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2017年02月

        

長崎旅行2日目 キリシタンの里そとめ(外海)ツアー その1

category - 日記
2017/ 02/ 13
                 


画像ではわかりにくいですが、雪がすごい勢いで降っています。
ホテルの朝食の席から撮りました。

この日は現地でのバスツアーを申し込んでありました。
キリシタンの里そとめツアー。そとめは外海と書きます。
荒々しい海と山に囲まれたやせた土地にひっそりと隠れキリシタンが暮らしていました。
以前はここは長崎市ではなかったようですが、市町村合併で長崎市になりました。




雪は降ったりやんだりで、バスは外海に向かいました。



「道の駅そとめ」の駐車場から見える、遠藤周作文学館です。
少し前のブログに書いた「ド・ロ神父」さまが生涯を捧げた土地、外海。
道の駅で「ド・ロ様そうめん」と「長崎スパゲッチー」を購入しました。
漁師の夫を水難事故で失い、残された妻子があまりにも困窮していたのを見て、
そうめんやスパゲティの麺の作り方を教え、売る先も見つけて、
生活が成り立つようにしたド・ロ神父は素晴らしいです。
そうめんやスパケティの麺を作る際に出る、商品価値のない端っこの部分を食べれば、
生活費もかなり節約できます。
ド・ロ神父は、みんなと同じ、こういう端っこの麺などを食べて質素に暮らしました。

その作業場で着る作業着もド・ロ神父がデザインして作られました。
神父は、型紙も作ることができ、ミシンも使えました。
ミシンなどの道具はフランスから最新式の物を取り寄せたようです。
自分は質素でも、最良のものを村人に買い与える人でした。
ド・ロ神父のお蔭で、ひもじい思いに苦しむ人はいなくなりました。

1階は素麺やスパゲティやしょうゆなど食品を作る作業場、
2階は、布を織ったりする作業場でした。
作業中、15分に一度、時計が鳴るように設定されていまして、
マリア像などもお祈りのために設置されていました。

作業しながらでも、15分に一度時計が鳴ると、
女性たちは少し作業の手を止め、神さまに祈るのでした。

2階には、女性たちが寝泊りできるスペースがありまして、
押入れに布団を入れてありました。布団を敷くまでは広いスペースが使えます。
素晴らしいオルガンがありました。
鍵盤を一つ押すだけで和音が出る仕掛けもあり、
難しい演奏ができない人でも、上手にオルガンが弾けるようなものでした。

これも当時のフランスの最先端のオルガンを取り寄せたもので、
オルガンを修理してくださる方の手が入っているおかげで、今でも美しい音が鳴ります。
(内部の写真撮影は禁止ですが、皆さんの記念にだけなら撮影してけっこうですと
建物を説明してくださったシスターさんがおっしゃいましたので、
記念の撮影だけさせていただきましたが、アップは自粛させていただきます。)




こちらはド・ロ神父が設計し、資金を出して建てた、出津(しつ)教会堂です。
内部は撮影不可ですが、見学させていただき、教会守さんのお話も聞けました。
現在もここでミサが行われています。



左がド・ロ神父の像、右はド・ロ神父の片腕となって働いた中村近蔵さんの像。



これは井戸なのですが、水脈を見つけて掘ったのはド・ロ神父だとか。
水汲みの重労働から解放されました。



こちらは昔、イワシ網を作る作業場としてドロ神父が作られたのですが、
イワシ網作りは作るのに時間がかかりすぎて採算が合わず、じきに断念。
この場所は、子供たちを預かるのに使われたそうです。
現在はド・ロ神父記念館になっています。

ド・ロ神父は、独学で医学の勉強をしましたが、医師ではありません。
しかし、医師を雇って診療行為をしていました。
病名を診断し、取り寄せた薬を調合して患者に渡していました。
赤痢が流行した時も、率先して働きました。



画像の右側の建物が、そうめんやスパゲティの麺、しょうゆなどを作り、
2階は織物をする作業所で、立派なオルガンのある部屋もある建物です。



ランチ付きのツアーで、これにピラフとキッシュが付きました。
ヴォスロールという所でのランチでしたが、修道場の食堂という雰囲気。
そういう雰囲気に作ってあるというのではなくて、ド・ロ神父の記念館に用事があったり、
ここでミーティングするような人が利用するのが基本で、一般の人で食べられる、という感じ。
実際に、隣のテーブルでは、映画「沈黙」が外国人にどう受け取られているかの
意見交換が交わされていて、ちょっと聞き耳立てちゃいました。(笑)

「原作を読んでいる人といない人とでは全く受け取り方が違うようで、
読んでいない人にとっては、なんて日本人は残酷なんだという感想で終わってしまう」
そんな声が聞こえたので、その発言主の感想ではないのですけど、
そっちだって魔女狩りしてたくさんの女性を殺したでしょう?とムッとしました。日本人魂?(笑)

主人公の神父が、自分の信条も教会内での悪評判も省みず、
目の前で苦しむ信者を救うことにした、その心の軌跡をスルーしてあの映画を見て、
ただ、日本人は残酷だという感想で終わってしまうなんて、それは冗談じゃないわ・・・
感想は人の自由ですけど、遠藤周作ファンとしても、あの映画に感動した一人としても、
とても残念な発言を聞いちゃったわ、と思ったことでした。



こちらは「沈黙の碑」
ここから眺める景色は、何とも形容しがたいほど美しいです。
遠藤周作さんは、ここからの景色を「神様が僕のためにとっておいてくれた場所」とおっしゃり、
こよなく愛しておられたそうで、この碑の場所として最適なところだったでしょう。



