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2018年03月01日

        

義母さんについて その3

category - 日記
2018/ 03/ 01
                 
男尊女卑に限らず、こういう人は「尊」で、好き勝手を押し付けていい立場、
こういう人は「卑」で、押し付けに従わなくてはいけない立場、という感覚自体が、
無くなっていくといいなと切に思います。
「女三界に家なし」という言葉が薄れていったように、

でもこういうの、根が深いんですよね。
セクハラに「Me too」と言おうという運動が広がっていますし、
相撲協会の威厳に多少ひびが入りかけているし、
働き方改革関連法案から裁量労働制の拡大を切り離すことになったし、
(一時的ですけど。あんなの雇い主は社員を社畜にしていいよ的提案だと思いません?)
「尊」になって権力をふるいたい人たちの立場に揺らぎが見え始めています。

でも、手にしていた「尊」の権力を持ち続けたい、勢力は拡大したい、
相手を「卑」の立場にしてしまおう、という力との戦いなのでしょう。

この世に生きている以上、立場的に上と下が生じるのは仕方ないこと。
でも、人間として生まれ、同じ時代に生きている魂として、
相手の中の仏性を敬う心が必要なんじゃないかと思います。

義母さんからの話から大脱線してますか?
私の中では繋がっているんですけど、
ちょっと怪し過ぎるかもしれないので、元に戻します。

義母さんは、自分を大切にすることはいけないこと、という躾を受けました。
親にとっていい娘、嫁ぎ先にとっていい嫁にならないと、幸せになれないと教えられました。
ご両親に悪気などはなく、自分たちの常識だったので娘に教えたのだと思います。

そう教えたご両親は、義母さんの長兄さんの嫁にしっかりかしずかれたかと言えば、
全然違ったので、義母さんはよくこぼしていました。
「わしが実家に行った時、ちょうど母さんが転んだんだ。玄関に血が飛んで、
わしはびっくりして駆け寄ったんだけど、あの嫁さんは、玄関の血に走り寄って、
玄関についた血の汚れを雑巾で拭くのに一生懸命だった。鼻血だったかもしれない。
小さな血のしずくが何滴か垂れただけで大怪我じゃなかったけど、
心配もしないで、ただ、血が落ちた!って騒いで。
兄さんが注意したけど、聞く耳持ってなかった。母さんが可哀想だった。」

義母さんの中には、長年の愚痴が溜まっていて、苦しかったんですね。
ちょうど嫁がやってきたので、聞いてもらおうと思ったんです。
私も、聞く話がみんなすごいので、そうなんですか?それは大変でしたね!と
話を聞いて、受け答えしていたのですが、5年経っても、10年経っても、
15年経っても、やはり義母さんは毎日愚痴を言い続けるのでした。
特に子供たちと私と4人の夕食の食卓では、欠かさず愚痴が始まりました。
夫は仕事が忙しいので、一緒に食べるのは無理でした。
金輪際やめてほしいと何度も言って、やめないと一緒に食べないよ?と脅しましたが、
「愚痴でも言わないと生きていけない」などと言って、大変でした。

でも今思うと、「愚痴でも言わないと生きていけない」ほどのストレスは、
多分、封建的な親の躾にしたがって生きて、封建的な家に嫁ぎ、
長い間、自分の感情を押し殺し過ぎてきたために溜ったものだし、
溜っていたからには吐き出さないではいられなかったのでしょうね。
嫁はごみ箱になってくれると思っていたのに、吐きだし切っていないのに、
もうごみは出さないでくださいと無茶を言う。頭にくる。
必要なんだから吐き出してやる。そんな感じだったのかな。

前の施設では、苦情ばかり言うから個室に入るなり、出て行くなり、
何とかして欲しいと何度も電話がありましたが、
今の施設にはもうすっかり慣れて、今は愚痴はめっきり減りました。

