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2015年12月13日

        

叔母の老後をしみじみ思った日

category - 日記
2015/ 12/ 13
                 
昨日は叔母の老人ホームの忘年会でした。
施設長さんは、ひょうひょうとした雰囲気の気さくな方で、
カラオケで、大げさに「おふくろさん」を歌って、場を盛り上げてくださいます。(笑)
スタッフの方たちも一生懸命なのがとても伝わってきて、いい雰囲気でした。

叔母はこういう行事は嫌いなんです。
1人で参加させるのは可哀想で、毎年付き合っています。
別に、苦虫をかみつぶした顔で参加しているわけではないんですが、
こういう行事にために頑張っていてくれるスタッフさんの努力を理解し、
感謝はしていて、時には少し楽しい瞬間もあるのですが、
こういう行事はやはり苦手~と顔に書いてある感じ。

シュウトメちゃんはこういう行事が大好きなんですけどね。
自分は幸せなんだ、大事にされているんだと、周囲によって実感しないと
不安になってしま脆さがシュウトメちゃんにはあります。

シュウトメちゃんの施設でのメインイベントは夏祭りなんですが、
その日はちょっと都合が悪くて行けない、ということがあった年に、
一日中辛くてたまらずに死にたかったとか、大騒ぎしました。
他の人は全員家族がいるとか、そんな風ではないのですよ。
付き添いのない人もたくさんいて、ボランティアさんが付いてくれます。
それでも死にたくなるんですね。

行事に家族が付き添わないのは、大事にされていない証拠で、
自分も周囲にも、それが露呈してしまう、という感じ。
不安なんですよ。自分はいらない人間なんじゃないかって。

だから、実母が末期がんで大変だったとき、シュウトメちゃんの病院送迎を
タクシーにしてくださいと頼んだときにも大荒れしました。
嫁が送迎してくれないでタクシーで通う姑というイメージが、
シュウトメちゃんには耐えられなかったんだと思います。

同居していてタクシーで通うなんて、何を言われるかわからなくて嫌だと言うので、
「そんなの、自分から、嫁のお母さんがガンの末期で大変らしくて、
そばにいてあげなさい、タクシーで行くから私は大丈夫、と嫁に言ったんだよとでも
知り合いに言っておけば、それがちゃんと噂になりますよ。
おばあちゃんの株が上がるってもんですよ」
私はそう言ったんですが、言い訳にしか思えなかったみたいで、
義姉たちに愚痴電話しすぎて、大騒ぎになったことがあったっけ。

叔母は多分にシニカルなところがありまして、
みんな、老人ホームで幸せだよね~という雰囲気には
全く賛同したくない、芝居じみてる、と感じるタイプだと思います。
今の叔母は言葉で理解しあうことができないので、勘ですけど。
元々、自分がどうしたいのかということと、どう見えるかをはかりにかけたら、
断然したいことを選ぶタイプだったと思います。

個人行動が好きで、一人旅が好きで、ずっと一人暮らしだったので、
集団行動の多い老人ホームには合わないんでしょう。
でもそれも考えようで、そういう強制的な集団行動の場面があるから、
孤立しないで、それなりの人間関係の中で生きていられるんですよね。
叔母は集団行動が性格に合わないだけで、人間嫌いではないんです。
1人暮らしは危険というだけでなく、いろいろな人間関係の中で暮らすという意味でも、
叔母のこの老人ホーム入居は正解だったと思います。



叔母のいる老人ホームは、2階建てのこじんまりした施設で、
現在の入所者は21名。
今年で開設10周年の新しい施設です。

叔母は自宅で転倒、骨折して、大きな病院に救急車で運ばれ手術しました。
それまでも、脳出血と脳梗塞の既往症があり、
それぞれで後遺症を負っていましたし、その後別に大きな骨折もしていて、
1度目の骨折の際も、施設へという話が出たのですが、本人が断固拒否、
仕方なく、週5回ヘルパーさんが通うことで、自宅に戻しました。
その自宅での転倒、骨折で、車椅子の身になったのでした。

