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2016/03/29
2016/03/23

2016年03月

        

佐野洋子さん 死ぬ気まんまん

category - 日記
2016/ 03/ 31
                 
絵本作家でエッセイストの佐野洋子さんの遺作です。
エッセイの「死ぬ気まんまん」に築地神経科クリニックの平井理事長との対談、
ホスピスに入った時の「知らなかった」なども収録されています。



「私の家族は私の目の前で、スコンスコンと何人も死んだ。
昔は皆、病院は家で死んだ」と佐野さんは書いています。

3歳の時、生後33日目の弟さんが、鼻からコーヒー豆のかすのようなものを
2本流して死んだそうです。病院に連れて行く間もない急死でした。
自分も小さすぎて、死んだ弟である赤ちゃんの顔も覚えていないと言います。

8歳の時、4歳の弟タダシくんが死にました。
その頃、お母さんにはもっと小さな子がいたので、佐野さんは
タダシ君の子守係で、ほとんど母親のようだったと言います。

死ぬ前々日、佐野さんはタダシ君を連れてレンゲ畑にいて、
レンゲの花を積んでは、タダシ君に握られましたが、
いつもそれを喜ぶタダシ君は、その日は笑いませんでした。
家に帰ろうと手を引くと、タダシ君が動こうとせず、強く手を引いてもしゃがみ込んだので、
仕方なくおんぶすると、背中がすごく熱くなりました。
高熱が出ていたのですが、8歳の佐野さんにはその意味がわかりませんでした。
この時も、村に医者はおらず、2日後にタダシ君は死にました。

その翌年、佐野さんのお兄さんが寝込みます。
その時は、川向うに、疎開していたお医者様がいたそうです。
大雨で川が氾濫する中、子供だった佐野さんが、夜中の2時に、
1時間以上かかる真っ暗な山道を、医者を呼びに行ったそうです。
この話に私はとても驚きました。
9歳の娘に、真夜中の山道、それも大雨で川が氾濫している中、
1人で医者を呼びに行かせるって・・・
医者を呼ぶどころか、佐野さんに何か起きたら娘も一緒に失うことになるのに?

医者を夜中に呼びに行ったのは2度で、2度目の時、お兄さんは亡くなったそうです。
佐野さんは、毎日、お兄さんと手をつないで寝ていました。
毎晩、繋ぐ手がないのにはっと気が付いて、お兄ちゃんは死んだんだ、と思い、
私は兄ちゃんが死んでいることを毎晩忘れているのだとぎょっとしたと言います。
長男を亡くしたお母さんのために泣いてくれる人はいましたが、
毎晩手をつないで寝ていた兄を失った妹に同情する大人はいませんでした。

コロコロ目の前で人が死ぬと、死は単純で当たり前のことになって行きました。
恐ろしいとか、怖いとか、思わなくなったそうです。
大雨の真夜中に真っ暗な山道を走ったことで、あの時のことを考えれば、
どんな暗いところも軽く思え、暗いところが怖いこともなくなったそうです。
「私が泣くときは、悔しい時だけになってしまった。
悔し泣きは何か開放感がない」と書いています。



佐野さんは、乳がんになって片方の乳房を切除しました。
その後、大腿骨と脳の硬膜に転移したので、
硬膜の方はガンマーナイフで除去手術をしました。
その手術を担当した平井ドクターとの対談が載っていました。

乳がんのドクターには余命2年と言われたようですが、それを聞いた平井ドクターは、
2年じゃ逝きませんよ、転移が脳の中ならともかく、とおっしゃると、
佐野さんは、2年だっていうので、ホスピス代を残して
お金は使っちゃったから困る、なんて言ってます。
佐野さん、物欲とはほぼ無縁みたいですが、とてもきれいだと思っていた
イングリッシュグリーンのジャガーをポンと買ったりしていました。
平井ドクターに、死ぬ気まんまんで、仕事をしてもらわなきゃいかんと励まされ、
予定が狂うと言いつつ、仕事しなくちゃなんないねえとつぶやいているのがおかしい。

へえ~と思ったのが、遺伝子の話。
生物学的にいうと、例えばシャケでも、産卵する力のある間は、
遺伝子が、種族保存のために、遺伝子プログラムが壊れても治すのだけど、
産卵が済むと「はいご苦労さん」とそういうことがなくなってばたっと死ぬ。
人間も、遺伝子がちゃんとやってくれるのは50歳から55歳ぐらいまで。
遺伝子が、生存・生殖モードでプログラムされている期間が終わると、
社会的に世のため人のためには命は必要かもしれないけれど、
種族保存のためには、もういらないんですね。
だから遺伝子に守られない年代になると、個人差がものすごく大きくなる。

人の一生を生物学的に見ていくと、生まれて成長して自我を確立して、
生殖に励み、子供を産み育てる。
苦労して子供を育てて、ようやく楽になってくると両親が弱くなる、
それが済むと自分の番になる、そういうサイクルだけを考えると、
女性も20代で結婚して子供を産まないと、サイクルがうまくいかなくなってしまい、
病気になりやすい、現代人は、生物学的な掟から離れつつある。
この話なども、あくまでも生物学的見地に立っての摂理の話ですが、
生物としての幸せは、自然の摂理に合わせて精一杯生きることだというのは、
読んでいて、そうだろうなぁとすんなり腑に落ちました。

佐野さんの子供時代は大変な時代で、子供もころころと死んでいました。
きょうだいが目の前で何人も死んでいるので、
死が不条理であるのはわかっていました。

対談の中では、例えばいまオバマが死んでも、必ず代わりが出てくるように、
誰が死んでも世界は困らない、そう大げさに考える必要はない、
自分が死んで自分の世界が消えても、宇宙が消滅するわけではない、
そうガタガタ騒ぐなという感じがする、と言っていました。
子どもも育て上げ、親も看取った後の、病気による死が待っているという状況で、
もともと肝が据わっている佐野さんならではの名セリフです。
改めて、私も幸せな立場にいると感謝の気持ちが湧きました。
別に私は今、病気でも何でもありませんが、この先死の影がちらついても、
この子を残して・・・・とか、親に先立つ不孝を・・・という自責とは無縁です。



