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2017年05月05日

        

今日、こんなことを考えました

category - 日記
2017/ 05/ 05
                 
日常の中で、心に残ったことをブログに書いています。
心に残るということは、自分の感情が動いたと言うことで、
感情が動いたということは、その奥に、感情が動く原因があると言うことです。

koalaさんってホントに理屈っぽいわねぇと不快に思われる人もあるかと思いますが、
そういう性格なんだと思います。
自己分析して、そういうことなんだと思ったり、どういうことなんだろうと思ったり、
その分析が正解かどうかはわからなくても、そういうのが好き。

他の方のブログを読むのも、自分の人生には起きなかった経験をしている人の、
日々の生活のこととか、それに対してどう感じたかというのを読んで、
ふむふむと思ったり、そうなんだ~!と発見したり、
あるいは、自分と似たような経験をしている人の話を、そうだよね~!と思って読んだり、
この人はそういう風に感じたんだ、私はこういう風に感じたけど、と思ったり、
そういうのが好きなんです。

何で急にそんなことを思ったかと言えば、この間、介護の日記を書いたからです。
たまの介護は私の日常であり、その時どういう気持ちになったかと書くと、
分類としては愚痴日記になるんです。
施設の看護婦さんが相変わらずダメダメだとか、病院付き添いで疲れたとか、
私は別にそれを聞いてほしいわけじゃない、なのになんで書くんだろう?という素朴な疑問。

昔、シュウトメちゃんと同居していた頃、シュウトメちゃんに関する話を書いたら、
そのほとんどの日記は、明らかにストレス解消だったんです。
嫁は姑に尽くして当たり前なのにコイツは、という目で見られていたので、
要求も叱責も支配欲も半端ではなくて、生きるエネルギーが干からびそうでした。

でも今は、本当に楽をしています。
これは、辛い日々を経験してきた比較によって楽だと感じるので、
辛い日々の記憶は、今、役に立っているんですねぇ。(笑)

ストレスではないとは言いませんが、書いて発散すべきほどのことはありません。
私はただ、私の普通の日常を記したくて書いているんだと思います。
看護婦さんにムッとしたとしても、どうしても許せないという感情が湧くわけでもなく、
疲れたと書いても、ちょっと早寝すれば済む程度の話。
私はただ、「今日、こんなことを考えました」というだけの日記を今後も書いていくのでしょう。

私の奥にあるのは、(今は楽している、ありがたい)という安堵の感情と、
(昔に私が経験したのは確かに得難い経験だったとも言えるけど、
しないで済むものなら、他の人もあんな経験はしない方がいい)という思いと、
(福祉の仕事の方々が頑張ってくれているおかげなのに、低賃金とは日本はひどい、
天下りを取り締まれば、どれほどの財源が出てくることか)という不満なのでした。

書いてどうなるというものでもないけれど、56歳の今の私の日常の断片です。
生きてるだけで丸儲け。
日常の断片は、喜怒哀楽、どんな感情のモトになるにしても、
私にはかけがえのない宝物なのでありました。
ショボい宝物~と思われるかもしれませんけど、もし明日死ぬと言うことになったら、
きっとどんなひとときも、かけがえのないひとときなのではないかな?と思います。

今日はお天気がよくて、いつものように朝ごはんを作って食べ、朝ドラを見て、
お洗濯をして、干して、掃除をして、草取りをしました。

叔母にもシュウトメちゃんにも、身体が不自由になる前は、そんな日常があって、
今振り返るとしたら、キラキラと輝いているだろうと思います。
でも、身体が不自由になった後にも、いろんな日常が続いています。

人の世話にならないと生きられないのは辛いだろうと思います。
でも、大きな視点に立てば、1人で自給自足して生きて行ける人はいないのだから、
みんな誰かのお世話になって、誰かに迷惑をかけたり、誰かを励ましたり、
いろんな影響を受けたり与えたりしながら生きているわけです。
叔母やシュウトメちゃんのような人たちに限らず、みんな程度の差はあれ、
誰かの力を借りないと生きていられないのが人間じゃないのかと思います。

振り返ったら、身体が不自由になった後の叔母やシュウトメちゃんの人生も、
やはりそれなりにキラキラした日常であると思いたいけれど、
そのあたりは私にはよくわかりません。

わからないけれど、身体が不自由になった後の人生の価値が落ちるとは思えません。
それを落ちると感じるとしたら、資本主義に毒されている感覚ではと思います。
たまの介護は少しだけ大変だけれど、そんなにも大変ではないので、
命に合掌する気持ちを持つ余裕があります。
そのことも本当に有難いことと思っています。

その余裕の持てない介護をする人たちが、少しでも減りますように。
無理して自宅介護して、いっそ死んでくれたらいいのにというところまで追い込まれる、
そんな状態を避けることのできる道がもっともっとあったらいいと思います。

日記を書いているうちに、話がずれていきましたが、いつものこと?

今この時、叔母とシュウトメちゃんが、今日もいい天気だなぁと
青空を見ているかもしれない、そんなシンクロが起きているかも。
そんな想像が、私の気持ちを温かくしてくれました。
            
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