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2015年10月14日

        

悼む人 その2

category - 日記
2015/ 10/ 14
                 
その1を書いてから日にちが経ちました。
その1など、誰も覚えていない気がします。無理ないです。(爆)

シュウトメちゃんの帰宅で、毎日がバタバタと過ぎて行きます。
今日はシュウトメちゃん、デイサービスの日です。
自宅のお風呂に入れないので、時々デイサービスを入れていただいています。

デイサービスに行くなら、短時間の仕事を入れられないこともないですが、
昨日から明日まで3連休をいただいていますので、
このブログアップ後は温泉でまったりして、デイから帰る前に帰宅して、
介護生活に戻ろうという算段をしております。(笑)

お風呂が必要というのもあるのですが、今日は施設入所先とは別のデイです。
入所中は会えない人たちに久しぶりに会うということで、
シュウトメちゃんも張り切って、早々と支度して出かけました。(喜)



さて、しつこく「悼む人」の感想文です。(笑)
もともと、一つの話について、長々と考えるのが好きなのです。趣味なの。

まったく関心のない方はスルーされることと思いますし、
読んだけど、あれ、好きじゃない、という方もいらっしゃることでしょうが、
これからもちょくちょく書くかもという話題です。



緑の字は沢木興道老師の言葉Iからの引用、(お勧めです、リンクで飛べます)
青の字は「悼む人」本文からの引用です。




ストーリーをものすごく単純化して言えば、こんなお話です。

医療機器の営業職に就いた青年が、ボランティアで小児病棟に通い、
たくさんの子供たちを見送り続け、心が折れかけて相談しようと親友に連絡したところ、
親友は急死していました。過労で帰宅した日に、浴室で溺死したのです。

自分も、日々の忙しさの中、子供たちのそれぞれの命日も次第に忘れていくことに気づき、
親友の命日の日も仕事に追われてアッと思ったときには法要が終わっていました。
そういう自分に愕然とした青年は、元に生活に戻れなくなり、亡くなった人が、
しっかりとこの世に生きていた人だと胸に刻む旅に出たのでした。



「悼む人」静人は、普通の人生から、完全にドロップアウトした人です。

私は死者の命日を覚えていることに、特に意味を感じません。
静人のそれに対するこだわりはすごいですけれど、
そこに「忘れない。ずっと覚えている」という強い意志を感じます。
忘れていく自分を責めている静人を痛ましく思います。

記憶は風化していきます。
彼はその止められない風化を、全力で止めたがっているように感じました。



静人は、亡くなった方について、いつも同じ質問をします。

「亡くなった人が誰を愛し、誰から愛され、どんなことで感謝されたか」です。
そして、その答えを知って、確かにそういう人が生きていたことを心に刻むことが、
彼にとって、死者を「悼む」ことでした。


「亡くなった人の人生の本質は、死に方ではなくて、誰を愛し、誰に愛され、

何をして人に感謝されたかにあるのではないか」

静人は淡々とそう語ります。


仕事はやめたまま、働いていた時の貯金をつましく切り崩して暮らし、

寝袋を持ち歩き、寝泊りはたいてい公園での野宿。

週に1度銭湯に行き、洗濯はそこで済ませ、普段の洗顔などは、

公共施設の水を使うなどして、食費は1日300円程度。

そしてひたすら亡くなった人の死を悼んで歩く青年。



亡くなった人は知り合いでもなんでもなく、新聞やラジオで知った死者で、

歩いていて、道端に献花があれば、そのあたりで出会った人に尋ねて、

その方のことも悼む日々を送って5年経ち、静人はまだ旅を続けます。



実際にそんな人がいたら、多分、気持ち悪いという思いを強く感じるでしょう。

明らかに心を病んでいるし、あまりにも異常です。



でも小説を読んでいると、静人は、私には、全く気持ち悪いとは思えませんでした。

小説には相性があるので、ここで気持ち悪い人は、この本に向いてないですね。

私には静人は求道的に思えました。


ネット友のブログで、沢木興道という禅師を知り、検索してみると、

たくさんのいい言葉が載っているサイトがヒットしました。

その中の言葉に、静人にピッタリではないかと思う言葉がありましたのでご紹介します。

凡夫は五欲六塵にウロタエテおる。そして好きだとか嫌いだとか、

得したとか損したとか、エライとかエラクナイとか、金があるとかないとか、

勝ったとか負けたとか。

ところがそんなこと結局ナンニモナラヌということがわかって、そうして最後に

「ナンニモナラヌ座禅をタダスル」ということにゆきつかざるをえないのである。


座禅を「悼み」に変えたら、静人のことになると思いました。

作者は静人を「悟った人」や「聖人」として描くつもりはないので、

社会からドロップアウトした社会的にダメな立場の人として描いたのではないか、

後半で女性に心を乱したり、母に会いに帰らなかったのではないか、

(感動の対面をする場面を作らなかった)というような気がします。

「ナンニモナラヌ悼みをタダスル」人である、静人。


忙しいという字は、心を亡くすと書きますね。

「ナンニモナラヌ」ことを「タダスル」余裕などない世界、それが忙しい世界。

「役に立つ」ことを「効率的」にやって「目に見える結果」を出す、

それだけが大切な世界。






「病院で亡くなる子供に対し、ぼくは何もできません。
死を教訓に、次の子の治療に努力する場所にもいないのです。
無力なまま、親しくなった子の死を見送り、悲しむ間もなく、
また仲良くなった子を見送ることが続きました。」