心臓がソーセージになって串刺しにされて火であぶり続けられている
脳みそに細い針を千本束にしてつっこまれ、ゆすぶり続けられている
体中に小さい火薬を仕込まれて、それがあちこちでぱちぱち爆発する
金づちで肋骨を粉々にされている真っただ中というのが延々と続く  などなど

佐野さんは、その痛みの比喩を読んでいるだけでぞっとするような状態の中、
病院に行きたくない、薬は飲みたくない、という思いになっていました。
そんなとき「のんちゃん」が、「すっごく素敵ですっごく優しい」先生がいると教えてくれました。
物が食べられなくなっていた佐野さんは、その病院に行って点滴してもらおうと思います。
素敵な先生の名前はアカワ先生でした。

先生は本当に素敵だったので、佐野さんは感動します。
アカワ先生の前で、佐野さんは安心感を感じていました。
そしてその時、もう何年も安心と言う心の状態を味わっていないことがわかりました。
「私 栄養失調になっていませんか。点滴してくれますか」
検査のために採血されながら、佐野さんは、考えてもいないことを口走っていました。
「入院できますか」
「今からすぐでもいいですか」
「入院しても、薬飲まなくていいですか」

結果だけ書きますと、そこはホスピスでした。
アカワ先生は80歳で、回診のたびに佐野さんは優しさに癒されました。
佐野さんは、食事を2/3くらい食べられるようになり、
2週間で、自分の意志で退院しました。
退院したいと思ったのは、食事が食べられるようになったからではなくて、
自然が異様に美しく見えて怖かったからでした。
夕日が、木の葉が、ゴッホの絵のように渦巻いて見えました。
狂死したゴッホは、あの輝くタッチを生み出したのではなく、
死と隣り合わせで、世界があのように見えたのではないかと思いました。
こんな美しい自然に吸い込まれたくない、と思って、退院したのでした。



元気に死にたい
立派に死にたい

本の中にあった言葉。
すごい人だったと思います。
            
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ナナちゃんのつぶやき

category - 日記
2016/ 03/ 30
                 
私の名はナナ。三毛猫です。

1週間前に、1晩お外で寝てから帰ったら、
またママが大騒ぎしてたらしい。
ナナちゃん、夜はお家にいなくちゃダメ、って言うんだけど、
猫は本来、夜行性なのを知らないのかしら。

春の夜はそれは素敵なの。
お家でママに抱っこされてる場合じゃないの。
それで一昨日の夜と昨日の夜、2泊外泊したんだけど、
ママだけじゃなくて、家の人が4人とも大騒ぎして、私の名前を呼んでた。
ナナちゃん,ナナちゃん、って。
私はもう子供じゃないのに、やめて欲しいわ。

今朝帰ったら、ナナちゃん、お帰り!って大サービスだったけど、
私はお腹が空いて帰っただけ。あとチャミュエル様に言われたから元気な顔を見せにね。

ごはんを食べて、さあ、また出るわ、ってママに態度で示したら、
ママはびっくりして、今日は家で大人しくしていなさいなんて言うの。
いやだわよ、そんなの。
出る出る出る~!って態度で示したら、ママは30分で諦めて出してくれた。
そういう人なの。わかってた。
今日もお天気が良くて、いい気持ち!



堤防に住んでいたところを保護主さんに保護されてから1年と2か月半。
美人の娘とふとっちょの息子がいたけれど、
今では2匹とも、とっても幸せに暮らしているらしい。

私もね、私にべたぼれの飼い主さんに可愛がられてて、
それなりに幸せなんだけど、お外も大好きなのよ。

この家に「おためし」とか言って連れてこられた時は、
家から出ちゃダメって、閉じ込められたの。

オモチャとかエサとかキャットタワーとかトンネルとか、
猫グッズが揃えてあって、優しくされたけど、
知らないところって怖いじゃない。
私のお気に入りの場所は、ベッドの下だったわ。

あと、保護主さんが、私の使っていた段ボールのおうちとミニ毛布を
置いて行ってくれたから、そこに籠ってた。

心の中は、外に出して~!出たい~って思ってた。
そんな時、チャンスが来たの。
玄関に潜んでいた時、ちょうど玄関のドアが開いたの!
今だ!って思って飛び出したけど、ママが悲鳴を上げてた。
そんなの知らないもん。

でも、お外は知らない場所で、真っ暗で。
隠れる所はたくさんあったから、私は隠れてじっとしてた。
その時も、みんなで大騒ぎして、ナナちゃんはこの辺を知らないの!とか言って。
誰のせいで知らないと思ってるのかしら?
お外は強い野良猫もいっぱいいて、怖いんだって。
確かに、この辺って、お外に猫がいっぱい。
でも私が生まれて育った堤防も、同じだったの。
そのことを、パパもママも知らないのよね。

そのうち、キャットタワーをガタガタやって、パパとママがお外に出してた。
ナナちゃんが帰ってくる目印とか言って。
私もちょっと寒くなってきたし、お腹もすいてきたから、
キャットタワーに向かって走ったら、みんな大喜びしてたわ。



あれから何度も外泊してるんだけど、そのたびにあの人たちは騒ぐの。
外泊どころか、数時間帰ってこないだけでママなんか呼びまわりに来る。
ナナちゃんは、帰りたくても帰れない状況にいるんじゃないか?!って言うの。

確かにね、1度はひどいオス猫に噛みつかれて怪我して、
舐めて治そうと思って隠れてたけど、
それは普通にある危険で、仕方ないじゃない。

あの時も、怪我が膿んだら大変なんだから!と言われて、
全然お外に出してもらえなかった。
ものすごくガードが固くて、スキを見つけて出ようとしても出られなくて。

怪我が治っても、もうおうちの猫になりましょうね、
お外が怖いってよくわかったでしょ、とママは言ったけど、
冗談じゃないわ、って私は思ってた。

ガードがゆるくなった時に、すごいスピードで脱出してみせたわ。
ママは「あっ!」って叫んだけど、ママ、自分がドンくさいの忘れてたのかしら。



ママは私が行方不明になると、なくしものを探してくれる天使のチャミュエル様に
ナナちゃんを家まで導いてください、お願いします、って祈るの。
前に飼っていた犬が行方不明になったとき、ネットで見つけたおまじないなんだって。

