FC2ブログ
2017/02/24
2017/02/17
2017/02/15
2017/02/14

2017年02月

        

売り場の卵を投げ落とすって・・・

category - 日記
2017/ 02/ 28
                 
昨日の職場でのこと。
レジからボタンを押しての呼び出しがあったので駆けつけると、
「お客様が、卵売り場で、卵を投げ落としているお子さんを見たそうです」とのこと。

状況がよくわかりませんでしたが、卵が落ちて割れているのは確か。
レジ係の先輩はもう少し詳しく聞いているでしょうが、
レジの仕事がありますし、早く片づけるのが優先なので、後で聞こうと思いました。

床に卵パックが落ちていて、割れた卵が飛び散っていました。
バイトの男の子と一緒に掃除して、卵を片付けました。
付近にそれらしい子供さんも、親御さんも見えませんでした。

目撃したお客様のおっしゃる通り、お子さんが「卵を投げおとし」て、
近くに父親らしい人がいたけれど、見ていただけで注意もしなかったとか。
そのままその親子は帰っちゃったらしいです。
たちが悪いなぁ・・・。

1パック290円の卵。大した損害じゃないだろ?っていう感じだったの??
その親子さんに言いたい。
その卵はね、Nたまごという地元の卵屋さんが一生懸命作っていて、
毎日、お店に並べに来るんですよ。
中間マージンをなくして、直接納めるから、
こだわりの卵でもそれほど高くならないけど、
スーパーより高めでも、食べてみたら、美味しいから!って、
胸を張って作ってるんですよ。
店はそれを一生懸命売ってます。

それを投げ落として面白がる子供を育ててどうするの、そのお父様?

投げ落とせば、その卵は商品にならなくなる。
食べられるものが生ごみになる。
お店の床には割れた卵がパックからはみ出して飛び散って汚れる。
全部わかってて、それを黙って見ていた父親と、
何歳か知らないけれど、そういうことが何もわからないとも思えない。
それなりにわかっていたはずなのにそれをした子供。

いいお客様が多いのだけれど、こういう人もいるのよね。
わかっているけれど、やはり、どんな子に育つんだろう?と
胸がもやっとしてしまう話なのでした。

            
スポンサーサイト



            
                                  
        

シュウトメちゃんは無事、施設に戻りました

category - 日記
2017/ 02/ 26
                 
金~日の2泊3日のシュウトメちゃん帰宅は、今月も無事終わりました。
2日目の土曜日に、30度のエアコン暖房+電気ストーブでも寒いと言い、
電気毛布の効いたベッドで長い時間過ごしたので、風邪?!と心配しましたが、
熱も咳も鼻水もなく、食欲は旺盛だったので、
自宅は寒い、という思い込みのせいだったかも?と思います。

シュウトメちゃんの部屋は確か2015年にリフォームしました。
リフォームのためには、部屋の不用品を片付けなくてはなりませんでした。
でも、シュウトメちゃん本人は、それを不用品とは認めたくなかったのです。
何も捨てたくない、捨てられてたまるものかという心理的抵抗が大きく、
しかし状況は不便なので、シュウトメちゃんは、リフォームには首を振り、
不自由な現実には、始終ヒステリーを起こしていました。

リフォーム前のシュウトメちゃんの部屋は、古い日本家屋にありがちの
隙間風がありましたし、断熱を考えた造りではなかったので、冬は寒かったのです。
エアコンは嫌いだ!とわめく人だったので、夏も恐ろしく暑かったのです。

体力が落ちるにつれて、夏は熱中症が怖く、冬は脳出血、脳梗塞が怖くて、
ケアマネさんが「命の危険があるので、夏と冬は施設へ」と、
シュウトメちゃんを説得してくれたくらいでした。

時は流れていくんだなと、記憶を手繰っていくと、実感します。
シュウトメちゃんが実生活の不便さに音を上げて、
でも音を上げたところは見せたくなくて、
ケアマネさんや嫁がうるさくリフォームを勧めるから、
仕方ないからリフォームさせてやるという立場を尊重?して、工事は始まりました。