人間が
こんなに
哀しいのに
主よ
海があまりに
蒼いのです



バスはまた細い道を進みました。
着いたのは、大野教会堂です。



大変不便な土地の小高い場所に建っています。
この地区に住む人が、はるばると奥の境界に来るのが大変であろうと、
ド・ロ神父が建ててくださったそうです。
石と石の間を、石灰と砂を混ぜたもので補強する壁の作り方もド・ロ神父直伝のワザ。



教会っぽくありませんが、台風の風がまともに当たるため、
頑丈さを優先に作られたそうです。

そしてバスはまた細い山道を進んでいきました。
ここは最初に「雪がひどくなったら安全のため、行くのを中止するかも」と言われていた場所です。



西洋の遺跡みたいですけど、農機具置き場。
ドロ神父はこの近くの土地を買い、開墾して農地としようと考えました。

土が固く、鎌などの刃がすぐボロボロになったので、丈夫な刃の鎌を取り寄せ、
開墾に励んだ結果、その土地は立派な農園になり、小麦や芋や綿などのほか、
苺やトマトも育てて居留地の外国人に売り、いい収入減になったそうです。

ドロ神父は74歳に死去しました。
お墓は出津の共同墓地にあります。




下の画像はバスチャン屋敷跡です。
修理工事中なのですが、写真写してもいいよ~と言われたので写しました。

森の中の隠れ家といった佇まいの小屋でした。
バスチャンは、徳川家光の時代の日本人キリシタンで、
神父が殉教していなくなってしまった後、信徒指導をしていたと言われます。

いろいろなところに隠れ住み、最後にこの出津の森の中に隠れていましたが、
食事の支度のための火の煙によって見つかってしまい、
拷問の末、殺されてしまいました。

バスチャンは、キリスト教の信仰の自由が認められる日が来ることを予言していました。
また、キリスト教の暦を持っていました。
迫害の中、指導者も失った信者たちに、希望と規律を与えてきたと思われます。



長くなりましたので、2日目の続きはその2に分けます。
こんなにも長くなったのに、最後までお読みいただいてありがとうございます。
                         
                                  
        

長崎旅行1日目 出島とランタンフェスティバル

category - 日記
2017/ 02/ 12
                 
この日私たちがお願いしたのは期間限定のランタンさるくです。




名古屋から新幹線+特急かもめで長崎まで行くと、所要時間は5時間。
長崎駅で、ランチの席の予約をしておきました。

この日の宿はホテルニュー長崎という駅前のホテルでしたので、荷物をまず預け、
朝次郎という和食のお店でランチ、その後、路面電車で出島に向かいました。

路面電車は5分おきくらいに出ていて、利用率も高いです。
長崎は本当に急な坂の多い土地で、駐車場の確保も大変なので、
路面電車は市民の足としてもとても活躍しているようでした。



出島はご存知の通り、鎖国政策で作られた人工島ですけれど、今や周囲も全部埋め立てられて
既に「島」ではないんですね。知りませんでした。

当初、ポルトガル人を収容して管理するための出島でしたが、島原の乱の後、
日本はカソリック国で宣教師の宣教を伴うポルトガルとの貿易を打ち切り、
オランダとの貿易を強化することにします。

上の画像の部屋の雰囲気、素敵ですよね。
オランダ船長のベッドルームです。



こちらは当時の陶器の包装見本です。




唐紙と呼ばれた紙が、壁紙代わりに使われていたそうですが、
レトロモダンで素敵です。

さて、出島を後にして、「ランタンさるく」に参加しました。
ランタンフェスティバルの期間限定のガイド付きお散歩2時間のコースで、
3種類あったうちのひとつ、「紅の新地から 灯ゆれる唐人屋敷へ」を申し込んでありました。
「ロウソク祈願4堂めぐり」というのをやってみたくて。
この日は日本人が参加できる4堂めぐりの最終日でした。
翌日は中国の方だけが参加できる最終日とのこと。



お供えされているのはたくさんの豚の頭。
全部本物です。圧巻の眺めでした。



ランタンフェスティバルは、いくつもの会場があって、それぞれに飾りつけがなされています。
会場ではイベントが毎日行われて賑やかです。

しかし、この日は大寒波が来ると言われていて、時折雪も舞う寒い日でしたので、
ガイドさんによると、とても人出が少なく、見るにはラッキーな日とのことでした。



当たり前ですが、どの飾りも、中国~!という雰囲気です。
元々は長崎に住む中国の人たちが旧正月を祈るお祭りですが、
それを長崎市が観光イベントに拡大したものです。




江戸幕府は、密貿易やキリスト教伝播を防ぐために、中国人(この時代は唐人)たちの住まいを
この唐人屋敷に限定しました。
屋敷という名ですが、実際には広大な敷地で、高い塀に囲まれ、出入り口には番所があり、
敷地内には多くの唐人の家がありました。多い時には2000人が住んでいたといわれるそうです。

鎖国が解けると、ここに住まなくてはいけないという理由も当然なくなり、
唐人たちは、別の所に住むようになっていきました。

4つのお堂には、貿易商だった唐人たちが祈りをささげた海の女神や、
商売の神さまが祀ってあります。
長崎には帰化した中国の方たちがたくさん住んでいますので、
ここにお祈りに来る人は少なくないらしいです。