私、バカみたいとは思わないの。
だって、チャミュエル様、知ってるもん。
今朝も、もう帰らなくちゃだめよって教えてくれたの。

だから帰って、お腹もすいてたからご飯を食べて、
一回帰ってきたから安心したでしょ、お腹いっぱいだからまた出してって言ったら、
ママはびっくりして、少しゆっくりしていきなさい、って出してくれなかったの。
この話、最初にしたわねぇ。30分で諦めて、また出してくれたけど、
ママがブログを書いている間に、また帰ってきたわ。

ママは嬉しそうに、「おかえり」って言ってた。
いっぱい撫でるから、私もちょっと気持ちよくてぐるぐるって言って
しばらく家にいたけど、やっぱり春はお外!
出るわ、って主張したら、顔は曇ったけど、玄関を開けてくれた。

1年前から飼っている猫が2晩いなくなっただけでもこんなに心配。
監禁されていた15歳の女の子の親御さんは、
どれほど心配で苦しかっただろう、合同法要の時のあんじゅさんを見守ったあんじゅさんも・・
そんなことをママがつぶやいてる。
何の話かわからないけど、ママが私を愛してるのはわかった。
私もこのお家の人たちは好きだけど・・・とにかく私はお外で遊んでくるわ。


                         
                                  
        

美術館と桜

category - 日記
2016/ 03/ 29
                 
江戸中期の日本画家、伊藤若冲のファンですが、大混雑の美術館は苦手。
4月中旬から東京美術館で、それは素晴らしい若冲展が開かれるので、
最初は行きたい~!と思っていましたが、大混雑間違いないのに気後れし、
ネットで検索したら、もっとうんと小規模ながら、滋賀県の山奥で、
「鳥獣花木図屏風」(上の画)という大作も展示する催しがあるのを知りました。

これに行こう。
オットとの4月6~7日の一泊旅行の最初は滋賀の山奥のミホミュージアム。



しかし、私は調査不足でありました。
下の画像は、「樹花鳥獣図屏風」という作品なのですが、私が行く時はこれはないんです。
この「かざり」という特別展期間中は、ずっと、この2作品が展示されていると思っていたんですよ。
このポスター見たら、真ん中にある期間ずっと、この2作品が見られそうじゃないですか?

しかし、作品によって展示期間が違っていて、下の作品は3月13日まで!
ちなみに上の画も、4月24日までの展示です。

この2作品は枡目描きと呼ばれる、若冲が考えたらしい画法で描かれています。
1マス9ミリと言われていますが、細かい方眼が薄墨でまず描かれて、
絵に合わせた薄い色を塗って下地とし、それより濃い色を1マスごとに塗っていき、
その正方形の隅にもっと濃い色を付けて、必要な部分にはまた描き足す、
その方眼の数は膨大という、気が遠くなりそうな、手の込んだ画法です。
ドット画を江戸時代に予見してたんじゃないかと思ってしまいそうな画法。

見比べてみたい~!と思ってワクワクしていたら、よく調べてみると、
下の画は既にこの美術館にはなかったという、お粗末なお話でありました。
しかし、行く前に気が付いてよかったです。
ないの?!嘘おおおおお~!ってならずに済みました。(笑)
上の画だけでも充分楽しみですし、
下の画もいつか見る機会はあるでしょう。
こちらは静岡県の美術館の所蔵品ですし。

さて、美術館はまったくの私の趣味で、オットは付き合い兼運転手さん。
でも、江戸時代の天才画家の絵、見ておいて損はないんじゃないかと勝手に思ってます。

そして、このミホミュージアムって、宗教法人が大金をかけて作ったらしく、
敷地は広大で、建物の作りも何もかも凝りまくっているらしい。
建物は、ルーブル美術館のガラスピラミッドを設計したI.M.ペイ氏の設計。
私だけ満足しちゃ悪いけど、オットも楽しめるのでは。

その後は滋賀と京都でお花見の旅、と思っているのですが、
桜の見ごろ予報がどんどん早まるので、行き先が決まりません。
ミホミュージアムにもそれは素敵なしだれ桜がたくさんあるようですが、
ここは結構気温の低い土地で、例年4月中旬が見ごろなので、ちょっと無理かも。
満開ではなくても、咲いていたら嬉しいです。

最初の頃の予報では、京都の醍醐寺が旅行の日に5分咲きだったのが、
満開予報になり、散り始めになり・・・現在既に、満開近しとなっていますので、
ここに行くのはやめました。すごくきれいで、オットに見せてあげたかったんですが。
平安神宮も、哲学の道も、清水寺も、円山公園も旅行の時には散っていそうです。

代わりに、滋賀の三井寺や彦根城が、最初の予報では全然咲いていそうになかったのに、
今の予報では三井寺は満開、彦根城は5分咲きです。
そのうち、散り始めの予報にならないと嬉しいですが、どうでしょう。

滋賀も京都も、山の方に行けば、桜の時期外れるので、
チェックしつつ、直前に行き先を決めればいいかなと思ってます。
ただ、旅行は車で行きますが、桜の時期の京都は確実に駐車場に困るので、
車は駐車場に置いて、電車や地下鉄やバス、タクシーなどで観光するので、
直前にしろ、調べておかないと困るとは思ってます。

さくらチャンネルというサイトがありまして、全国の桜情報・予想がここで見られます。
皆さんのお近くでは、桜はどんな感じでしょうか?

