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2017年07月24日

        

叔母を思うひととき

category - 日記
2017/ 07/ 24
                 
宮島には、厳島神社以外にも、たくさんのお祈りする場所がありました。
叔母のこともお願いしてきました。
私は死を最悪とは考えていませんので、「長生きしますように」という祈りではなく、
「残された日々を、よりよく過ごせますように」と祈りました。

旅行直前に、叔母の早期とは言えながんが発見され、
大腸と肝臓にがんがあり、胸水も出ているとわかりました。

83歳で糖尿病と高血圧がある叔母には、抗がん剤が逆に死期を早める危険が大きく、
何の治療もしないが、検査は必要とのことで入院しました。
叔母は検査もしなくていいから、老人ホームに帰ると言いました。
私はそれを止めて説得し、叔母は今、検査入院しています。

叔母に痛みも他の症状も今のところ何もないのは幸いです。
でも、まだ入院がどのくらいになるのか、はっきりしないままの状態です。
まだ大きな検査(大腸の内視鏡検査など)は終わっていないので、
その検査結果を見て、その後の検査が決まるのでしょうし、
必要なら大腸にステントを入れることになりますし、退院日未定も仕方ないとは思いますが、
叔母の気持ちを考えると、さぞ宙ぶらりんの今の状況は辛いだろうと思います。

いっぱい検査している間に弱ってしまったらと思うと怖いです。
叔母がしたくないという入院を説得して入院を承諾させて、
そこそこ平和に老人ホームで過ごせる時間を奪ってしまったらと思うと怖いです

誰にも、どういう選択がどういう結果につながるかなど、わかりません。
誰かが決断しないといけないし、叔母の場合も、私は説得しましたが、
叔母は最終的には入院すると説得に応じたわけで、
その方がいいのかもしれないと、叔母が思ったからだとは思いますが、
説得しなければ、入院せずに帰ってきたわけですし、
もしかしたらその方が苦痛も少なく、生活の質の上でもよかったかもしれません。

入院する際にも、必要最小限の検査にして欲しいと言えば、入院期間は減ったでしょう。
私はそんなことは言いませんでした。
検査結果がたくさんあった方がいいんじゃないかと思う気持ちもあって、
そんなお願いをすることがいいのかどうか、判断できませんでした。

これを言い出したらきりがないし、人生は選択の連続です。
それはわかっているんですけどね。
私の心の揺れも、人生の味わいの一つと達観する私もいますが、
叔母にとってのベストの選択は何だったのかと揺れている私もいます。

叔母は65歳で定年を迎え、それまでいた三重県から、
老後は故郷で過ごしたいと、こちらに戻ってきました。
アパートを探したものの、1人暮らしの老人ということで、
保証人がいても、アパートを借りられなくて、私の両親に頼み、
私の実家の敷地の片隅に家を建てました。

三重の住まいにあった荷物は業者が運んだと思いますが、
植木鉢などが残されていて、オットが頼まれて、私も付き添って、叔母も連れて、
軽トラックをレンタルして、取りに行ってあげたことがありました。
昔から、そういうことを平気で頼む叔母でした。
そう言えばあの時、(私だったらそういう鉢は欲しい人にあげるだろうな。
丹精込めたものにしても、姪のオットを使って、全部持って行こうなんて、
そんな風には思わないだろうな)と感じたことを、今ブログを書いて思い出しました。

あれから18年経つなんて。
ものすごく元気で、定年後は遊ぶと決めていたようで、
あちこちで駆け回っていた叔母でした。

三重で過ごした叔母の日々がどんなだったか、私はほとんど知りません。
愛知に帰ってきてからの日々だって、あまり知らないくらいです。
私の母はすぐ横に住んでいたので、それなりに知っていたでしょうが、
私はその母ががんで叔母の面倒が見られなくなって以降のことしかよく知らないです。

平成13年 脳出血  後遺症で右半身麻痺
平成16年 脳梗塞  後遺症で麻痺の悪化、言語障害

この2つで、叔母は、字が書けない上に言葉を発しても理解してもらえない人になりました。

平成20年 左大腿骨転子部骨折
平成24年 右大腿骨転子部骨折

2回とも救急車で大病院に運ばれ、手術しましたが、
2回目手術後は、歩行が困難になり、車椅子の身になりました。

長い間、施設は嫌だというので、自宅の1人暮らしにこだわってきましたが、
24日の2月10日の自宅での転倒による怪我のダメージは大きく、
その後転院、老健、現在の老人ホームと住む所を変えました。
叔母の意志なんてものではなくて、私が病院や施設の担当者さんやケアマネさんと相談し、
動き回って見てきて決めました。

施設には、見学入所というシステムがあるので、叔母にそれを勧めましたが、
叔母は、そういうのはしたくない、koalaが決めればいいと強く主張して、
いくつもある有料老人ホームの中から今のところを選び、部屋の家具から受診する病院まで、
全部私が選んで、入院までの叔母の生活の基本が決まりました。

入院した病院も、かかりつけ病院の先生から2つ提示されて、私が決めました。
叔母の人生の大きな転換になるような事を決めるたび、
これがベストだったのだろうかという揺れは起こります。
(私はこちらを選びました。どうぞこの道の最善方向にお導きください)と、
特定の宗教を信仰していない私は、神さま仏さまと呼ばれてきたエネルギーを想定して、
そのエネルギーに向かって祈ってきた気がします。

叔母は、冷たいようですが、突然お世話することになってしまったご縁の人であって、
私にとって大事な人、という感覚がありませんでした。
祈ってきたと言っても、他の、私の大事な人、という感覚のある人たちのために祈る時に、
心から相手の幸せのために祈るという感じではなかった気がします。
私がいろいろ決めることになっちゃって・・・これって怖いんだけど・・・
責任とれないから、ひどい結果につながりませんように、という責任回避の祈りだったかも。

でも今回は、水曜日に、がんです、治療しません、検査入院です、と宣言され、
金曜日に宮島に行くという直前のことだったので、感覚が違ったのか、
心から叔母のために祈る時間が持てました。

昨日、オットと叔母に会いに行って、最後はいつものまたねのご挨拶、
手と手をパッチン!と合わせてきました。
その後、シュウトメちゃんの施設に行くと、シュウトメちゃんはお昼ご飯前の体操タイムで、
オットとそれを見学して、運動終了後、少しだけ話してきました。

私は午後1時から仕事で、12時半に家を出なくてはいけないので、
シュウトメちゃんの所には長くはいられませんでしたが、
手を伸ばしてぐうを作って~、手を縮めて、手をパーにして~と
ボケ防止体操を一生懸命やっていたシュウトメちゃんは元気そうでした。
意識不明です!と病院から電話がかかってきて慌てて駆けつけた日から1年経ちました。

今日と似たような明日がずっと続いているなんてことはないのだと
改めて思うのでありました。
長々と書きました。ここまで全部お読みくださった方は少ないと思います。(笑)
私の独り言にお付き合い下さり、ありがとうございました。





            
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