FC2ブログ

2016年11月07日

        

「トイレで排せつする人」に留まれたことの安心感は大きいのかも

category - 日記
2016/ 11/ 07
                 
昨日、複雑な気持ちだという日記を書きました。
結果としては、シュウトメちゃんは、トイレで排せつする権利をゲットしただけでなく、
頭がしゃんとしてきて、本当にトイレで排せつできることの重要性を感じました。
ボケの進行を心配していた、私もオットも大助かりだったのです。

先月帰宅した時に、ボケのために大変だったことを思うと、
シュウトメちゃんの脳がしゃんとしたのを感じました。
それで余計に複雑な気持ちになりました。

シュウトメちゃんが、何か月もトイレに行きたいと訴え続けなかったら、どうなっていたのかな。
自分はもう立てなくなって、施設にいるのだから、
その自分をトイレで排せつさせる介助は大変すぎてできない、と言われたのだから、
それは運命と思って受け入れるしかない、と受け入れていった結果、
生きる意欲も失って、ボケが加速していたかもしれません。

多分、私だったら、断り続けられても、3か月も4か月も毎日、
トイレに行きたいと言い続けられそうにないので、そうなるんだろう、
迷惑かけたくないと思いつつボケが進んで、周囲はより大変な介護になるんだろう、
そんな風に想像したら、やはり想像とは言え凹んだのでありました。
トイレで排せつする権利は、周囲に負担をかけても死守するべきものなのかもと思いました。
根性なしの私にできるんだろうか。

私はかつて、末期がんで亡くなった両親の看取りをしてきました。
最後の日々は、両親ともおむつになりました。
体力がなくなって立てなくなったので、父の時は母が、
母の時は私が、おむつにしようねと言いました。

最後の入院中だった母は、私がそう告げた時、一言、「そうか」と言いました。
それまではベッド横のポータブルトイレで用を足していました。
一度もおむつは嫌だということなく、それから間もなくホスピスに行きました。

看護婦さんはベッド上で上手にお湯で洗ってくれて、おむつ交換をしてくれました。
その光景が頭にあったので、シュウトメちゃんとの反応の違いに驚いたのですが、
母の場合は本当に体力的に弱っていたのも大きかったでしょう。
シュウトメちゃんは、まだまだ気力も体力もあるのに、歩けなくなっただけ。
末期がんの介護の日々とは全く違った介護の経験をしています。

立てることと立てないことの間には大きな違いがあります。
ほんの2秒間でいい、手すりにつかまって立っていられたら、
トイレに行くのに、あまり問題はありません。

ウエストゴムのズボンと紙パンツがさっと下げられる時間が2秒かな。
上げる方は2秒では足りないけれど、便座→車椅子→ベッドと移動させますから、
ベッドで寝てから修正可能なのです。
大事なのはお尻の後ろ側の紙パンツと尿取りパッドがちゃんと上がっていること。
その部分も修正可能ではありますが、ちょっと大変なのです。
でも、立てないというのは1秒だって無理なんですよね。
2秒立てる人は「立てない」なんて言わないしね。

動けなくなった時のことは動けなくならないと理解できないと思います。」
昨日の日記へのコメントにあったこの言葉はまさに至言で、
末期がんで弱っていく時の気持ちなど、そうなってみないとわからないし、
立てなくなって、トイレでしたいのにおむつを付けられて、
トイレは無理だと言われた時の気持ちだって、そうなってみないとわかりません。

案外、「無理じゃない!2人で介助してくれれば出来るからそうして!」と、
シュウトメちゃんの例を知っているだけに、余計しつこく言い募るかもしれません。
自分では我慢強いんじゃないかなんて思っているけれど、
「koalaばあさんは昔からわがままで諦めない人だったよ」なんて言われてたりしてね。(笑)
だって、ボケが進むかどうかの瀬戸際かも知れないと思ったら必死になるでしょう?
シュウトメちゃんの場合は別にボケの心配からの主張ではなかったでしょうが、
私は生々しい実例をこの目で見たので・・認識が変わりました。

考えたら末期がんの母は、おむつにしてねと言われた時、
ボケの心配なんかしていなかったと思います。
死が近づいている、という状況で、それがわかっていたと思います。
身体が少しずつ不自由になって老いていくのと、末期がんでは、
同じ「おむつをつける」ことだって、きっと全然違うんですよね。

「迷惑をかけるとか、そういう問題と言うより生理的に出ないのかもしれませんね」
このコメントも、本当にその通りだと思いました。

シュウトメちゃんは、7月中旬から8月中旬まで入院していて、
入院中はほぼ毎日おむつでの排便がありました。
施設に入所したら、小はおむつで出ていましたが、大が出にくくなってしまいました。

「入院中は1か月間おむつで出ていたのに」というのはこちらの理屈です。
シュウトメちゃんにとって、病院は生活の場ではない特殊環境だったわけで、
それが、施設という「生活の場」「日常の場」に移行した時に、
同じように大もおむつで出来るでしょ?というのは暴論だったのかも。

緊急入院という急激な変化に、シュウトメちゃんは脳が追い付かなかったので、
大がおむつの中で出ているのに「おむつではできない」と言い続けていました。
できないと思い込んでいたのでしょう。
退院して施設に入ったら、本当に大が出なくなってきたというのも、
腹筋が弱まって重力の助けが必要になってきたという理由のほかに、
このまま「おむつの人」になっていくのに必死にNGを出していたのかもしれません。

後はスタッフさんの雰囲気もあると思います。
病院の看護婦さんは、そんなことやっていられませんので、
クールにNOを告げ続けたと思いますが、施設のスタッフさんは違ったと思います。
慣れない施設に入っておむつでは出ないと訴え続ける入所者さん。
クールにNOなんか言えないに違いありません。
それはシュウトメちゃんもかんじたのでは。

たとえおむつや紙パンツを付けていても、それは間に合わなかった時のため、
本来はトイレで排せつすることができるんだというのと、
完全におむつだけの人との間には、深い溝があるのでしょう。
脳がすっきりしたのは、トイレで排せつする人に留まれたことの安心感があるのかも。

100歳越えが珍しくない、今の時代、老いるのも大変です。
私が自分に責任をとって生きられるのは何歳までなんでしょうか?
出来たら、少しだけ子供に介護をしてもらってから死にたいんですが。

介護に限らないですけど、親に死ぬ前に何かしてあげられたというのは、
看取る側の心を癒すと思います。
もちろん看取る側の性格によりますが、うちの子たちはそうかなと。(親の欲目)
介護が長引くとうちの子たちはすごく疲れそう。(この辺は欲目ではないのよ)

ボケの介護、少し先月経験したのですが、とにかく疲れます。
その疲れを人に経験させないためにも、トイレ問題が起きてきたら粘るべきなのかも。
うんと先に起きるかどうかもわからないことで迷うなんてあほらしいですが。(爆)

ちょっと考えさせられただけ。(笑)
目の前の生活に一生懸命取り組むのが普通のありかた。
仕事にちゃんと集中して、家も、少し(すごくと書けないやる気の欠如が見える)きれいにして…
            
スポンサーサイト