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2017/11/09

2017年11月

        

「わたしを離さないで」カズオ・イシグロ その5(最終です)

category - 日記
2017/ 11/ 21
                 
夜、キャシーの運転での帰り道、トミーは車を止めてもらいました。
気分が悪くなったのかと思ったキャシーでしたが、
離れたところでトミーは怒りに荒れ狂っていました。
トミーを探しに行ったキャシーは、トミーが振り回している腕に飛びつき、
しっかりと抱きかかえました。
それを振りほどこうとするトミーに必死でしがみつきました。
やがてトミーの叫びがやみ、身体から力が抜けて、
2人は抱き合いながら立っていました。

「何を考えている、キャス?」
「昔のこと。ヘールシャルムでああいうふうに癇癪を起したでしょ?
あの頃、あなたがあんなに猛り狂ったのは、ひょっとして、
心の奥底でもう知ってたんじゃないかと思って。」

普段の生活に戻る中、トミーに4度目の提供の通知が来ました。
たいていは4回も臓器を提供させられたら使命を終えるのですが、
終わることが確実というわけではありません。トミーはそれを怖れていました。
そしてトミーは、キャシーとは別の介護人にみてもらうことを希望しました。

「おれはな、よく川の中の2人を考える。どこかにある川で、すごく流れが速いんだ。
で、その水の中に2人がいる。互いに相手にしがみついてる。
必死にしがみついてるんだけど、結局、流れが強すぎて、かなわん。
最期は手を離して、別々に流される。おれたちって、それと同じだろ?
残念だよ、キャス。だっておれたちは最初から、ずっと昔から
愛し合ってたんだから。けど、最後はな・・・・・永遠にいっしょってわけにはいかん。」

介護人をキャシーから別の人にかえたいと言われて、キャシーは怒りますが、
川の中の2人の話を聞いて、夜の帰り道にトミーにしがみついていたことを思い出しました。
そして、介護人をかえたいというトミーの気持ちを尊重しました。

最期の日、ルースの話やサッカーの話をして、2人は別れました。
軽くキスをしてキャシーは車に乗り込み、トミーは手を振りました。
それはこの世の別れで、もう会うことはないと2人ともわかっていたでしょう。

トミーが使命を終えたと聞いて、キャシーは用事はないのにノーフォークまでドライブしました。
このドライブを、キャシーは、「一度だけ自分に甘えを許しました」と書いています。

ノーフォークは、キャシーには特別の土地でした。
ヘールシャルムで「イギリス中の忘れ物が届く場所」とみんなで盛り上がった場所であり、
トミーと一緒に、ヘールシャルムで失くしたカセットテープを探して手に入れた場所。

キャシーにも提供の通知が来たようです。
小説の最後はこんな風に終わります。

トミーを失って2週間です。わたしは1度だけ自分に空想を許しました。

待っていると、やがて地平線に小さな人の姿が現れ、徐々に大きくなり、
トミーになりました。トミーは手を振り、わたしに呼びかけました・・・・。
空想はそれ以上進みませんでした。わたしが進むことを禁じました。
顔には涙がながれていましたが、わたしは自制し、泣きじゃくりはしませんでした。
しばらく待って車に戻り、エンジンをかけて、行くべきところへ向かって出発しました。

「一度だけ自分に甘えを許しました」
「一度だけ自分に空想を許しました」
「空想はそれ以上進みませんでした。わたしが進むことを禁じました」
「わたしは自制し、泣きじゃくりはしませんでした」

小説の最初から最後まで、キャシーは淡々と語っていますので、
自制心の強い人物であるというのは、最初からわかるのですが、
ここまでの自制のあり方は衝撃的でした。

提供とか、使命を終えるとか、ごまかしの言葉でぼやかされていても、
コピーでない人間を長生きさせるために、死んでも苦しんでもいい存在として、
内臓を何度も奪われ、最後は用済みとなって死んでいく、殺される運命の自分たち。

奪い取られてもいい命と、奪ってもいい命が、しっかり区別されている世界。

その運命を受け入れるしかないと教育され、せめて誰にも奪えない、
子供時代を与えようという施設だったヘールシャルム。

キャシーの思い出話の中の生徒たちは、先生に従順な、
学校の規則を絶対に守るような子ばかりだったのを思い出しました。

時折怒りを爆発させるトミーは、みんなの笑い者でした。

「あなた方の人生はもう決まっています。これから大人になっていきますが、
あなた方に老年はありません。中年もあるかどうか。
いずれ臓器提供が始まります。あなた方はそのために作られた存在で、
提供が使命です。」
ルーシー先生が義憤に駆られて生徒たちにこんなことを言った時も、
生徒たちは、大騒ぎなどしませんでした。

トミーはこの理不尽に激しく怒りを持っていました。
怒ってもどうしようもないと知りつつも、怒っていました。
その怒りは、キャシーを辛くさせるだろうと、トミーは思ったのかもしれません。
自分も、怒りたいときには思いきり怒りたいと思ったのかもしれません。
トミーはキャシーを愛していました。
キャシーを苦しめたくはないし、自分も自制などかなぐり捨てたかった、
だから介護人をかえてもらい、キャシーから離れようと思ったのではないかと感じました。
理由は書かれていませんので、私の想像です。

ルーシー先生はこうも言いました。
「あなた方には見苦しい人生を送ってほしくありません。」
見苦しい人生とは何を意味したのでしょうか。
自分は「臓器提供用に作られた臓器を使える状態にしておくためのいれもの」ではない、
その運命を逃れる権利があるのだという気持ちをもってそれを表現すること?