これからは、楽しい記憶の反すうができるといいね、義母さん。
この時は嬉しかったでしょう?とか、良かったですねぇとか、
ある程度、愚痴を吐きだし終えた今なら、そちらに移行できるかも。

「人生は美しいことだけ覚えていればいい」
「人生は自分の手で、どんな色にも塗り替えられる」
エリザベス・サンダーズ・ホームを作った澤田美喜さんの言葉です。
義母さんは87歳で、人生の最終段階にいます。
いい思い出話を引きだして、義母さんが温かい気持ちになれることが増えるといいなと思います。

しかし今日の日記はなんと3部作~。長すぎ~。
もしかして最後まで読んでくださった方、お付き合い下さりありがとうございます。
最初少し読んだだけでもうパス!という方、それが普通だと思います。ごめんなさい。
            
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義母さんについて その2

category - 日記
2018/ 03/ 01
                 
義母さんは、私が気に入らなかった点も多々ありましたが、
やはり世話をしてくれて、話相手になる相手ができたことは喜んでいたと思います。
心の中に、自分の苦労話が溜まっていて、吐き出す相手はご近所の友人や子供でしたが、
その話はもう100回聞いた、という相手に話すより、
何も知らない私に話すのは、新鮮な楽しみだったと思います。

毎日聞き続けないと癇癪を起される私には苦行でしたので、
時には、もうやめてくれと逆らいましたが、基本的には聞いていました。
いろんな話を聞いて、驚いたことも多かったです。

跡継ぎの長男は、他の男兄弟の家を建てる土地を提供し、家を建てるローンも背負う
そういうルールがあったそうで、義母さんの家のローンはとんでもない額でした。
その上、きょうだいの男女関係なく、実家の長として、きょうだいの子供が生まれたらこれを、
節句にはこれを、入学した際にはこれを、という高額な贈り物の義務があり、
働いても働いても、きょうだい甥や姪のために払うお金に消えていき、
暮らしは苦しかったと、義母さんと同居していた頃、その話を何度も聞きました。

それなりに気の強い義母さんは、大姑さんが亡くなった後は、
いろいろと反論もしてきたそうですが、妻は夫の言うことに従うものと確信している夫と、
嫁は義母の言うことに従うと確信している義母さんの大人3人、子供3人の生活で、
大人2人がそんな風でしたから、義母さんの負担はいつも重かったでしょう。

長男(koalaの夫)が高校生の時に、義母さんは夫を病気で亡くします。
生命保険には入っておらず、お百姓だったので退職金などもなく、
当時は農地はそこそこ高額で売れたのに、亡き夫の先祖代々の土地だからと売らず、
頑張って働きに出て、過労もあって、仕事から帰って家で倒れ、左半身不随に。

まだ下の義姉は未婚だったので、自分が寝たきりになったら、次女が嫁に行けないと、
次女さんのために必死で自力でリハビリした義母さんでした。
こういうところは、本当に努力家で、自分を甘やかさない人で、尊敬しています。

義母さんは、長女さんや次女さんをお嫁に出すときは、土地を売りました。
我が子の嫁自宅のためなら売るけれど、でも自分が楽するためには売らない、。
もっと自分を甘やかしてよかったんだよ、と心の中でつぶやいてしまいます。
自分が贅沢したいから売るわけじゃない、子供たちとの普通の生活を、
無理なくするための資金なのだから、後ろめたいことなどないのに。

男尊女卑を押し付けられた最期の?世代の義母さんは、
自分を大切にするなどというのは贅沢な我儘として生きてきたのでした。
それでも押し込められた本心の、哀しみや怒りは消えるどころか膨らんで、
koalaという嫁を迎えて、そのあとで自分の大姑さんも亡くなって、
ようやく嫁という立場から解放されて自由になったと思ったら、
家に来た嫁が命令に逆らうようなヤツだったわけです。

