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2017/07/31
2017/07/23
2017/07/21

2017年07月

        

大聖院(だいしょういん) 広島旅行記その2

category - 日記
2017/ 07/ 31
                 
伯母の事ばかり考えていると、煮詰まってしまうので、
途中になっていた旅行記を再開しようかな。
気分転換は大切です。


宮島のランチと言えば、牡蠣かあなごめし。
私たちはあなごめしを食べました。
また後日、広島旅行記の「食べたもの編」を書くつもりです。



大聖院は、長い階段を上って行った上にあります。
ランチ後に行きました。
景色が素晴らしいです。

大聖院は、空海が弥山で修行して開基したと伝えられているそうです。

お戒壇めぐりがあったので、オットと歩いてきました。
出口から出てきたら、ガイジンさんが、出口から入って行っちゃったのを目撃。
とっさに止めることができませんでした。口から出たのは、「あっ!」という言葉だけ。
正規の入り口から入った人とぶつからなかったでしょうか。



勅願堂の御本尊、波切不動明王は、豊臣秀吉が、朝鮮出兵の海上安全を祈願して
身近に置いて拝んでいたものということです。





波切不動明王の周りは、ずらりと仏像が並んでいました。



遍照窟(へんじょうくつ)は大師堂の地下にあり、四国八十八ケ所の御本尊が安置されています。



ひとつだけ願い事をかなえてくれるという一願大師。
絵馬に願い事を書いてきました。




これは確か、魔尼殿(まにでん)の外の彫刻。




何故カラス天狗の像があるかといえば、三鬼大権現が祀られているから。
魔尼殿は、弥山の守護神である三鬼大権現の本坊御祈祷所です。
天狗は鬼の神様の眷属(けんぞく)なのでありました。
この三鬼は、伊藤博文も篤く信仰していたそうです。

階段は少し多いですが、とてもいい気が漂っていて、景色もよく、
見ごたえのある大聖院、機会があればぜひ歩いてみてください。


            
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手紙を書いてお知らせするのは2人だけ

category - 日記
2017/ 07/ 30
                 
伯母の老人ホームを引き払ってきました。
今までずっと「叔母」と書いてきましたが、自分の親の妹が「叔母」で、
姉の場合は「伯母」だそうですね。ずっと間違って覚えていました。

オットが友人から軽トラックを借り、私は自分の軽自動車で、2台で出かけて、
伯母の荷物を押し込んだら、なんとか入りました。
入院してから、伯母のかつての同僚の方の訪問があったそうです。
私は、伯母の名前で、少しだけ年賀状を出していました。

元々は筆まめだった伯母ですが、平成13年に右半身が麻痺して、
その後も脳出血を起こして、麻痺が高じたので、
私が面倒を見る頃には、年賀状は出していなかったようでした。
言語障害もひどくて、電話で話もできないようになった伯母は、
遠方のお付き合いを断念していたようでした。

施設に入所する手配をした際、特に親しかった方たちがいないだろうかと、
伯母の部屋にある封書などを見て、数人だけに、
こういう状態になって老人ホームに入りましたと年賀状を出しました。
皆さん、お返事をくださり、翌年から、老人ホームに年賀状も出して下さって、
ありがたいなぁと思っておりましたが、お一人が2度も遠方から来てくださいました。

2回目は、伯母の入院後だったそうで、施設側も、どこまで個人情報を話すべきか迷い、
ちょっと入院したので、退院は、お盆過ぎになるかもとお伝えしたそうです。

その方に今、お手紙を書きました。
2度も遠方から来てくださる方なら、知らせるべきだと思いました。

他の方にはどうしようかとも思いましたが、封書のたくさんあった
もう一人の方だけにお知らせすることにしました。
その方は東京の人なので、訪問は大変ですから結構ですよと
書くつもりですけど、私がその方だったら、教えて欲しいと思ったのです。

伯母に、他の方の年賀状を見せて、知らせる?と聞けば、
多分、知らせなくていいというと思います。
こういうことはとても悩ましいです。
伯母が、年賀状を最近まで自分で書ける状態でしたら、
お相手の年賀状の感じで、親しさを推測できますけど・・・。

今のところ、手紙を書いてお知らせするのはその2人だけにするつもりです。

                         
                                  
        

叔母の老人ホームに行ってきました

category - 日記
2017/ 07/ 27
                 
入院時には、叔母は検査入院で、検査を終えたら老人ホームに戻るつもりでした。
全然元気で、普通の生活をしていましたし、自覚症状もなかったのです。

検査の結果、とてもホームに戻れる状態ではないことがわかったので、
電話ではお伝えしてありましたが、今日は直接出向いて、
責任者の方とお話しすることになっていて、そうしてきました。

部屋を引き払うに当たっては、荷物を全部運び出さないといけませんが、
こちらの都合のいい日に運び出していただければいいし、
車に乗せる際のお手伝いもしますと言っていただけました。