キャシーに本当に怒りはなかったのでしょうか。
自制心の厚い壁で出来た鎧の下に、様々な感情があったのではと思います。
でもその厚い壁のお蔭で、多分キャシーは、模範的な提供者として、
大きく心を乱すことなく、死を迎えられたことでしょう。

ヘールシャルムで送った日々や、卒業後にルースやトミーと過ごした日々の思い出が、
内臓も、命さえも奪われ、苦痛にあえぐ時にも、キャシーを救ってくれるのでしょう。

長々と書いてきましたが、このあらすじを書くという読み直し方をすることで、
この作品をより濃く味わうことができました。
ごく少ないと思われる最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

                         
                                  
        

「わたしを離さないで」カズオ・イシグロ その4

category - 日記
2017/ 11/ 20
                 
トミーは3回目の提供を終えた後、体調が回復してきましたので、
4度目の提供の話が起きるとも限らない状況になりました。
トミーとキャシーは、「猶予」をマダムに願い出ることにしました。

本当に愛し合っていると認められたカップルは、しばらく提供が猶予され、
2人だけの時間を持つことができるという噂に、2人は期待していました。
ルースのメモにあったマダムの住所を2人で訪ねて、猶予を願い出ました。

2人はマダムに会うことができました。
マダムだけではなく、そこにはヘールシャルムのエミリ先生がいました。
その噂は根も葉もないもので、猶予などというシステムはないと言われました。

生徒たちに絵を描くのを奨励し、よく描けている作品を校外に持ち出したのは、
描いた人の魂がそこに見えるから。
「あなた方にも魂が、心があるということがそこに見えると思ったから」と言われました。
心があるのは当たり前。
でも一般には、クローン人間は人間ではないという認識があったのです。

ヘールシャルムのような、クローン人間に教育を与える環境ができる前は、
クローン人間は医学のためのものでした。
人間以下の、試験管の中で育つ得体のしれない存在。

「こういうことは動き始めてしまうともう止められません。
癌は治るものと知ってしまった人に、どうやって忘れろと言えます?
不治の病だった時代に戻ってくださいと言えます?
そう、逆戻りはありえないのです。
あなた方の存在を知って少しは気がとがめても、それより自分の子供が、配偶者が、
親が、友人が、癌や運動ニューロン病や心臓病で死なないことの方が大事なのです。」

「世界は臓器移植を必要としている。そうである限り、あなた方を
普通の人間とみなそうとすることには抵抗があります。
私たちは長い間それと戦って、待遇の改善という成果をあげました。」

「モーニングデールという科学者が、望む親に、能力を強化した子供を産ませる研究をしていました。
特別に頭がいい、特別に運動神経が発達している、そういう子供です。
法律の定める限界を超える研究が発覚して、研究は中止になりましたが、
そういう特別な子供たちが生まれたら、世界はそういう子供たちに乗っ取られてしまう。」

「臓器提供用の生徒たちを作り出すのは仕方ない。でも普通の人間より明らかに
優れた能力を持つ子供たちが生まれたら、この社会はいずれ乗っ取られてしまう。」

ヘールシャルムは、臓器提供用に生まれた子供たちを、せめていい環境で育てる施設でした。
クローン人間は、人間的な感情を持ち、優れた感性、知性もあるという証明が、
校外に持ち出された作品群だったのです。
スポンサーもついて順調でしたが、モーニングデールの件が起きてしまったので、
世間では、臓器提供用に生まれた子供たちに、日陰に戻ってほしい気持ちが高まりました。

エミリ先生は、語りながら、臓器提供用に生まれたクローンという運命の子供たちの人生を
せめて少しだけでもましにしたという自負を語りました。

トミーは、ルーシー先生のことを聞きました。
ルーシー先生はヘールシャルムで生徒たちに、きっぱり将来の話をした人です。
もっと話したそうでしたが、それ以上言えなかったという状況で、学校を去りました。
ルーシー先生は「子供たちに、自分が何者か、もっとはっきり教えたほうがいい。
それをしないのはだますことに他ならない。」と主張しました。
学校ではこの件が検討されましたが、却下されました。

「ルーシーは理想主義的でした。現実を知りませんでした。
わたしたちは生徒に何かを、誰にも奪い取られることのない何かを与えようとして、
それができたと思っています。どうやって?主に保護することです。」

「わたしたちはいろんな面であなた方をだましていました。
だからこそあなた方には子供時代があったのです。
わたしたちの保護がなかったら、今のあなた方はありません。
授業に身を入れることも、図画工作や詩作に没頭することもなかったでしょう。
将来に何が待ち受けているかを知って、どうして一生懸命になれます?」