                         
                                  
        

実家の両親の納骨堂法要の日でした

category - 日記
2016/ 03/ 28
                 
私の両親は、お墓ではなく、お寺の納骨堂に、
合同永代供養していただいています。

父が亡くなった時、近くのお墓に空きがありませんでした。
母は自分が自転車で行ける場所がいいから、そういうお墓の募集を待つと言い、
待っている間に、自分が末期がんになってしまいました。

お墓なんか作っちゃうと、koalaだけじゃない、孫たちに迷惑かけちゃうねと
母はお寺に相談して、それを決めたのでした。

毎年、春と秋のお彼岸には、合同法要をしてくださいます。
今日がその日でしたので、行ってまいりました。

朝10時からお経が始まり、その後、法話があり、
お食事が出て、午後からも法話があるのですが、
私はここ数年、午前中のお経と法話だけ出席して、
お食事と午後の法話は欠礼しています。
その代り、実家に行って、お仏壇にご挨拶してきます。
今日は、ご挨拶と言うより、実家の片づけに励んできました。



法話をしてくださる方は、いろいろ変わりまして、
今日は尼僧さまでした。
こちらでは尼僧さまのことを「あんじゅさん」と親しみを込めて言うのですが、
これって多分方言なのでしょうね。
字もどう書くのか・・・安寿さん?庵主さん?
まあどちらでもかまいません。ここではひらがなで書くことにします。

このあんじゅさんの身の上話が胸に沁みました。
最初に、穏やかな年上のあんじゅさんのお顔が映し出されました。
先代のあんじゅさんで、自分は後を継いだ、とおっしゃいます。
そして、私はこの人の養女でした、と語りだしました。

年上のあんじゅさんは、52歳の時に、幼女が欲しいと申請を出したそうです。
3歳くらいで、オムツが取れている、可愛い女の子が欲しい、と。
その条件に当てはまったのが、目の前のあんじゅさんでした。

あんじゅさんはこの女の子を、とても可愛がって育てました。
実の両親は生きていたのですが、子供を連れてきたお母さんに、
「成長していく姿を写真で送りますから、住所を教えてください」と言うと、
写真はいりません、と言って、それっきりだったそうです。
それではあまりにむごいと思ったので、女の子には、
両親が死んでしまったので、ここに来たんだよと教えたそうです。



女の子が小学生になると、意地悪な男の子たちがやってきて、
「捨て子、捨て子」とはやし立てに来ました。
ランドセルを背負った女の子を小川に突き落として、
「親が死んだって?そんなら証拠を見せてみろ、嘘つき。
や~い、お前は捨て子だぞ~。」

女の子は泣いて帰って、あんじゅさんに、私は捨て子なのかと聞きます。
あんじゅさんは、否定しながら、女の子が泣き止むまで、
あなたは大事な大事な子、と言って、女の子を抱きしめてくれました。

女の子は辛いことがあると、空を見上げるようになりました。
あの空の向こうに、お父さんとお母さんがいると思ったから。
私は負けないよ、頑張ってる私を見ていてくれるかな。
空の向こうにいるお父さんとお母さんは、女の子の心の拠り所でした。

あんじゅさんは、女の子に、お前は跡継ぎだとかいうことは、一切言いませんでした。
そんな事を強制したら可哀想だと思っていました。
大きくなって、尼さんになってもいいと女の子が思ったらそうすればいい、
女の子が仏教と深いご縁があったら、そうなるだろう、と思っていました。

女の子の方は、強制されないことはわかっていました。
ただ、後を継いでほしいだろうともわかっていました。
若い女の子です。頭を剃ると想像するだけで、胸が痛みました。

中学2年生の時、あんじゅさんが女の子に言いました。
これから進路の話も出るので、言っておかないといけないことがある、と。
実はお前のお父さん、お母さんが死んでしまったと話したけれど、
生きているんだよ、と教えたそうです。
そして、写真を送るから住所をとお願いしたが、断られたことも教えました。

このことが、どれほど女の子にとってつらい話か、あんじゅさんはわかっていました。
きっといつか、この苦しみを乗り越える日が来ることを信じていたそうです。
女の子は、今まで心の拠り所にしてきた「空から見守ってくれる両親」など
自分にはいなかったのだ、自分はいらない捨て子だったのだと知り、
すっかり荒れてしまいました。ぐれたんです。

金髪にして、ピアスの穴をあけ、学校に行かなくなり、無断外泊をしました。
生きていたくない、生まれなければよかったとリストカットを繰り返しました。
育ての親のあんじゅさんが、自分を大切に思ってくれることはわかっていましたが、
家に帰っても、顔を泣きはらす私を見た育ての親を悲しませるだけ。
家にいない方がいい、そんな風に思っていたそうです。

親にとって自分はいらない子だった、いらないからお寺に来た、
そして将来は丸坊主になる運命なのか、私の人生は一体何なの?

苦しんで、悲しんで、絶望に浸ってリストカットを繰り返した末、
女の子は、自分の運命を受け入れることが出来ました。
7年かかったそうです。

家に帰らない日々、あんじゅさんは、女の子はきっと自力で乗り越えて帰ってくる、
帰ってきたら「おかえりなさい」と言ってあげたいと、
7年間、女の子の無事を祈って、毎日影膳を供えてきたそうです。
そして、帰ってきた女の子に、7年経ってやっと「おかえりなさい」と言うことが出来ました。



弥勒菩薩様の手には、水かきがついているそうです。
誰一人、救いの手から、取りこぼさないために。
その話を別の所で聞いた女の子は、あんじゅさんに、
どうしてその話をぐれている自分にしてくれなかったのかと聞きます。

すべてのことに時があるから。
女の子は、どんなに苦しくても、自分で立ち直る時間が必要だったから、
その時が来る前に、何を言っても、耳に入らない、そういう答えだったそうです。

女の子は、成長して、今は37歳だそうです。
先代のあんじゅさんは、2年前に亡くなられたとか。
私は捨て子にならなかったら、あんじゅさんと出会えなかった、
仏法とも出会えなかったと語っていました。



そんな話を聞いてから実家に行き、お仏壇に手を合わせました。
それから、車に捨てるものを詰め込んで、ゴミ処理場に2往復しました。
ゴミ処理場は、4時までで閉まってしまうので、2往復がギリギリだったんです。

小さめの整理タンスも引き出しを抜いて捨てることが出来ました。
懐かしいものも、「ごめんね、今までありがとうね」と声をかけてごみ袋へ。
叔母の家の物もと思っていましたが、時間が全然足りなくて無理でした。
でも、明後日から2連休、人が職場で余っていたのでお休みをいただき、
実家と叔母宅に行って片づけに励むつもりです。

法話をしてくださったあんじゅさん、先代のあんじゅさんに、
こんな話を聞くご縁を頂いたことを感謝しました。


                         
                                  
        

高校時代のクラスメート4人で夕食会

category - 日記
2016/ 03/ 27
                 
高3の時のクラスメイト4人と、年に2回ほど会っています。
今回はカジュアルなイタリアンレストランで晩御飯をご一緒に。

クラス会はいつの間にかなくなってしまいました。
最後の幹事さんが誰だったのか、次の幹事さんが誰だったのか、
全然思いだせません。
担任だった先生は、今何歳なんだろう?どうしてるのかな?

