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2017年08月23日

        

エリザベス・キューブラー・ロス博士の言葉

category - 日記
2017/ 08/ 23
                 
伯母の目はもうあまり見えていないかもしれません。
今月の初めには、大きな字なら読めていましたが、もう読みたがりません。

私は毎日、何かしらの画像をプリントアウトして持参して、伯母に見せて、
その画像についてのおしゃべりをしています。
A4に拡大した画像は、伯母が好きだった公園にある特徴ある像だったり、
伯母がよく行った名所のわかりやすい画像だったりするので、
ぼんやりとは見えていると思うのですが、何枚も続けて見せていると、
疲れた顔をするようになりました。5枚以内がいいみたい。
少し前までは、10枚以上を喜んでみていましたが。

多分今は、会話がなくても、そばにいるだけで、一人ぽっちではないと感じられることが大事な時期。
母の時は、迷いなく仕事を辞めてずっとそばにいました。
緩和ケア病室というのは、家族が泊まれるようにできているので、
私は母の緩和ケア病室で寝泊まりして暮らしていました。
伯母には悪いけれど、そこまで出来ないので、せめて毎日通っています。
でも私の中には、伯母にもそうしてあげたい気持ちが時折湧いて切ないです。
誰かが自分を思って付き添ってくれることは、最後の日々にふさわしいと思えるから。

しかし反面、伯母は長いこと、毅然と生きてきた人なのでした。
また明日ね、と言って帰っていく姪の私に手を振ってくれる伯母。

そういう誇り高さと、自分のやりたいようにやってきた人特有のワガママさは、
私の生きてきた人生とかけ離れていて、私は辟易してきました。
振り返ればたくさんの「感性が合わない人」に、私は辟易してきました。
でも、ありとあらゆる人生がこの世にあるのだ!という思いに突然打たれたようになって以来、
その辟易した気持ちは、かなり霞んでいきました。
そんな状態になってから、伯母が寝付いてしまったというこの順番と言うかタイミングに、
私はひそかに感謝を感じています。
伯母に辟易する気持ちのままで今の時を迎えなくて良かったと思っています。


以下、本の引用ですが、私の今の気持ちにピッタリです。

「言葉をこえる沈黙」の中で臨死患者を看取るだけの強さと愛情をもった人は、死の瞬間とは恐ろしいものでも苦痛に満ちたものでもなく、身体機能の穏やかな停止であることがわかるだろう。人間の穏やかな死は、流れ星を思わせる。広大な空に瞬く百万もの光の中のひとつが、一瞬明るく輝いたかと思うと無限の夜空に消えていく。臨死患者のセラピストになることを経験すると、人類という大きな海の中でも一人ひとりが唯一無二の存在であることがわかる。そしてその存在は有限であること、つまり寿命には限りがあることを改めて認識させられるのだ。七十歳を過ぎるまで生きられる人は多くないが、ほとんどの人はその短い時間の中でかけがえのない人生を送り、人類の歴史という織物に自分の人生を織り込んでいくのである。



            
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