エミリ先生は用事で退席することになり、マダムが残ります。
退席する前に、エミリ先生に、マダムはわたしたちのことを怖がっていると告げると、
エミリ先生は、わたしたちも怖いです、と答えました。
正しいことをするためにはそういう感情に負けてはいけない、自分は勝ったとも言いました。

最期にキャシーはマダムとヘールシャルムでの「あの日」の話をします。
キャシーが「わたしを離さないで」の曲をかけて歌いながら、
枕を赤ちゃんに見立てて踊っているのを見かけたマダムは泣いていました。
決して赤ちゃんを産むことはないキャシーが母親でいることを想像して踊っていた、
歌詞の意味を勘違いしていたのだけれど、わたしの心が読めたのですかと聞きます。

マダムの感じたのは違うことでした。
新しい世界がやってくる。科学が発達して効率もいい、でも無慈悲で残酷な世界でもある。
そこにこの少女がやってきた。胸に古い世界をしっかり抱きしめている。
心の中では消えつつある世界だとわかっているのに、しっかりと抱きしめて、
離さないで、離さないでと懇願している、わたしはその姿を見たのです、とマダムは言いました。
「あなたの姿に胸が張り裂けそうでした。あれから忘れたことはありません。」

でもマダムには、その少女を救う力はないのでした。
猶予のシステムは存在せず、臓器を取れるだけ取られて、
若いうちに死んでいくのが臓器移植用の人間の運命というレールが出来上がっています。
せめて子供時代に豊かな経験をさせてあげたいという施設がヘールシャルムでした。

帰りの車の中でトミーは言います。
「ルーシー先生が正しいと思う。エミリ先生じゃない。」

トミーは、猶予の希望を抱いていました。
自分がどういう人間か、絵で判断してもらえるかもしれないと考えて、
たくさんの絵を描き貯めて持ってきていました。
もしも3年の猶予がもらえたら、キャシーとどうやって過ごそうか夢想したことでしょう。
開放でなく猶予で、猶予が終わればまた「提供」して「使命を終える」にしても。
本当のことを全部知っていれば、希望を抱くこともなかったでしょう。
私はこの言葉に、トミーの失望の深さを感じ、エミリ先生の自負の中にある驕りに対して、
トミーは強い怒りを感じたのではないかと感じました。

「ルーシー先生が正しいと思う。エミリ先生じゃない。」
どちらが正しいのかはだれにもわからない問題だと思います。

臓器移植用の人間というとんでもない運命を「あり」としたのは、
クローンは人間ではなく、、その命も運命もコントロールしていいものだという結論を出し、
長い間それを推し進めてきたこの小説の中の人間社会です。
その根本の大きな過ちを動かせないまま、個人ができることは何か。
ルーシー先生とエミリ先生ではその見解が違いました。
自分は正しいことをしているという自負については、偽善ですし不快を感じました。
でも、ヘールシャルムの保護官たちは、「臓器移植用の人間なんか自分には関係ない」と
目を閉じることはしなかった人たちです。
ルーシー先生の考えもエミリ先生の考えも、クローン人間からの臓器移植を是とする社会の中で、
自分に出来ることは何かと考えた結果の結論でした。

その5に続きます。



                         
                                  
        

「わたしを離さないで」カズオ・イシグロ その3

category - 日記
2017/ 11/ 20
                 
「わたしを離さないで」のカセットテープをある中古品の店で売っていたのをキャシーが見つけ、
それをトミーが買いました。トミーはずっとキャシーの失くしたテープが気になっていたのでした。
そして「猶予」の噂の話をキャシーに始めました。

ヘールシャルムでは誰もそんな話はしていなかった。
でも噂が本当だとすると、つじつまが合うことがある、というのです。

例えば展示館。絵ややきもの、詩やエッセイといった生徒の作品で、
優秀なものは校外に持ち出されるのだが、それはなぜか。
先生が口を滑らせたことがある。絵も詩も、作った人の魂を見せると先生は言った。
愛し合った2人が、一緒に暮らす時間の猶予を願い出た時、それが本当かどうかわからない。
そこで、生徒の小さい頃からの作品があれば、その生徒の人間性の判断材料になる。
自分の考えをトミーはキャシーに話しました。

ヘールシャルムでは、先生たちは繰り返し、創造性が大事だと言っていて、
絵や詩の上手な生徒は鼻が高く、出来の悪い生徒は真面目に努力していないと怒られました。
絵の苦手なトミーはそれが苦痛でしたし、ルーシー先生が、絵は描かなくてもいいと
言ってくれたことは、当時のトミーには大きな救いでした。

でも猶予の話が想像通りなら、自分はチャンスをどぶに捨てたんだとトミーは言います。
絵の下手なトミーでしたが、小さく書けばそうでないことがわかってきました。
まだチャンスがあるかもしれないと、トミーは絵を描き始めていたのです。

この後、キャシーは介護人になる決心をして、コテージを去ります。
介護人は、臓器提供した提供者の世話をする仕事です。
3回ほどの臓器提供で、死ぬ提供者が多いですが、
2回でも死ぬケース、4回目を果たすケースもあります。

提供者は不安と苦痛でいっぱいですし、介護人は長時間その姿を見守るので、
睡眠時間も細切れで、精神的にも肉体的にもストレスの大きい仕事です。
提供者の不安と苦痛は、全てのクローン人間が味わうものです。
介護人以外の仕事にはつけませんし、介護人を辞める時は提供者になる時です。