4週間施設に入所して、2泊3日戻ってくるという今の生活リズムは、
リフォームしてバリアフリーが実現していたから、実行可能なのでありました。

以前の部屋に、もう自力で立てなくなったシュウトメちゃんが戻ってくるのは不可能でしたし、
オットと私も、その時点で、シュウトメちゃんが毎月2泊3日、帰宅するためには、
リフォームが必要とわかっても、その2泊3日のために何百万も払う気になれたかどうか。
夏と冬には長期入所するにせよ、残りの長い日々は自宅で過ごすと思ったからこそ、
必要だと思って、大金を払っても、リフォームしようという話になったのだと思います。

シュウトメちゃん、大騒ぎして、わしの物を捨てるんじゃない!と怒りながらも、
リフォームしておいてよかったですねぇ。
結果論だけど、リフォームしてあったから、毎月家に帰れるんだよ。

帰宅するたびに、家はいいなぁと声に出して言うシュウトメちゃん。
私たちは何歳まで介護可能でしょうか。
当分は大丈夫だと思うので、先のことは考えないことにしましょう。(笑)

                         
                                  
        

4月にこの病院を卒業する予定

category - 日記
2017/ 02/ 24
                 



シュウトメちゃんが、結核性胸膜炎と診断され、
治療開始から9ヶ月間は、抗結核剤を飲んでいただきますと言われていました。

4月14日で9ヶ月間の服用が終わります。

副作用も全くなく、順調に治療は進みました。
有難いことです。
先生も、大変順調なので、次回は4月4日の診察にしましょうということになりました。

その診察時の検査の結果が今まで通り良い結果でしたら、
そのまま14日まで薬を飲んで、変ったことがなければ治療終了と言ってくださいました。

シュウトメちゃんには他の持病がありますので、今後の検査や投薬は
こちらの病院に掛かる以前のかかりつけの病院に変わります。
今の病院は総合病院で、軽い患者はなるべく民間の病院へということです。

夜中みたいな画像ですが、この時は夕方5時40分くらいだったと思います。
午前中だけの診療科も多いので、全体に午後は空いていますが、
5時過ぎるとガラガラになってきて、ついには電気が半分消され、夜間診療体制に。

家を出たのは午後1時半で、シュウトメちゃんの施設へお迎えに行き、
施設を出たのが2時、その後病院で検査して診察。
シュウトメちゃんの薬は薬局で全部粉状にしていただくので時間がかかります。
待っているとシュウトメちゃんが疲れてしまうので、
私が病院に残り、オットがシュウトメちゃんを施設へ送ってから
私を迎えに来て、薬を施設へ届けて帰宅しました。

4週間ごとにこういう通院を続けてきましたが、卒業間近なんですね。
ちょっと感慨がありまして、写真など写してしまいました。

結核性胸膜炎にかかって入院する前のシュウトメちゃんは、
少しならつかまり立ちも出来たので、私一人の介助でも、
車から車椅子へ、あるいはその逆へ、移動することが出来ました。
でも、立てなくなってからは、オットがお姫様抱っこして移動しています。

介護の専門家だったら、多分一人で介助できるのでしょう。
私がそれを習うべきか?と思ったこともありましたが、
私自身、椎間板ヘルニアの身なので、もしも一緒に転んだらと思うと恐ろしく、
一人じゃできませんと言い切って今日に至りました。

介護タクシーというものがありますが、あれはほぼ完全予約制。
お迎えは予約時間がはっきりしていますが、帰りはわかりません。
今後も診察はオットと2人で続けていきますが、
かかりつけ病院は、今の病院より施設から遠いので、
ちょっと往復するオットが大変かも。
自分の親なので、仕方ないことですが。

とりあえず、何とか副作用なく今回の治療が終わりそうなので、
まだ終了はしていませんけれど、ひとつ肩の荷が降ろせそうです。
                         
                                  
        

びっくりぽんや~(古くてすみません)

category - 日記
2017/ 02/ 23
                 
明日からシュウトメちゃんが帰ってきますが、肩こりが激しいワタクシ。
今日は、午前中は日帰り温泉、午後2時からヨガ、4時からアロマオイルマッサージと
フルコースの癒しの日としました。(笑)

アロマオイルマッサージの先生は九州出身の方。
長崎のお土産をお渡ししておしゃべりしていると・・・
永井隆博士の話、覚えておいでですか?