電動ベッドや車いすは福祉レンタルなので、大きいものはタンスと冷蔵庫くらいです。
タンスもロータイプ、冷蔵庫も1ドアタイプなので、軽トラックをレンタルすれば運べそう。
ただ、そこそこ場所を必要とします。
わが家に持ち帰ってとりあえずどこかに置いておかなくては。
叔母の家も実家も、電気を止めてあるので、エアコンが使えません。
この酷暑に、そちらへ荷物を運び入れるのは論外。

部屋を見渡すと、叔母のために整えてきた家具や飾りが目に入ってきて切ないです。
ベッドサイドのミニテーブルは、叔母がとても気に入ってくれたなぁとか。

叔母はお花が好きなのですが、生の花のお世話はできないので、
値は張っても、叔母の気に入りそうな造花を選んでいました。
どこに飾ろうか、と相談して、飾った時の叔母の表情など、
色々な思いが脳裏を巡りました。

センチになってても仕方ないけど!

その後は叔母の病院に面会に行き、おしゃべりして(叔母は言語障害があるので、
私が一方的にですが)、手をパッチン!とあわせて帰ってきました。
叔母はいつまで元気に手をパッチンしてくれるんだろうと思うとやっぱり切ないです。
                         
                                  
        

緩和ケアを勧められました

category - 日記
2017/ 07/ 25
                 
便秘以外の自覚症状はないまま、検査入院した叔母でしたが、
日曜から吐くようになったそうです。
私たちが面会した日曜の朝には、そんなそぶりはなかったのですが、
少し気持ち悪いのを我慢していただけかもしれません。

昨日(月曜)に病院から電話があり、午後3時に大腸の内視鏡検査をするということでしたので、
職場にお願いして、休みをとって、病院に行く準備をしていました。
そうしたらまた電話があり、叔母が気持ち悪いと訴えていて、吐いてもいるので、
今日の検査はしませんが、病状について説明がありますとのこと。
5時に来ていただけますかということでしたので、そうしました。

悪い予感しかしませんでしたが、実際は予感よりはるかに悪い話でした。
叔母が吐くのは、小腸から大腸に繋がるあたりからその先の大腸までのがんが、
予想よりはるかに大きくなっていて、詰まりかけていたからでした。

かかりつけの病院で撮ったCT画像も私は見ていまして、
がんが大きく、転移もしていることは理解していました。
だから、腸の検査をしてステントを入れてもらわないと、食事もできなくなってしまうと思い、
検査もしないという叔母を説得して、入院してもらいました。
しかし、今回の画像を見ると、ステントどころではない、そういう時期は過ぎたとわかりました。
がん用の、消化のいい、大腸に負担をかけない液体食料があるので、
それなら口にできるのですが、私の両親も、それはマズイから欲しくないと言っていたので、
叔母がそれを口にしたがるとは思えません。

結果から言うと、叔母はこれ以上口から何かを食べると吐くだけなので、
昨日から食事はストップとなりました。
点滴をしていますが、水分が血管からダダ漏れしてしまうようで、
少しだけあった胸水がうんと増えていました。
酸素が足りなくなるので、鼻からの酸素吸入が始まっています。
点滴を止めたら、すぐに死んでしまうでしょうが、
普通量の点滴も、続けるのは避けた方がいいのでしょう。

本人の苦痛が一番少ないのは、ごく少量の点滴に変えることかもしれませんが、
先生に伺ったら、その手を使うと余命は2~3週間とのこと。
点滴を続けられたら、数か月。
絶句しました。

緩和ケア病棟があるので、希望を出しますかと聞かれました。
私が検査入院を勧めたのは、病院とのつながりを切ってしまうと、
緩和ケアに入りにくいと思ったからでもありますが、そんなに早く勧められるとは、
全く思っていませんでした。ショックでした。

私は、先生から説明を聞いて、緩和ケア病棟に行くことに賛成しました。
叔母は老人ホームに帰ることを希望していたので、少し帰してあげたいとも思いましたが、
それが今の叔母の身体にどれほど負担になるかを考えると、現実的ではありません。

その後、先生と一緒に叔母の病室に行き、叔母の意志を確認しました。
自分のがんが手の施しようもないレベルであることを理解した叔母は、
手術も抗がん剤もしないこと、緩和ケアに入ること、延命治療はしたくないことを
先生に説明を受けつつ意思表明しました。

両親が、末期がんであと半年だとか3か月だとか言われた際でも、
2人とも、普通に歩けましたし、普通の食事ができました。
会いたい人に会って話もできたし、少し遠出の旅行も平気でした。
叔母は入院して一週間で、食事禁止で、腸は詰まりそう。
私の想像を超えていて…叔母だって一緒でしょう。

叔母は、15年前に、脳梗塞で右半身が麻痺していましたが、
それからは検診を受けるのは嫌だと言って、受けていませんでした。
検便だけでも受けていたら、初期に見つかったと思いますが、
本人が検診は嫌だと言って、市の検診をパスしていた叔母が、
その後、大きな骨の骨折を繰り返して車椅子の身になり、
かかりつけ病院と住民票のある市は違うので、余計に検診はいらないと言いましたが、
私もそれを放置していました。