ある場所で、キャシーは同じ介護人をしているかつての旧友ローラに会います。
いたずらっぽい笑顔と、止まらない冗談が印象的な少女だったローラは、
疲れはてていて、昔の面影はありませんでした。

ルースの最初の提供がひどくて、介護人ともうまくいっていないので、
仲が良かったキャシーに、ルースの介護人をしないのか聞かれました。

また、ヘールシャルムが閉鎖されてなくなってしまったことなどを語り合いました。
土地も建物もホテルチェーンに売却されたようです。
キャシーはその話を、ローラに会って話し1年くらい前に聞いていました。

ローラに会ったキャシーは、ルースの介護人になることを決めました。
ルースは、座礁した船が見に行きたいと言います。
船のある場所は、トミーがいる所の近くでした。
トミーは2回目の提供を終えていました。
カップルであっても、提供が別々の地区で、それきり別れになるのはよくあることでした。
キャシーはトミーに連絡をして、ルースと3人で船を見に行きます。

帰り道で、ルースはキャシーに謝ります。
私がやった最悪のことは、トミーとカップルになるのはあなたのはずだったのに、
わかりながら邪魔し続けたことだと謝り、許してほしいけど許されることとは思わないと言います。

そして「猶予」の話を持ち出します。
とても愛し合っていることが証明できるカップルには、提供を猶予されることがあるという噂話です。
ルースは、マダムの住所を調べ上げていました。
キャシーは泣いて遅すぎると言いますが、ルースはそんなことはないと言い張り、
マダムの住所の書いてある紙を、トミーに渡します。

船を見に行く外出の後、キャシーとルースの間に長いことあった
ぎくしゃくした感じは消えていました。
ルースはキャシーに、トミーの介護人になることを勧めました。
そして2回目の提供が始まり、今度は乗り切れないと、誰の目にも明白でした。
激しい苦痛の中にいる提供者には、一瞬、頭脳が明晰になる瞬間がくるそうです。
その瞬間に、キャシーは、ルースに、トミーの介護人になることを告げました。
その声は聞こえなかったかもしれないけれど、2人の視線が結び合ったそのとき、
お互いの思いが通じたという感覚がありました。

船を見に行ってから1年後、キャシーはトミーの介護人になりました。
トミーは3回目の提供を終えたばかりでした。


このブログはもう一度本を読み直しながら書いています。
時間がかかるので、まだ終われません。その4に続きます。


                         
                                  
        

「わたしを離さないで」カズオ・イシグロ  その2

category - 日記
2017/ 11/ 19
                 
ヘールシャルムの子供たちは、卒業まで、外に出ることはできません。
授業で、写真を見ながら、ここは~という場所ですと習ったりしますが、
ノーフォークという土地のことを習うときには、写真がありませんでした。

「ノーフォークは国の東端です。海に突き出す半島にありますから、
ここからどこかへ行くということができません。」
「静かないいところですが、見方によってはイギリスのロストコーナーとも言えます」

この「ロストコーナー」という言葉が子供たちに受けました。
先生が「忘れられた土地」という意味で言ったのは子供たちもわかっているのですが、
学校内の落し物が集まる場所が「ロストコーナー」と呼ばれていたために、
イギリス中の落し物を積んだトラックが、イギリス中から列をなして集まる土地、
という想像がおかしくて、子供たちに受けたのです。

在学中に、「わたしを離さないで」のカセットテープを失くしたキャシーですが、
卒業後に、ノーフォークに出かけて、そこで同じカセットテープを
売っている店を見つけたというシーンも後に出てきます。

1度目を読み終わり、この「ノーフォークはイギリス中の落し物が集まる土地」の
話のシーンを読み返して、胸がつかえる思いをがしました。
自分の臓器に、病気やけがで損傷を負った人たちは、まるで落し物を探すように、
クローン人間の子供たちから、臓器を取り戻していくのだと感じたので。

幼いころから、あなたたちは臓器を提供するために生まれたと教えられ、
その運命を受け入れるしかないと教えられてきたヘールシャルムの子供たち。

深い苦しみと絶望感を抱えながらに決まっていますが、
生まれた時からずっと、外の世界と隔離された中で、少しずつ、
この運命に従うしかないという感覚を、刷り込まれた子供たちは、
そのことで大騒ぎしたり、絶望感を表わしたりはしません。

キャシーは淡々と思い出話を語っていきます。
淡々としていないと壊れてしまうから?受けいれるべきだから?

癇癪もちのトミーは、みんなの笑われ者だったけれど、
臓器移植のために作られたクローンという運命を背負いながら、
パニックも癇癪も起こさずに暮しているのが「普通」でしょうか。

設定が臓器移植のためのクローン人間の話という特殊なものなので、
私には関係のない作り話と読み進めるのですが、
作者の描いているのは「搾取するものとされるもの」であり、「不条理」であり、
「人間とは何か」ということだと思います。
私たちと無関係のものとは思えません。

臓器を提供することによって、健康も人生も愛する人と手をつないでいる時間も、
なにもかも奪われるのは、提供を当然とする「クローンではない人たち」がいるから。
世の中には奪う人と奪われる人がいるのも事実です。

ノーフォークはイギリス中の落し物が集まる土地!と同級生たちとおどけて話した思い出も、
「わたしを離さないで」の曲を聞き、好きなリフレイン部分を歌いながら、
赤ちゃんに見立てた枕を抱いて踊った思い出も、誰にも奪えないキャシーの大切な思い出。
思い出は奪われないけれど、そのほかはすべて差し出さねばいけない?