マッサージの先生のお母様は、原爆投下時は、
ご実家にいて、長崎にはいなかったのですが、
本当ならそこにいて、死んでいたかもしれない、看護婦さんでした。
よく知っていた人たちはみんな原爆で死んでしまったそうです。

3か月後に長崎に戻り、永井博士と一緒に、
治療にまわられたということでした。
びっくりしました。
                         
                                  
        

旅行の余韻について

category - 日記
2017/ 02/ 22
                 
私は旅行が好きです。
旅行中が楽しいのはもちろんですが、余韻があります。
その土地で感じたこと、知ったこと、予習から感じたこと、知ったこと。
そういうことが、自分の心に沁みこんで、浸透していきます。

昨年、沖縄の小さな島である小浜島に行った後は、
小浜島で、朝焼けを見て、夕焼けを見て、星空を見て、という毎日を過ごしたので、
自然と共にある生活ってすごくいい!という思いを強くしました。
空を見上げる回数が増えたと思います。(笑)

忙しい毎日を送っていると、いつも「効率」というのが頭にあるんですね。
これは無意識のうちにもあるわけです。
意識の上では決して、「ぼ~っと空を見ている間に、あれができる、これもできる」
そんな風に考えてないのに、私の脳みそは効率を優先して指令を出すみたい。
そんな脳みそを意識できるようになると、ちょっと待て~!って脳に言えるのね。

今月、長崎で知ったド・ロ神父と、映画「沈黙」の主人公であるロドリゴの一生が、
私の心に鎮座して、浸透して、影響を与え続けているのを感じます。

ロドリゴが?と思われますか?
実は、長崎で、ド・ロ神父の話を聞いて、ロドリゴのことを思い、すごく切なくなったんです。
ド・ロ神父は、誰から見ても立派な聖人でした。
神の道具として、出来ることをすべてやり遂げたいと願い、
完璧にやり遂げた人、という印象があります。

映画の中で、信者たちを拷問の苦しみから救うためには、
自分が命より大事に思っているキリスト教を、表面上であろうとも捨てなくてはいけなかった、
何よりも敬愛する主の顔の銅板を踏み続けなければいけなかったロドリゴ。
どんなにか、ド・ロ神父のような一生を送りたかっただろうと思って切なくなったのです。

キリスト教会から、ド・ロ神父に与えられた栄光と、ロドリゴに与えられた軽侮、
ロドリゴが、心から信じるキリスト教を否定しなければ信者の苦しみが続くという現実、
自分はクリスチャンではないと言い続けなければいけない心の痛み、
全部が、あまりに切なく胸を打ってきます。

で、その主人公ロドリゴは、普通のおばさんの人生と接点があるわけ?と言えば、ありません。
見えてる表面がすべてじゃないさ、というありふれた感覚が私の中で強くなるとか、
評価されたい!という欲からは、少し自由になった方がいい(難しい)と思うとか、
もしイエス様だったらこの場合どういう言動を取るのを良しとするだろう?と
ふと思ったり(その通りの言動をするとは限りません)、
そんなじわじわとゆるやかな感じで、長崎が、心の中に浸透していくのを感じています。

こういうのって、一般的には、旅行の余韻とは言わないかも?
でも私はこういうのが大好きなんですよ。

今日は今から出勤、ではありません。
シュウトメちゃんの通院日なので、午後2時にオットと施設へお迎えに行きます。
オットは半休を取っているので、1時までには帰るでしょう。
オットと自分のランチ用に、牡蠣ご飯を炊き、お味噌汁を作りました。
(長女は牡蠣が苦手なので晩御飯は白米。愛知県民なのでお味噌汁は赤だしです。)
あとは湯葉豆腐があるので、湯豆腐をポン酢で。
年寄りメニューだこと~。でも私、こういうメニューが基本的には好き。
いつもの出勤前に一人で食べるランチは
もっと簡単で、洗い物も少ないものです。

