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2016年02月01日

        

田口ランディさん  アルコール依存症でDVのあったお父さんの看取り その2

category - 日記
2016/ 02/ 01
                 
今日は叔母の通院日でした。
糖尿病、高血圧、高コレステロール血症、検査の値は安定していて、
増やしてはいけない体重もやや減少傾向。
車椅子での通院ですが、今年の冬は暖かいためか、
足の痛みが少ないようで、車から車椅子、あるいはその逆、
またトイレの便座使用のために、立ち上がる場面でも、
立ち姿勢に安定感があって、介護しやすくて助かりました。

ランディさんの看取りの本の話などブログに書いているので、
頭に看取りがスポッと入っているのでしょう、
ありがたいことに、まだピンシャンしている叔母を見ても、
私はそのうち叔母を看取るんだな、シュウトメちゃんも看取るんだな、なんて
連想で思ってしまうのでありました。



地球に生まれてきて、あたえられた宿題をぜんぶすませたら、
もう、からだをぬぎ捨ててもいいのよ。
からだはそこから蝶が飛び立つさなぎみたいに、
たましいをつつんでいる殻なの。
ときがきたら、からだを手ばなしてもいいわ。そしたら、
痛さからも、怖さや心配からも自由になるの。神様の
お家に帰っていく、とてもきれいな蝶のように、自由に・・・
                                                                     
      がんの子どもへの手紙から   
            エリザベス・キューブラー・ロス


両親を看取りましたが、うちの両親は、まあ、普通の両親でした。
シュウトメちゃんと叔母は、一癖も二癖もあるタイプ。
看取りの時が来ても、感覚は違うだろうなぁと思いました。
感覚は違っても、重いことには変わりありません。
死におびえ、死から遠ざかりたいと願い、死んでいくまでを見守る、
それが看取りなのですから、軽い看取りなんてないのでしょう。

しかし、ランディさんのように、一家を地獄に落とした犯人のような
お父さんを看取るとしたら、私だったら、どんな気持ちになるのだろう・・・・。



DVというのは、本当に卑劣な行為だと思います。
昔も今も、たくさんの子供たちや配偶者が犠牲になり、
子供が虐待で死んだという悲惨なニュースはなくなりません。
事件が報道され、詳しいことがわかってくると、
周囲からの通報があったりして、救い出す可能性があったことがわかります。

自分の人生が思うようにいかないからといって、自分より弱い立場の人間を
これでもかと痛めつけるなんて、卑劣過ぎるとニュースを聞くたびに
誰しもが思うけれど、それでも、虐待事件はなくなりません。



ランディさんとお兄さんは、小さな頃から、船乗りの父親が帰宅するたびに、
突然父親が怒りだして母親を怒鳴り続けたり、殴ったり蹴ったりする姿を見てきました。
自分たちも罵られ、母親と家を逃げ出して、夜中に歩き回ったりしてきました。
特にお兄さんは、直接の暴力の被害者でもありました。

お兄さんが父親を恨み、心が壊れ、引きこもりになり、
妹や、多分大好きだった母親にまで暴力をふるう自分にも絶望し、
真夏の締め切った部屋で餓死していくほどに生きる気持ちを失くしたのは、
明らかに父親のせいであり、殺されたも同然と思います。

息子をこんな形で失ったお母さんがどんな気持ちだったか。
打ちのめされているお母さんに、お前のせいだと責めたて続けたというお父さん。
本を読んでいて、この人は鬼畜だと思いました。

私が看取る立場だったら、家族に本当にすまないことをした、
お母さんを苦しめた、息子を苦しめた、娘を苦しめた、
せめてそのことをしっかり自覚してから死になさいよ!と思ったかもしれません。



ただ、この本の中で、精神科の医師が、アルコール依存症について、
一度依存症になってしまうと、自分の意志では止めることは出来ないと
語っているのを読んで、少し気持ちが変わりました。

お兄さんは、適切な保護の手があったら、死なずに済んだというのと同じくらい、
このお父さんも、適切な治療を受けられたら、断酒できたのかもしれないのでした。
DVは防げたかもしれない、本人も鬼畜になどならなくて済んだかもしれない、
ご家族もあれほどに苦しまずに済んだかもしれないのでした。

日本にはどれくらいアルコール依存症の親がいるのでしょうか。
自分の意志では止められない病気。断酒で封じ込めるしかない、
一滴でもまた飲んでしまったら、また始まってしまう、完治しない病気。

