではこの現実は受け止められないと思いこんでいるから、
壊れないために排泄したんだと思う。」

なるほど。私は一方的に排泄してくる相手に苛立って、
排泄しないように自分を変えろと迫ったから無駄骨を折ったのね。
この友人は、私に何度も何度も「人は変えられないよ。
変えられるのは自分だけ」とアドバイスしてくれていました。

でも私は「問題は外側にある」とその頃は思い込んでいたので、
彼女のアドバイスが本当には理解できなかったのです。

彼女も、変えられるのは自分だけで、私を変えられなかったわけで、
それは私が変わることを望んでいなかったからでしょう。

すべてのことに時期があるのでしょう。

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私は「どうして私がこんな目に!」と被害者意識の沼に沈んでいた時期を
不毛で無駄だったように感じていました。
でも、私は意識的には怒りながらも、無意識の中では、
「我慢は美徳」とか、「嫁は耐えるもの」というような、
不要な価値観を大事に抱えていたのでしょう。
「自分が我慢したほうがいい」という気持ちが心の底にある間は
「どうして私がこんな目に!」と心で叫ぶ時期が必要だったのですね。

無駄な時間なんてなかったんだと目からうろこが落ちました。
すべての時間、すべての経験が今の私を作っています。
自分にちょうどいい速度で成長していくものなのでしょう。

そして、被害者意識は実は心地いい、というのもあるしょうね。
自分は正しい被害者で、相手は悪い加害者なんですから。
このゲームから抜け出すためには、このゲームの罠が見えなくちゃね。

自分が罠に引っかかっているのを発見するため、
人がゲームを仕掛けて、被害者意識に沈んでいる姿を見せてくれているのかも。
これは実は自分の姿だと発見するまで、根気強く見せてくれていたのかも。

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友人とおしゃべりを楽しんだ後、講演会に行きました。

朝、時々読んでいるスピリチュアルなブログを訪問すると、
その日の午後6時半から、名古屋で講演会があって、
当日券もあります、と書いてあったのです。
あら?面白そうじゃない?

昔なら、行けなかったですよ。
主婦が午後6時半から9時半までの講演会に?
そりゃ、ダメでしょう、という思い込みがありました。
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コメント

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No title
このお友達と過ごす時間、とても有意義ですね。

私って幸か不幸か、自分を責めたり被害者意識に陥ることが、
昔から極端に少ないんです。自分勝手なんでしょうかね?(笑)
親の育て方かもしれないし、自分の気の強さのせいかもしれないし。
私は悪くない(笑)。でもそう思うことって、全て自己責任だから
孤独で大変なんですよ。同調者はいらないんです。
No title
ねえねさんへ

自分を責めたり、被害者意識に陥ることが少ないのは、
ご自身の中に、自分を責めるような価値観を持っておられないことの表れで、
とても素敵なことだと思います。

私はシュウトメちゃんとの出会いで、その辺が急激に開花し、
病気の長男を育てたことで、ますます促進して、
それが自分の無駄な思い込みのためだったと気が付いてから、
しぼんでいったという経緯をたどりました。

当時の私には同調者が有難かったので、義理親の自己中に苦しみを持つ
同居のお嫁さんとか、先天性の病気を抱える子供を育てるお母さんとか、
そんな方たちと、喜怒哀楽を分かち合う経験が出来たともいえます。

すべてつながっていて、自分に必要なことが起こってきますね。
ねえねさんには孤独で大変な時間が必要なんだと思います。
No title
すべてのことに無駄なことはなく、起きるべくして起きている。
極端な話先日の母の体の痛みが、そこそこ我慢できる程度の痛みであれば
今通院している病院で痛い注射に今でも耐えていたと思います。
我慢ならん!という不満で新しい病院にめぐり合い、「あら、もう終ったのですか?」と射したか射さないか分からない程度の注射(8本)で、痛みが嘘のように軽減できた。
「おかあさん、あれほど痛かったお陰やねえ~」とまるで他人事のようにのたまう娘(悦子)

頼りない娘だからこそ、母は呆けられもせず未だに現役生活。

何が幸いするか・・・

そんな話じゃなかったでしたっけ?
No title
悦子さんへ

そんな話でいいと思いますよ。(笑)

本当にいい病院のいいお医者様に巡り合えてよかったです。
病院を変えるって、人によっては、一大決心が必要なので、
こんなものかと我慢してしまいがちですよね。

何が幸いするかわからないっていうのは、
心に刻んでおきたいですよね。
だって、愚痴封じになりそうなんだもん。(笑)