でも考えてみたら、例えば10年前に検診で発見されていれば、
叔母は73歳で、持病があって、それでも切ってそのまま大丈夫だったのかな?
それは誰にもわかりません。
誰にもわからないのだから、あの時こうしていればと思うのは愚かなのでしょう。
叔母の言うように、検査入院などしないで、あのまま帰っていたら、
もしかして、ピンピンコロリに近い状態で逝けたかもとも思いますが、
人生にもしもはなくて、目の前の道がその人の人生。
今のこの状況も、そこそこピンピンコロリに近くなるかもしれないと思ったりもします。
19日のCT検査まで、叔母は普通の生活を過ごしていました。

私は宮島で、叔母にとっていい方向に進みますようにと祈りました。
精神的・肉体的苦痛がゼロという死はなかなかないので、
その中でも、まだベストに近い道を歩いているのかもしれないという気もします。
思いたいだけなのかもしれませんが。

両親をがんで看取りましたが、がんによる死は、私の思うには、
自分の一生を振り返る余裕がある点と、苦痛の緩和がかなりできるという点で、
お年寄りには優しい死ではないかと私は思っています。

それにしても・・・!



                         
                                  
        

叔母を思うひととき

category - 日記
2017/ 07/ 24
                 
宮島には、厳島神社以外にも、たくさんのお祈りする場所がありました。
叔母のこともお願いしてきました。
私は死を最悪とは考えていませんので、「長生きしますように」という祈りではなく、
「残された日々を、よりよく過ごせますように」と祈りました。

旅行直前に、叔母の早期とは言えながんが発見され、
大腸と肝臓にがんがあり、胸水も出ているとわかりました。

83歳で糖尿病と高血圧がある叔母には、抗がん剤が逆に死期を早める危険が大きく、
何の治療もしないが、検査は必要とのことで入院しました。
叔母は検査もしなくていいから、老人ホームに帰ると言いました。
私はそれを止めて説得し、叔母は今、検査入院しています。

叔母に痛みも他の症状も今のところ何もないのは幸いです。
でも、まだ入院がどのくらいになるのか、はっきりしないままの状態です。
まだ大きな検査(大腸の内視鏡検査など)は終わっていないので、
その検査結果を見て、その後の検査が決まるのでしょうし、
必要なら大腸にステントを入れることになりますし、退院日未定も仕方ないとは思いますが、
叔母の気持ちを考えると、さぞ宙ぶらりんの今の状況は辛いだろうと思います。

いっぱい検査している間に弱ってしまったらと思うと怖いです。
叔母がしたくないという入院を説得して入院を承諾させて、
そこそこ平和に老人ホームで過ごせる時間を奪ってしまったらと思うと怖いです

誰にも、どういう選択がどういう結果につながるかなど、わかりません。
誰かが決断しないといけないし、叔母の場合も、私は説得しましたが、
叔母は最終的には入院すると説得に応じたわけで、
その方がいいのかもしれないと、叔母が思ったからだとは思いますが、
説得しなければ、入院せずに帰ってきたわけですし、
もしかしたらその方が苦痛も少なく、生活の質の上でもよかったかもしれません。

入院する際にも、必要最小限の検査にして欲しいと言えば、入院期間は減ったでしょう。
私はそんなことは言いませんでした。
検査結果がたくさんあった方がいいんじゃないかと思う気持ちもあって、
そんなお願いをすることがいいのかどうか、判断できませんでした。

これを言い出したらきりがないし、人生は選択の連続です。
それはわかっているんですけどね。
私の心の揺れも、人生の味わいの一つと達観する私もいますが、
叔母にとってのベストの選択は何だったのかと揺れている私もいます。

叔母は65歳で定年を迎え、それまでいた三重県から、
老後は故郷で過ごしたいと、こちらに戻ってきました。
アパートを探したものの、1人暮らしの老人ということで、
保証人がいても、アパートを借りられなくて、私の両親に頼み、
私の実家の敷地の片隅に家を建てました。

三重の住まいにあった荷物は業者が運んだと思いますが、
植木鉢などが残されていて、オットが頼まれて、私も付き添って、叔母も連れて、
軽トラックをレンタルして、取りに行ってあげたことがありました。
昔から、そういうことを平気で頼む叔母でした。
そう言えばあの時、(私だったらそういう鉢は欲しい人にあげるだろうな。
丹精込めたものにしても、姪のオットを使って、全部持って行こうなんて、
そんな風には思わないだろうな)と感じたことを、今ブログを書いて思い出しました。

あれから18年経つなんて。
ものすごく元気で、定年後は遊ぶと決めていたようで、
あちこちで駆け回っていた叔母でした。

三重で過ごした叔母の日々がどんなだったか、私はほとんど知りません。
愛知に帰ってきてからの日々だって、あまり知らないくらいです。
私の母はすぐ横に住んでいたので、それなりに知っていたでしょうが、
私はその母ががんで叔母の面倒が見られなくなって以降のことしかよく知らないです。