赤いロウソクを4本セットで販売しています。
奥の大きなロウソクは中国の方のもの。
手前にある小さなロウソクは4本500円で売っているものです。
4つのお堂にそれぞれ1本ずつロウソクを灯して、お祈りしてきました。







このような中国風の建物のお堂です。これは天妃堂というお堂で、
海の女神である媽祖さまを祀るために建立されたお堂です。



ちょうど中国雑技団のイベントが始まりました。
この日は雪が舞って、大寒波と言われていたためか、人出が少なくて、
こんなに見やすい席で、ゆっくり見ることが出来ました。



これは中国変面ショーというイベントですが、一瞬の間に仮面が次々と変わるショーです。
よく見えたのですが、仕掛けがわかりません。
とても見ごたえのあるショーでした。



しかしとにかく坂道と階段が多いです!
長崎の人は足が丈夫になるだろうと思いました。



江戸幕府は、外国人と日本人が交流することを良しとしなかったので、
出島にオランダ人を、唐人屋敷に中国人を隔離して住まわせました。



車道も歩道もこんな感じで混んでいません。この日は金曜日。
土日は道がぎっしりです、すごいですよ、とガイドさんに教えていただきました。
ガイドさんとお別れして、後は夫婦でさるく。(散歩)



こちらはアーケード街の会場なので、寒さはいくらかしのげて有難い会場でした。(笑)



寒い~、坐りたい~、ということで、ドトールに入りました。
土日だとドトールもきっといっぱいで席が空いてなかったでしょうね。
この会場の「龍踊り」のイベント時間までコーヒータイムを過ごしました。



さて、お目当ての龍踊りの始まりです。
近くで見ることができてラッキー。




アジアのお祭りのオブジェって、こんな感じよね。
中国風なのはもちろんですけど、日本でもありそうだし、インドネシアっぽくもある。(笑)



背中の緑の龍は男性たちが、背中の赤い龍は女性たちが動かしていました。
ガイドさんに聞いたんですけど、小さな子供さんたちが動かす龍踊りもあって、
それはもうめちゃくちゃに可愛い、ということでした。



浜んまち会場にさようなら。
眼鏡橋をめざしててくてく歩いていきました。



この画像ではランタンの色がよくわかりませんが、鮮やかな黄色でした。
川の横の歩道には、たくさんのランタンのオブジェが並んでいました。










きれいでしたがとにかく寒い!
路面電車で帰ろうかと話していた時、ちょうどタクシーが通りかかったので、
路面電車駅を探す手間もなく、ホテルへ帰れました。

このタクシーの運転手さんは、4か国語が話せるので、
よく外人さんの観光案内を依頼されるそうです。
日本語のほかに、ドイツ語、フランス語、ポルトガル語とおっしゃっていたような気が(うろ覚え)
中国語じゃなくて?と思ったら、中国客は嫌いだから覚える気はないとのことでした。

ホテルの部屋で少し休憩してから、日帰り温泉へ行きました。
宿泊先のホテルは駅に隣接するニュー長崎というところで、いいホテルではありますが、
大浴場などはもちろんありません。
そして私は大の温泉好きなので、アクセスのいい日帰り温泉を探したのです。
長崎駅に無料送迎バスが来る日帰り温泉は2ヵ所。
レストランからの夜景がきれいだというアマンディに決めて、
送迎時間もちゃんと調べてありました。(用意周到なのよ。笑)



アマンディの中のレストラン、ロータスからの眺め。
肉眼で真もっと明るくて、きれいでした。
窓際が前面窓の素敵な作りのレストランでした。
日帰り温泉ではありますが、ホテルでもあるので、お料理は普通に美味しかったです。

私たちは超庶民派の長崎名物料理を。(笑)

ちゃんぽんと、ちゃんめんサラダ、ハトシ、式見のすりみ揚げ。

ちゃんめんサラダというのは、ちゃんぽんの麺を揚げたものが入っているサラダ。
ハトシというのは、パンの中に海老のすりみを入れて揚げたもの。
「トシ」はトーストがなまった言葉、らしいです。
式見というのは地名で、式見町。揚げたてのはんぺんでした。
ちゃんぽん以外は、全部揚げ物~!






この後、温泉に入って、送迎バスでホテルに戻りました。
送迎バスも、すごい坂道を行くのでありました。
実は2日目の宿の送迎バスも、やはりものすごい坂道を行きました。
長崎をレンタカーで走ろうと思ったら勇気がいりますよ、皆様。

ホテルニュー長崎の部屋の写真を撮り忘れました。
どうでもいい情報ですが、こんな感じです。まあ、普通です。
でもこのホテルは駅から徒歩1分で、きれいなホテルなので、とても便利ですよ。

大雪情報もあったので、ちょっとドキドキしていましたが、
2泊3日の間、時々降ったり、時にはじゃんじゃん降ったりしましたが、
歩く間に困るような雪は一切なくて、傘も一度もさしませんでした。
逆に世間では3連休だった日程にもかかわらず、混雑もなく歩き回れてよかったです。

1日目はこんな感じでした。
                         
                                  
        

長崎最終日です

category - 日記
2017/ 02/ 12
                 



長崎には長崎さるくというシステムがあって、
たくさんのコースの中から、好きなコースの申込みをすると、
低料金でガイドさんに案内していただけます。
自分の行きたい所を指定して申込むこともできます。

アンゼラスの鐘コースの申込みをした私たちは
コースを終えて長崎駅に戻ってきた所です。

もう少ししたら、特急かもめと新幹線で帰ります。
今はコーヒータイムです。

2泊3日、あっという間でした。
                         
                                  
        