皆さんは今日はどんなランチかな~?
いい一日になりますように。


                         
                                  
        

先輩の定年に思ったこと

category - 日記
2017/ 02/ 20
                 
私の職場の定年は65歳です。
今月、65歳の誕生日を迎えるパートの先輩が、定年退職になります。
若々しい先輩で、65歳には見えません。
人当たりがよくて、包装が上手な先輩で、仲良くしていただきました。
今の職場のすぐ横で、もう少しパートで働くとおっしゃっていました。

私は今、56歳ですが、ついこの間50歳になった気がしています。(図々しい?)
振りかえると、いろいろなことがあったんですが。
50歳になった時、半世紀生きちゃった~!と衝撃を受けて、何か始めようと思って、
ヨガを始めたのを覚えています。

あっという間と思ったけれど、よく考えてみたら、50歳の頃と56歳の今、
生活はかなり変わっています。

50歳の時には、シュウトメちゃんとずっと一緒に暮らしていました。
シュウトメちゃん、自分の足で歩けていたんです。

叔母もまだ自分の足で歩けて、一人暮らしをしていました。
長男は社会人になっていたけれど、長女はまだ大学生でした。

愛犬メリーちゃんもまだ生きていました。
ナナちゃんは生まれていなかったですね。(笑)
先代猫のフクちゃんは、まだ子猫のノラちゃんだったことでしょう。
私が50歳の時はまだフクちゃんは我が家の飼い猫になっていませんでした。

そうだ!私の50歳の誕生日にはまだ、東日本大震災は起きていませんでした。
従って、福島の原発事故も起きていませんでした。
あんなすごいことが起きるなんて、想像もしていませんでした。

想定外のことが起きるのが普通の人生、と言えるかもしれません。
あっという間だった、と思ったのに、振り返ると、何とも濃い6年間でした。
定年の時、56歳の今からの9年間を振り返ったら、
もっと濃い9年間に思えるでしょうか。

定年まで元気で働けますように、と思いました。
とりあえず、現在、とても元気でいることに感謝です。

定年という形で職場を卒業していったF先輩の、
新しい生活に幸多かれと祈りました。

                         
                                  
        

オットの友人に会ってきました

category - 日記
2017/ 02/ 19
                 
独身時代は私も一緒に遊び、結婚式にもお互いに出席し、
子供が小さい頃はよく行き来していたオットの友人。
でも、お互い忙しくなったり、介護が入ったりして、
家も近くないことから、お互いに縁遠くなっていました。
同じ会社に就職しましたが、勤務先は違います。

子供の手も離れ、介護も一段落し、オットも友人も役職定年です。
久しぶりに会いに行くよと連絡して、家にお邪魔しました。
小さかったお子さんが、立派な社会人になっていました。

話も弾み、これからはまたちょこちょこ会おうねと言って、おいとましてきました。

今夜は、私の職場の送別会です。
準社員さんが1人と、定年になったパートさんが1人。

ご縁というのを感じます。

では今日は晴天なので、自転車で仕事に行ってきます。
皆様も、いい一日をお過ごしください。
                         
                                  
        

昨日は友人とランチしてからお仕事へ

category - 日記
2017/ 02/ 17
                 


愛知県民の憩の喫茶店、コメダへ行きました。
家から車で10分以内の場所にコメダは3店舗あるんですよ~。(笑)

サラダはオプションで+200円ですが、トーストと選べるトッピングは
朝11時までのドリンクのおまけについてくるモーニングです。
画像は2人分のモーニングで、私はたまごペースト、友人は小倉あんをチョイス。
他にはゆで卵つきという選択肢もあります。
今は各地にコメダが増えているので、もしかしてこれは常識になってる?(笑)

