FC2ブログ

2016年05月06日

        

目の前にあるたくさんの当たり前は、豊かな人生のギフト

category - 日記
2016/ 05/ 06
                 
オットはまだ義姉に電話していない様子なので、
2人の義姉は、シュウトメちゃんの帰宅日を知らないと思います。
一昨日も昨日も、電話してよ~とせっついたので、オットは少しへそを曲げました。

せっついたと言っても、「義姉たちは出来たら一緒に来たいのだから、
計画を立てるために早めに電話したほうが親切でしょう?」と柔らかく言ったのですが。
あ、でも、「嫌味言われたくないから。その席にいないあなたは平気でしょうけど」とも言った。(笑)
多分、今日明日くらいに電話することでしょう。

私から見ると、少しでも早く知らせた方が、義姉たちが計画を立てやすいのは明らかで、
どうせ電話するのだから、遅らせる意味が分かりませんが、
本人にはいろいろ思いがあるのでしょうし、私に言われて電話するのが嫌なのでしょう。
義姉たちが来るのに、こちらから来てくださいという感じになるのが嫌なのかも。
いずれにしろ、私が立ち入ることではないと思いました。

連絡が遅いと、義姉たちは来た時に、ちくっと一言言うことがあります。
義姉とシュウトメちゃんのお茶にお付き合いする際に。
私はそれが嫌なんですが、オットはその席にはまず座らないので、わからないんですよね。

連絡するのはオットの役目ですから、私がそういう一言に反応する必要はないのです。
責任外のことですから、涼しい顔でスルーしていればいいだけ。
でも私は過剰反応してしまって、「ごめんなさいね、わかった時点で〇〇(オット)には
伝えたんですけど、義姉さんたちに電話するのが遅れたんですね。」と答える時に、
一切動揺しないでいい、私に責任はない、と頭では思うけど、少し動揺してしまうの。(苦笑)

でも、そういう自分から、卒業したいと強く思ったので、今回は大丈夫でしょう。
謝る必要もないけれど、謝らないと義姉はカチンとくるでしょうから、謝っておいた方が無難。

本当にね、全然大したことではないんですけどね、
オットがすぐ電話すればもやもやしないのにという視点で文句をブログに書きました。
オットにはオットの、義姉たちには義姉たちの、シュウトメちゃんにはシュウトメちゃんの、
それぞれの立場、視点からのもやもやがあるのですから、
自分のもやもやを優先すべきだなんて、言えた義理じゃないんですよね。



koalaさん、また愚痴?と言われるのも嫌なので(笑)、弁明しますと、
これは単に事実を書いただけで、愚痴のつもりはありません。

どこが違うのかな~、私の頭の中で?と考えましたが、
被害者意識とか、不幸感の問題じゃないかなという結論に達しました。
今のところの結論ですけど。



こうだったら、私は快適な気持で暮らせるのに、ということしか起きない人生。
そんなものはこの世にはないと思っています。

この条件が整ったら、もっと快適なのに・・・という思いが、
365日24時間、全く浮かばない人がいたら、悟っているのでしょう。
その人は、「快適な条件」を思う、などというレベルにいないということですしね。

この世は、たくさんに人生が満ちています。
今この世で、というだけでなく、人類が生まれてからこれまでの、
たくさんの人生に起きたストレス、という視点で、自分の人生を眺めると、
こんなに恵まれていて、本当に有難いという思いが湧いてきます。

そう思ったとき、私の快適さのマイナス点ごときで、自分が特別な被害者だの
不幸だなどと言うのは、全く間違っている、という実感が湧きます。

逆説めきますが、自分は特別な被害者であり不幸だ、と感じる人がいるのも、
その人がそれほど苦しい気持ちだという事実を語っているだけで、
苦しみの当事者でない視点から、その気持ちを否定する権利もないのでありました。
ただ、その愚痴の聞き役に選ばれたら(爆)、聞きたくないのでこういう対策を、という
自由も権利もあると思います。自由とか権利とか、大げさな表現だなぁ。(笑)



小さなことなんだけど、人生なんて小さなことの積み重ねじゃないですか。
もちろん、大きいドカン!としたこともたくさん起きるけど、
当たり前だと思っているから小さなことに思えるだけで、
それを失ったら、あるいはそこから脱却できたら、それは大きなドカン!になりますよね。

家族が健康で行ってきますと出かけて行くのが当たり前なら、それは小さなこと。
事故とか病気で、苦しい、痛い、という事態になれば、それは大きな悲しいこと。
逆に、苦しい、痛い、というのが続いて、当たり前になっていた家族が健康になれば、
それは、やった~!と叫びたくなるほど、大きな素敵なこと。
そういう外的な条件に動揺しないのが多分悟っている人?
(謎ですが。私は別に悟らなくていいですし。)

私はシュウトメちゃんの帰宅関連で、少しストレスはありますが、
介護できる健康と体力と環境があることを有難いと思っています。

当たり前と思うと、小さなことなんですけどね、
当たり前なんかじゃない、と思うと、大きなことになります。

今日は自転車で仕事に行きます。
平和な家と職場があって、双方で働けるというのは、当たり前なんかじゃない。
そう思うと、いつもの庭の景色も、きらきらして一層きれいに思えます。
花が咲き、木の葉が風にそよぎ、鳥が飛んでいます。
死んじゃったら、見られなくなるかもしれません。
(死んだことないので、断言はできませんよね。おお、怪しい!笑。)



シュウトメちゃんは3日後に帰ってきますけれど、
家はいいなぁとまた何度も言うことでしょう。

施設に入らずに家にいた時は、文句ばかり言ってましたが、
それは家にいるのが当たり前だったから、なのかもしれません。

家にいるのが当たり前で、杖で歩けるのが当たり前だったときには、
ここがこうだったらいいのに違う!と頭に来ていたことがたくさんあったんです、きっと。
そういう「家で暮らすことが当たり前の日々」が過ぎ去って、
もう手に入らなくなった今は、帰宅すると、「家はいいなぁ」とため息のように声が出るほど
いいところに思えるのでしょう。

私は、両親をがんで看取っていますが、両親が元気でいるのが当たり前だった頃のことを、
何度思い浮かべて、あの元気な両親と過ごせた日々はよかったと思ったことか。
当たり前に自分の足で歩いていた両親。
それが有難いことだなんて知りませんでした。だってその頃は当たり前だったんだもの。

みんな死に向かって進んでいて、当たり前を少しずつ、あるいは一気に失っていく存在。
目の前にあるたくさんの当たり前は、なんて豊かな人生のギフトであることか。

本当は当たり前のことなんて、何一つないに違いないと思う朝。
            
スポンサーサイト