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2015年10月

        

ありがたい友人のお誘い

category - 日記
2015/ 10/ 20
                 
今日、友人からメールがありました。
夜の日帰り温泉のお誘いです。

寝不足だから、早く眠くなる
介護期間の習慣を身体が覚えていて12時に目が覚める
多分、12時過ぎに眠れば、朝まで眠れそう

こういう風に考えはしたのですが、寝不足で仕事に行き、
帰宅して夕食を作って食べて休憩してると、睡魔が。

でも友人と夜に温泉に行き、午前様すれば、
この問題は解決・・・するんじゃないかな?

友人は仕事が遅くまであるので、出かけるのは9時過ぎです。
で、12時くらいまで温泉にいて、帰りに24時間営業のスーパーに寄るのが、
私たちの習慣になっています。

今日はこれから日帰り温泉です。
今から友人がお迎えに来てくれます。
行ってきます~。

帰りにはビールを買ってこよう。
久しぶりにビール…何日ぶりかしらん。(笑)
                         
                                  
        

なんと介護の後遺症・・・?

category - 日記
2015/ 10/ 19
                 
昨日は仕事も忙しく、出勤前のシュウトメちゃんの部屋の大掃除もあって、
とても疲れたので、早めに寝ました。10時半くらいだったかな~。
ところが恐ろしいことに、夜中に目がぱっちりと覚めました。

眠いけどトイレに行きたくて…という雰囲気では全くなくて、
ホント、ぱっちりと目が覚めて、時計を見たら12時。
シュウトメちゃんの夜中のトイレ介助の時間でした。

普通に考えたら、1時間半寝たあたりって、睡眠が深い気がしますけど、
そのままランニングに行けそうなくらいの目の覚め方です。
身体がこのパターンを覚えちゃったのかしら・・・。

トイレ介護の後も、目がぱっちりと覚めてしまい、なかなか寝付けなくて、
シュウトメちゃんが家にいる間、ずっと寝不足でしたけど、
これでゆっくり眠れると思ったのに、誤算でしたね。

開き直って、お菓子を食べ始めたワタクシでありました。
ほら、満腹すると眠くなるじゃない?
ビールの買い置きがあればよかったんですが、
介護期間中、ビールなんか飲んじゃったら介護できないので、
家にあるのはノンアルコールのオールフリーだけ。
気分だけでもと思って買って、愛飲しておりました。
さすがにオールフリーでは眠くはなりませんよね。

満腹しても眠くないので、諦めて本を読むことに。
軽いのがいいよねと思って選んだ本は、図書館で借りてあった1冊、
「愚の骨頂」という中村うさぎとマツコ・デラックスの往復書簡。
多分軽いであろうと思って選んだこの本、全然軽くありませんでした。
読み応えがあって面白かったです。

1冊読み終わっても、眠気が来なかったですが、ナナちゃんが寄ってきたので、
眠れなくてもいいや、ナナちゃんと親しもうと思い、
ナナちゃんを抱っこしてベッドへ。

ナナちゃんは、一緒に毛布にもぐってはくれないのですが、
私の入った毛布の上に座って、そこで寝てくれます。
撫でるとぐるぐる声を出して可愛い。

遠くで暴走族?の走る音が聞こえ、そのうち朝刊がポストに入れられる音が聞こえ、
もう寝たいよぅ・・・と思っていたら、だんだんと眠りに落ちたみたい。

朝起きたら7時で、オットはとっくに出勤していました。
いってらっしゃいも言わずに寝てる妻。(爆)

オットは7時過ぎの出勤でも間に合うのですが、
道路が混んで嫌だと、うんと早めに出かけます。

遅くてもたいてい6時半には出ますし、もっと早いことも珍しくありません。
今は車の中でタブレットで映画も見られる時代なので、
オットは基本、朝ご飯はいらない人なんです。

シュウトメちゃんは1か月間、施設なので、
しばらくは12時にぱっちり目が覚めなくていいんだよ、と
自分の身体に話しかけてみる、怪しいおばさんのワタクシでした。

部屋の掃除すればいいのよねぇ。きれいになって朝気持ちいいし。
夜中におやつ食べ過ぎて、朝、なんだか胃が重かった・・・

                         
                                  
        

シュウトメちゃんが施設に戻りました

category - 日記
2015/ 10/ 18
                 
シュウトメちゃんは、昨日、無事に施設に帰りました。
ちょっと体調を崩したのですが、それは毎回のこと。

シュウトメちゃんは、施設から自宅へ帰ると、しばらく気を張っているので、
ちょっとした興奮状態にあるんだと思います。
家に帰ると、家族でご飯を食べたり、義姉さんたちが来てくれたり、
病院に行ったり(老健に入所中は健康保険が使えません)、
長く会えなかった、デイサービスでの知り合いにあったりして、
興奮状態の中で疲れて行きます。

すると一週間もしないうちに、疲れがどっと出るんですね。
脳の混乱も、そのあらわれの一つと私は理解しています。
とにかく疲れたと、心身がSOSを出すのじゃないかなと思います。

脳が混乱したり、微熱が出たり、頭痛がしたり、異様にだるかったり、
とにかくそういう症状が出て、ぐったりした頃に施設にショートステイで入るのが、
昨年からの慣例?になっています。

施設では、どこに行くのも車椅子でスムーズに行けるようにできているし、
例えば夜中のトイレ介助は2人がかりでやってくださるそうで、
私が一人でやるのとは、疲れが全然違うでしょう。

尿取りパッドの付いた紙パンツとズボン下とパジャマの下を下げて便器に座らせる際と、
便器から立ち上がらせて、尿取りパッドを取り替え、
紙パンツとズボン下とパジャマの下を上げて履かせる際の時間が、
素人の私1人と、プロ2人では、雲泥の差に違いありません。

オットに手伝ってもらおうかと一応聞いたら嫌だからkoalaさんだけでいいと
シュウトメちゃんが言ったので・・気持ちもわかりますし・・仕方ないことですが、
一事が万事、いろいろ家の方が疲れるんですよね。
で、しばらくすると・・今回は5日間経つと・・脳が混乱し、身体はだるくて微熱が。



でもこれは、いいことでもあると思うんですよね。
シュウトメちゃんにもそう言っておきました。

「おばあちゃんはね、もう家に帰りたいなぁと思う頃に家に帰って、
家はやっぱり疲れるなぁと疲れてダウンしかけた時に施設に戻れて、
これは一番いい感じなんだと思うよ。」