平成13年 脳出血  後遺症で右半身麻痺
平成16年 脳梗塞  後遺症で麻痺の悪化、言語障害

この2つで、叔母は、字が書けない上に言葉を発しても理解してもらえない人になりました。

平成20年 左大腿骨転子部骨折
平成24年 右大腿骨転子部骨折

2回とも救急車で大病院に運ばれ、手術しましたが、
2回目手術後は、歩行が困難になり、車椅子の身になりました。

長い間、施設は嫌だというので、自宅の1人暮らしにこだわってきましたが、
24日の2月10日の自宅での転倒による怪我のダメージは大きく、
その後転院、老健、現在の老人ホームと住む所を変えました。
叔母の意志なんてものではなくて、私が病院や施設の担当者さんやケアマネさんと相談し、
動き回って見てきて決めました。

施設には、見学入所というシステムがあるので、叔母にそれを勧めましたが、
叔母は、そういうのはしたくない、koalaが決めればいいと強く主張して、
いくつもある有料老人ホームの中から今のところを選び、部屋の家具から受診する病院まで、
全部私が選んで、入院までの叔母の生活の基本が決まりました。

入院した病院も、かかりつけ病院の先生から2つ提示されて、私が決めました。
叔母の人生の大きな転換になるような事を決めるたび、
これがベストだったのだろうかという揺れは起こります。
(私はこちらを選びました。どうぞこの道の最善方向にお導きください)と、
特定の宗教を信仰していない私は、神さま仏さまと呼ばれてきたエネルギーを想定して、
そのエネルギーに向かって祈ってきた気がします。

叔母は、冷たいようですが、突然お世話することになってしまったご縁の人であって、
私にとって大事な人、という感覚がありませんでした。
祈ってきたと言っても、他の、私の大事な人、という感覚のある人たちのために祈る時に、
心から相手の幸せのために祈るという感じではなかった気がします。
私がいろいろ決めることになっちゃって・・・これって怖いんだけど・・・
責任とれないから、ひどい結果につながりませんように、という責任回避の祈りだったかも。

でも今回は、水曜日に、がんです、治療しません、検査入院です、と宣言され、
金曜日に宮島に行くという直前のことだったので、感覚が違ったのか、
心から叔母のために祈る時間が持てました。

昨日、オットと叔母に会いに行って、最後はいつものまたねのご挨拶、
手と手をパッチン!と合わせてきました。
その後、シュウトメちゃんの施設に行くと、シュウトメちゃんはお昼ご飯前の体操タイムで、
オットとそれを見学して、運動終了後、少しだけ話してきました。

私は午後1時から仕事で、12時半に家を出なくてはいけないので、
シュウトメちゃんの所には長くはいられませんでしたが、
手を伸ばしてぐうを作って~、手を縮めて、手をパーにして~と
ボケ防止体操を一生懸命やっていたシュウトメちゃんは元気そうでした。
意識不明です!と病院から電話がかかってきて慌てて駆けつけた日から1年経ちました。

今日と似たような明日がずっと続いているなんてことはないのだと
改めて思うのでありました。
長々と書きました。ここまで全部お読みくださった方は少ないと思います。(笑)
私の独り言にお付き合い下さり、ありがとうございました。





                         
                                  
        

厳島神社  広島旅行記その1

category - 日記
2017/ 07/ 23
                 


名古屋から新幹線で広島へ、広島駅から宮口駅までJRで、その後、JRの船で宮島に行きました。
船はJRと松大汽船が選べますが、時間帯により、鳥居の近くを行ってくれるJRの船にしました。

宮島に行く方は、その日の潮位を調べて下さい。年間潮汐表
日にちを入れると、その日一日の潮位がわかります。
潮位100cm以下で鳥居まで歩いて行けるといわれています。
潮位250cm以上で嚴島神社が海に浮かんで見られます。)

ちなみにJRの船でも時間によっては鳥居近くは通ってくれませんのでご注意を。
できたら、100㎝以下と250㎝以下、両方の時間に厳島神社に行かれると面白いと思います。

潮位が高い時の厳島神社こそ、よく目にする写真の厳島神社の荘厳さがありますので、
ぜひ見ていただきたいですが、潮位が低い時に鳥居まで歩きたいですよね。



船を降りたら鹿たちにご挨拶しながら大鳥居の方向に歩いて行きました。



狛犬にもご挨拶して、石の鳥居にお辞儀して、中に入ります。

厳島神社参拝客の行列が出来ていましたので、参拝は後にして、
参拝入り口を通り過ぎて、周辺散策しました。

今日のブログは時間順ではなくて、厳島神社のことを抜き出して書くことにします。
お昼にあなご飯をいただき、周辺の神社仏閣を巡ったあとで、厳島神社に行くと、
かなり潮が引いていました。

厳島神社に参拝の途中で下に降りることは出来ません。
入る前か、出た後に、海に降りる階段で下を歩いてください。




私たちは早めにランチタイムにしましたが、その間に厳島神社の参拝客も減り、
待たずに入ることができましたし、御朱印もスムースにいただけました。









海水の上に浮かんで見えるのとそうでないのとでは、雰囲気がかなり違います。

この日は夜に潮位が高くなる日で、夜のライトアップされた鳥居を船で見に行きました。




船ですぐ近くまで行き、そこで座席から外に出られます。
間近に見る鳥居はとてもきれいでした。



横からの眺めです。



鳥居のあいだを、船でくぐりました!