長崎は雪 加筆しました

category - 日記
2017/ 02/ 11
                 



朝食会場から。
今日は隠れキリシタンがテーマのバスツアーです。

キリシタンの里そとめツアーということで、
隠れキリシタンの大変なお話を聞くことが
多いだろうと思っていましたが、
ド・ロ神父様のお話がほとんどでした。

明治時代に日本に来られ、生涯の大半を
外海(そとめ)の貧しい人々の生活が
少しでも向上するために尽くして過ごした神父様です。

あまりの素晴らしさにオット共々、
ド・ロ神父様には感銘を受けっぱなしでした。

フランス革命後、今後の貴族はどうなるかわからない、
どうなっても生きていける、生活力のある子に育てたいというポリシーのもと、
大工仕事、農業、裁縫など、ジャンルを問わず、
しっかり教育を受けて育った貴族の生まれのド・ロ神父は、
神学校に通いながら、医学や建築も学び、
非常に博識な青年でした。

当初は宣教のため、印刷技術を求められての来日でしたが、
外海地区の宣教を任されて、来てみると、
住民は非常に貧しい生活に苦しんでいました。

土地は痩せていて、漁師が多かったのですが、
荒れた海で命を落とす人も多く、残された女性は生活費が稼げませんでした。

ド・ロ神父は、大金を持って日本に来ていて、
自分のためには使わず、住民たちが、自分達の生活に
困らなくなる基盤を作ることに奔走しました。

素麺やスパゲッティの麺、醤油の作り方を教え、
布のおりかたを教えて、それらを売る算段を整え、
作業する建物の設計をして、自費で作業場を建てたりしました。
この話はほんの一例なのです。
また帰宅してから詳しく書きたいと思っています。

雪はたまに激しく降りましたが、
一度も傘を広げることなく、あちこちをまわれました。

旅行の神様には可愛がっていただいております(笑)
                         
                                  
        

楽しんでいます

category - 日記
2017/ 02/ 10
                 



長崎ランタンフェスティバルに来ています。
                         
                                  
        

戦争反対 原爆反対

category - 日記
2017/ 02/ 09
                 













                         
                                  
        

永井隆さんを知っていますか?

category - 日記
2017/ 02/ 07
                 
永井隆氏は、島根県に生まれ、長崎医科大学を卒業して医者になりました。
当時多かった肺結核の発見、治療のため、多量の放射線を浴び続けた結果、
被ばくによる白血病のため余命3年という診断を受けていました。
長崎に原爆が落とされて、さらに被曝する2か月前のことでした。
何度か危機はありましたが、余命宣告の倍ほどは生きておられました。

長崎に原爆が落ちた時、永井博士は、長崎医科大学にいました。
爆心地により近い木造の建物は瞬時に押しつぶさて、吹き飛ばされ、燃えてしまったので、
中にいた人は全員死にました。
少し離れたコンクリート製の建物は、運よく生き残った人も少しはいました。
永井隆氏は、運よく生き残ったグループに入りました。

実験室の焼け跡の灰の中に先生方であろう幾つかの黒焦げの骨がある。
大体部屋の見当をつけて女性の骨を見つけた。これが辻田君であろう。
この骨はもう「ネエ、ほほ!」とは笑わない。紙に拾い集めながら、
夢ならば夢ならば、と繰り返し思う。
梢ちゃんが授業を受けていた行動の焼け跡に来る。
しらじらと陽に光る灰の中に、ああ、整然と並んでいる幾十の黒骨!
この中にわが片岡君もまじっているのか。
ノートを取るペンを握ったまま一瞬に若い生命を奪われた学生たち。
       中略
多分、山下君、吉田君、井上君が先に働いているところへ、
後から浜君と小柳君とがやってきて声をかけたのだろう。
3人が立ち上がって手を握った。2人も手を振って駆けだした。
その瞬間に叩きつけられたものに違いない。
3人と2人は離れて倒れている。
「秀ちゃん、」「ミッちゃん」と婦長さんが肩に手をかけて揺さぶったほど、
あどけない死に顔だった。こんなに早く死ぬ子なら、
あんなに叱らねばよかったと、山下君の可愛い鼻を見つめていて思う。・・・後略

黒焦げになっていたり、べろべろに皮が剥げて死んでいったり、
生きているのに、火の出た建物の中で動けず、焼け死んでいったり。
沢山の人が命を落としていく中で、生き残った永井博士とその仲間たちは、
手当の必要な人々を助ける作業に励みました。
薬も包帯も何もかも、爆風で吹き飛ばされたりして足りませんでしたし、
永井博士自身も、顔の動脈を切る大怪我をして、ひどく出血をしていましたが、
脈は弱くなってきたがまだ大丈夫だろうと医者らしく客観的な判断で治療に当たっていました。

被害について、永井博士は、「長崎の鐘」の中でわかりやすく書かれています。

爆圧は言語に絶する強大なもので、爆弾に対して露出していた者、すなわち、
戸外、屋上、窓辺などにいた者は叩きつけられ、吹き飛ばされた。
1キロ以内では即死、または数分後に死んだ。
500メートルで母の股間に胎盤のついた嬰児が見られ、
腹は裂け腸の露出した屍体もあった。700メートルで首がちぎれて飛んでいた。
眼玉の飛び出た例もある。内臓破裂を思わせる真っ白な屍体があり、
耳孔から出血している頭蓋低骨折もあった。
熱もずいぶん高温だった。500メートルで顔の黒焦げが見られた。
1キロ内外で受けた熱傷はまったく特異のものであり、
私はこれを特別に原子爆弾熱傷と命名したい。
これは熱傷部の皮膚剥離を伴うもので、即時発症した。
熱傷を受けた部分だけが皮下組織から剥離し、1センチくらいの幅に細長く裂け、
その中途、または端で切断されることもあり、縮み上がり、少しく内方に巻き込み、
ぶらぶらとボロ布か塵払いみたいに垂れ下がっている。・・・・後略