介護する方(私)は、施設に戻ってくれると楽なので、
自分のいいように解釈しているようにも受け止められる発言ですよねぇ。(苦笑)
シュウトメちゃんも「物は考えようだな」と答えて苦笑していました。

でもね、私が楽になるから嬉しいというのをきれいに表現した(爆)だけではなく、
本気でそう思っています。執着の問題です。
もっともっと家にいたいのに施設に帰るのではなくて、
疲れて心身がSOSを出した頃に帰る方が、執着がないじゃないですか。



「お友達に、『家だと施設より疲れるから、頭が混乱したし、微熱は出るし』って、
話したら、本当だよねぇって笑ってくれるよ。私の時もね・・って自分の話も、
その人、できるじゃないの。
そうやって、ちょっと辛いことも、一緒に笑いとばしあえる
お友達が施設にいるでしょう?それってすごくいいことだよ。」

「でも、嫌な人もいるからなぁ」とシュウトメちゃん。
施設に帰る時の一番のネックがこの問題です。

「その人、一緒にそういうことを笑い飛ばせる人、いる?」

「誰が相手になるもんかね。みんなが嫌だと思うことばかりするんだから。
みんなに嫌われてるよ。」

「可哀想だねぇ。一緒に乗り越えたほうが楽なのにね、辛いことって。」

「ホントだよ。頭にくる。むしゃくしゃする。」

「でもおばあちゃんには、頭にくる、むしゃくしゃする、って言えるお友達がいるんだから、
いつまでもむしゃくしゃしないで、あの人、損してるよねぇって笑い飛ばしちゃえるよ。」

その方には上から目線で申し訳ないのですが、
シュウトメちゃんに気持ちよく施設生活をしてもらうために、
笑いとばしちゃえと勧めました。
シュウトメちゃんは、黙って耐える人ではないので、そう心配していませんが。

その方は、カチンとくるとすぐ机をバンバン叩くそうですが、
シュウトメちゃんはその方に「あんた、そんなに叩いて、手が痛くないかね?」と
言ってやった(本人談)ことがあるそうです。
「痛い」と言うので、「あんたは手が痛い分だけ損してるとは思わんかね?
みんなをびっくりさせようと思うのかもしれんが、
慣れちゃったから誰もびっくりしないよ。あんたの手が痛いだけだ。」

これを言った時のシュウトメちゃんの言い方が、冷たくなかったことを祈ります。
優しい心と言い方で、この会話がなされて、周囲も暖かい目線だった場合と、
その逆の場合とでは、ずいぶん雰囲気が違いますが、どっちだったんだろう・・・。

人を変えようというのは難しいことですし、変えられると思うのが傲慢ですから、
自分の言いたいことを素直に言ったシュウトメちゃんはすっきりしたし、
言われた側がそれをどう受け止めるかは、その人の自由ということになりますけどね。

施設に帰って、しばらくして施設の生活リズムにまた馴染んだころ、
今月末には施設の遠足があります。
今回の入所は約1か月なので、次回自宅に戻るころには多分元気いっぱいでしょう。
家に帰るから頑張らなくちゃとリハビリに力が入れば、いうことありません。

私は今日から普通のシフトの仕事に戻ります。
シュウトメちゃんのいる間は、半分以上は休みをいただき、
日曜日だけ普通の勤務、デイサービスのある日に
3時間だけ勤務という形にしていただいてきました。
同僚たちに迷惑かけちゃいましたが、今日からまた頑張りたいと思います。


                         
                                  
        

トイレ介護時のシュウトメちゃんとの会話と澤木禅師の言葉

category - 日記
2015/ 10/ 16
                 
シュウトメちゃんのトイレの介護などしていると、
本当に足が弱ってきているのを感じます。

ポータブルトイレの便器に座るためには、車椅子から立ち上がり、
便器の方向に歩いて向きを変えなくてはいけません。
ベッドの真横なんですが、これが太ももが震えるほど大変な力がいる様子。

今年の春には、そんなことに苦労などしていませんでしたが、
今は、それが運動と呼べるほどの動作になっています。

そんな衰えを自分で罵るような言葉も出るので、気の毒ですが、
自分をののしっている間は、まだ、シュウトメちゃんのパワーがあるのかもと
思い直したりしています。

「おばあちゃん、昔の人は、ポータブルトイレなんかなかったんだよ。
トイレだって和式だし、足が弱ったらすぐにオムツになっちゃったんだよ。
それもさらしの布で作ったオムツ。おばあちゃん、知ってるでしょ?」

「わしなんか、昔だったらとっくの昔に寝たきりだなぁ。」

「昔、バリアフリーの部屋に電動ベッドがあって、横にポータブルトイレがある
部屋に住んでいるおばあさんなんて、その辺にいなかったもんね。」

「そんなおだいじんは聞いたことないな」

おだいじんって、女性にも使うのかな?とふと思いましたが、
そんなことはどうでもいいよね。

シュウトメちゃんとの会話。
私の話に合わせてくれただけで、もしかしたら全く慰められていないかもしれないけど、
人と話して、笑い話にすると、ちょっと気楽になるような気がします。



シュウトメちゃんは気が強いところもあるけれど、すごい心配性でもあり、
くよくよといつまでも同じことを考える弱気なところもある人です。
もしかしたら、こうやって、徐々に出来ることが出来なくなっていく老い方をしているのは、
いつの日にか、死を迎える際に、生への執着を減らすという意味で、
シュウトメちゃんにとって、いい老い方かもしれません。

本人がそう思えれば、もしかしてその考えは救いになるかもしれませんが、
嫁がそんな事を言えば、死ねと言っているのか?!と誤解されかねないし、
こんな話はシュウトメちゃんにはもちろんしません。

こんなことも出来なくなった自分に怒りが湧く、と言うシュウトメちゃん。
受け入れるって難しいよね。
排せつって、人に見られたくない行為なのに、
それに手助けが必要になって、助けてくれるのは血も繋がっていない嫁で、
それはきっととても嫌なことだと思います。
出来たら避けたいけれど、避けられないのは、自分の体が不自由だから。
その現状を受け入れること・・・私がシュウトメちゃんならできるんだろうか?