厳島神社もライトアップされて、とても美しかったです。



船を降りた後、お散歩がてら、厳島神社を見に行きました。
社殿には入れませんが、外から見るのは自由です。




社殿はこんな感じで、床に波があと少しでつきそうです。
潮位がもう少し高くなると、床板の上に、重い石を置いて回らないといけないそうです。
翌朝の参拝時間(朝6時半から)には、石を回収しないといけませんので、
大変な作業だと思います。
回収できない場合は、その時間、参拝禁止ということになるそうです。



翌日は6時半に参拝に来ましたよ。

宮島宿泊者の特権かな。













2日間、それぞれ参拝できて、美しい社殿も見られて、幸せでした。

                         
                                  
        

宮島にいます

category - 日記
2017/ 07/ 21
                 



宿でご飯なう。




弥山の頂上はこんな景色で素晴らしかったです。

夕食の後は厳島神社のライトアップを船に乗って見ます。

いい1日に感謝。
                         
                                  
        

叔母は入院しました

category - 日記
2017/ 07/ 19
                 
朝、叔母をお迎えに行き、かかりつけの病院で造影剤CTの検査。
大腸と肝臓に腫瘍が見えました。
先生はがんとか悪性腫瘍という言葉は使いませんでしたが、
叔母も私も、それはわかりました。

紹介状を書きますから、大きな病院にすぐに行ってくださいと言われ、
昨年シュウトメちゃんが入院した病院の救急外来に行きました。
ここでもいくつか検査をして、さらにいろいろな検査が必要という話になりました。

高齢者には、抗がん剤などでの治療は、逆に良くないことが多いので、
そういう治療はしません、と先生はおっしゃいました。
怪しい影があると言われていたので、ネットで事前に検索したのですが、
高齢者は抗がん剤で食事がたべられなくなって急速に弱ってしまったり、
寝たきりになって、明らかに生活の質が落ちることが多いらしいです。

通院で検査もできますが、通うのが大変そうですから、
入院しての検査もできますよと診察室で言ってくださるその言葉に、
叔母は怒ってぶんぶん顔を横に振ります。
治療をしないなら、検査もしないでいいじゃないかと思ったのかもしれません。
元々叔母は、延命治療をされたくないという意思があることを以前聞いていたのですが、
検査もしないというのは極端すぎるように思えました。

先生も、強制ではないですが、検査をして現状を把握しておいた方が、
何か症状が出てきたときに、速く対応できますよと説得してくださいました。
腸閉塞になったらすごく苦しいけれど、大腸の内視鏡検査をすれば、
今、そういう危険個所があるかどうかわかるし、危険個所にステントを入れることもできる、
そうすれば、美味しくご飯が食べられる時間がうんと伸びますよ、などなど。

叔母は元看護婦長さんなので、いろいろ知識はありますが、
20年ほど前に定年退職している身。
医学は20年で飛躍的に向上しているはず。

おばさんのしたくない、抗がん剤の治療も延命治療もしないって約束するよ。
痛いこと、苦しいことを少しでも減らして暮らしていくための検査をしようよと
私も一生懸命説得しました。
先生も私も、守りたいのは叔母の生活の質で、
叔母にとって一番大事なのもその点のはず。

叔母はうなづいてくれて、そのまま入院になりました。
この大病院の先生は「がん」という言葉をはっきり使いましたし、
「年齢を考えると抗がん剤治療はしません」ともおっしゃいました。
満83歳の叔母の目の前で。
時代は進んでいるんだなぁとしみじみ思いました。

叔母は脳出血で右半身麻痺になり、その2~3年後に脳梗塞で言語障害を負いました。
持病として高血圧と糖尿病がありました。
ずっとその2つを気にしてきたのですが、がんの危険は感じていませんでした。
私も同様です。叔母の妹である私の実母ががんで死んでいるのに、
叔母は血管系だから、なんて思っていました。
運命の不意打ち、と叔母は感じことでしょう。

この病院は夜間や早朝などに緊急入院することになった患者さんたち用の部屋があり、
叔母は夜間ではなく夕方入院でしたが、そちらにとりあえず入院しました。
しばらくおしゃべりしていたら、叔母はそこそこ落ち着いてきました。

半身不随になったり、言語障害を負ったり、転倒骨折して突然車椅子の身になったり、
試練の多い人生を歩んできた叔母は、ダメ押しみたいに神様から「がん」をプレゼントされ、
私は「がんになった叔母を見守る運命」を、やはり神様からプレゼントされました。

「プレゼント」って、嫌味で言ってるんじゃないんです。
説明はとても難しいけれど、この世で味わう喜怒哀楽全てもプレゼントに思えます。
どMじゃないから、怒と哀はいらないです。避けられるものなら。

でもそういう感情を味わう経験が、目の前に、人生のフルコースの一部として、
「次はこのお料理です」と出されたら、仕方ない。
苦い苦いそのお料理を、よく味わって、咀嚼して、飲み込んでいうのが人生かなと。
もちろん「このお料理はいらないです」と言ってみるのが大事なこともあるでしょう。
それで「わかりました」と皿が下げてもらえる時もあると思います。
「このお料理は避けられませんね。」と下げてもらえないことも多々ある事。
こういう感覚を言葉にするの、難しいですね。