あらすじに戻ります。
ヘールシャルムを卒業した子供たちは、コテージに住むことになります。
外の世界には保護官はいません。
ヘールシャルムの教育では、たばこは厳禁でしたが、セックスは問題ないことでした。
ただ、外の世界ではセックスは妊娠に繋がるので重大事項であり、
子供が生まれないクローン人間とは違う、重大事項です、と教えられます。
だから、重大事項のように扱うことは大事だと言われていました。

キャシーの友人ルースは、トミーとカップルになっていました。
ルースはいつもトミーをバカにしていたので、不思議な感じがしましたが、
トミーとキャシーはお似合いだったので,ルースが邪魔したかったためと後でわかりました。

ヘールシャルムを出てコテージで暮らし始めた最初の半年間は、
介護の訓練などの現実的なことが始まっていなかったことで、
将来の計画を語り合いました。

もう現実的なことが始まっていた先輩たちは、
そんな話が始まるとため息をついて部屋を出て行ったようでした。

映画スターなどという大きな夢ではなくて、郵便配達、お百姓さん、運転手など、
ささやかな、それでも決してかなわない夢を語って盛り上がりました。
ルースは、広告の写真に刺激されて、こんなきれいなオフィスで働きたいと
熱弁をふるったりしていました。

外の世界に出たら、運転して出かける自由もありました。
何人かでノーフォークへ出かけることになりました。
出かけ先で、ヘールシャルム出身であるキャシー、ルース、トミーは
他の出身であるカップルの仲間に「猶予」のことを聞かれます。
「カップルが心から愛しあっていることを証明できたら、猶予が与えられる」といううわさがあって、
あるカップルは、誰かに会いに行って、3年間の猶予をもらったらしい、
その2人は、訓練も何もなしの丸3年間を、自分たちだけのために使うことができたらしい、
そういう規則をヘールシャルム出身者は知っているのではないかというのです。

3人ともそんな話は聞いたことがなかったのですが、ルースは知ったかぶりしたり、
謎めいた言い方をして気を持たせる癖があり、知っているふりをします。

グループは、途中で別行動をとることになり、キャシーとトミーは、
昔キャシーがなくしたカセットテープを売っていないか、探しに行きます。

まだ続きます。


                         
                                  
        

「わたしを離さないで」 カズオ・イシグロ  その1

category - 日記
2017/ 11/ 18
                 
カズオ・イシグロ氏がノーベル賞を受賞、インタビューの映像をニュースで見ましたが、
私は氏の作品を読んだことがありませんでした。
ミーハーなので、何かポチしようと思って買った本です。
テレビドラマをあまり見ないので知りませんでしたが、日本でもドラマになったそうですね。

主人公キャシーが語る、一人称の形の小説です。
途中で登場人物の一人称の語りに変わることはなく、最初から最後まで、キャシーの語りですから、
登場人物の視点も、実はキャシーから見た視点であるという認識が、
この形の小説を読むときには必要かなと思います。
語り口は、終始、淡々と落ち着いていますが、キャシーも周りも、本当にそうだったのか、
それはだれにもわかりません。

キャシーは優秀な「介護人」で31歳。介護人歴はもうすぐ12年。
丸12年が終わったら、仕事は辞めることになっています。

介護人とは、「提供者」の世話をする仕事ですが、キャシーは優秀なので、
介護した提供者たちを「安静」に保つことが多く、「動揺」に分類される事例は
「4度目の提供」以前でさえ、ほとんどいませんでした。
「へールシャルム」出身です。

3回目の提供を終えた提供者を介護していた時、命が長くないその提供者は、
介護人キャシーがヘールシャルム出身者だと知ると、いろいろ聞きたがったそうです。
逆に「あなたは?」と話してみると、強い嫌悪の表情を見せました。

キャシーは提供者に、求められることは何でも話してあげました。
この人は、劣悪な環境で育って提供者となったために、死を間際にむかえて、
キャシーの育ったヘールシャルムの話を、自分の子供時代のこととして、
「思い出したかった」に違いない、と思いました。
だから繰り返し話を聞いて、心に染みこませたいのだと理解したキャシーは、
できる限り、提供者に望まれるままに話をしました。
そして自分がヘールシャルムで育ったことの幸運を思いました。
死にかけている提供者ですが、家族の姿は描かれず、世話をするのは介護人のキャシーです。

このように「介護人」「提供者」「安静」「動揺」「4度目の提供」「ヘールシャルム」など、
読者に「これはどういうことだろう」と思わせる謎の言葉をちりばめながら物語は進みます。

トミーは、ヘールシャルムの中では、癇癪もちで目立つ男の子でした。
キャシーと仲良しのルースなどは、かなりトミーをバカにしていました。
トミーは笑いものや嫌がらせの対象になってしまうことが多い男の子でした。