原子爆弾の原子病をその発現の時期に従って述べてみよう。
まず被爆後3時間くらいしてから放射線宿酔が感じられ、24時間後が最高で、
後次第に軽快して行った。第3日目ごろから消化器障害があらわれ、
多くは一週間後くらいに死亡した。軽度の物では下痢が長くみられた。
第2週に出血をみた者があらわれた。これは血液障害で多くは死亡した。・・・・後略

博士は「現場のスケッチも、傷の写真も、解剖したことも、標本もないので、
医学論文としての価値はないでしょう。」「これは医者の立場から見た、
原子爆弾の実相をひろく知らせ、人々に戦争をきらい、平和を守る心を起こさせるために
書いたものです」と述べておられます。

生き残った医療者の方たちは、不眠不休で治療に努め、
頭脳を絞って、療法の発見に努めました。
宿酔にはビタミンBとブドウ糖の注射がよく効き、熱傷には鉱泉療法が効きました。
9月になって、皮膚溢血斑、高熱、咽頭潰瘍などを伴う重篤な患者が多数出たのには、
患者の血液を2立方センチ取り、そのまま患者の臀筋肉に注射する療法がよく効きました。

一方では、原発が落ちて3日目、博士は自宅へ行って、
台所奥さんの骨を拾ってきていました。
子供は疎開していて無事でした。

日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から、憲法を改めて戦争放棄の条項を削れ、と
叫ぶものが出ないとも限らない。そしてその叫びが、いかにももっともらしい理屈をつけて、
世論を日本再武装に引き付けるかもしれない。
そのときこそ・・・誠一よ、カヤノよ(永井博士のお子さんで2人とも60代で亡くなられています)、
たとい最後の2人となっても、どんなののしりや暴力を受けても、
きっぱりと「戦争絶対反対」を叫び続け、叫び通しておくれ!
たとい卑怯者とさげすまれ、裏切り者とたたかれても「戦争絶対反対」の叫びを守っておくれ!

この叫びに、私は深く頭を下げたくなりました。

「どんなののしりや暴力を受けても」
「たとい卑怯者とさげすまれ、裏切り者とたたかれても」
弱虫な私にはとても言えないセリフです。

ましてや、博士はいつ死んでもおかしくない体で、原爆で母を亡くして、
ほどなくして父をも失おうとしていて、子供はまだ幼いのです。

永井博士も奥様も敬虔なクリスチャンでしたので、
世間の損得や評価など、超越した世界に生きていたのでしょう。

博士は、白血病を抱えながら原爆でも被爆するという運命の中、
人々のために、全力で生き抜きました。
寝たきりになっても、執筆を続け、たくさんの著書を書きました。

旅行の3日目には、永井博士ゆかりの場所を巡ってくる予定です。
2時間のガイドさんをお願いしてあります。

お天気は、なんと3日とも、曇り時々雪に。
昨日は最終日だけは雪マーク、なかったのに。

ちょっと今回の旅行は、「楽しんできま~す♪」というノリではない内容なのですが、
味わってきます、と言っておきましょうか。
いっぱいお祈りをする旅行になりそうです。
できたら、雨も雪も降らないで欲しいですが・・・。

                         
                                  
        

旅行中の長崎の天気は、曇り時々雪

category - 日記
2017/ 02/ 06
                 
長崎旅行の日の向こうのお天気は、1日目2日目ともに、曇り時々雪!
3日目は曇りで、雪マークはないですが、寒い寒い旅行になりそうです。
                         
                                  
        

今日はキチジローについて

category - 日記
2017/ 02/ 04
                 
今日は友人と日帰り温泉に。
ここは初めてです。キャナルリゾート。

常連らしいマダムによると、出来て2年目だそうです。
名古屋の町の中にある天然温泉ですが、敷地も広く、
お湯も気持ちよかったです。

友人ともお風呂でいっぱいおしゃべりできて、リフレッシュしました。







この画像の後に「沈黙」の話を書くのは、何だか気が引けますが、
今日はキチジローについて少し書きたいと思います。

キチジローは、隠れキリシタンの1人で、窪塚洋介さんが演じていました。
ロドリゴとガルベ、2人の宣教師が日本に密航するのを案内する男として登場します。
そのシーンでは、キチジローは、マカオで酒浸りになっていました。

彼は生まれつき気が弱く、意志が弱いところがありました。
踏み絵を踏めと言われて、彼の家族はみんな踏みませんでしたが、
彼だけは恐ろしくて、踏み絵を踏みました。
踏まなかった家族は、藁に包まれ、生きたまま火をつけられて死んでいきました。
苦しみながら死にゆくさまを、それでも必死に見つめることだけが彼が示せた勇気でした。

キチジローは宣教師が日本に来てくれたことを喜んでいました。
自分の弱さが苦しく、告解がしたかったのです。

その後、キチジローは、その宣教師であるロドリゴの居場所を、
役人に教えてしまいます。ロドリゴは当然捕まります。
宣教師を密告すれば大金が手に入るのですが、
キチジローはお金に目がくらんだわけではありません。
彼は拷問が恐ろしく、ロドリゴが捕まれば、ロドリゴが拷問されるかもしれないと知りつつ、
それでも自分の身を守りたくて、裏切ってしまったのでした。