今、叔母の体調は特に悪いこともなく、あるとすれば便秘気味なことくらい。
将来、叔母が苦しむ姿を見たら苦しいに決まってますが、
病気の叔母を励まして、看取るのが私のお役目なら、
そのお役目を引き受けるしかありません。
叔母には悪いけど、できる範囲で。

叔母に会いに行く時は、いつも帰り際にハイタッチするんです。
今日も病院でお別れの際にハイタッチしてきました。
がんで入院したのにハイタッチなんてと思われるかもしれませんが、
私なりの叔母へのエールです。
叔母も笑顔でハイタッチしてくれました。

今日、がんですといわれる覚悟はあったでしょうけれど、
即刻入院なんて、想定外だったに違いない叔母。
私も全く想定外でした。

叔母は今日、よく眠れるでしょうか。


                         
                                  
        

シュウトメちゃんや叔母の中の仏様、神様に合掌

category - 日記
2017/ 07/ 18
                 
シュウトメちゃんが左半身不随になったのは昭和56年のこと。
今から36年前、脳溢血で倒れた後遺症でした。
シュウトメちゃんはまだ50歳。今の私より6歳も若かったのです。

一緒に農業をしてきた舅を胃がんで亡くし、
生活のため働きに出始めたところだったそうです。
舅の一人息子であるオットは、父親が亡くなった時、まだ高校生でした。
上の義姉は嫁いでいて、下の義姉はまだ未婚で、会社員でした。

舅のがんは最初、原因不明と言われ、舅はどんどん弱っていったそうです。
シュウトメちゃんは、病院に通いつつ、1人で農業をして、看取り、葬儀などを行い、
その後、落ち着いてからとはいえ、慣れない会社の仕事に働きに出たのです。
心労と体の無理が重なったのではないかと思います。

私は、左半身が麻痺して動かなくなる前のシュウトメちゃんを知りません。
ものすごくよく働いた人だろうと思います。

時代錯誤の土地柄で、シュウトメちゃんはお見合い結婚しましたが、
お見合いというのは男性がその女性でいいかどうか決める場所で、
女性は下を向いて大人しくしているものだったと聞いています。
結婚相手は親が決めるもの、その親が決めた相手を断るというのはあり得ないことで、
選んでいただいて、ありがたく結婚して、夫とその家族に尽くすのが立派な女性。
シュウトメちゃんは立派な女性であろうと努力して、働き続けたのだと思います。

少しボケてしまって、自分が一人で立てないことを忘れてしまって、
トイレで洗面台の水を流しっぱなしにする横で、車椅子に座っていたシュウトメちゃん。
「トイレに行っておしっこをしたんだよ。」と答えるシュウトメちゃん。
「自分でトイレでおしっこしたんだ」と胸を張るように宣言したシュウトメちゃん。
目が据わってて異常さを感じましたが、誇らしい高ぶりの感じられたあの表情。

可哀想という言葉は使いたくありません。
「自分でトイレでおしっこしたんだ」と語った、その誇らしい顔の記憶が私を泣かせます。
私、いい子ぶるつもりはないからここにはっきり書くけど、
シュウトメちゃんの性格って昔から嫌いです。
でも、嫌いではあっても、長い間暮した情が、私を泣かせるのでした。

私は両親を末期がんで看取って、がんの最後の悲しいあれこれを見てきました。
でも、脳関係の発作で、身体が不自由になった老人が、
その機能を、末期がんよりはるかにゆっくりと失っていく場合の悲しいあれこれを、
これからシュウトメちゃんや叔母の姿から、見ていくんだなと感じました。

私は左半身不随になる前のシュウトメちゃんに会ったことはありません。
でも、わたしは、まだハンディが軽かったころのシュウトメちゃんとずっと暮らしてきました。

シュウトメちゃんはまだ、杖で長い時間歩けたので、知り合いの経営する薬局に歩いて行き、
喫茶店でコーヒーを飲むように、その薬局でリポビタンAを飲んでおしゃべりしていました。
庭の花を切り、自宅すぐ近くにあるお墓に持って行って、お供えしていました。
バスに乗る事さえできました。

出来たことが出来なくなっていくことを、人は老いとともに味わうけれど、
脳出血や脳梗塞の後遺症が重かったシュウトメちゃんや叔母は、
そうでない人たちよりも重く、その事実と向き合って生きて行く運命を生きています。
よく、その人の中に仏様がいらっしゃる、神様がいらっしゃる、という言い方がありますが、
そういう意味での、シュウトメちゃんや叔母の中の仏様、神様に合掌する思いが湧きます。
目の前にいるシュウトメちゃんや叔母の実像は、ワガママで自己中なおばあさんなので、
またそんなことを・・・という思いも同時に湧くんですけどね。