こういう人が私のような嫁を迎えたら、(女は苦労を乗り越えていかなければいけないんだ!
わしはがむしゃらに頑張ってきた!なのにコイツはなんて自分に甘い嫁なんだ!)と
怒り心頭だったのだろうと、今の私なら理解できます。
当時は理解不能でした。

おまけに小室哲哉さんの浮気疑惑、引退騒動で、高次脳機能障害についていろいろ知り、
自分の感情がコントロールできなくなるとか、簡単にできたことができなくなるなど、
そうか!と思うような事例をいくつか読んで、義母さんの言動について、
いろいろ認識も変わりました。

自分がもし、義母さんのような環境で生まれ育ち、嫁いで子供を産み育て、
脳出血を経験して、左半身が麻痺し、高次脳機能障害も負っていたら、
同じような言動を取ったかもしれないと思います。

またまた長くなったので、その3に続きます。
                         
                                  
        

義母さんについて  その1

category - 日記
2018/ 03/ 01
                 
私は「疲れた!」と思えば、いろいろ気分転換を計画、実行できますが、
若い頃の義母さんは、「疲れた!」の連続のような生活をしてきました。
その上で、「気分転換の計画などとんでもないこと」という生活をしてきたのでした。

一時帰宅時の回顧で、義母さんに苦労したことをいろいろ思い出してブログに書きました。
今は何て楽なのだろうという思いからですが、嫁につらく当たったのは、義母さんの一側面です。
義母さんにもいい面がありましたし、ああならざるを得なかった環境もありました。

「女三界に家なしという言葉を知らんのか!」と義母さんに怒鳴られたことがありましたが、
あれは嫁のくせに義母さんの言う通りにしないで反論などする若い日のkoalaに怒鳴るのと同時に、
長いこと自分に言い聞かせてきた言葉だったのだろうと思います。
子供時代は親に従い、嫁いでは嫁家に従い、老いては子に従うのが女性の運命で、
女性にはどこにも安住の地はないのだというオソロシイ言葉。
有難いことに今の日本では死語になっていますが、
昔はこれが現実だった人が多かったのですね。

義母さんは、たくさんきょうだいはいるものの、それは全部男のきょうだいでした。
男尊女卑の時代の田舎のことですから、子供の頃から、家の手伝いは女の仕事で、
他の兄弟家近くの子供たちが遊んでいる間も、女の子だからという理由で、それも一人娘ですから、
姉妹と手伝いの仕事を分け合うこともできなくて、遊ぶ時間が極端に少なかったそうです。

義母さんの言うには、当時の村の娘というのは、結婚は親がお見合いを決めてきて、
お見合いの席でも女性は相手を見たりせず下を向いておしとやかに。
見合いとは、男性側が、この女性でいいかどうか見る席なので、
義母さんは結婚式まで、自分の夫の顔を見たことがなかったとか。

結婚先の家(koala家)では、の両親は、養子娘と入り婿さんで、
結婚相手はその長男でお百姓さんでした。
当時ももう、専業農家は減っていて、サラリーマンと兼業が多かったのですが、
それは余程の大農家以外は、収入が少なかったからでした。
しかし、結婚して夫となった人には、農業に賭ける気持ちが強かったのでした。

家のこまごましたことでは、大姑さんが采配を振るい、
娘(義母さんの義母さん)には甘く、義母さんには厳しくという風でした。
過酷な農業、少ない収入、家事と子育て、親せき付き合いは義母さんの肩にかかりました。
例えば、歯が痛いので歯医者に行きたいとお願いしても、忙しいからダメと、
大姑さんに却下されたら行けず、痛みは激しくなり、虫歯は悪化して、歯はがたがたになりました。

たかだか一世代前の話とは思えない状況ですが、田舎の農家の封建的な考えはこんな風で、
こんな話はどこにでも転がっているというものだったらしいです。
これは義母さんの話してくれたことなので、家庭により差があったとは思いますが、
少なくても、義母さんの生まれた環境、嫁いだ環境は、このレベルの男尊女卑がありました。

長くなるので、その2に続きます。