前回会った時と大きく変わっていたのは、
メンバー4人のうち、3人は母親を亡くしていて、
たった1人ご存命だったお母さんが亡くなったこと。
もう「お母さんが生きている」メンバーは1人もいません。

そしてメンバー4人のうち3人は父親を亡くしていますが、
やはりたった1人ご存命のお父さんが老人ホームに入られたこと。
昨年までは1人暮らしをなさっていたのですが、もうそれが無理になりました。

そういう年なんだね、昔はぴっちぴちの女子高生だったのにね、と笑い話に。
子どもが20代後半だものねぇ。年を取ったはずよね。
4人のうち3人は、子どもがブラック企業に勤めた経験がありました。
サービス残業満載あり、パワハラあり。
その子供たちは、転職して、何とかブラックでない会社に勤められて、
本当によかったと安堵する3人のおばちゃん。

盛り上がる話題も、女子高生だった頃とは全然違いますよね。

本気で取り締まればなくせるのにこれだけブラック企業があるんだから、
日本の政治家が、若い人なんかどうでもいいって思っている証拠だよね。
自分の子がそこから逃げられたから、めでたしめでたしという問題じゃないよね。
保育園が足りないのも問題だけど、そもそも、子供が小さい頃でも、
お母さんが働かないと、生活が成り立たないことが問題なんだけどね。
家庭内の虐待や、学校のいじめで子供がどんどん死んでいるのに、
本気でそれを防ぐことに取り組まない政治家の感覚にはうんざりするね。

この頃、ホントに忘れっぽくなって・・・冷蔵庫にこれを切らしてた気がすると思って
買って来たら、この間買ったばかりのが冷蔵庫の中にあったの。
そんな話で、私もそれやっちゃった、なんて盛り上がったり。

高校卒業してから37年経ったんだって!嘘みたい。(図々しい?)
思えば、お母さまを亡くした友人は、高校生の頃から主婦業をしていました。
お母さまは、若くして脳梗塞で体が不自由になったのでした。

私は、自分の介護生活32年は長い!と思ってしまうのだけど、
この友人は40年以上の介護生活の末、お母さまを看取ったのでした。
さらっと、自分の親だもん、などと友人は言うけれど、
責任を持たねばならない期間が長いと、人間、疲れるんですよね。
愛情があったって、大変だったと思います。

人生、山あり谷ありっていうけれど、こんなに谷がいっぱいあるなんて、
若い頃には知らなかったよね、とみんなでアハハと笑いました。

本当に、人生にはマサカの坂があります、なんていう言葉は、
結婚式の陳腐な常套句だとしか思っていませんでしたが、
あれは言う方は本気だったのね、と理解できるおばちゃんたちになりました。
クラスメートだった高3の時を思うと、みんな成長したよね。
魂も、しわの数も、ウエストのサイズも、みんな立派に…(爆)

また会おうね、と言ってお別れしたのは夜の10時過ぎでした。
集まったのは7時なので、3時間しゃべってましたね。
次に会うのは半年後?
その時も、みんな元気に笑いあえますように。

                         
                                  
        

読書 さだまさし「かすてぃら」 その2

category - 日記
2016/ 03/ 25
                 
その1の話から1週間後、刑事がお父様を訪ねてきました。
別件で挙げたチンピラが、お父様を脅したことを吐いたので、
恐喝罪でもっと上の奴を挙げたいのだ、というのが刑事さんの気持ちでした。

「佐田さんが怖かった、って一言言ってくれなったら、連中ば挙げられるとです。
夜中に車の中で脅かされたとでしょう?怖かったでしょう?

ところが、お父様は「怖かったでしょう」にカチンとくる性格をしていました。
ただでさえ権力が嫌い、特に官僚が嫌いなのに、「怖かったでしょう」はまずかったんです。
「全然怖くなかったですな」
「怖かったとはあの連中の方じゃなかですか」

刑事さんは、事の成り行きに気が付いて、
「いや、嘘でいいとですよ。そう言うて貰えるだけで悪かとば挙げられるとですけん」
「あんたは、正義の警察官のくせに人に嘘ば言えって言うとですか!」
「佐田さんは肝の不とかですねぇ」
「すみませんばってん、私は性格上、怖くもないものを怖いとは言えんですけん」

刑事さんは呆れて帰っていったそうです。

それからさらに1週間ほど経った頃、突然チンピラが家に来ました。
お父様が留守だとお母様が告げると、出直してきました。

「失礼します」「失礼します」と何人もの改まった挨拶の声がして、
その後ろから、紋付き袴の男性が入ってきました。
4斤のカステラの箱を漆塗りの大きな盆の上にのせて捧げ持っていました。
正座した紋付き袴の男性は「小林組の小林一郎と申します」と言ったそうです。
ヤクザです。

お父様が警察に怖かったと言っていたら、あの時助手席に座っていた男性が、
何年か喰らうことになったらしいですが、それがこの親分の義理の弟だと言います。

お父様を訪ねてきた刑事さんは、その後、助手席の男性に、
お父様の言葉をそのまま伝えたらしいです。
命拾いしたやっか、次はなかぞ、と付け加えて。

その話を伝え聞いた小林親分はいたく感激し、お礼に来たということでした。
「これまで相当脅しに掛かったのに、水に流して貰うた挙句、
怖かったとはあの連中やろう、と言いなさった侠気に私は惚れたとです」
「お菓子は有難くいただきますばってん、こげんことはこれきりにしてください」