ヘールシャルムは、キャシーの語り口では、幼い頃から入る寄宿舎のようです。
先生は「保護管」と呼ばれていました。「先生」とも呼ばれますけど、
年に4回ほどの「交換会」があり、自分の作品を出品するとそれを保護管が見て、
出来栄えに応じて交換切符をくれるので、交換会で何か買うことができました。
生徒の詩、絵などを買って、「宝箱」に入れるのです。

学校外でお金で何かを買うどころか、学校外に出ることもないようでした。
ヘールシャルムの外に出てしまった子供たちが恐ろしい死に方をしたという言い伝えも聞きました。

「マダム」が年に数回来訪して、優秀な作品を校外に持ち出していきました。
絵ややきものやエッセイ、詩など、保護管が選りすぐった中から、マダムが選んでいきました。
いい作品は「展示館」に運ばれると噂されていました。
軽い悪戯から、マダムが自分たち生徒をとても怖がっていることがわかったのは8歳の頃でした。
でもそれは本当は前からわかっていたのだ、とキャシーは後に思いました。
5~6歳の頃から、教えの一部は染み通っていたので、自分たちが、
外の人間ととてつもなく違うのだと本当に分かる瞬間が来ると知っていたのだと。

タイトルの「わたしを離さないで」は、キャシーが持っていたカセットテープの歌のタイトルです。
もとはLPだったけれど、キャシーの持っていたのは、カセット版でした。
カセットというのはある意味コピーです。
このような、示唆的な表現も、たくさんちりばめられている小説でした。

キャシーはこのカセットのジャケットで、歌手のジュディがタバコを持っているので、
カセットを人に見せるのがはばかられていました。
ヘールシャルムでは、タバコには非常に厳しく、有名な政治指導者の手にタバコがあるだけで、
授業の最中でも、タバコに関するお説教がありました。
これも大事な示唆です。
キャシーたちがどういう種類の人間なのか、もうおわかりですね。

キャシーはひとりになれる時間を見計らって、このカセットでお気に入りの曲を聞きました。
「ベイビー、ベイビー、わたしを離さないで」のリフレインの部分が大好きでした。

キャシーの想像の中では、これは赤ちゃんを抱く母親の歌でした。
赤ちゃんが欲しいのに産めないと言われていた女性が奇跡的に赤ちゃんを授かるのです。
幸せと、この幸せを失いはしないかという不安でいっぱいになった母親の歌。
キャシーはある日、赤ちゃんに見立てた枕を抱いて、
このリフレイン部分を歌いながら踊っていました。

それを偶然にマダムが見てしまいます。
寮では、就寝時以外にはドアは半開きにしておく規則があったので、見えてしまったのです。
そして驚いたことにマダムは泣いていました。
キャシーを見る目は、いつもの、気味の悪いものを見る目でしたが、しゃくりあげて泣いていました。
2年後にそのことをトミーに話した時には、トミーもキャシーも、
自分たちは全員、子供ができない体だということを知っていました。

15歳の時、クラスの生徒の1人、ピーターが友達に「映画俳優になれたらいいな」
「俳優になるには、アメリカに行くのが手っ取り早い」などと話しているのを、
ルーシー先生が聞きとがめました。そして話しはじめました。

「あなた方は教わっているようで、実は教わっていません。それが問題です。
形ばかり教わっていても、誰一人、本当に理解しているとは思えません。」

「あなた方には見苦しい人生を送ってほしくありません。そのためにも
正しく知っておいてほしい。いいですか。あなた方は誰もアメリカには行きません。
映画スターにもなりません。スーパーで働くこともありません。」

「あなた方の人生はもう決まっています。これから大人になっていきますが、
あなた方に老年はありません。中年もあるかどうか。
いずれ臓器提供が始まります。あなた方はそのために作られた存在で、
提供が使命です。」

ルーシー先生がこんな話をしたという話はすぐ広まりましたが、
興味の中心は、話の内容でなく、なぜルーシー伝声が突然そんなことを?ということでした。
内容については「とっくに知っていたじゃん」という反応でした。
でもその日以降、提供についてのの冗談は影を潜め、
深刻な自分の問題として、物事を真正面にとらえるようになりました。
ルーシー先生の学校内の立場は悪くなり、先生は学校を去っていきます。


長い小説をこの感じで書いて行ったら、まだまだ続きそうですが、
今日は仕事に行くのでこの辺で。




                         
                                  
        

昨夜のナナちゃんとこゆきちゃん

category - 日記
2017/ 11/ 17
                 





基本的に2匹の猫は、母屋と離れという別々の家に住んでいるので、
キャリーバッグにこゆきちゃんを入れて、離れに運び、
30分から長くて2時間ほど一緒に過ごして、
またこゆきちゃんはキャリーバッグに入って帰っていきます。

こゆきちゃんはナナちゃんと遊びたいそぶりですが、
ナナちゃんはすごく迷惑そうな感じ。
「わたしはひとりで寛ぎたいの!」っていう雰囲気です。
時々「しつこい!うるさい!」って感じで、シャー!と言ってます。
でもずいぶん慣れてきた気がします。