友人は、可愛いお孫ちゃんがいまして、動画を見せてもらいました。
便利な時代になったわね~。

元気を充電して、自転車で出勤し、元気いっぱい働いてきました。
張り切って晩御飯作ったのですが、いったん会社から帰ってきたオットは、
電話で幼馴染からお誘いがあって、近くにある焼き鳥屋さんへ。
3時間帰ってきませんでした。
今ちょっと、町内で、農地のことでもめている最中なので、その話なんですが、
そこそこ明るい顔で帰ってきたので、まあ、よかったです。

農地はね、仕事に行きながらでも農業をやれます、という人が少ないし、
昔は売れたんですが、今、農地を買いたい人もいないし、難しい問題です。
放置していると、近隣の迷惑になるということで、
私の友人は30万円も出して、草刈りの機械を買ったそうです。
広い農地を持っている人ほど大変です。

私の町内では、出来ない人に代わって、農業をやってあげるから、
管理費を払って欲しいという話になりました。
農業が儲かる仕事なら、管理費を徴収しなくても問題ないのですけどね。

今日は曇天で、雨予報もあるので、車出勤します。
出勤前に晩御飯の下ごしらえして出かけて、夜は楽しようかと思っています。

                         
                                  
        

長崎旅行3日目 さるく アンゼラスの鐘の丘を訪ねて

category - 日記
2017/ 02/ 15
                 





高台に建つ旅館に別れを告げて、送迎バスで長崎駅まで向かいます。
私たちが乗った朝一番の送迎バスは、8時出発でした。

この日は朝10時から、オーダーさるくをお願いしてありました。
内容は変えることも出来ますが、そのままでお願いし、日程をこの日にしていただきました。
待ち合わせ場所は、原爆資料館の前で、10時までに資料館の見学を済ませようと思ったのです。



長崎駅からは、赤迫行の路面電車に乗りました。
1日目には逆方向の路面電車に乗っていたので、乗り場はわかっていましたし、
5分おきくらいに出るので、時刻表チェックも必要ありません。



浜口町で路面電車を降り、徒歩で原爆資料館に向かいます。



原爆資料館の前には、オバマ大統領の折り鶴が展示されていました。



中に入ると、壊れた時計が11時2分を指していました。
館内には、時計の音が流されています。

この話は、資料館を出た後にお会いしたガイドさんから聞きました。
原爆の第1目標は小倉の八幡製鉄所でした。
私は天候不良のために第2候補の長崎に投下されたと思っていましたが、
実は八幡製鉄所では、その時、コールタールを燃やしていたそうです。
コールタールを燃やす煙で煙幕を張って、八幡製鉄所を守ったわけです。
しかし、長いこと、その話は語られませんでした。

黙っていた方たちの気持ちは、わかるような気がします。
長崎の惨状を知っているので、自分たちは小倉を守った、
しかしその代わりに、長崎の人々が・・・という気持が苦しかったのではないでしょうか。




原爆投下当時、「長崎の鐘」や「この子を残して」で有名な永井隆氏は、
上の画像に写っている、長崎医科大学においででした。

長崎医科大学と附属病院では、大学関係者と学生で898名、入院患者と付添人で73名、
外来患者に関しては、カルテが消失しているので何人いて何人死亡したか、全く不明。
講義中の5つの講堂の焼け跡からは、教授は教壇に、
学生は机に着席したままの姿の遺骨が発見されたそうです。

永井隆博士については、以前のブログに少し詳しく書きましたので、
興味のある方は読んでくださると嬉しいです。

            


画像はロザリオです。
浦上天主堂には、原爆投下時、信者数十人と神父2人が告解のために集まっていて、
全員即死しました。このロザリオはそこで発見されたものです。

15000人の信者のうち、原爆で10000人が亡くなったそうです。
被害を受けた建物を残そうという主張もあったのですが、
一部の遺構を保存しただけで、建物は壊され、美しく再建されました。