自分の現状を受け入れられることって、大事なことだと思います。
それが難しいから、人は悩むのでしょう。



迷いから抜けて、広い世界に行けそうな気持ちになる言葉の数々。

澤木禅師の言葉から、抜粋してみました。
どの言葉も本当に・・・すごい!
元気が出ます。



乞食でも笑うことがあり、億万長者でも泣くことがある。ナーニ、たいしたことはないんじゃ。

人間はいつの間にか「私」が入ってしまう。「ああよかった」何がよかったのかといえば「私がよかった」というだけの話じゃ。

なんやら人間にはいつも忘れられぬものがある。金がありやがると金があると思い。頭がいいと頭がいいと思い、器量がいいと器量がいいと思って忘れられぬ。そしてこれが門口に出ばって邪魔しよる。

「これでよい」という世界があるものではない。それなのにどこぞに「これでいい」という世界があるかと思うて、それを求めてウロウロ歩きまわる。ウロウロしたって仕様がないやないか。それじゃ泣き寝入りするか。そうじゃない。ウロウロしない世界にドカッと坐っておるこっちゃ。

仏道というものは人の真似の尽きた処である。これは人から習うものじゃない。自己に向かって工夫するものである。ご安心も人の真似せんならんことはない。悟りも人の通りやらんならんことはない。ここはここぎり、今は今ぎり。師匠の悟りを借りて来てもしようがない。仏からの貰いもので日暮らしをするのではない。自分自身のものである。仏道修行ということは自己の生き方を発明すること、自己の生活を創造することである。

人間の値打ちは銭の取り高の多い少ないによって決まるものじゃない。そうすれば結局どうするのが本当なのか。真の自己を見出さねばならん。この欲求の起こるのが人間の最高の幸福である。つまり自己に親しむ。これより他にはないのじゃ。

これで人間の心というものは一人きりになればなるほど、カニが泡を吹くようにいつも何かブスブスブスといぶっているものである。人間は自分のことなら自分きりでよさそうであるのに、他人に認めてもらえないと自信をなくして自分を卑下してしまうものである。だから自分が自分に成りきっていくということは容易なことではない。正しい理念、正しい信念をもって、ブクブクブクとカニが泡を吹いてくすぶっているような、相手のない真っ只中で坐禅することができて初めて真実が現成するのだ。

この世界はようしたもので、自分一人の気の持ちようと覚悟次第でどうにでもなる。

われわれのたった今の生活態度がインチキならば、今まで飯を食べさした人も、今まで教えてくれた人も、今までものをくれた人もみなインチキをさせるためにしてくれたことになる。もし今日の生活態度が立派ならば、その立派なことをさせるために私を生み、私を育て、私を教え、私にものをくれたことになる。このたった今の生活態度が全過去を生かしていくのじゃ。

めいめいが世界である。自分が死ぬと世界が死に、世界が滅する。オレが生まれたときにこの世界が生まれたのだ。するとお前が死んでもまだこの世界は残っているのではないかという。いや、オレの分はもう死んだというのだね。つまり人人(にんにん)はそのままで何の不足もない完全無欠なものである。この完結した自分を会得するのが仏道である。

この世の中はいずれにしても大したものではない。金持ちと貧乏、高官と下級官吏、どちらにしても飯を食って糞をするだけである。ここで一番思い切って、人生という川にパッと自分から飛び込む。無目的に落ち込んでアップアップやって息を切らすか、ウワーと一番飛び込むか、これだけの違いである。これが人生を遊ぶのである。

なあに世の中に幸福もなければ不幸もない。夢のなかで別嬪に惚れられておるか、振られておるかというだけの違いである。覚めてみると何もない。ああうそだった。


                         
                                  
        

シュウトメちゃんは、施設生活メインになっているので・・・・

category - 日記
2015/ 10/ 15
                 
シュウトメちゃんが帰宅して1週間。
帰宅してすぐは、家に帰った!という興奮状態なので、
気を張っているのですけど、だんだんそれがなくなってきます。

心身も、生活のリズムも、施設になじんでいるので、
興奮が冷めると、混乱に直面しなくてはいけません。
疲れも出てくるのでしょうね。

昨夜は、明日施設に帰るから準備しなくてはいけないと、
夜中に長男を呼んで言いました。
訳の分からない長男は、私を呼びに来ました。
今までは、用事があると、自分の部屋のブザーで私を呼んだのですが、
長男を呼びに行ったところが既に変です。

「おばあちゃん、明日は帰らないですよ。
土曜日に帰るんだけど、明日はまだ木曜日ですよ」
この言葉も、脳みそに素直にしみ込んではくれません。
でも、ゆっくり話せば、とりあえず、明日は施設に行かないんだと理解できました。

ゆっくり話さないと、余計混乱してしまいます。



明日は何もない日で、家でのんびりしていればよくて、
明後日は、デイサービスでお風呂に入る日で、
その次が土曜日で、施設に帰るんだよ、
でも、そんな先のことまで覚えてなくて大丈夫。
明日のことだけわかっていれば困らないでしょう?
明日はね、何もないから、家でゆっくりする日。

家に帰ってきてから、いろいろ疲れたでしょう?
施設と勝手が違うから、トイレ一つだって疲れるんだよね。

病院に行ったり、お姉さんたち(義姉)や、叔父さん(弟さん)に会ったり、
久しぶりにデイサービスで懐かしい人たちに会ったり。
それも嬉しいことだけど、普段しないことだから疲れるんですよ。

明日はゆっくりしてていいからね、そういう日も必要だよね。

ゆ~っくりとのんびりした口調でそう言うと、
「そうか。」とそれなりに理解してくれたようでした。



今朝は、私が言った通りゆ~っくりして、朝食を食べてくれたのが朝9時。
朝のトイレは6時に済ませたんですが、2度寝が長引いて。
寒いと起きたがらないので、暖房を入れて、
「部屋が温まったので、そろそろ起きましょうか?」と誘うけど、ダメ。(笑)
寝ててもいいんですが、施設でずっと規則正しい生活をしてきたので、
あまり乱さない方がいいのでは?という気もして、つい起こしちゃう。
具合が悪いのか確認したら、そうじゃないというので、つい強気に。(爆)

8時くらいから「もう食べましょうね。朝のお薬があるしね」と
起こし始めて、8時半に「朝ごはん、並べておきますね。
叔父さんが美味しい食パンをくれたから焼きましたよ。
いい香りでしょう?外はカリカリで、中はふわっふわですよ~。
サラダも卵もちゃんと食べてね~」と実力行使。
さすがに布団から強引に起こすほどの実力行使はしないですが。