居間にテレビがあり、その前にわたしと夫の椅子があります。
背もたれが倒れるタイプのストレスレスチェアという椅子で、
背もたれを倒してオットマンに足を乗せるとリラックスできるのですが、
この毛布はわたしの椅子に敷いてあり、今はナナちゃん用のベッドになっています。
夫が毛布を持ってきたんです。
妻を追い出し、ナナちゃんのそばにいるために??(笑)

椅子をナナちゃんに譲って、テレビを見る時、わたしはどこに座るのかって?
オットマンです。(爆)
姿勢的には全くストレスレスではない状態ですが、
そんなにテレビは見ないし、ナナちゃんがここにいない時は椅子を使うし、
パソコンの前の椅子に座っても、テレビは見えるし夫とも話はできるし、
特に問題はありません。

ナナちゃんとこゆきちゃんが仲良しになってくれるといいな。
                         
                                  
        

祈ることしかできないけれど

category - 日記
2017/ 11/ 16
                 
横田めぐみさんが拉致されてからもう40年。
昨日、ご両親をテレビで見ました。
滋さんは85歳、早紀江さんは81歳になられるのですね。

大事に育てた可愛い我が子が、いつも通り中学校に行ったきり帰ってこない。
親としてどれほどの心配と苦しみの日々を送ったことか。
事故だろうか、誘拐だろうか。家出じゃないかという人もいたに違いないでしょう。

平成14年になって、北朝鮮が拉致を認めました。
帰宅途中、すぐそこが家だというときに、いきなりつかまえられて、
むりやり船底に監禁され、長時間船に揺られた13歳の少女の恐怖、
それから日本には帰れないまま送った北朝鮮での日々を想像すると、
理不尽、不条理、としか言えません。

世の中には、理不尽な運命に巻き込まれてしまう人がいます。
ニュースにはそんな話がいっぱい出てきます。

運転中に、ポケモンGOをしている車が横断歩道に突っ込んで、
横断歩道を先頭で渡っていた小学生が亡くなった事故がありました。
他の子供たちも何人か歩道を渡っていて、その中には亡くなった子のお兄ちゃんもいました。
兄弟そろって大人になっていく運命は起きませんでした。

高速道路で無理やり車を止めさせられ、両親を失ってしまった少女たちもいました。
次女さんがお台場に行きたがって、旅行した帰りだったと思います。
無事に旅行から帰って、次の日に元気におはようと言い合う日々は戻りません。

「めぐみちゃんだ」ということを確認できる間に、1時間でもいいから、
それがわかる間に会いたい、と早紀江さんが語っておいででした。
滋さんはうちのおばあちゃんと1歳しか違わないのでした。

理不尽なことが起きても、起きてしまえば、その運命の道を歩いていくしかありません。
加害者を罵っても、運命が変わるわけでもありません。
加害者は加害者で、そんな非道な行為をしてしまうような人間になっていく道筋がありました。
正当化できることでは全くありませんが。

めぐみさんは生きているような気がします。
数奇な運命を生きなければいけなくなっためぐみさんとご家族が、
少しでも癒されますように。
                         
                                  
        

さあ、掃除をしよう

category - 日記
2017/ 11/ 13
                 
毎年のように「11月中に大掃除を完了させたい。来年こそは頑張ろう」と
「心の誓い」を立てている気がするけれど、あらまあ、もう11月半ばになったの??
だいたい、こういう「心の誓い」を立てる輩は、掃除が苦手なのですよね。
綺麗好きならいつも家じゅうピカピカなはず。

今日は冷蔵庫の中の大掃除をしました。
もちろん(嗚呼!)奥の方から、賞味期限の過ぎたものが出てきましたよ。

牛の歩みであろうとも、それなりにこなしていかないと、
月末にはおばあちゃんが2泊3日で帰ってきて、
その後は2泊3日で紅葉旅行で、帰宅は28日。
帰ってきてから仕事前に頑張るって言ったって、11月は残り2日間。

救いは、三十三回忌法要があったことかもしれません。
仏間はきれい。(仏間限定・・・)

今から出勤です。
パソコンデスクの下のミニ絨毯をがんばって洗いました。
ワイルドな洗い方なのよ。

デッキブラシで庭のコンクリート部分を掃除
        ↓
その上で、ミニ絨毯に洗剤+水をかけて、ブラシでごしごし
        ↓
何度かその場所で、水をかけてよくすすぐ
        ↓
洗濯機に入れて、つけ置き洗いのモードで仕上げのすすぎをす
        ↓
少しだけ洗濯機で脱水して干す

明日は雨らしいですが、今日はいい天気です。
でも、今日中には乾かない気もします。
アホだったかも・・・。
                         
                                  
        

うちのちびねこ

category - 日記
2017/ 11/ 11
                 
わたしはナナ。三毛猫です。
おとなの三毛猫って言った方がいいかしら。
うちには白ところどころ茶色のちびねこがいるしね。

今日はあの子は午前中、ずっとお部屋に閉じ込められていました。
パパのおばあさんの「さんじゅうさんかいき」とかで、いそがしいからって。

そしてやっと、出してもらえるとなって、わたしのそばで自由にしようと決まったらしくて、
せっかく「おひるね」を楽しもうと思ってたわたしは、あの子につきまとわれることに。