残っていたら・・・アメリカやヨーロッパにはクリスチャンが多いので、
爆撃された教会を肉眼で見るのはインパクトが大きく、
15000人の信者のうち10000人が亡くなったという事実も大きく知られたことでしょう。
原爆投下は正しかったのだという主張を信じるアメリカ人の何割が、
この浦上天主堂の被害を知っているのかなと思いました。



原爆当時の地層が保護されて、見学できるようになっています。
瓦やビンの欠片(溶けて変形しています)や茶わんなどが埋まっています。
この瓦のある家の下で生活していた人たち、この茶碗でご飯を食べて・・・

原爆は大量殺人兵器です。
この爆弾を作るために莫大な費用をアメリカは投じました。
巨額を投じたからには結果を提出しなければ、という事情は、
どれくらい原爆投下に影響したのでしょうか。



原爆で亡くなられた方のお名前が奉安されています。
静かな公園で、小学校も近くです。
この上空500メートルで原爆がさく裂しました。

右に見えるのは、浦上天主堂の遺壁です。



世界各国から贈られた平和を希求する像が並んでいます。
画像はトルコから贈られたものです。



長崎の鐘と呼ばれる鐘です。
長崎が狙われたのは、多くの軍需産業の工場があったからでした。
魚雷や戦車などを作る工場で、たくさんの方が働いていました。
学徒動員、女子挺身隊で、若い方たちがたくさん働いていたことでしょう。




平和の泉という噴水の向こうに、平和祈念像が小さく見えます。

平和公園のすぐ横の川に、原爆が落ちた後、水を求めてたくさんの人が押し寄せ、
水を飲んで死んでいった人も、遺体が積み重なるほどの数だったそうです。



平和祈念の像は、昭和30年8月8日に完成したそうです。
作者の北村西望氏は長崎生まれの彫刻家の巨匠でした。
とても美しい像でした。






爆心地から700メートルの距離にあった山里小学校。
生徒は夏休み中ということで自宅にいる子供が多かったのですが、爆心地に近いので、
在籍児童数1581人のうちおよそ1300人が自宅やその周辺で死亡したと推定されています。




防空壕の跡です。もちろん元々は手作業で掘った土の防空壕でしたが、
コンクリートなどで補強され、保存されています。

原爆の落ちた時、新しい防空壕を掘っていた人たちは、爆風で叩きつけられて亡くなり、
防空壕に逃げ込んだ人たちは、多くがこの防空壕の中で亡くなったそうです。



ライトアップされていて、3つの防空壕が中でつながっているのがわかります。



このご、永井隆記念館に行き(画像はありません)、その後、
永井隆博士が音ながら執筆していた「如己堂」に来ました。 

永井博士は敬虔なカソリック信者でしたので、「己のごとく隣人を愛せよ」という意味で、
この名前をこの家につけたそうです。
わずか2畳の一部屋しかない家ですが、原爆で無一文になった永井博士のために、
浦上の人たちがお金を出し合って作ってくれました。

永井博士は、原爆で怪我をした体で、献身的に、人々の治療に携わりましたが、
治療費が出るわけではないので、無一文だったのです。

病身を押して、たくさんの本を書き、印税を人のために使いました。
税金のことを考えずに使ってしまったそうで、友人たちが、税金を払うために
奔走してくれたというエピソードも、ガイドさんに聞きました。



如己堂の中の様子です。
永井博士は白血病が進んで、腹水がたまり、内臓は腫れて、起き上がることができませんでした。
しかし、ここで寝たまま、本の執筆をしたり、わが子と過ごしたりしました。

永井博士の本を読んで、たくさんの方がお見舞いに来ました。
ヘレンケラー女史もお見舞いに来て、娘さんのカヤノさんのセーターに
コスモスをさしてくれたそうです。
訪問客のほかに、プレゼントもたくさん届きました。