小林組の親分は、その後、若い衆を1人だけ連れて時々家に訪れ、
その時は必ずカステラを持ってきたそうです。



他にもいろいろなエピソードが載っていましたが、こうやって書きだしていて、
死後に残るのはこういうエピソードなのだと改めて気が付きました。

こういうことがあったね、あの時お父さんはこうしたね、
こんなこと言ってたね、こんな風に思ったんだろうね、っていうエピソード。
同じエピソードでも、その人との関わり方によって、
違う視点で語られることでしょうね。

私は子どもたちの記憶に、どんなエピソードを残すんだろうか?(爆)
子どもたちの目から見たエピソードと、私の記憶の中にあるその出来事は、
視点が全然違うんだろうか。そうかもしれない、なんて考えてしまいました。



愛すべきキャラクターのお父様ですが、自分のだんなさんだったら・・・
冗談じゃない~!と思う女性が多いのでは。

映画作りに夢中になって、息子に28億の借金を背負わせてしまうんですよ。
保証人になって逃げられるのを繰り返して借金まみれになるんですよ。
女房子供を置いて、いきなり数か月帰ってこないことがあるんですよ。
チンピラがお金の取り立てに来るんですよ。
おまけに、帰ってこなくなる前に出かける際に、生活費、置いていってくれないのですよ。
チンピラ相手に蛇行運転して、失敗して自分も死んだら、
それはそれで仕方ないって思っちゃうんですよ。

かなり大変な人と結婚しちゃいましたね、さださんのお母様。
あまり好みの男性ではなかったらしいです。
お兄さんと佐田さんがお友達で、佐田さんに見初められ、
お兄さんの強い勧めで結婚したらしいです。

大変でも、大事な「うちのお父ちゃん」だったに違いないと思います。
社長夫人でお金持ちになったのに、水害で財産を失って貧乏になった中で、
子供にご飯を食べさせて、学校に行かせてという、
佐田家の普通の暮らしを、一生懸命に支えてきたお母様を想像すると、
やっぱりね、肝が据わってる方だったんじゃないかと思います。

私の年代では「無縁坂」の印象が強いのですけど、
ため息をついても、後ろだけは見ちゃダメと自分に言い聞かせるあたり、
依頼心の強い女性には思えません。



全編に、昭和のにおいが色濃く漂っていて、
昭和の時代の、家族の絆というものを改めて感じました。



                         
                                  
        

読書 さだまさし「かすてぃら」 その1

category - 日記
2016/ 03/ 25
                 
さだまさしさんのお父様はカステラが好物だったそうです。

昔は、長崎に住んでいても、カステラは高価なものだったので、
自分たちがおやつに食べるために買うものではなかったそうです。
カステラを買うのは、贈り物とか、お祝いとか、そういう特別の時だけ。



ネタバレ記事ですので、読む予定で内容を知りたくない方はスルーしてください。

コンサートの合間にお父様が危篤となって駆け付けたさだまさしさん。
いったん持ち直し、しかしやはり危篤となって亡くなるまでの間、
さだまさしさんは、コンサート会場と故郷の病院を行ったり来たりしながら、
お父様を見舞うのでした。

さだまさしさんといえば、映画での借金。
詳しいことを書いたサイトを探したら見つかりましたので、
興味のある方はクリックしてみてください。


映画「長江」の撮影費がかかりすぎたため、借金が28億円。
金利を含めると35億円の借金を、20代後半で背負ったさだまさしさんですが、
中国はお父様が第2次世界大戦で戦った土地でした。
(おじいさまは、中国大陸で活躍したスパイだったとのこと)
上のリンクにはそう書かれていませんが、「かすていら」によると、
お父様は思い入れのある中国での映画製作に夢中になって、
息子の稼いだお金を惜しみなく注いでしまった・・・らしいです。

前向きで、豪胆で、男気たっぷりだったお父様ですが、
そういうご主人を持ったお母様はかなり大変だった様子です。
さださんの幼少期はお父様の商売はうまくいき、社長一家でお金持ちでしたが、
昭和32年に諫早水害があり、そこで木材財産をすべて失い、負債を負い、
さださんが7歳の時に、会社はつぶれて貧乏になりました。

お父様はそれで暗く落ち込む人ではなかったですが、材木の仲買の仕事に出ると、
数か月家に帰らないこともあり、その間の生活費を置いていくわけでもなく、
チンピラのような男が、借金取り立てに来たりもしていました。

「常にポジティブであったことだけは確かであるが、家族には困った人であった」
本の中の言葉ですが、その通りだったことと思います。



お父様の豪胆さが良くわかるエピソードがいくつもありました。
見くびって切れるまで怒らせたら止められないお父様。

実に子どもっぽいエピソードがありました。
坂道駐車して、違反切符を切られたお父様は、道は広い!と反論します。
勾配の急な下り坂は駐停車禁止だと警官は説明します。
上り坂はいいのだけれど、下り坂は禁止で、お父様は下り坂に停めていました。
成程、と納得したのに、悔しかったみたいなんですね。

「貴様が寝小便垂れている頃、私はお国のために命を捧げて戦っていたんだ。」と言いだします。
想像しただけでも困ったちゃんです。(笑)
しかしそのおまわりさん、免許証を見て、気が付きます。
「ひょっとしてさだまさしさんのお父さんですか?」
指摘されてしどろもどろになるお父さん。
警察官は黙々と書類を書きました。お父さんは別れ際に警官の名前を聞きます。
交通課の田中巡査でした。

翌日、お父様が同じ坂道に行ってみると、下り坂に5台の違法駐車がありました。
公衆電話で「交通課の田中巡査」を呼び出しました。
昨日の件でとても反省して、昨日の場所に来てみたら、5台も違法駐車がある、
待っていますから、すぐに来てください」

それが1度で済めばまだ可愛いのですが、お父様はそれを何度もやったそうです。
市民からの通報があれば、警官としてはすぐに行かねばなりません。
それで駐車違反は激減したらしいですが。(笑)
毎週、警察署に電話があるのです。
ある日、私服の田中さんが、カステラの箱を持って、佐田家を訪れます。
「お父さん、私、この度浦上警察署に異動になりました。」
「ああ、そうですか。じゃあ、今度は浦上署に電話しますから」
「いやいや。私、交通課を離れましたので、もうお電話いただかなくても結構ですので。」
「まあ、そう言わず連絡しますから」
「いや、もう、本当にいいですから」
2人は大笑いしたそうです。