10分後に見に行っても、寝ているので、早く並べ過ぎたかと反省するも、
完全に冷めないうちに、実力行使を重ねちゃえとばかりに、
「朝のコーヒーも、もう入れますからね。お薬のお湯もね」
薬用のお湯は、食前にポットから入れておくと程よく冷めます。
シュウトメちゃん、早くは食べられないので。

コーヒーの香りで起きる気になってくれないかなと思ったけど、
すぐには無理でしたね。
でも効果はあった気がします。



そのあと、またおかしかったシュウトメちゃん。
カップを2つ並べて、1つは飲み物、1つは薬用の白湯。
それは帰宅以来ずっとそうしてきたのに、
なぜかコーヒーを飲み終えた後のカップに白湯を入れて私を呼び、
「薬用のお湯が欲しい」とご所望。

え?用意しておいたけど、ない?と言うと、空のコップを指さします。
でも、隣のコーヒーのカップには、やや濁った白湯が。
「何だか知らんけど、そのカップの中身は、コーヒーを飲んだ後のカップに入れといた」

「何だか知らんけどって、それがお薬用の白湯だったんですよ。
まあ、いいや。すぐ入れますね。」
すぐ飲む場合は、水で薄めて温度調整しないと熱くて飲めません。

結構、薬を飲む白湯の温度にうるさいシュウトメちゃんなので、
もしかしたら、一口飲んで、温度が気にいらなかったのかな?と思ったけど、
びっくりした顔をしていたので、そうではなくて、混乱した結果みたいです。



そんな感じの、大したことはないけど、混乱してしまう出来事は、
帰宅当初から起きるものなのですが、4~5日すると急増します。
最初はこちらも面喰いますが、だんだん慣れてきて、あ、始まったなと思います。
本人が落ち込みそうな場面ですが、その辺は大丈夫。

施設がメインで、たまに家に帰る人は、みんなそうなるらしく、
お友達同士で、誰かが家に帰るたびに、「また頭がこんがらがった」と
半分笑い話にして、おしゃべりしあってくれるんです。

自分だけ…と思うと、呆ける恐怖とか、馬鹿になっちゃったような悲しみとか、
そういうマイナスの気持ちが強く出るような気がしますけど、
「みんなもそうなのか~!」と笑い飛ばせると、不安ゼロにはならないにしても、
深く落ち込んで鬱になるとか、そういう雰囲気はなさそうで、とてもありがたいです。


                         
                                  
        

悼む人 その2

category - 日記
2015/ 10/ 14
                 
その1を書いてから日にちが経ちました。
その1など、誰も覚えていない気がします。無理ないです。(爆)

シュウトメちゃんの帰宅で、毎日がバタバタと過ぎて行きます。
今日はシュウトメちゃん、デイサービスの日です。
自宅のお風呂に入れないので、時々デイサービスを入れていただいています。

デイサービスに行くなら、短時間の仕事を入れられないこともないですが、
昨日から明日まで3連休をいただいていますので、
このブログアップ後は温泉でまったりして、デイから帰る前に帰宅して、
介護生活に戻ろうという算段をしております。(笑)

お風呂が必要というのもあるのですが、今日は施設入所先とは別のデイです。
入所中は会えない人たちに久しぶりに会うということで、
シュウトメちゃんも張り切って、早々と支度して出かけました。(喜)



さて、しつこく「悼む人」の感想文です。(笑)
もともと、一つの話について、長々と考えるのが好きなのです。趣味なの。

まったく関心のない方はスルーされることと思いますし、
読んだけど、あれ、好きじゃない、という方もいらっしゃることでしょうが、
これからもちょくちょく書くかもという話題です。



緑の字は沢木興道老師の言葉Iからの引用、(お勧めです、リンクで飛べます)
青の字は「悼む人」本文からの引用です。




ストーリーをものすごく単純化して言えば、こんなお話です。

医療機器の営業職に就いた青年が、ボランティアで小児病棟に通い、
たくさんの子供たちを見送り続け、心が折れかけて相談しようと親友に連絡したところ、
親友は急死していました。過労で帰宅した日に、浴室で溺死したのです。

自分も、日々の忙しさの中、子供たちのそれぞれの命日も次第に忘れていくことに気づき、
親友の命日の日も仕事に追われてアッと思ったときには法要が終わっていました。
そういう自分に愕然とした青年は、元に生活に戻れなくなり、亡くなった人が、
しっかりとこの世に生きていた人だと胸に刻む旅に出たのでした。



「悼む人」静人は、普通の人生から、完全にドロップアウトした人です。

私は死者の命日を覚えていることに、特に意味を感じません。
静人のそれに対するこだわりはすごいですけれど、
そこに「忘れない。ずっと覚えている」という強い意志を感じます。
忘れていく自分を責めている静人を痛ましく思います。

記憶は風化していきます。
彼はその止められない風化を、全力で止めたがっているように感じました。



静人は、亡くなった方について、いつも同じ質問をします。

「亡くなった人が誰を愛し、誰から愛され、どんなことで感謝されたか」です。
そして、その答えを知って、確かにそういう人が生きていたことを心に刻むことが、
彼にとって、死者を「悼む」ことでした。