今日は仕事で、明日は叔母の造影剤使用のCT検査の日、明後日は仕事で、
その翌日は、広島旅行。先週と今週は特別に慌ただしい日々が続きます。

まだ広島旅行の日程が煮詰まっていない、支度も全然していないという状態です。
最初は宮島で2日間のんびりでいいかと思っていたのですが、
調べ出したら気が変わり、もう少し動くことに。
で、きっと、最後は盛りだくさんになるに決まってる私の性格。(爆)

シュウトメちゃんに入ってしまった変なスイッチが、大ボケへの道に進みませんように。
叔母の怪しい肝臓の影が、たいして心配のないものでありますように。
広島旅行が実り多いものになりますように。
可愛い2匹の猫、ナナちゃんと小雪ちゃんが早く仲良しになりますように。(毎日面会中)

                         
                                  
        

デイサービスに行くという思い込みが押したスイッチ?

category - 日記
2017/ 07/ 17
                 
シュウトメちゃんのケアマネさんは、いつも担当の、いろいろ不自由になってしまい、
介護が必要になったお年寄りの生活の質の向上を考えている人です。
ですから、今回のことも、善意からなのではありますが、
金曜日の担当者会議の席で、本人の前で、「1日帰宅を増やせば、
むかし行っていたデイサービスに行くことも可能ですよ」なんて言っちゃった。

ケアマネさんは、何年も前にシュウトメちゃんが通っていた、某デイサービスの所属です。
シュウトメちゃんと仲が良かった人は誰か把握していることも、
その人は今どういう生活をしているか、すぐに話せるのもすごいことです。
でもこの発言にはびっくりぽんでした。

「金曜日に帰るのを木曜日にして、木曜日に仲良しの人が通っていたら、
そこで会えますよね!」とケアマネさんが言ってしまって、
シュウトメちゃんは顔がぱあっと明るくなりました。
それを見て、ケアマネさんも嬉しそうでした。

水を差して悪いけど、言わなくちゃ。それもすぐこの場で。
「たまたま仲良しがその木曜日にデイサービスに来て、たまたまその日に
デイサービスの空きがあればいいですが、難しくないですか?」
私が言うと、ケアマネさんはふと我に返り、「あ。そうですよね。」

デイサービスは要介護の在宅老人のケアとして手軽なので人気で、
曜日ごとに、通う人が決まっています。
木曜日に仲良しがいるかどうか、わかりませんし、
曜日の定員に空きがあったら、行きたい人がすぐ申し出るので、
空きがある確率は少ないですし、あったとしても、
4週間に1度、それも来るかどうかわからないシュウトメちゃんよりも、
毎週木曜日に行きたい人が入ってくれるのが一番だと思うんですよ。

更に言っちゃえば(言わなかったですが)、うちは2泊3日でヘロヘロです。
つきっきりでないと困るレベルの人の介護ですから、
職場にももう1日、追加でお休みをもらわなくてはいけないし、
では私が代わりに面倒見ましょうと義姉たちが言う確率はゼロです。

シュウトメちゃんはすっかりその気になって、「会いたいなぁ、
懐かしいなぁ」と言うので、そうだろうなと私も情にほだされつつも、
デイサービスに行かせてあげようというアイデアはあまりに「たまたま」が多いし、
私とオットの負担も増えすぎると感じて・・・あっ、そうだ、とひらめきました。
「デイサービスの見学が可能なら、涼しくなった時期に伺うことは出来ますけど」
デイサービスに参加するんじゃなくて、少しだけ懐かしい人に面会、という手です。
「それは問題ないです」ということになり、この話は一件落着、と思っていました。

その後は、退所、病院で受診、帰宅、とバタバタ忙しい1日になりました。
病院から帰ったら、もう夕食の時間でしたし、疲れたようで、
シュウトメちゃんも10時半には眠ってしまいました。

でも翌朝、「わしはいつからデイサービスに行くことになったんだ?」と聞きます。
あ。勘違いしてる。
「おばあちゃん、デイサービスに行くのはね、通うんじゃなくて、見学だけでね、
今はすごく暑いから、涼しくなったらね」
少しまだらボケになったシュウトメちゃんの脳みそは、いったん思い込んだことを
さっと訂正することは困難です。
でも、根気よく話せば、なんとか訂正は可能です。不可能なほどボケていません。

時間をかけて何度も説明したら、何とか納得したみたいでした。
でも脳みそに刻まれた「デイサービスに行く」という言葉が、
シュウトメちゃんのスイッチを押してしまったようでした。

シュウトメちゃんは、1年ほど前に肺炎で入院し、結核性胸膜炎と診断され、
1ヵ月で退院して、今の施設にいますが、もう歩けません。
入院前は、ほとんど歩けないにしろ、自分の足で立てましたし、数歩なら歩けました。
ケアマネさんのいらっしゃるデイサービスに行っていた頃は、
特殊な杖を使えば、10mくらい歩けていました。

シュウトメちゃんは、懐かしい人に会いたいというのもありますが、
自分の足で歩けていた、デイサービスでゲームなどを楽しめていた、
あの頃の自分に戻りたいけど戻れないというジレンマを抱えているので、
「デイサービスに通っていた頃の生活に、少しは戻れる気がする」というスイッチが、
入ってしまったんじゃないかなと思いました。