田中さんはお父様の悪戯心に気が付いていて、お父様もぼちぼち可哀想になり始めたところで、
人のいい田中さんは、お父様のそんな茶目っ気が嫌ではなかったようでした。



ホントにね、お父様のエピソードはみんなマンガみたいです。

当時、長崎市郊外の土地をお父様が管理していた時のこと。
不動産売買の資格がないお父様は、直接の売買ではなく、
斡旋する管理人の役をしていたのでした。

そんなある日いい話が舞い込んできました。
実直そうな不動産の社長さんが来て、家を建てて売りたいが土地がない、
お父様の管理している土地にその不動産屋さんが家を建てて、
土地と家を込みで売ることにしたい、という申し出があったのです。

お父様は賛成して、その土地に豪邸が建ちました。
ところが、不動産屋との間には、証文を交わしていませんでした。
この社長は最初からお父様をだますつもりで話を持ってきて、
家だけ買ってくれる人を見つけて家を売り、
なし崩しに土地を安く手ばなすしかないように事を運んだのでした。

「あんたは約束したっていうばってん、なんか証文のあるとですか?
そんげん話は何処行っても通じらんですばい」
「子供じゃあるまいし、あんまり幼稚なことは言わんがよかですよ。
恥かきますばい。」

完敗だ、と思ったお父様は、「成程。ばってんそれでは私も困りますけん、
あの土地ば買うて貰えませんか」と下手に出てお願いしました。
「買わん」
「あんたがあの家主に頼んで買うて貰えばよかですたい。
何なら、私が間に入って頼んでやってもよかですばってん、手数料は高かですばい。」
「家は私が作って売ったばってん、土地のことは知りませんなぁ。
ああたが管理しとられるとやったら、ああたが自分で煮るなり焼くなりしなさったら?」

契約書もなしに話を勧めた自分が迂闊だったと思いつつ、
その土地の持ち主のがっかりした顔が浮かび、悶々としたお父様ですが、
「手数料ば高かですばい」と言い放った社長の顔が気に入らない。

家を買った人はまだ引っ越しをしていませんでした。
お父様はアイデアが浮かび、建築法に詳しい友人に相談し、建築法に触れない形で
土木業者を呼び、豪邸の周りを囲むように幅2m、深さ3mのお濠を掘りました。
引っ越し準備をしていた買主は、それを見て驚いて不動産屋に駆け込みました。
「佐田さん、あんた、なんちゅうことをしてくれたとね」
「この土地はね、ご承知の通り山でしょうが?高台に家を建てとりますけん、
汚水処理に困っとるとですたい。」
「ちょうどあの土地は余暇場所に有るとですもんねぇ。
あそこに穴ば掘ってこの町内のうんこばゼーンブあそこに溜めることにしたとですたい」

翌日、不動産社長はまたお父様の所へ訪れて頭を下げましたが、
お父様は簡単に決着をつけないと決心していました。
「あの家ば買うた人の身になってくれんですか。第一どげんして家に出入りするとですか」
「橋でもああたが架けてやれば出入りは出来ますばい」
「肥水の上で生活せろって言うとね!」
「大きな声出すなら負けんぞ!!」
「まぁだ今は深さは3メートルしか掘っとらんばってん、おいから20メートルは掘るとっ!
土地はわしの勝手だあああああ」

半泣きになった不動産屋さんに、お父様は、どうしても言わなければいけない言葉を言いました。
「子どもじゃあるまいし、あんまり幼稚なことは言わんがよかですよ。恥掻きますばい」

不動産屋さんが持ってきたおわびのカステラを投げつけるように突っ返したそうで、
大好物のカステラを受け取るのを拒んだのは、お父様の人生で最初で最後だったとか。

その土地は結局、「相場の倍で売ってやった」そうです。



お父様は、基本的にお人よしだったんでしょう。
友人の借金の保証人になって逃げられるということも1度や2度ではなかったそうです。
普通、1度騙されれば懲りると思うのですが、普通じゃないので仕方ないのか・・・
借金の取り立てのチンピラが来た時に、仕事で不在と言うことも多く、
そのチンピラの態度があまりに恐ろしいときは、子どもを抱えたお母様は、
電報でお父様に帰ってきてくれと連絡するのでした。

電報で帰宅したお父様に3人のチンピラが近づいてきました。
「佐田さん、〇〇商事です。ちょっとこっちの車に乗って貰うて良かですか」
「あんたの車に乗るとは嫌ですな。あんたたちが私の車に乗りなさい」
押し問答がありましたが、一番落ち着いた男が言いました。
「ああ、それでも良かよ。静かに話の出来る所が良かねぇ。茂木の方に行かんね」

お父様は3人のうち2人はまだガキだが、落ち着いたのは本気だな、と思います。
その町金には、借りた以上の額を既に支払っていて、利子があまりに高利で、
借りた額の5倍払えと言うので、無視してきました。

「私らも仕事ですけん、嫌な事ば言いとうなかとですよ。察してくれんですか」
「わたしゃ感の悪かですけん、はっきり言わんですか」
「あんた、命の危のうなりますばい」
「わたしゃどっこも身体は悪うなかですけん、まあだ命は大丈夫ですけんご心配なく」

こんなやり取りが続き、「わいは家族の可愛うなかとか!」と刃物を顔に当てられました。
「黙って聞いとけば頭に乗ってこのチンピラが!わしはな、生命はちーっとも惜しゅうないんじゃ。
何べんも戦争で死にかかっとるんだ。よおし、一緒に死のうか」
お父さんはそう言って、一気にアクセルを踏み、狭い道でハンドルを海側に切りました。
断崖絶壁で路肩もなく、助手席は崖側、助手席には一番落ち着いた男が乗っていました。

「死ぬのが怖かとはお前らじゃろうが!よし死のう!覚悟はよかか、このヘタレが!」
「じょ、冗談さ。佐田さん落ち着かんですか。冗談って」
「何が冗談か。人の生き死にの話が冗談で済むかバカタレ。」