「亡くなった人の人生の本質は、死に方ではなくて、誰を愛し、誰に愛され、

何をして人に感謝されたかにあるのではないか」

静人は淡々とそう語ります。


仕事はやめたまま、働いていた時の貯金をつましく切り崩して暮らし、

寝袋を持ち歩き、寝泊りはたいてい公園での野宿。

週に1度銭湯に行き、洗濯はそこで済ませ、普段の洗顔などは、

公共施設の水を使うなどして、食費は1日300円程度。

そしてひたすら亡くなった人の死を悼んで歩く青年。



亡くなった人は知り合いでもなんでもなく、新聞やラジオで知った死者で、

歩いていて、道端に献花があれば、そのあたりで出会った人に尋ねて、

その方のことも悼む日々を送って5年経ち、静人はまだ旅を続けます。



実際にそんな人がいたら、多分、気持ち悪いという思いを強く感じるでしょう。

明らかに心を病んでいるし、あまりにも異常です。



でも小説を読んでいると、静人は、私には、全く気持ち悪いとは思えませんでした。

小説には相性があるので、ここで気持ち悪い人は、この本に向いてないですね。

私には静人は求道的に思えました。


ネット友のブログで、沢木興道という禅師を知り、検索してみると、

たくさんのいい言葉が載っているサイトがヒットしました。

その中の言葉に、静人にピッタリではないかと思う言葉がありましたのでご紹介します。

凡夫は五欲六塵にウロタエテおる。そして好きだとか嫌いだとか、

得したとか損したとか、エライとかエラクナイとか、金があるとかないとか、

勝ったとか負けたとか。

ところがそんなこと結局ナンニモナラヌということがわかって、そうして最後に

「ナンニモナラヌ座禅をタダスル」ということにゆきつかざるをえないのである。


座禅を「悼み」に変えたら、静人のことになると思いました。

作者は静人を「悟った人」や「聖人」として描くつもりはないので、

社会からドロップアウトした社会的にダメな立場の人として描いたのではないか、

後半で女性に心を乱したり、母に会いに帰らなかったのではないか、

(感動の対面をする場面を作らなかった)というような気がします。

「ナンニモナラヌ悼みをタダスル」人である、静人。


忙しいという字は、心を亡くすと書きますね。

「ナンニモナラヌ」ことを「タダスル」余裕などない世界、それが忙しい世界。

「役に立つ」ことを「効率的」にやって「目に見える結果」を出す、

それだけが大切な世界。






「病院で亡くなる子供に対し、ぼくは何もできません。
死を教訓に、次の子の治療に努力する場所にもいないのです。
無力なまま、親しくなった子の死を見送り、悲しむ間もなく、
また仲良くなった子を見送ることが続きました。」

「親友はぼくより社会に必要な男でした。
過労気味の彼に、休むように言える立場にいたのはぼくなのに、
何も言わずに過ごし、結果として彼は亡くなったんです。
そして、決しておまえを忘れないと誓いながら、命日を1日にしろ忘れました。」

何もできなかったわけじゃないよ、と言ってあげたいと思いました。
病気を治すことだけが、意味のあることというのは違うんじゃない?って。
生きている間に、寄り添って遊んでくれたお兄ちゃんがいたことは、
その子の時間を明るくしてくれた、それは素晴らしいことじゃないの?と思いました。

親友はぼくより社会に必要な男だった、という認識も、
お母さんの、お兄さんに対する感情を引き継いでいますね。

お兄さんは優しい人で、妹が病気で寝込んだりすると

「ぼくの持っているいのちの時間をジュンジュン(静人の母の愛称)のために

使ってくださいって神様にお願いしといたよ」と励ましてくれるような人でした。


その言葉がまるで実現してしまったように、兄は白血病で急逝し、

静人の母は、病弱が治って、元気になっていくのですが、

「わたしよりお兄さんが生きていたほうがよかったのに」という気持ちが残りました。

これはきょうだいを子供時代に亡くした子供が陥りやすい精神状態かもしれません。

私が死ねばよかったのかもしれないという思い。



静人の悼むいのちに優劣がないのなら、医者だった親友のいのちが、

人を救えるという理由でそうでない人よりも上というのも幻想、と思いました。

この件に関しても、沢木禅師のこの言葉がピッタリかなと・・・


目がオレはカシコイのだけれど、位が低いとも思わず、

眉はオレは役なしだけれども、位が高いとは思はぬ。

仏法の生活とは、この不知の活動である。

山だからというて高いとも思わず、海だとて広いとも深いとも思わず

一切合財、不知の活動じゃ。

野鳥自啼花自笑、不干岩下座禅人~野鳥は座禅している人に、

ひとついい声を聞かしてやろうと思って鳴くわけでもなく、花も人に

美しく思ってもらおうと咲くのではない。

座禅人も、悟りをひらくために座禅しているのではない。

ーみなただ自分が自分を自分しているのである。





静人は語ります。

「殺人事件や、酔っ払い運転などの悪質な交通犯罪には、感情的にもなります。
でも、怒りや口惜しさをつのらせていくと、亡くなった人ではなく、
事件や事故という出来事のほうを、また犯人のほうを、
より覚えてしまうことに気が付いたんです。

たとえば、亡くなった子供の名前より、その子を手にかけた犯人の名前のほうが
先に頭に浮かぶ、というようなことです。
亡くなった人の人生の本質は、死に方ではなくて、誰を愛し、誰に愛され、
何をして人に感謝されたかにあるのではないかと、亡くなった人々を
訪ね歩くうちに、気づかされたんです」

亡くなった人の無念を思うとき、この問題は避けて通れないですね。

小説の中では、養護学校に通う少年が小学校時代の同級生4人に
殴る蹴るの暴行を受けて、亡くなりました。
4人のうちの1人が真実を話しましたが、リーダー格の少年の父親と叔父が
地元の警察官で、事件をもみ消し、ケンカによる事故として処理されました。
1度は真実を語った少年も、以降は口をつぐんでしまいました。
亡くなった親は、裁判を起こします。

応援を約束してくれた養護学校の先生は、学校への圧力のためか異動になってしまい、
裁判を起こした親は、町を出ていけと張り紙されるなど、嫌がらせを受けていました。
加害者たちは引っ越すなどして、町を出て行きました。
ご両親が願ったのは、亡くなった直紀君に心から謝り、贖罪の気持ちを
忘れずにいてほしいということでしたが、かないませんでした。

静人に語る故人のご両親は、当然、静人が事件のことを
つっこんで聞いてくると思いましたが、違いました。
「亡くなったお子さんは、誰を愛し、誰に愛され、どんなことで感謝されていましたか」
最初は唖然としたご両親ですが、亡くなった直紀君のアルバムを見せながら、
息子さんが今でもどこかで生きているような口ぶりで長いこと思い出を語りました。

その時は、静人には倖世という同行者がいました。
彼女は、亡くなった直紀君のアルバムを一緒に見て、話も聞いていたので、
家を辞した後も、次々と直紀君の姿がエピソードとともに浮かんでは消えました。
胸のうちに亡くなった少年が息づくのを感じ、静人の悼みとはこういうことかと思いました。
少年の両親は、事件以来初めて我が子の思い出を
思う存分他人に話せたのかもしれないとも思いました。



また、暴行目的の犯人に、タオルを口に押し込まれて殺された若い女性がいました。
逮捕された犯人への怒りを近所の人々が話そうとするのに、
静人はあくまで亡くなった女性のことだけを尋ねました。
犯人に腹が立たないのかと問うと、「他人の自分にできるのは、
愛と感謝に満ちた素晴らしい女性がこの世に確かに存在していたことを
生きている限り覚えているだけです」と答えました。