どれほどの子供が、奥さんが、DVに苦しんでいるのでしょうか。
精神の安定も、生きる意欲も奪われて。

適切な治療とか、適切な保護とか、言うのはたやすいけれど、実際はとても難しい・・・。



1月4日にランディさんのお父さんは亡くなりました。
ランディさんは死に目に間に合いませんでした。

その日は北海道から「浦河べてるの家」のソーシャルワーカー向谷地さんと、
精神科医の川村先生が、ご家族でお父さんのお見舞いに来てくださる日で、
ランディさんは、北海道からのお客様たちをお迎えする準備をしていました。

浦河べてるの家は、精神障害などを抱えた当事者の活動拠点で、
日高昆布を売る会社であったり、グループホーム・ケアホームがあったり。
向谷地さんも川村先生も、アルコール依存症に着いてはプロ中のプロで、
2人の助言はずっとランディさんの心の支えだったそうです。

でもお父さんは、飛行機が羽田に着いたあたりで息を引き取ってしまいました。



お通夜の夜も更けて、弔問客も途絶えたので、ランディさんは、
遠路はるばる来てくれた人たちと、通夜のお酒を交わしました。
本から引用した部分を青字にしてあります。

「父の最後はとても静かでした。アルコールの離脱症状から痴呆症になり、
一時は何もかも忘れてしまっていたのに、夏の間は心も体も回復し、
一緒に穏やかな日々を過ごすことが出来ました。
いつしか父は、つきものが落ちたようにきらきらした清々しい顔になり、
私が見ても神々しいようでした。こんな美しい顔を見たこともない、
そういう顔をしていてせつないほどでした。
痛みが出てモルヒネの点滴を始めてから、やはり意識は混濁してきましたが、
でも12月29日の夕方、いきなり目明けて、私を呼ぶと私の耳元で呟いたんです・・・」

みんなが神妙に聞いているので、私は思わず吹き出してしまった。
「父はね、私に、お前は最低最悪の女だ、って言ったんです。」

一瞬の沈黙の後、大爆笑になった。
「そりゃあ、実に立派でまともなアルコール依存症だ、たいしたものだ、
さすが田口ランディの父親だ」
川村先生はそう言って、大絶賛してくれた。

「これだけやってきた私に、最低最悪の女だ、ですから・・・」
「いや。アルコール依存症の人というのは、これでもかこれでもか、と
相手を試すんですよ。これだけひどいことを言っても、見捨てられない。
それを確認したいがために、どんなことでもするんですよ」



依存症の人たちは、淋しくて淋しくてたまらないそうです。
だから家族がかまってくれなくなると酒を飲んで騒ぎを起こしたりします。
シュウトメちゃんみたいだわ・・・お酒は飲まないけど、レベルは違うけど、小さい騒ぎは起こす・・・

「でも父はそのあと遺言を残したんです。私に最低最悪の女だ、って言ってから、
おもむろにベッドの上に座り、これから遺言を残すって・・・」

「もうお迎えが近づいているらしい。頭がはっきりしているときに、
お前たちに遺言を伝えたいって。私と、夫と、そして孫娘に、
それぞれに言葉を残したんです。そして、語り終えると、疲れた、以上。
そう言ってベッドに横になって、その後はもうほとんど会話はできなくなりました」

「几帳面な人だねぇ。そしてちゃんと三が日を生きて正月明けに死んだんだね。
ほんとうに、実にまっとうなアルコール依存症だな。
アルコール依存症の人は真面目で几帳面だからねぇ。
あんまり几帳面過ぎて疲れちゃって飲んじゃうんだよ。」

「そうねぇ。肝臓が弱いともっと前に肝硬変とかでへたるんだけど、
お父さんは大したものだったねぇ。肺がんからの転移だものね。
あんがい自制しながら計算して飲んでいたんだろうね、いや立派だ。アル中の鑑だね。」

父は酒を飲むことで他人に避難されることは多多あった。
しかし、こんなにアルコール依存症として讃えられることはなかったろう。
さぞかしおもはゆかったことと思う。父の通夜にはもってこいの弔問客であった。


お正月の3が日は火葬場がお休みなので、もしその間に亡くなったら、
遺体をドライアイスで冷やすことになっていました。
ランディさんは、遺体を冷やすことに抵抗を感じていて、
出来たら3が日明けまで頑張ってほしいと思っていたそうです。
29日の夕方に遺言をすませてから、お父さんはほとんど会話が出来なくなっていて、
いつ亡くなっても不思議ではなかったですが、ランディさんの願い通り3が日明けまで頑張りました。