仲間たちが踏み絵を踏めないでいる時、キチジローは再び踏み絵を踏みます。
軽蔑の視線を感じても、恐ろしさに勝てないキチジローでした。
私も、こんな目に遭えばすぐに踏み絵を踏むと思うので、
弱くみっともないキチジローは、もしその時代、私がそこにいたとしたら、
間違いなく、私の姿でもあると思いました。

ロドリゴもガルベも、キリスト教弾圧の激しい日本へ、
覚悟を持ってくるような宣教師たちなので、
自分たちは信仰のためにいつでも死ねる、どんな苦しみにも耐えるという
気概を持っているわけで、キチジローのような男は本心から言えば嫌いです。

キリストの教えは、全ての人を愛せという教えで、それを信じているので、
そのようなキチジローであっても、告解を願われれば、
告解に対する祈りの言葉を唱えるロドリゴでしたが、
心の中には軽蔑があったのでは?という気がしました。

キチジローは嘆きの言葉を口にします。
(うろ覚えですが、こんな内容でした。違う点があるかもしれません。)
こんな時代でなかったら、自分はいいクリスチャンとして生きられた。
どうして自分はこんな時代に生まれてしまったのか。
心が弱いから、殉教はできない。自分の家族は心が強かった。
どうしたらいいのかわからない。許してほしい。

こんな時代でなかったら。
迫害を受けることなどなかったら、キチジローは神の教えを守る
善良な男だった可能性が高いだろうと思いました。
朝夕、神に感謝してよく働き、貧しい生活の中でも親切な男だったでしょう。
キリシタンたちをひどく拷問した役人たちだって、
こんな時代でなかったら、善良なお役人だったかもしれません。
「やれ」と言われて逆らったら、お前もクリスチャンか?拷問されたいか?と
自分だけでなく家族まで疑われるかもしれません。

私はもし自分が役人で、拷問しろと言われたらと想像してもやはりぞっとします。
できたら死んでもいいから拒絶したいものですが、恐ろしい死に目だと思うと、
そんな勇気も自分にはないと思わざるを得ません。
だから拷問しても仕方ないとも思えないでしょう。
自分はあんなにもひどいことをしたという責めは心の中で続くでしょう。

拷問をした役人たちは全く苦しまなかったと誰が断言できるでしょうか。
もちろん、それが正しいと疑わずに迷わず拷問した人も、
元々の残虐性を発揮できて、楽しんだ役人も、いたかもしれませんが。

時代の流れは、長崎のクリスチャンたちに残酷でした。
神さま、弱い私を許して下さいと、キチジローはたくさん祈ったでしょう。
どうか私にこのような試練を与えないでくださいとも祈ったでしょう。

彼の告解は私には、悪いことをして叱られた子供が、
お母ちゃん、ごめんなさいと泣いているような印象を受けました。
もうしないから許して、とは彼は言えないのですね。
また試練の場に立たされたら、怖くて彼は裏切ってしまうだろうから。

でも私は、踏み絵を踏まずに、藁で巻かれ、生きたまま焼かれた家族を、
眼をつむって逃げることなく、しっかりと見届けたキチジローの姿に、
彼の精いっぱいの勇気を見ました。

私はクリスチャンではありませんし、人格神の存在を感じることはないのですが、
弱虫だけど一生懸命に生きているキチジローを思うとき、
大丈夫だよ、いいんだよ、辛いことがいっぱいあったねぇと言って抱きしめてあげる、
永遠に母なるもののような神の愛が彼を包みますように、
彼が自分を責める心が、少しでも癒されますようにと祈らずにはいられませんでした。
これは多分、キリスト教の神のイメージではないですね。
長崎の貧しい農民たちは、キリストの教えに何を求めたのでしょうね。

貧しく苦しい生活を送る農民は、神さまの教えをしっかり守って生きていれば、
寿命が来たら天国に行けるという希望が、必要だったのでしょうか。
役人は偉く、農民は虫けらのように扱われるけれど、神様から見たら、
人間は誰しも、平等に大切であるというのが必要だったのでしょうか。

日本人は元々自然を神と感じて拝んできた民族です。
自然はたくさんのものを人間に与えてくれるけれど、
ひとたび荒れると、たくさんのものを人間から奪っていきます。
自然を神としてきた歴史の長い日本人が、キリストの教えを聞いたとき、
主は与え、主は奪う、という教えは受け入れやすかったかもしれません。
クリスチャンになって、過酷な運命を受け入れやすくなった人々にとっても、
このキリスト教弾圧の過酷さは、あまりに受け入れがたかったことでしょう。

厳しい生活の中、キリストの教えを聞いて明るくなって、
一生懸命に地道に生きていた農民たちの1人だったキチジロー。

神が沈黙を守っていたのは、神は運命を変える存在ではないからで、
しかし、神は私たちの中に存在して、神の目で私たちと経験を共にしている。
私はそんな風に感じました。

過酷な現実が自分の目の前に現れたら、どんなに嫌だと言っても、
それは現実として存在しています。
現代の日本だって、理不尽な理由で家族を殺された人はたくさんいます。
通り魔に、酔っ払い運転やポケモンゲームをしていた運転手に、
誰かを殺してみたかったとか、いじめが楽しいという学生たちに、
大事な家族を殺されてしまった、過酷な運命を生きる人たち。
キチジローはその不幸にプラスして、自分は弱い卑怯者だという負い目を背負っていました。

映画の視点では、神は苦しむ人の同伴者。
私はクリスチャンではないけれど、この感覚は好きです。

窪塚洋介さん、名演でしたよ。

今日の日記も長い!
この映画はすごい!