「悲惨な死に感情移入し過ぎて、毎日死ぬことばかりを考えていた時期もあります。
感情のコントロールが必要だと思いました。
感情の揺れを自制するしかない、でなければ悼めなくなる、と。」

「或る人の死を深く想うのは、遺族や身内の方の、いわば特権のように思います。
他人のぼくは、懐かしい友人の思い出のようにおぼえておくのがよいと、
旅をするなかで気がつきました。」

「自分が死ぬ代わりに、他人の死を経験することに溺れていったのかもしれないんです」

「個人が存在していたことで、人々の心に残した美しい影響を
少しでも見出せればと願って話を聞いています。」

「つらい話は、覚えるのもつらいですから。その人が周囲に残した、
温かい感情の遺産のようなものを見出すことで、ようやく覚えていけるんです。」



他に何をする気にもならず、強迫的なまでに悼む旅を続けているのですが、
倖世という同行者が出来てから、すこしずつ変わってきます。
静人も倖世も、大きな喪失感を抱え、自分が生きていることに、
肯定的になれない同士の心の通い合いがあって、
この物語は、ラブストーリーでもあります。

感情のコントロールが必要、感情の揺れを自制するしかないと
自分をストイックに律してきた静人の心が、
倖世と出会って、感情が揺れることを受け入れて変わってくるという終わり方をしたのは、
小説として上手いなぁと思いました。



静人の母親は、息子に最後に会えないまま亡くなっていきます。
在宅でのホスピスケアを選択した結果、自宅で亡くなりますが、
静人の妹である美汐は、自宅出産を選択し、
生と死というテーマが最後に出てきます。
このテーマと、静人の悼み方は、とても美しいので、美談すぎてしまうのが、
そこにラブストーリーを絡めると、美談すぎない仕上げになっていい感じです。

美談すぎない仕上げにする要素は、他にもたくさんちりばめられています。
静人のラブストーリーの相手である倖世は、夫を殺した殺人犯でありますが、
殺された夫、朔也は、仏の生まれ変わりとまで地区で言われた僧侶でした。
しかし、心は虚無にさいなまれ、「運命を裏切れるような死、神や仏が
完璧に嘘っぱちと証明できる死」を遂げたいと思い、
妻に自分を殺させることを思いつき、実行しました。

朔也と倖世のやりとりはかなりえぐいです。


登場人物の1人である週刊誌の特派記者・薪野も、
エログロの薪野だから「エグノ」と呼ばれる人物で、
そういう人物の周辺に起きることも、えぐいです。

薪野は、静人の影響を受けて、だんだん変わっていくのですが、
人間の中に混在する聖と俗がいろいろな登場人物の中に出ていてよかったです。

ただ、個人的にはえぐいのが苦手ですから、
これを映画で見ると、活字より更にえぐいんだろうなぁ。
テレビのニュースでも、残虐な事件のニュースは、この世界の非情な面を
思い知らすようなむごい内容で、私は見るのも聞くのも苦手です。

もちろんニュースに目も耳も閉ざすってわけではないので知っていますし、
ご冥福をお祈りしますが、静人のように、最後の日々のむごさに注目するのではなく、
かけがえのない一人の人が、確かにこの世に生きていたことを
胸に刻んだ方がいいという静人の言葉は正しいように思いました。




えぐいの苦手ですが、小説が良かったので映画も見てみたいです。
ただこれは、見に行く時間がないかも。

「静人の日記」という本が出ているらしいので、それを買って読もうかとポチしました。
小説の中に出てくるんです、静人が亡くなった人たちの情報を書き留めている日記。

亡くなった人が誰を愛し、誰から愛され、どんなことで感謝されたか書かれているのでしょうが、
延々と、こういう人がこういう状況で亡くなった、という話が続くことを思うと、
フィクションでも重いなぁ・・・という気がして、ややためらいつつのポチでしたが。

非常に読みにくいこの読書感想文をお読みくださった方、ありがとうございました。

読んだけど、わけわかんない~という方、申し訳ありませんでした。



                         
                                  
        

今日は通院のはしごの日 車椅子の通院について少々

category - 日記
2015/ 10/ 13
                 
今日から職場に3連休をいただいています。
やはり介護と仕事と家事の両立はきついので、ほっと一息。

今日は午前に眼科、午後から内科と皮膚科の診察という
少々ハードスケジュールの日になります。

午後の病院は同じ病院なので、掛け持ちといっても大したことはないですが、
シュウトメちゃんにとってはもはや、車に乗ったり降りたりするだけでも、
かなり体力を使う大仕事になってきました。

午後の病院はあちらにある車椅子を借りられるので私は楽ですが、
午前の眼科は、車に車椅子を積んで、持参しないといけません。
腰の痛い私としては、この車椅子を載せたり降ろしたりの作業が、
かなり腰に来るので辛いところです。仕方ないですが。

やはり介護って、どんな作業もほとんど腰をかがめて行うので、
腰は痛いですね。本人の車の乗降の介助も腰に来ます。
実体験でよく知ってたけど、施設のお蔭で、身体が忘れかけてるわ。(苦笑) 

叔母の通院介護の時にやっているから実体験でも忘れる筈ないんですが、
叔母の場合は、施設での乗り降りは、スタッフさんがやってくれるので、
私がやるのは病院での乗り降りの介助だけなんです。
自宅通院のシュウトメちゃんのように、乗り降り介助が続くことはないので、
腰の負担は少ないんですね~。
さあ、もう少ししたら出発です。頑張ろう。



そんなことできない!とおっしゃる方、大丈夫です。
介護タクシーというものがありまして、自宅で暮らす要介護1以上の人で、
タクシーに乗れるのは本人のみではありますが、予約すれば乗れるはず。

しかし、この予約というのが曲者でして、
病院に行く時間はいいとしても、帰りの時間の予約って難しいんですよ。
薬を受け取った時点で電話して来てもらうと言うのはまず無理です。
空いていれば来てくださると思いますが、予約が入っていたら来てもらえません。
遅めの時間に予約を入れて、その時間まで待つしかないです。

本人と介護する人が別行動でも問題ない場合は、
先に本人に帰ってもらって、介護者が薬を受け取って後で帰ることもできます。
帰宅した家に本人が入れる状況なら問題ありません。