手術した病院でのリハビリの後、転院してくださいとのことで、転院。
転院先の病院でも、リハビリをしていただきましたが、
残念ながら、車椅子生活は確定で、時期が来れば、当然退院してくださいと言われます。
病院でもうすることはないので、転院ではなく施設へということになりました。

リハビリのできる老健で、私の自宅から近く、シュウトメちゃんも利用していた施設に
お願いして、その老健に入所しました。
老健では、洗濯物を持ちかえって洗って運ぶのは家族の役目で、
片道1時間弱の病院へ通うのは大変でしたので、私は楽になりましたが、
知り合いの全くいないところへ移動するのは、
不自由な体と言語障害を負った状況の叔母には辛かったようで、
かなり情緒不安定になり、怒りっぽい叔母でした。

言語障害がひどいというのは、かなり辛いことと思います。
自分の思ったことが話せない、伝えられないんです。
叔母は話し上手な人でした。

元々とても努力家だった叔母は、言語訓練のリハビリも真剣にやっていまして、
言語訓練の先生には、そこそこ理解できたようなのですが、
普通の人の耳には、叔母の言葉は言葉として認識できないのでした。

耳はいいので、相手の言うことは全部わかり、言語訓練の先生なら
理解してくれた言葉を話すけれど、それは全く理解してもらえない。
これはかなり辛いのは理解できますが、どうしようもありません。

右半身の麻痺が重いので、左手で筆談ということも可能だと思いましたが、
なぜか左手であまり字が書けないのでした。
左手の機能部分ではなく、左手で字を書くのに使われる脳の部分の損傷が
あるのかもしれないと思いますが、叔母の意思伝達はイエスかノーかくらい
単純なことに限られてしまいました。

外出や習い事や買い物が大好きな叔母は、定年まで忙しく働いて、
定年後は悠々自適にと思った矢先に、ガタガタっといろいろな自由を失って、
自分で出来ることが本当に減ってしまったのでした。



仕事に着いていた時と、真逆な人生を歩くことになった叔母を
叔母自身がどう思っているのか、それはわかりません。
ただ、叔母は受け入れるしかないし、徐々に受け入れてきたのは確かです。

若い頃から病院で働いて、いろんな人生を見てきた人なので、
今の自分のような人もたくさん見てきたでしょうし、
自分が特別に不幸だなどという妄想はもっていないと思います。

歩けなくなりました

車で高速を飛ばして1人でも出かけちゃった人だったけれど
脳梗塞や脳出血の後でも、三輪自転車で出かけていたけれど
集団行動が嫌いな人なので、老人ホームのお出掛けツアーには行きません
でも、一人で出かけるのはご法度なので、自然の中で季節を感じる経験が
極端に少なくなった生活を送っています

話せなくなりました
書けなくなりました

クラシックのCDを聞くのが好きでしたが、部屋に置く必要はない、いらないと言います。
メガネの度を全く合わせていないし、眼科にもいかないのですが、
本が好きだったのに、もう読まなくていいから本も眼鏡もいらないと言います。
イエスとノーくらいしか意思表示がわからないので、聞いてノーと言われたんですが。

可哀想と思うことは失礼だと思うので、そうは思いません。
人と会話できない胸の中で、叔母が何を思うのか、わかりません。
24時間が長すぎやしないか、CDくらい聞けた方がいいのではと思うけれど、
自分で操作できないから嫌なのかもしれませんね。



私の両親は、老いを感じる前に亡くなってしまったので、
身近な老いの見本はシュウトメちゃんと叔母です。
私はまだ55歳ですけど、生きていればそのうち80代になるのよね。

神様、お手柔らかにと思った土曜日でありました。
今日も元気で仕事に行けること、本当に有難いです。
            
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