まだ小さかったカヤノちゃんは、可愛いお人形などがたくさん届くので、
独り占めしたい気持ちになりました。

お父さんである永井博士は、優しく言い聞かせました。
「これはね、原爆にあって、カヤノのように
お母さんやお父さんを亡くした子供たちのために送ってくださったのだよ。
浦上には、カヤノがたくさんいるんだ。」
「人には自分のいちばんよいものをあげなさい。もし、必要な時には
神様がまた与えてくださるよ。」

そして永井博士の描いた絵の中のカヤノちゃんは、きれいな服を着ていました。
「服を買ってあげられないから、絵で描いてあげるね」
(娘よ、ここが長崎です 筒井茅乃著 くもん出版より)



浦上天主堂から原爆の爆風で飛ばされたドーム



建て直された浦上天主堂。
教会の中は撮影禁止なので画像はありません。
画像右側のドームから、12時の鐘が響きます。
このさるくは、12時の鐘をここで聞いて終わることになっていました。

        永井隆さんが作詞された山里小学校の第2校歌「あの子」


ガイドさんは、最寄り駅が見える場所まで一緒に歩いてくださり、そこでお別れしました。

こういう観光協会が関わっておいでのガイドさんと歩くことは、
私たち夫婦にとって、旅先の楽しみの一つになっています。

たいていは定年退職後に、ガイドをしようかと思い立って、
規定の講習を受け、テストを受けて合格してガイドになったご年配の方です。
たまに、もっとお若い家庭の主婦の方もおいでですが、多分それは例外です。

定年後に、何をしようかと考えた時、好きな地元に来てくれた旅行者に、
わかりやすいガイドをしてあげたいと考える方、というのがまず好きです。(笑)
健脚でないと勤まらないお仕事なので、当然ですが皆さん健脚で、
お年を召していても、すたすたと歩かれます。それがまた気持ちいいのです。
標準語で話しながらも、土地のイントネーションがあるのもいい感じですし、
地元情報が豊富なのも、話していて楽しいです。
そして何より感じる地元愛が、とってもいいんです。

今回の旅行は初日と最終日にそうした地元のご年配ガイドさん、
2日目はバスツアーでしたので、旅行会社の若い女性ガイドさんにお世話になりました。
若い女性ガイドさんも、一生懸命で、知識も豊富で、
お話のイントネーションがとっても長崎で、面白い、気持ちのいい方でしたよ。
3人のガイドさんのおかげで、旅行が何倍も楽しめて感謝しております。

長崎駅でお弁当を買い、特急かもめと新幹線、名古屋からは名鉄に乗り換えて、
懐かしいナナちゃんのいる自宅に帰ってきました。

ナナちゃんはね、最初は少しだけ拗ねていましたけれど、
すぐに甘えてきまして、べったりでしたよ。うふふ。(笑)

これで長崎旅行記は終わります。
読んでくださってありがとうございました。

シュウトメちゃんも施設で元気に過ごしていました。
懐かしい写真をたくさん持って行ったら喜んでいました。

                         
                                  
        

長崎旅行2日目 その2 遠藤周作文学館

category - 日記
2017/ 02/ 14
                 
遠藤周作文学館の横から見える景色は、本当に美しかったです。
文学館の一番奥の部屋からも、椅子に座ってこの景色を眺めることができます。
ちょうどおひとりで椅子に座って眺めていらっしゃる方がおいででしたので、
私たちはご遠慮して、外に出て眺めました。







遠藤周作さんは、「沈黙」以外にも、踏み絵を踏んだ司祭様の小説を書いていますし、
立派な人ではなく、馬鹿だとか駄目だとか言われて、
見下される立場の人を主人公にした小説も多く書いています。

経歴をさらっと書くと、馬鹿だとか駄目だとかいう言葉に縁がなさそうに感じます。
灘中学、慶応大学を出て、フランスのカソリック文学をさらに学ぶためにフランス留学。
日本に帰り、評論家として活動し、小説を書き始めると、2作目が芥川賞受賞。

でも、お兄さんがとても勉強がよくできたので、それに比べてお前は・・・と
父親にいつも比較されて注意されていたそうです。
お父様も東大卒、お兄様も東大卒。

遠藤周作さんは、受験勉強向きではなかったというだけだと思います。
映画が好き、読書が好き、好きなものに時間を割きたい。
自分に合った学校を受験するのではなかったので、
いくつも受験で不合格になっています。