逆に先に介護者が帰宅して、薬を受け取った本人が後で介護タクシーで帰宅もOKです。
先に帰っていろいろすることがあり、本人がそれで構わないというのなら、
安心して介護タクシーさんに任せて帰宅できますので、楽かもしれません。
(介護タクシーに乗れるのは本人だけ、介護する人は自分の車ですから帰れます。)

あるいは、本人がしっかりしていて、本人だけで通院したい場合などは、
帰りの予約の時間が悩ましいところですが、介護タクシー、とても便利だと思います。

逆に、そこまでしなければいけないの?と思うような人は、自力で行ける人で、
そういう人は利用しなくていいってことかなと私は理解しています。
利用したことはありますが、ちょっと自分で頑張っちゃった方が
私の場合は気楽なので、今日も自分で乗せていきます。

普通のタクシーでも、ちょっとお金を渡して、ごめんなさい、
車椅子を積んでくださいって頼めば、やってくれそうな気もするけど、
まだそれは試したことはありません。
とりあえず、自力でやれそうなので、試していません。

そういえば、私は図々しいので、病院のスタッフさんにお願いしたことがあります。
叔母を乗せ、病院に着いて、助手席から車椅子に移す時に激痛が走り、
これはダメだ・・・と病院の受付の方に事情を話したら、
力のありそうな男性スタッフさんを呼んでくださって、
車椅子に移していただきました。
何年か前のことですが、辻村外科病院様、御親切にありがとうございました。

では、今から眼科に行ってきます~。



                         
                                  
        

オットはバカだ!と頭に来た日  夜のおむつ問題

category - 日記
2015/ 10/ 12
                 
昨夜の夜10時半くらいのこと、強烈な眠気に襲われて、
夜12時のシュウトメちゃんのトイレ介助まで、少しだけ寝ることにしました。
普通に目覚まし時計で起きるつもりだったのですが、
オットが「テレビ見てるから、12時に起こしてやるよ」と言ったので、
そのままベッドで即寝ました。

ハッとして目覚めて時計を見ると、夜中の1時少し過ぎでした。
隣にオットが寝ています。
「ひどい!起こしてくれるって言ったのに」と思わず言うと、
まだ寝入っていなかったのか、「起こしたけど、起きなかったんだよ。
今夜はもういいじゃん」って答えました。

もういいじゃんって?!何がいいの?!
その時点で、かちんと来ましたが、とにかく急いでシュウトメちゃんの所に行かないと。
今から寝るオットの睡眠妨害をするのもよくないし・・・と
オットはバカだ!と頭にきたまま、シュウトメちゃんの部屋に。

起こしても起きなかったから?!
起きるまで起こすのが「起こしてやるから」ってコトでしょうが?!
心の中でオットに悪態ついてました。

シュウトメちゃんは、紙パンツに尿取りパッドをつけていますが、
夜安心の・・・というタイプのではなく、薄手の動きやすさ優先のものをはいています。
オットはそのへんを勘違いしてるんだなと後で気が付きましたが、
その時は、シュウトメちゃんがもらしちゃうかもとちょっと泣きそうな気分でした。

私が部屋に行ったときには、まだもらしてなかったんですが、
睡眠薬でよく寝ているところを起こすので、力のいる介助です。
テキパキとはいかず、結局、ベッドから立ち上がったところでもれちゃいました。



シュウトメちゃんが、夜中もトイレで排尿したいのには事情があります。
入所している老健では、もちろん、夜中はオムツという人もいるんです。
そういう人たちは、次第に日中もオムツになって行きます。
オムツじゃない人よりもはやい速度でそうなると思います。

施設にとってはその方が都合がいいので、というのもあるんじゃないかと思っています。
「この人は夜中はオムツ」という人は「夜中も紙パンツでトイレで用を足さないと嫌な人」
と認識されている人に比べて、「日中もオムツでいいよね」という形になるのが
早いんじゃないかな~と私は感じるんです。

そして、老健の紙おむつ、紙パンツ、尿取りパッドは、全て費用に含まれているので、
少しでも使用量が少ない方が、施設の商売上、ありがたいわけです。
費用と、手間、ダブルで減らすには、紙おむつの交換頻度を減らす必要があり、
本人が早め早めに交換してほしくても、そうしてもらえない事情があるんです。

だから夜中も紙パンツで、ポータブトイレで排尿する習慣を続けたいと
シュウトメちゃんが言うんですよ。
もっともだと思います。

自宅でずっと私が介護ということだと、私も体がもたないので、
申し訳ないけれど、夜だけ夜用のしっかり吸収のおむつにしてと
頼むことになったかもしれませんが、短い帰宅期間の間のこと。
それくらい、してあげたいじゃないですか。

というその辺の事情を、オットは全く知らないことに気が付きました。
それに、トイレの介助もしたことがないので、そういうことを考えたこともきっとないでしょう。

私は父がホスピスで体力が落ちておむつになった時、
それをとても嫌がっていたのを見ています。

同じく母がホスピスの空きを待っている入院病棟で、
ポータブルトイレに移動するのが、とても疲れて大変そうだったので、
おむつにすると楽ですけどと看護婦さんに勧められ、
母に、おむつを勧めたこともあります。

母は大人しく、うなづいて、おむつになりました。
多少は嫌だったとは思いますが、もう体力的にきつかったので、
その方が世話もかけないし、自分も楽だと思えたのかもしれません。
こういう時は比較的女性の方が諦めがいいかもしれませんね。
子供のおむつを替えてきた経験がありますから。



とりあえず、夜中に寝ているのを起こされてトイレに行くのが
辛くないとは思いませんが、それよりも、夜もトイレで排尿する習慣の維持が
大事だという気力のあるシュウトメちゃんに私は拍手したいし、
いずれはそれも難しくなるにしても、協力してあげたいなぁと思います。

トイレの介助は、紙パンツを下げたり上げたりというのがあるので、
オットに頼むのは、シュウトメちゃんに可哀想だと思って、
1人で頑張っているのですが・・・
やらないとこういうことがわからないんだなぁと改めて認識しました。

とりあえず、今後仮眠を取る時は、絶対に目覚まし時計をセットして寝ます。
今回のおもらしは、立ち上がった時に始まって、
ポータブルトイレに座った姿勢で、紙パンツをはいたままという状態で起きたので、
パジャマのズボンは脱いでいたし、布団からは出ていたので、
お尻が尿で一時的に濡れて気持悪かったというだけの被害で済みました。
私がパッと目が覚めたのが、後10分遅かったら、もっと悲惨でした。