でもね、こゆきは途中で「えりざべすからー」をはずしてもらえました。
「きんようのよる」にママはこゆきを「ばっし」に連れて行きました。
そのとき、先生は、こう言ったんだって。
「ようすを見て外して下さい。あまりおなかをなめすぎるようだったら、
あと1~2日は外さない方がいいです。少しだけまだ腫れが残っていますから」

でも、わたしに会ったら、おなかをなめるどころじゃなかったみたい。

















「えりざべすからー」を外してもだいじょうぶねと、ママに言ってもらえたのは、
わたしのおかげみたいなものね。
でもよかったわ。
あれは本当にいやなものだから、こゆきも大変だったと思うの。













こゆきって、あきらめないちびねこなの。
わたしがどこへ行っても、気になってついてくる。
わたしは「おひるね」したいんだけどね。




こ~んなにちかずいてきたりする。




このあと?
もちろん猫パンチしたわよ。
痛くなかったと思うけど。

わたしはべつに、あのちびねこがきらいなわけじゃないの。





でも、あの子の「しつけ」は大変そう。

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今日は大姑さんの三十三回忌でした。
もう舅のきょうだいは亡くなったり年をとったりしていますので、
親戚を呼ぶことはやめて、お寺様と家族だけでお参りしました。
少人数でも、声をそろえてお経を唱えるっていいものですね。

お寺様に、お布施と一緒にお料理代をお渡しして、お墓参りの後で解散。
会食も家族だけで、近くでランチしただけ。

うちは代々五十回忌までやってきましたけど、大姑さんの五十回忌は
私も夫も高齢なので、元気かどうか。
子どもたちに家訓として五十回忌までやりなさいと伝える気はないです。

大姑さんは養子娘さんだったので、昔の人にしては苦労知らずとは思いますが、
小さい子供を流行病で亡くしたり、舅さんを交通事故で亡くしたりと、
いろんな悲しみがありました。
大姑さんに、この世ではいろいろあってお疲れ様でした、とお祈りしました。

今は猫を見て癒されています。
見飽きませんねぇ。




                         
                                  
        

こゆきのひとりごと

category - 日記
2017/ 11/ 09
                 

わたしはこゆき。
こどものねこです。

うちにはおとなのねこがいて、ナナちゃんとよばれています。

ナナちゃんのからだには、わたしにはない「もよう」があります。
あたまのてっぺんはくろいです。

はじめてナナちゃんにあったころは、ナナちゃんはわたしをみておこったので、
わたしはナナちゃんのことが、ちょっとこわかったです。

でも、ほんとうはとてもやさしいおとなのねこだとわかって、
いまではナナちゃんがだいすきです。
いっしょにあそんでほしいけど、ナナちゃんは、あそんでくれません。

ママは「ぱそこん」で「めーるちぇっく」をしていました。
なんのことかわからないけど。
ナナちゃんは、ママの「じゃま」をするのはへっちゃらみたいで、
ママの「ぱそこん」のまえに、どうどうとすわりました。

わたしはゆっくりナナちゃんとママにちかづいていきました。
ナナちゃんのおしりのにおいをかぎました。
ねこの「あいさつ」ではよくあることなんです。




でも、ナナちゃんは、この「あいさつ」がすきじゃなかったみたいで、
さっと、「ぱそこんですく」からおりてしまいました。

おまけに、「となりのへや」にいってしまいました。
ナナちゃんとあそびたかったので、わたしも「となりのへや」にいきました。

「となりのへや」には、「べっど」がありました。
「べっど」の下に、なにかがみえたので、わたしは「べっど」の下にはいりました。

あったのは、「ナナちゃんのほとんどあそばないおもちゃ」だそうです。
どうしてナナちゃんはこれであそばないんだろう。
おもしろいのに。

「べっど」の下であそんでいたら、「そろそろでておいで」とママがよびました。
わたしはもっとあそびたかったので、しらんぷりしていました。
でもそのうち、ちがうおもちゃを、わたしの目のまえに出したり、ひっこめたりしたので、
わたしはつい、「べっど」の下からでてしまいました。

ママは「ナナちゃんはつかれちゃったから、もうかえろうね」といって、
わたしを「ぺっときゃりーばっぐ」のなかにいれました。
つまんないなとおもったけれど、ママは「ナナちゃんのほとんどあそばないおもちゃ」も
ばっぐのなかにいれてくれたので、わたしのごきげんはなおりました。

ママは、「おやすみなさい」といって、わたしをばっぐからだしてくれました。
そして「へや」の「どあ」をしめました。

わたしはいつもひとりで「きゃっとたわー」のうえでねています。
さむいときには、「べっど」のうえでねることもあります。

ナナちゃんはどこでねるのかな?
「べっど」のうえ?それともした?それともべつのばしょなのかな。
ママやパパといっしょの「へや」でねるのかな。

ねこどうし、いっしょにくっついてねむりたいなぁとわたしはおもうけど、
ナナちゃんはそうじゃないのかな。

わたしはもうねます。
ナナちゃん、おやすみなさい。
あしたまたあそんでね。