ランディさんのお父さんは、どうしようもなく家族を不幸にした人だと思います。
あまりにも常道を逸したお父さんだったので、私は鬼畜のようと書きましたが、
正常な時は、常識のある、優しいところもあるお父さんなのでした。

看取りの時に、そういう素のお父さんにランディさんが出会えたことで、
本を読んでいた私はホッとしました。
美談だとは思いません。ひどい父親でひどい夫だった人だと思います。
でもランディさんの立場になったら、死んでいく親とは、和解したいじゃないですか。



アルコール依存症の親を持って生きていくことは大変なことですが、
アルコール依存症の当事者として生きて行くことも大変なことです。
もちろん、自業自得なんですけど、病気なんですよね。

DV被害にあっているひとたちが、適切な保護を受けられますようにと祈るとともに、
病気の人が、適切な治療を受けられますように、と祈りました。
そういう祈りの気持ちは、この世で生きる上でのことですけれど、
そういう現実の世界を超えた世界で、ランディさん父娘がわかりあった気がしました。

通夜の会話には、お父さんという人を、丸ごと受け入れる感覚があります。
長男と奥さんをとことん追い詰めた、非道なお父さんであっても。
最後の最後まで娘を試すお父さんであっても、丸ごと。

北海道からの弔問客さんたちは、長年、たくさんの総合失調症の患者さんや
その御家族と関わってこられたので、腹が据わっているのでしょう。

「パピヨン」は、ロス博士の言葉とお父さんとのエピソードが、
シンクロしていて、同時進行でちりばめられているので、
その大事な部分は、私のおおざっぱな書き抜きでは伝えきれませんが、
本の中から少し抜き書きしてみます。

人はみな違う。すべての人とうまくやることはできない。
その葛藤の中にこそ人生の学びがある。
そのことを、ロスは繰り返し繰り返し、私たちに教えようとしている。
でも、そんなこと誰が聞きたいだろうか。
真実なんて、知ったら苦しいだけだ。
皆が耳を塞ぐから、彼女はTシャツにプリントしたんだろう。

私は大丈夫でない。あなたも大丈夫ではない。だからそれで大丈夫。


「パピヨン」を書いている最中に、ランディさんはご友人からメールを受け取ります。
10年間いっしょに暮らした愛犬ココを亡くしたというメールでしたが、
庭に出た時、愛犬の黒いふさふさ毛によく似た蝶がまとわりついてきたので、
「あなたココでしょう?」と声をかけると、なおも蝶はぐるぐるとまとわりついてきたと言います。
息子さんは、さっきからずっとその蝶が庭にいたと言い、ココだと思ったそうで、
(エピソードはもう少し長いのだけど割愛します)この話をココの飼い主さんは、
複数の親しい友人にメールで送りました。

そうしたら、送った友人たちから、同じような蝶体験の話が続々届いたとか。
ランディさんが、今、蝶についての本を書いているので、
お友達の蝶体験を知りたいとお願いすると、たくさんの転送メールが届いたそうです。

ランディさんは、ロス博士が繰り返し述べていた「シンボリックな言葉で語る」というのは、
まさにこのことではないか、と思います。

どうやら私たちは意識せずとも、日常的に蝶を巡って「シンボリックな言葉」で
会話をしているのだ。蝶にまつわるシンボリックな言葉は
年齢や性別、国籍を問わずに通じる。その思いがちゃんと相手に伝わる。
それを「ウソ」や「思い込み」と頭で判断し、解釈さえしなければ、お互いの心が通じ合う。
その時語られていることは、真実。
見えない世界を感知した人間だけが語る真実なのである。

パピヨンはいわば媒体だ。私たちを違う意識レベルに導いてくれる媒体。
あの蝶の不安定な飛び方、不思議な美しさ、羽ばたき。それを見ていると
私たちは自然に変性意識状態へと導かれるのだ。
寓話的な夢の世界、英知の海であるアカシックフィールド、宇宙の意志とつながる場所へ。
蝶を見た瞬間に、誰もが知らずに夢の世界に入っている。
それがユングの言う「元型」の持つ力だ。夢の世界では心は現実の制約を逃れて自由になり
活発に活動し始める。常識ではありえないことを察知し、予感する。
既成の考え方に縛られている日常的な状態から、経験を気づきに至らしめる変性意識状態に入る。
それによって、あまねく宇宙に遍在する情報が意識に流れ込むのだ。
蝶は私たちを見えない世界と繋いでくれる媒体。
そのことをロスは察知し、蝶の力を使って死にゆく人たちの心を解放したのだ。
ロスは嘆いていた。医療が肉体だけを対象とすることを。
精神科医もまた医療と同じロジックで患者を対象とみなし分析しようとすることを。
そして願った。パピヨンを使って人の心を開放する知恵を、全ての医療者が手にすることを。