では、お休みなさい~。







今日は友人と日帰り温泉に。
ここは初めてです。キャナルリゾート。

常連らしいマダムによると、出来て2年目だそうです。
名古屋の町の中にある天然温泉ですが、敷地も広く、
お湯も気持ちよかったです。

友人ともお風呂でいっぱいおしゃべりできて、リフレッシュしました。







この画像の後に「沈黙」の話を書くのは、何だか気が引けますが、
今日はキチジローについて少し書きたいと思います。

キチジローは、隠れキリシタンの1人で、窪塚洋介さんが演じていました。
ロドリゴとガルベ、2人の宣教師が日本に密航するのを案内する男として登場します。
そのシーンでは、キチジローは、マカオで酒浸りになっていました。

彼は生まれつき気が弱く、意志が弱いところがありました。
踏み絵を踏めと言われて、彼の家族はみんな踏みませんでしたが、
彼だけは恐ろしくて、踏み絵を踏みました。
踏まなかった家族は、藁に包まれ、生きたまま火をつけられて死んでいきました。
苦しみながら死にゆくさまを、それでも必死に見つめることだけが彼が示せた勇気でした。

キチジローは宣教師が日本に来てくれたことを喜んでいました。
自分の弱さが苦しく、告解がしたかったのです。

その後、キチジローは、その宣教師であるロドリゴの居場所を、
役人に教えてしまいます。ロドリゴは当然捕まります。
宣教師を密告すれば大金が手に入るのですが、
キチジローはお金に目がくらんだわけではありません。
彼は拷問が恐ろしく、ロドリゴが捕まれば、ロドリゴが拷問されるかもしれないと知りつつ、
それでも自分の身を守りたくて、裏切ってしまったのでした。

仲間たちが踏み絵を踏めないでいる時、キチジローは再び踏み絵を踏みます。
軽蔑の視線を感じても、恐ろしさに勝てないキチジローでした。
私も、こんな目に遭えばすぐに踏み絵を踏むと思うので、
弱くみっともないキチジローは、もしその時代、私がそこにいたとしたら、
間違いなく、私の姿でもあると思いました。

ロドリゴもガルベも、キリスト教弾圧の激しい日本へ、
覚悟を持ってくるような宣教師たちなので、
自分たちは信仰のためにいつでも死ねる、どんな苦しみにも耐えるという
気概を持っているわけで、キチジローのような男は本心から言えば嫌いです。

キリストの教えは、全ての人を愛せという教えで、それを信じているので、
そのようなキチジローであっても、告解を願われれば、
告解に対する祈りの言葉を唱えるロドリゴでしたが、
心の中には軽蔑があったのでは?という気がしました。

キチジローは嘆きの言葉を口にします。
(うろ覚えですが、こんな内容でした。違う点があるかもしれません。)
こんな時代でなかったら、自分はいいクリスチャンとして生きられた。
どうして自分はこんな時代に生まれてしまったのか。
心が弱いから、殉教はできない。自分の家族は心が強かった。
どうしたらいいのかわからない。許してほしい。

こんな時代でなかったら。
迫害を受けることなどなかったら、キチジローは神の教えを守る
善良な男だった可能性が高いだろうと思いました。
朝夕、神に感謝してよく働き、貧しい生活の中でも親切な男だったでしょう。
キリシタンたちをひどく拷問した役人たちだって、
こんな時代でなかったら、善良なお役人だったかもしれません。
「やれ」と言われて逆らったら、お前もクリスチャンか?拷問されたいか?と
自分だけでなく家族まで疑われるかもしれません。

私はもし自分が役人で、拷問しろと言われたらと想像してもやはりぞっとします。
できたら死んでもいいから拒絶したいものですが、恐ろしい死に目だと思うと、
そんな勇気も自分にはないと思わざるを得ません。
だから拷問しても仕方ないとも思えないでしょう。
自分はあんなにもひどいことをしたという責めは心の中で続くでしょう。

拷問をした役人たちは全く苦しまなかったと誰が断言できるでしょうか。
もちろん、それが正しいと疑わずに迷わず拷問した人も、
元々の残虐性を発揮できて、楽しんだ役人も、いたかもしれませんが。

時代の流れは、長崎のクリスチャンたちに残酷でした。
神さま、弱い私を許して下さいと、キチジローはたくさん祈ったでしょう。
どうか私にこのような試練を与えないでくださいとも祈ったでしょう。

彼の告解は私には、悪いことをして叱られた子供が、
お母ちゃん、ごめんなさいと泣いているような印象を受けました。
もうしないから許して、とは彼は言えないのですね。
また試練の場に立たされたら、怖くて彼は裏切ってしまうだろうから。

でも私は、踏み絵を踏まずに、藁で巻かれ、生きたまま焼かれた家族を、
眼をつむって逃げることなく、しっかりと見届けたキチジローの姿に、
彼の精いっぱいの勇気を見ました。