「親友はぼくより社会に必要な男でした。
過労気味の彼に、休むように言える立場にいたのはぼくなのに、
何も言わずに過ごし、結果として彼は亡くなったんです。
そして、決しておまえを忘れないと誓いながら、命日を1日にしろ忘れました。」

何もできなかったわけじゃないよ、と言ってあげたいと思いました。
病気を治すことだけが、意味のあることというのは違うんじゃない?って。
生きている間に、寄り添って遊んでくれたお兄ちゃんがいたことは、
その子の時間を明るくしてくれた、それは素晴らしいことじゃないの?と思いました。

親友はぼくより社会に必要な男だった、という認識も、
お母さんの、お兄さんに対する感情を引き継いでいますね。

お兄さんは優しい人で、妹が病気で寝込んだりすると

「ぼくの持っているいのちの時間をジュンジュン(静人の母の愛称)のために

使ってくださいって神様にお願いしといたよ」と励ましてくれるような人でした。


その言葉がまるで実現してしまったように、兄は白血病で急逝し、

静人の母は、病弱が治って、元気になっていくのですが、

「わたしよりお兄さんが生きていたほうがよかったのに」という気持ちが残りました。

これはきょうだいを子供時代に亡くした子供が陥りやすい精神状態かもしれません。

私が死ねばよかったのかもしれないという思い。



静人の悼むいのちに優劣がないのなら、医者だった親友のいのちが、

人を救えるという理由でそうでない人よりも上というのも幻想、と思いました。

この件に関しても、沢木禅師のこの言葉がピッタリかなと・・・


目がオレはカシコイのだけれど、位が低いとも思わず、

眉はオレは役なしだけれども、位が高いとは思はぬ。

仏法の生活とは、この不知の活動である。

山だからというて高いとも思わず、海だとて広いとも深いとも思わず

一切合財、不知の活動じゃ。

野鳥自啼花自笑、不干岩下座禅人~野鳥は座禅している人に、

ひとついい声を聞かしてやろうと思って鳴くわけでもなく、花も人に

美しく思ってもらおうと咲くのではない。

座禅人も、悟りをひらくために座禅しているのではない。

ーみなただ自分が自分を自分しているのである。





静人は語ります。

「殺人事件や、酔っ払い運転などの悪質な交通犯罪には、感情的にもなります。
でも、怒りや口惜しさをつのらせていくと、亡くなった人ではなく、
事件や事故という出来事のほうを、また犯人のほうを、
より覚えてしまうことに気が付いたんです。

たとえば、亡くなった子供の名前より、その子を手にかけた犯人の名前のほうが
先に頭に浮かぶ、というようなことです。
亡くなった人の人生の本質は、死に方ではなくて、誰を愛し、誰に愛され、
何をして人に感謝されたかにあるのではないかと、亡くなった人々を
訪ね歩くうちに、気づかされたんです」

亡くなった人の無念を思うとき、この問題は避けて通れないですね。

小説の中では、養護学校に通う少年が小学校時代の同級生4人に
殴る蹴るの暴行を受けて、亡くなりました。
4人のうちの1人が真実を話しましたが、リーダー格の少年の父親と叔父が
地元の警察官で、事件をもみ消し、ケンカによる事故として処理されました。
1度は真実を語った少年も、以降は口をつぐんでしまいました。
亡くなった親は、裁判を起こします。

応援を約束してくれた養護学校の先生は、学校への圧力のためか異動になってしまい、
裁判を起こした親は、町を出ていけと張り紙されるなど、嫌がらせを受けていました。
加害者たちは引っ越すなどして、町を出て行きました。
ご両親が願ったのは、亡くなった直紀君に心から謝り、贖罪の気持ちを
忘れずにいてほしいということでしたが、かないませんでした。

静人に語る故人のご両親は、当然、静人が事件のことを
つっこんで聞いてくると思いましたが、違いました。
「亡くなったお子さんは、誰を愛し、誰に愛され、どんなことで感謝されていましたか」
最初は唖然としたご両親ですが、亡くなった直紀君のアルバムを見せながら、
息子さんが今でもどこかで生きているような口ぶりで長いこと思い出を語りました。