                              (田口ランディさんの解釈です)
この引用文章は好き嫌いがとても別れることでしょう。
いいの、koalaさんって、変わり者だから。(爆)

長いことひっぱりましたが、ランディさんのパピヨンについてのブログはこれでおしまいです。

            
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田口ランディさん  アルコール依存症でDVのあったお父さんの看取り その1

category - 日記
2016/ 02/ 01
                 
その2で終わると思います。(多分)
著書「パピヨン」が胸に沁みたので、書きました。


ランディさんのお父さんは、アルコール中毒で、DVがあったそうです。
しらふの時は礼儀正しく、借金もなく、義理堅い人で、
だから仕事も続いていた、それなりには自分をコントロールできた人とも言えます。

船員さんだったので、家にいない時間も長かったですし、
優しいときは優しかったそうですが、一旦怒り出すと止まらず、
彼女自身は暴力は振るわれなかったものの、お母さんとお兄さんが
ひどい暴力と、長時間にわたる言葉の暴力を浴びるのを見て育ってきました。

5歳くらいの時、母親と夜明けに橋の欄干から川を眺め、
生きるのに疲れた母親に「一緒に死のうか?」と聞かれたりしています。
ランディさんは、おかあさんが可哀想だ泣いた記憶があるそうです。
お母さんは大らかで人情に厚く、ランディさんはお母さんに感謝していました。

そのうち、お兄さんが家庭内暴力で暴れるようになり、
ランディさんにも情け容赦なく、殴る蹴るの暴力が繰り返されました。
お兄さんを精神病院に連れて行こうとするのですが、
お父さんがみっともないと大反対をして、できなかったようです。

その後、お兄さんは引きこもった末に餓死という壮絶な死に方をしました。
真夏の締め切った部屋での餓死はどんな状態だったことか。

生きている間、お兄さんは、父親をずっと恨み、憎み続けました。
ついには母親まで憎んで、暴力を振るい、引きこもって、
真夏の部屋で1人餓死していったお兄さん。

そのお兄さんの死で、お母さんが苦しんでいるのに、
このお父さんは、おまえのせいだと妻を罵倒し続けました。

そんな中、離婚したいというお母さんの言葉を聞いたランディさんは、
母親が全く父親を理解していないことに愕然とします。
もしランディさんが母親を引き取ったら、お父さんはランディさんの
ご主人とランディさんを恨み、家の周りをうろつき、
酔って迷惑電話をかけ続けるだろうというのが、ランディさんにはわかりました。
離婚で遠ざけようとするなんて、火に油を注ぐようなものだと。
それをお母さんが理解していないことにランディさんは驚いたのです。

そして、お兄さんもそうだったのだと理解します。
ランディさんにはお父さんが少し理解できる、
お父さんは過剰なのだ、そして自分も、そこまで行かないがやはり過剰なのだ、
似ているから理解できるところかある、と感じます。

お母さんはお兄さんの死後2年経って、病気で亡くなりました。
脳出血の後、植物状態になって亡くなったのでした。

頼るのは、ランディさんだけになったお父さんは、
酔って毎晩嫌がらせの電話をかけ、ランディさんの性格と人間性を罵りました。
ランディさんのご主人への嫌がらせは結婚当初からあり、
事あるごとにご主人を軽蔑してみせるのですが、
それがランディさんを怒らせる一番の手段だと知っているからでした。

そんな中でランディさんは娘さんを育てていました。
実家の家族を思うと、生はあまりにも残酷で無意味に思えました。
でも、娘さんは、ものすごい力で光り輝きながら生まれてきました。

ランディさんは混乱の中、本当の世界とは何なのかという自らの問いに答えるため、
小説を書きだして、作家になったということです。



ここまでで十分に壮絶な話なのですが、ランディさんにはまだ
お父さんを看取るという仕事が残っていました。

始まりは唐突でした。
お父さんは船員を辞めた後、庭木の剪定の仕事をしていました。
仕事中は飲まないでとランディさんはくぎを刺し、お父さんは飲まないと言いますが、
ランディさんにはそれが嘘だとわかっていました。

お父さんは、庭木の剪定中に脚立から落ち、第1、第3腰椎を骨折します。
整形外科に入院するのですが、アルコール依存症の禁断症状が出て、
絶対安静の身体なのに、奇声を発して徘徊します。
病棟は大混乱になり、病院から出て行ってくれと医師に懇願される始末。