私はクリスチャンではありませんし、人格神の存在を感じることはないのですが、
弱虫だけど一生懸命に生きているキチジローを思うとき、
大丈夫だよ、いいんだよ、辛いことがいっぱいあったねぇと言って抱きしめてあげる、
永遠に母なるもののような神の愛が彼を包みますように、
彼が自分を責める心が、少しでも癒されますようにと祈らずにはいられませんでした。
これは多分、キリスト教の神のイメージではないですね。
長崎の貧しい農民たちは、キリストの教えに何を求めたのでしょうね。

貧しく苦しい生活を送る農民は、神さまの教えをしっかり守って生きていれば、
寿命が来たら天国に行けるという希望が、必要だったのでしょうか。
役人は偉く、農民は虫けらのように扱われるけれど、神様から見たら、
人間は誰しも、平等に大切であるというのが必要だったのでしょうか。

日本人は元々自然を神と感じて拝んできた民族です。
自然はたくさんのものを人間に与えてくれるけれど、
ひとたび荒れると、たくさんのものを人間から奪っていきます。
自然を神としてきた歴史の長い日本人が、キリストの教えを聞いたとき、
主は与え、主は奪う、という教えは受け入れやすかったかもしれません。
クリスチャンになって、過酷な運命を受け入れやすくなった人々にとっても、
このキリスト教弾圧の過酷さは、あまりに受け入れがたかったことでしょう。

厳しい生活の中、キリストの教えを聞いて明るくなって、
一生懸命に地道に生きていた農民たちの1人だったキチジロー。

神が沈黙を守っていたのは、神は運命を変える存在ではないからで、
しかし、神は私たちの中に存在して、神の目で私たちと経験を共にしている。
私はそんな風に感じました。

過酷な現実が自分の目の前に現れたら、どんなに嫌だと言っても、
それは現実として存在しています。
現代の日本だって、理不尽な理由で家族を殺された人はたくさんいます。
通り魔に、酔っ払い運転やポケモンゲームをしていた運転手に、
誰かを殺してみたかったとか、いじめが楽しいという学生たちに、
大事な家族を殺されてしまった、過酷な運命を生きる人たち。
キチジローはその不幸にプラスして、自分は弱い卑怯者だという負い目を背負っていました。

映画の視点では、神は苦しむ人の同伴者。
私はクリスチャンではないけれど、この感覚は好きです。

窪塚洋介さん、名演でしたよ。

今日の日記も長い!
この映画はすごい!

では、おやすみなさい







                         
                                  
        

映画「沈黙」を見てきました  ネタバレ注意

category - 日記
2017/ 02/ 04
                 
レイトショーで「沈黙」を見てきました。
とても完成度の高い映画で、3時間はあっという間。
拷問シーンが苦手だからと鑑賞をためらっている方、多分大丈夫です。
素晴らしい映画でした。

ものすごくはしょってあらすじを書きますと・・・

日本に派遣されたポルトガルのイエスズ会の重鎮、フェレイラ神父が、
拷問を受けて棄教し、日本で暮らしているという情報がありました。
フェレイラ神父を尊敬する2人の神父は、どうしてもこの情報は信用できず、
師の不名誉を晴らしたいと願い、途中で出会ったキチジローの案内で日本に潜入します。

2人の宣教師、ロドリゴとガルペは、隠れキリシタンたちに歓迎されます。
しかし、日本のクリスチャン迫害・拷問は想像以上に激しいものでした。
若く理想に燃える2人の神父は、殉教を恐れはしないと意気込んでいました。

2人が考えた迫害は、自分自身の受難でした。
どんな苦しみを受けても神への信仰を貫いてみせると彼らは思ったのでした。

しかし役人が考えた効果的な迫害は、宣教師が棄教しないと、
既に棄教した日本の信者たちを、拷問し続け、殺し続ける、というものでした。

神父の1人は、殺されそうな信者を助けようとして、自分も死んでいきます。
残された神父は、穴吊りと呼ばれる拷問を5人の信者が受けるのを見せられ、
お前が棄教しないと、この拷問は終わらないと言われるのでした。

尊敬していた神父、フェレイラが棄教したのも、同様の選択を強いられた結果でした。
フェレイラは、自分が拷問されて苦しさのあまり棄教したのではなかったのです。
拷問される日本人の信者たちのうめき声を聞き続け、必死に神に祈りました。
しかし神は拷問される信者たちを救ってくれません。

耳の後ろに小さな穴を開けられて逆さ吊りにすると、
血が少しずつ出るので、頭に血が上って死ぬのを防ぎ、なかなか死ねません。
信者たちは、あまりの苦しみに、棄教しますと言うのですが、
宣教師ロドリゴが棄教すると言うまで、拷問は続きます。
宣教師自身がキリスト教を捨てたという事実が、クリスチャンの力を奪うのに効果的だからです。
信仰を貫く宣教師を拷問して、宣教師が殉教したら、逆効果だからです。

フェレイラは弟子であったロドリゴに言います。
拷問を受けるあの人たちを救うことができるのはおまえだけだ、
キリストがこの場にいたら、あの人たちのために、迷わずに転んだだろうと。

ロドリゴは踏み絵を踏みました。
その時、イエスの声を聞いた気がしました。
踏むがいい。お前の足の痛さを、この私が一番よく知っている。

ロドリゴには平和な生活が保障されました。
江戸で死んだ男の名前を受け継ぎ、死んだ男の妻子を受け継ぎ、
しばしば棄教の宣誓書を書かされ、踏み絵を踏まされましたが、
一切抵抗はしませんでした。

あらすじだけ書いても、結構な時間になりました。
そろそろ寝ることにします、続きはまた後日。