とにかく、家の中で「靴を履く」ことにとてもこだわり始めました。
ベッドに寝ていて、トイレに行きたいと呼んで、車いすに座らせてトイレに行こうとすると、
靴下と靴を先に履かせてと強く主張しました。
トイレに車椅子を入れて、オットが抱えて立った姿勢に持ち上げて、
私が紙パンツとズボンを脱がすという作業をするので、
確かにトイレの床に足先が10秒くらい?着きますが、
靴下と靴など履かせている間に、シュウトメちゃん、漏れちゃいます。
介護する私の手は、以前靴下を履かせるタイムロスのためにおしっこ浴びちゃったし。

トイレはシュウトメちゃんのためにリフォームしたトイレで床はクッションフロアなので、
靴下なしでも、毎日床は拭いてるし、使う前にも拭いてあげるからというけど
今回はものすごく頑固で、トイレ時以外にも、一日中、靴にこだわりました。

着替えにもこだわりました。
着替えなくちゃ、と言い出すと、今から洗濯物を干してくるから待ってと言っても聞きません。
汚れていないんですが、着替えなくちゃいけないと言い張ります。
一度など、猫にエサをやってくるからと部屋を空けたら、
その間に服を自分で脱いじゃって、上半身裸でいました。

杖はどこに行った?
家の鍵をどこかに失くしたかもしれないけど?など、
デイサービスに行くという思い込みの余波としか思えないシュウトメちゃんの心配事の数々。

杖は、デイサービスのリハビリの時間に使っていました。
鍵に至っては、ずっとずっと昔、自分で鍵を開けられたころに、
仕事に行っている私が返ってくる前に、デイサービスの送迎車から降りてから、
自分で家に入るために、デイサービスに持参していたのです。

今日は〇〇が来る、と義姉の名前を言うので、「今日は来ないよ、
来月はお盆だから、きっと来ると思うけど、7月は来ないみたい。」
そう言うと、「わしが電話しなかったからいけないかな。
この日は家にいるよって○○(施設)から電話しなかったから誰も来ないんだ」と
一人で納得していましたが、残念だけど、義姉たちはシュウトメちゃんに会いたいとか
何かしてあげたいとか、そういう気持ちは希薄なので来ないだけ。
でも、今の施設には入所者が勝手にかけられる公衆電話は置いてありません。
1年前にいた施設では電話ができましたけど、今の施設にはない、
それがわかっていない?シュウトメちゃん。

土曜日はそんな混乱の中で過ぎていきました。

日曜日の午前中、車いすに座らせたシュウトメちゃんに、
ちょっと施設に戻る準備があるからテレビを見ていてね、
そう言って、部屋に一人にして、戻ってみたら、部屋にいない!

トイレにいる車椅子のシュウトメちゃんを発見しましたが、
その時、洗面台の水が出しっぱなしで、でもシュウトメちゃんは、
ぼおっと車いすに座っているだけで、手を洗っていたわけではありませんでした。
「何してるの?」と聞くと、「トイレに行っておしっこをしたんだよ。」と答えるシュウトメちゃん。
絶句していると、「自分でトイレでおしっこしたんだ」と落ち着いて答えています。
同様のことが、前にもあったんですが、この日のシュウトメちゃんは目が据わっていました。

「おばあちゃん、悪いけど、おばあちゃんはもう立てないから、
1人でトイレを使おうと思うと、転んで骨が折れちゃうかもしれないよ。
だから、絶対に、家でも施設でも、1人でトイレに行っちゃダメなんだよ。」
目が据わってるシュウトメちゃんは、前みたいに「わかった」とは言いませんでした。
「自分でトイレでおしっこしたんだ」と、胸を張るように言いました。
・・・・デイサービスでは自分でトイレに行ってたね、シュウトメちゃん。

完全にできなくなっていることが、できるように思えて、
しかも、現実にはできなかったのに、できたと確信してしまうシュウトメちゃん。

施設のスタッフさんには、このことをお伝えしなくては危険です。
ベッドや車椅子から自分で降りようとしたり、トイレに立とうとしたり、
そういう危険なことをしてしまう可能性があります、と報告してきました。
個室なので、ドアを閉めると、中で倒れても見えません。
以前からそういう傾向があって、一度は車椅子から倒れていたことがありました。
今回は、目が据わってる分、「できないと言われたことへの否定の気持ち」が強そう。

今回の一時帰宅、介護は普段道理でしたけど、
シュウトメちゃんが普段よりおかしかったので、とても疲れました。
涼しくなったころにデイサービスに見学に行く話はやめた方がいいような気がしてきました。
退所とは関係なく、私が車に乗せて、連れていけばいいよね、
脳に刺激が加わるし、懐かしい思い出話するのもいいものだわ、などと
軽く考えていましたが、このスイッチは、入れたら危険なスイッチかもしれません。

施設の生活に戻り、また4週間過ごすわけで、今回のスイッチ効果が、
普通の生活を続ける中で、静かに消えて行ってくれることを祈ります。