その時は、静人には倖世という同行者がいました。
彼女は、亡くなった直紀君のアルバムを一緒に見て、話も聞いていたので、
家を辞した後も、次々と直紀君の姿がエピソードとともに浮かんでは消えました。
胸のうちに亡くなった少年が息づくのを感じ、静人の悼みとはこういうことかと思いました。
少年の両親は、事件以来初めて我が子の思い出を
思う存分他人に話せたのかもしれないとも思いました。



また、暴行目的の犯人に、タオルを口に押し込まれて殺された若い女性がいました。
逮捕された犯人への怒りを近所の人々が話そうとするのに、
静人はあくまで亡くなった女性のことだけを尋ねました。
犯人に腹が立たないのかと問うと、「他人の自分にできるのは、
愛と感謝に満ちた素晴らしい女性がこの世に確かに存在していたことを
生きている限り覚えているだけです」と答えました。



「悲惨な死に感情移入し過ぎて、毎日死ぬことばかりを考えていた時期もあります。
感情のコントロールが必要だと思いました。
感情の揺れを自制するしかない、でなければ悼めなくなる、と。」

「或る人の死を深く想うのは、遺族や身内の方の、いわば特権のように思います。
他人のぼくは、懐かしい友人の思い出のようにおぼえておくのがよいと、
旅をするなかで気がつきました。」

「自分が死ぬ代わりに、他人の死を経験することに溺れていったのかもしれないんです」

「個人が存在していたことで、人々の心に残した美しい影響を
少しでも見出せればと願って話を聞いています。」

「つらい話は、覚えるのもつらいですから。その人が周囲に残した、
温かい感情の遺産のようなものを見出すことで、ようやく覚えていけるんです。」



他に何をする気にもならず、強迫的なまでに悼む旅を続けているのですが、
倖世という同行者が出来てから、すこしずつ変わってきます。
静人も倖世も、大きな喪失感を抱え、自分が生きていることに、
肯定的になれない同士の心の通い合いがあって、
この物語は、ラブストーリーでもあります。

感情のコントロールが必要、感情の揺れを自制するしかないと
自分をストイックに律してきた静人の心が、
倖世と出会って、感情が揺れることを受け入れて変わってくるという終わり方をしたのは、
小説として上手いなぁと思いました。



静人の母親は、息子に最後に会えないまま亡くなっていきます。
在宅でのホスピスケアを選択した結果、自宅で亡くなりますが、
静人の妹である美汐は、自宅出産を選択し、
生と死というテーマが最後に出てきます。
このテーマと、静人の悼み方は、とても美しいので、美談すぎてしまうのが、
そこにラブストーリーを絡めると、美談すぎない仕上げになっていい感じです。

美談すぎない仕上げにする要素は、他にもたくさんちりばめられています。
静人のラブストーリーの相手である倖世は、夫を殺した殺人犯でありますが、
殺された夫、朔也は、仏の生まれ変わりとまで地区で言われた僧侶でした。
しかし、心は虚無にさいなまれ、「運命を裏切れるような死、神や仏が
完璧に嘘っぱちと証明できる死」を遂げたいと思い、
妻に自分を殺させることを思いつき、実行しました。

朔也と倖世のやりとりはかなりえぐいです。


登場人物の1人である週刊誌の特派記者・薪野も、
エログロの薪野だから「エグノ」と呼ばれる人物で、
そういう人物の周辺に起きることも、えぐいです。

薪野は、静人の影響を受けて、だんだん変わっていくのですが、
人間の中に混在する聖と俗がいろいろな登場人物の中に出ていてよかったです。

ただ、個人的にはえぐいのが苦手ですから、
これを映画で見ると、活字より更にえぐいんだろうなぁ。
テレビのニュースでも、残虐な事件のニュースは、この世界の非情な面を
思い知らすようなむごい内容で、私は見るのも聞くのも苦手です。

もちろんニュースに目も耳も閉ざすってわけではないので知っていますし、
ご冥福をお祈りしますが、静人のように、最後の日々のむごさに注目するのではなく、
かけがえのない一人の人が、確かにこの世に生きていたことを
胸に刻んだ方がいいという静人の言葉は正しいように思いました。




えぐいの苦手ですが、小説が良かったので映画も見てみたいです。
ただこれは、見に行く時間がないかも。

「静人の日記」という本が出ているらしいので、それを買って読もうかとポチしました。
小説の中に出てくるんです、静人が亡くなった人たちの情報を書き留めている日記。

亡くなった人が誰を愛し、誰から愛され、どんなことで感謝されたか書かれているのでしょうが、
延々と、こういう人がこういう状況で亡くなった、という話が続くことを思うと、
フィクションでも重いなぁ・・・という気がして、ややためらいつつのポチでしたが。

非常に読みにくいこの読書感想文をお読みくださった方、ありがとうございました。

読んだけど、わけわかんない~という方、申し訳ありませんでした。



            
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