遠藤周作さんが幼い頃、父親の浮気で家の中はごたごたしており、
10歳の頃、ご両親は離婚して、周作少年はお母さまに引き取られました。
離婚後、お父様はうんと年の離れた女性と結婚します。

お母様は音楽の先生として生計を立てますが、学費の負担は大きく、
大学の費用は父親に出して貰ったらどうだろうというお兄様の仲介で、
お母さまの経済的負担を減らすために、お父様の家に移ります。

旧制高校か、医学部予科のどちらかに進級するというのが父親の出した条件でした。
しかし、いくつもの受験に失敗、慶應義塾大学の医学部には受からないだろう思って、
父親に黙って、文学部予科を受験しました。(補欠合格)
医学部を受験していないことが発覚して、父親は激怒し、勘当されましたので、
居候したり、寮に入ったりしていた遠藤氏ですが、
その後、慶応義塾大学の仏文科に入学したのを知った父親は態度を軟化させました。
生活基盤を失っていた遠藤氏は父親の家に戻りますが、
父親に対する気持には苦いものがありました。
いいお母さんだった母と自分たちを捨てて、若い女に走った、
その点の方が許せなかったことでしょうが。

後年、結婚して子供を持つと、遠藤氏は子供と3つの約束をしました。
「うそをつかない。ともだちを裏切らない。弱い人間を馬鹿にしない。」



遠藤周作文学館を後にして、ツアーのバスは長崎駅前に戻って行きました。




駅から送迎バスでこの日の宿「にっしょうかん 新館」に。
山の中腹にある旅館と聞いていましたが、すごい坂道を登っていきました。
前日のホテルは長崎駅前でとても便利なので、2泊と思ったのですが、
ランタンフェスティバル開催中の土曜日ということで、喫煙室しか空いていないと言われたのです。
当日も、もしかしたら喫煙室かもと旅行会社に言われて、え~っ?!と思っていましたが、
チェックインの時に「禁煙室をご用意しております」と言われてホッ。

こちらの旅館は、消臭依頼をしてありましたが、
禁煙フロアがあるそうで、そのフロアは全室禁煙。いいシステムですね~!
そしてすごく広い!



部屋の窓から見える夜景がこれ。そしてこの夜景はカメラで撮れる一部分。
実際は左右にず~っと夜景が広がっていて圧巻!なのでありました。



このほかにもたくさん出ました。
長崎のお魚は美味しいですね~!
画像はないけれど、お刺身の盛り合わせも、焼き魚も、とても美味しかったです。

部屋食で、土曜日の夜なので、仲居さんもお忙しいだろうと思い、
私たちは後で温泉に入るので、お酒もこの時は飲まないしということで、
一度にお料理をお持ちいただいてかまいませんよと申しましたが、
なんとデザートのお汁粉まで一緒に運ばれちゃった。(笑)

翌日に長崎さるくのガイドさんに教えていただいたんですが、
この「にっしょうかんグループ」の旅館3つは、今はインド人の経営らしいです。
先代までは後継ぎさんが経営しておられたそうですが、
今の代に変わってから、インド人に旅館を売り、その交換条件は、
勤務している人たちをそのまま雇い続けてもらうということだったとか。
おたがいにその方がいいですよね。
だから経営がインド人であっても、旅館は純和風でインドらしさはなかったです。(笑)
この話はガイドさんに聞いた話で確認を取ったわけではないので、ガセネタでしたらごめんなさい。
(追記 確認しましたら、経営はHMIグループ、社長さんは在日30年の比良竜虎氏。
元々はインド人でも、帰化しているので、日本人とも言えるのかも?
HMIといえば、たくさんのホテル・旅館を買い取って再建させている有名グループ。
そういえば、うちの近くのクラウンパレス知立もここの経営でした。)

旅行記はまだ続きます。(爆)