チンピラたちは謝ってきますが、お父様は腹をくくっていました。
蛇行運転を繰り返し、間違って落ちたらそれはそれでいいと思っていたそうです。
男たちが折れたので帰ることにしますが、帰路の運転も、猛スピードと蛇行を繰り返しました。

千円札で1万円分のお金を出し「わしはもう1文もない、それが最後たい。
あんたらも手ぶらで帰れんやろうけん、それで勘弁しなさい」
「あんたたち、頼むけん、そげん、貧乏人ば虐めなさんな。みんな苦労しよるとばい」

このエピソードには後日談があるのですが、もう仕事に行く支度をしないと。(笑)
また続きを書きますので、良かったら読んでくださいね。


                         
                                  
        

土曜の夜、高校時代の友人と会います

category - 日記
2016/ 03/ 24
                 
明後日、26日は夜に高校時代の友人たちと4人でお食事会です。

ブログには書きませんでしたが、本当はもっと早い時期に会う約束をしていて、
しかし、友人の一人のお母様が亡くなって、延期になっていました。

お母様は、施設から救急車で運ばれて、危篤になりました。
いったん持ち直した後、しばらく快方に向かっていましたが、
友人とのいい時間を過ごした後に、急変して亡くなられました。

親を亡くすのは辛いものです。
お母様が亡くなったのが、老人ホームから病院に搬送されてすぐにではなく、
持ち直して、意識も戻って、友人がしばらく毎日通ってからというところに、
友人とお母様が、この世でのご縁の最後を一緒に過ごせたことに、深い救いを感じました。



明後日は土曜日で、本来は私は仕事が休みなのですが、
ちょうどその日、職場は人手不足で、翌日は人手少々過多だったので、
お休みを変更しまして、その日は出勤です。
駆けつけるから、先に始めてて~とお願いしてあります。
夕方は道が少し混むので、私の職場から夕食会場まで車で1時間くらいです。

カジュアルなイタリアンレストランなのですが、実家のすぐ近くで、
私の両親がお世話になった病院とホスピスから歩いてすぐ、という場所にあります。
いろいろ感慨深い場所で、レストランの名前を聞いてから、
よく病院やホスピスでの事を思いだして両親を偲んでいます。



今回、お母さまを亡くした友人は、ずっと前にお父様を亡くしています。
私も、別の友人も、すでに両親を亡くしていて、
最後の1人も、お母さまを亡くしていますが、お父様は健在です。

高校時代、親が生きてるなんて当たり前で、親のワルクチなども言っていた私たちですが、
4人のうち、肩親が生きているのが1人で、他はみんな両親ともいないなんて、
そういう年代になってきたんですね。
高校3年の時の同級生なんですけど、あれからもう37年経ったなんて。

お父様が御健在の友人は、長野県に嫁いでいるのですが、
1人暮らしのお父様が、施設には入りたくないとおっしゃるので、
近くに住むお姉さまが日ごろ面倒を見ていてくれるので、
友人は隔週で通っているのです。
優しい娘が2人いて、このお父様は幸せですよね。



土曜日、オットは会社の仲間とお食事会ですが、
歓送迎会とかそういうのではなくて、気の合う仲間と時折、
「肉を焼く会」という名前の会合(爆)を持って、焼き肉屋さんへ行くんです。

子どもたちにはご飯は各自と言ってあるので、もしかして作るかもしれませんが、
多分外食してくるんじゃないかな。
長男も長女も、今は親が元気で当たり前と思っています。
それはとても幸せなことなんだよと、心の中でちょっと呟いてみたりして。

でも、逆は不幸なのかと言うと、そういうわけではありませんね。
親と子のつながり方にはいろいろあるというだけ。
一番良くあるパターンが、親はずっと元気で、年寄りになって少しずつ弱って、
病気で死んでしまうというパターンだというだけのこと。

うちの両親はそうでした。少しずつではなくて、急激に弱ったパターンでしたが。
オットの場合は、高校生の時父親が亡くなり、その後に母親が半身不随になって、
少しずつ弱っていくというパターンでした。
いろんなパターンがあるけれど、この間の良寛さまの言葉のように、
自分にとってそれは「ちょうどよい」のでしょう。

お前はお前でちょうどよい。
顔も体も名前も性も、お前はそれで丁度よい。
貧も食も親も子も息子の嫁もその孫も、
それはお前に丁度よい。

幸も不幸も喜びも、悲しみさえも丁度よい。
歩いたお前の人生は悪くもなければ良くもない。
お前にとって丁度よい。

地獄へいこうと極楽へいこうといったところが丁度よい。
うぬぼれる要もなく卑下する要もなく上もなければ下もない。
死ぬ日月さえも丁度よい。

お前はそれは 丁度よい。


                         
                                  
        

ナナちゃん、帰ってきました

category - 日記
2016/ 03/ 23
                 


ホントにね、当たり前みたいな顔で帰ってきました。
だから怖い目にはあっていないのではと思います。
自分の意志で帰ってこなかったって言うことなんでしょう。
ドラ娘のナナです・・・。
                         
                                  
        

ナナちゃんが帰ってきません

category - 日記
2016/ 03/ 23
                 
こういうタイトルで日記を書くの、何回目なんでしょうか。
「帰ってきました」という日記を早く書きたいわ・・・。

ナナちゃんは22日の夜、帰宅しませんでした。
家の近くを名前を呼びながら一周しましたし、
自宅前では何度も名前を呼びましたが、帰ってこない・・・。

昨年も何度か、そういうことがありまして、
1度は怪我をして帰ってきて可哀想でしたが、
他は翌朝、ケロッとして帰ってきました。

外に出る権利を主張するナナちゃんに合わせているわけですから、
リスクは承知で、そういうことがあるかもしれないと覚悟は決めています。
前にナナちゃんに噛みついて怪我させたボス猫は、また噛みつくかもしれませんし、
追われて逃げた先に車が走ってくるかもしれません。
確かに覚悟は決めているのですが・・・元気で帰ってきてねと祈っています。
ナナちゃんの生き延びる力を信じるしかありません。

今、夜中の2時10分です。
どうも眼が冴えてしまう私は小心者なのでありました。