落下による内臓の損傷を調べる中、がんが見つかります。
お父さんは、腰椎骨折で整形外科、がんで内科、アル中で精神科の治療が必要ですが、
とりあえず、みつかったがんについて、検査しなくてはいけません。
肺がんで、すでに肝臓に転移していて、ステージ4の末期、余命半年。
この病院では、お父さんを大人しくさせるために強い向精神薬が出されたらしく、
意識レベルが低下し、よだれを流し、排せつも食事も一人ではできなくなっていきます。
ランディさんは必死で転院先を探します。
神奈川県銃の病院に電話をかけ、頼み込み、断られ続けて。
その.頃のお父さんは、認知症が進行し、自分の名前も言えなくなっていたのでした。

医療コーディネーターの尽力もあり、山深い精神病院に転院できたお父さんは、
スタッフが精神的に不安定な患者になれている病院で、
2,3日で、立てなかったのが歩けるようになり、食事も一人でとれ、
失われた記憶も回復し、自分の現状を認識できるなど、急速に安定していきました。
1ヵ月ほどで、アル中の離脱症状が完全に抜け、閉鎖病棟から解放病棟へ。

しかし、がんの方は進行し、脇腹の痛みが出てきました。
がんは肝臓にいくつも転移が見られ、ついに痛みが出たのだとわかります。



精神病院への転院に尽力してくれた医療コーディネーターの方が、
お父さんの病状が進んだときのために、ホスピスを探しておいてくれました。
そこに転院するためには、がんの告知をしなくてはいけません。
お父さんには、末期どころか、まだがんというこも伏せてありました。

そんなある日、仏教の勉強会で僧侶でもあり心理カウンセラーでもある方と知り合い、
いろいろアドバイスをいただく中、こんなことを言われます。
「お父さんのことを一番思い、お父さんの痛みや辛さを、一番感じているのは
あなただと思うの。その娘から告げられるのであれば、
お父さんはきっと嬉しいと思う。だってやっぱり辛いことだからね」

そんな風に考えたことはなかったランディさんでしたが、
自分はこの世界でただ一人、お父さんの存在の喪失に苦しむ人間だ、と気づきました。

私以外に誰がいるだろう。私が父を憎んでいようと愛していようと、
これほど父に執着し、父のことで悩んでいる人間は他にいないではないか。
私は唯一の肉親であったのだ。それだけでも、私が告げる意味がある。

さんざん罵り合い、喧嘩してきたけれど、父が死の悲しみを分かち合えるのは、
この私しかいないのだ。かつて私は誰かにとって、そのように
苦しみを分かち合える他者になったことがあるだろうか。

母が死んだときも、兄が死んだときも、自分が母や兄の苦しみを分かち合える
存在だと気づけなかった。けれど、そうなのだ。
どんなに私が家族を嫌っても、呪っても、冷淡で涙すら流すことがなくても、
私は彼らの家族であり、その喪失に心を痛めるのは、この世に私しかいない。
ただそれだけでよかったのだ。

この時、初めて私は自分のほんとうの気持ちに気がついた。
多分、この10年の間、私はずっと悔やんでいた。
兄、母、家族の死に対して何もできなかった。冷淡だった、
未熟で救えなかった、現実から逃げた・・・と。

ランディさんは、お父さんに告知しました。
「うすうすは気が付いていた。そのことはいつかお前と話してみたいとは思っていたんだ。
そうか、しょうがないなぁ、いままでめちゃくちゃなことをやってきたから、自業自得だな」
そう言って、ぼろぼろと涙を流し、鼻水をすすったお父さん。

ランディさんは肩の荷が下りた気がしました。
これから、死までの道のりを、お父さんと一緒に歩いて行こうと思ったのです。

ところが、2日後に病院に行くと、お父さんは告知のことを
きれいさっぱりと忘れていたのでした。
ランディさんは、もう一度告知するなどということはきつすぎてできないと感じます。
主治医の先生と婦長さんに会って話をしましたが、
人間はどうしても認めたくないことは忘れてしまったりすることがあり、
精神科の外来に来ている人にもそういうことは起きる、
お父さんは自分ががんであることを認めたくないのだし、自分で受け入れるようになるまで、
そっとしておいてあげていいんじゃないか、と言われます。

再告知はしないまま、「痛みを止める専門家のいるところに行こう。
急だけどベッドが空いたというから、空いているうちに行かないか?」と誘って、
お父さんはホスピスに転院します。



もう仕事に行かなくちゃ。その2をまた書きます。