夜用の吸収力抜群の紙パンツをはいてもらった方がいいのかなぁ・・・
紙おむつにとても抵抗があるみたいなので、紙パンツのならいいのかも。
おむつでもパンツでも、吸収力抜群の商品はあるんです。

寝たまま取り替えることのできるのがおむつというだけで。
でも、せっかく気を張ってるのに、漏らしても大丈夫なのに替えて、
漏らす方向にいってしまったら可哀想だし。
迷うところです。



                         
                                  
        

介護生活をしております(笑)

category - 日記
2015/ 10/ 11
                 
シュウトメちゃんは今、朝の2度寝中です。
夜のトイレは、9時と12時に介助してトイレを済ませておけば、
朝の5時~6時まで大丈夫みたいです。

夜9時に、睡眠導入剤と便秘薬を飲みます。
これは私が嫁いできた30年前にすでに習慣化していて、
薬なしで眠るとか、排便があるとか、そういう期待はゼロでしたので、
これから先も続いて行く習慣になります。

最初は驚いて、何とかできないかと思ったのですが、
本人が、薬なしではダメで、飲まないとか減らすとかすれば、
辛いのは自分だと強く主張したので、どうしようもなかったです。

9時の時点のトイレは、まだ薬は効いていないのでいいですが、
12時の時点では、身体はだらだらで、力があまり入りません。
一番転倒の危険が大きいし、こちらの腰の負担も大きいです。
それはいいのですが、ベッド横のポータブルトイレで排尿し、
ベッドに再び寝ころばせるまでの30分で、私は目が覚めちゃいます。

11時から12時の間が眠いのですが、寝ちゃうと起きる時辛いので、
12時まで起きていて、シュウトメちゃんの部屋に行くのですが、
12時半にその仕事が終わっても、すぐに眠れません。
5時か5時半には起きてシュウトメちゃんの部屋に行くので、
早めに寝ないと、起きるとき辛いんですが、眠れないのはしかたありません。
今日も睡眠時間は4時間~。
おまけにオットがいるので、仕事を入れてありますから超忙しい日になりそう。(爆)

トイレの介助は、紙パンツをはかせたり脱がせたりするので、
呆けているわけではないシュウトメちゃんには、
やはり同性である私の介助でないと可哀想だし、仕方ないことですね。

明日も祝日で、デイサービスが入っているので、
3時間くらいなら、仕事できますと申し出てシフトを入れたのですが、
午前中に義姉たちが訪問してくれることになったので、
デイサービスはお休みすることに。
お休みする可能性を考えて、3時間限定のシフトにしてもらって正解でした。

お昼を食べさせて、薬を飲ませ、トイレを済ませてから仕事に行くので、
私が仕事から帰るまで、ベッドでテレビでも見ていてと頼んでいく予定。
他の部屋に行こうと、車椅子に乗る際に転倒すると、
1人では起きられないので、誰も家にいないときはなるべくベッドにいて欲しいです。

本当は、義姉たちが、私の不在時に来てくれると安心なのですが、
そんなことを頼んだら、揉めるかもしれないので、口にチャック。
とにかく、何かを頼むのは揉めるもとになるのを、何度も経験しています。

お隣の家のお嫁さんは、夜にお姑さんが徘徊する危険があるので、
自分の寝室でなく、お姑さんの隣の部屋で寝ていて、
起きる気配がすると、がばっと起きていたと聞きましたが、
そういう生活って、どれほど大変だろう・・・と想像して、
申し訳ないけれど、ぞっとしました。
うちは足が弱っているので、転倒の危険は大きいですが、
徘徊の危険はゼロです。

そろそろシュウトメちゃんも2度寝から覚めたかも。
朝5時半に一度起きて、排尿便は済ませているので安心です。
初日はう〇ちが床に落ちちゃって大変でした。

ベッドから起き上がる場所になる床の部分に、
滑り止めシートを敷いてある上に落としたので、
滑り止めシートをはがして捨て、新しいシートを貼りました。
予備のシートがもうないので、今日、買ってきてもらいます。

実はそういうことは予測していなかったので、
予備のシートがあったのは、たまたま買ったシートが大きくて
半分にカットして使った残りがあっただけなんですよ。
ラッキーでした。


                         
                                  
        

シュウトメちゃんの帰宅

category - 日記
2015/ 10/ 09
                 
シュウトメちゃんが今日、帰宅しました。

「家はいいなぁを」と繰り返して言っているので、
「施設ではやはり気を遣うものね。元気に帰れてよかったね」とお返事。

もう施設も長くて、家のようなものですけれど、
入所者さんはもちろん、介護するスタッフさんにも、
やはりいろんな人がいますよね。
相性のいい人もいれば、合わない人もいて当然です。
脳トレにはなるけど、疲れるのもわかります。

家は家で、全てバリアフリーにはなっていないし、
テレビばかり見ていてもボケちゃうので、デイサービスも入れてあります。
デイサービスに出かける準備も、脳トレにはなるけど、疲れますよね。

時々家に帰って、自宅での生活を味わい、施設に帰っていく今の生活は、
今のシュウトメちゃんにはちょうどいいです。
こういう生活がなるべく長く続くといいなと思っています。

ある程度以上の介護が必要になったら帰宅できなくなってしまうから、
現状維持を目指して、努力しようという気持ちになってくれているみたいですし。
車椅子からトイレやベッドに移るのに、自力で全く立てなくなったら、
腰にヘルニアのある私の力ではもう介護は難しいです。
少しの介助で立ち上がることができるって、すごく大事なことなんです。
シュウトメちゃんは頑張ってリハビリしています。

夜のトイレですが、眠る前にトイレに行くのはもちろんですが、
12時くらいにいったん私がシュウトメちゃんを起こして、
ベッド横のポータブルトイレで用を足してもらうことにしました。

シュウトメちゃんが自然な尿意で起きるのは、
12時かもしれませんが、12時半とか、1時とか、もっと後かもしれません。

申し訳ないけれど、そのタイミングで連れて行くのも大変なので、
12時までは起きていることにして、眠る前にシュウトメちゃんをトイレ介助して、
後は朝まで寝てくれないかな・・・と思っています。
とりあえず、今夜はそうしてみて、不都合だったらまた考えます。