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2015年07月29日

        

小桜姫物語

category - 日記
2015/ 07/ 29
                 
この本は霊界通信と副題があるのですが、著者は英文学者として名高く活躍されていた、
朝野和三郎氏で、日本で最初にシェイクスピアの完訳をした方でもあるとか。

英文学者として成功し、海軍教官としても前途洋洋だった道を投げ捨て、
心霊研究の重大性を深く感じて、人生の方向転換をなさった方のようです。

奥様が霊感が強く、小桜姫の霊媒となって語った物を記録し、
整理して、主要部分をまとめたのがこの本です。

霊界通信と言う言葉だけでも怪し過ぎかもしれませんが、
SFとしてお読みになっても充分面白い本であると思いました。



小桜姫は鎌倉出身のお姫様で、足利時代に現実に生きていた方だそうです。

嫁ぎ先が、3年の籠城を経て落城、戦闘が始まる前に、
女子供は避難し、姫は城の外に仮住まいをしていました。
夫は自害、自分は守られて暮らしましたが、悔しい、恨めしい、
さびしい、情けないという思いでいっぱいで、亡くなりました。

死んでいく時の感覚は、うたた寝のような、うつらうつらした感じで、
気がだんだん遠くなっていくようなものだったそうです。
はためには、顔がひきつり、脂汗が出たりして、いかにも苦しげであっても、
実際には肉体は魂が出たり入ったりしている状態とのこと。

誰かが横で叫んでいたりするとふっと意識が戻るけれども、
次の瞬間は、無意識の中に入っていくというような感じで、
本人はそう苦しくないというのを読んで、怖がりの私などは安心しました。
これが本当ではなくて、死ぬとき、嘘つき~と思ったとしても、なるようになるでしょう。

小桜姫も、意識と無意識の間を行ったり来たりして亡くなりますが、
後で、亡くなって無意識になってから2~3日続いたと教えられたそうです。
これは短い方で、自然に目を覚ましたわけではなく、
亡くなった人の魂を世話してくださる係の方に起こしていただいたようです。
馬鹿馬鹿しいって?
どちみち、読んでもいいよ~という方しか、もうこの先読まれないと思うので、
馬鹿馬鹿しいと思われる方の反応は気にしないことにします。(笑)

死んでから無意識の世界に行き、目が覚めた魂には、
ちゃんと指導する霊も、お世話してくれる霊もあるようですが、
みんな同じところに行くというわけではなく、人それぞれ、
修行のお題が違うので、それにふさわしい環境が目の前に現れます。

小桜姫は、落城の口惜しさの中で夫も城も失っていますので、
北條氏への恨み、仇を取りたいという願いが強かったそうで、
その荒んだ気持ち、現世の執着から離れる修行が必要でした。
最初に用意された修行場、住処は、岩屋の中でした。
(修業が進むにつれ、修行場は変わっていきました)

小桜姫は、指導役の神様(もともとは自然霊だそうです)に、この岩屋は薄暗く感じられるであろうが、
修行が進むにつれて次第に明るくなる、と諭されます。

この諭しの内容もなかなか面白いです。

修行場は人により違い、親子夫婦でも、天分、行状が違うゆえ、一緒に住むものではない

現世では肉体があるので、衣食住の苦労があるが、今は肉体のない世界にいるので、
出来るだけ早く、そうした地上の考えを頭から払いのけねばならない

恨み、嫉み、その他もろもろの欲望に心を奪われていると、
幽界(あの世)の亡者となってしまう
何よりも大切なのは精神の統一で、現世と違い、こちらの世界ではごまかしがきかない



始めのころ、何よりも困ったのは、現世に残っている両親が
嘆き悲しむ気持ちが、はっきりと感じられてしまうことだったとか。
小桜姫の没後、20年ほどして、姫はお母さまが危篤になったことを感じ、
実家へと飛んでいきました。

お母様は死の間際で、幽体が肉体の真上の空中に浮かんでいたそうです。
肉体と幽体の間にはひもが付いていて、一番太いのは腹と腹をつなぐひも。
小指くらいの太さだそうです。頭のひもはもう少し細いとか。
ひもがすべて切れた時が絶命だというわけです。

面白いと感じたのは、この話。
お母様の臨終に際して、現世での見舞客は、当然ですが沈み切っており、
あの世からの見舞客は、むしろ勇んでいるような陽気な面持ちだったとか。
お帰りなさい、とか、いらっしゃい、という感じなのでしょうか。



こんな風に書いていくと終わりませんので、バンバンはしょりますが(笑)、
ご主人と会うシーンが面白かったです。
小桜姫とご主人のそれぞれの指導霊が、お互いの受け持ちの魂の修行の進み具合を見て、
そろそろ会ってもいいのではと手はずを整えてくれるらしいのです。

ご主人は、3年の籠城の末の落城で、敵の手にかからぬための自害でしたが、
自殺なので、最初はとても暗いところに置かれました。
(その後、修行を積んで、明るい一軒家に引っ越し?たそうです)

夫を亡くした小桜姫が一心に夫のために祈り続けたので、あの世で目が覚めたそうです。
真っ暗な中、どうすることもできずに考え込んでいたら、
うっすらと灯りが差し、指導霊の姿が見え、声が聞こえたとか。

話し込んでいる間に、現世での暮らしも記憶によみがえり、
せめて手の先くらい触れてみたい、と思ったそう。
お互いの指導霊は、気を利かせたのか、見ていない感じでした。
ところが、手の先も触れることは出来ませんでした。
触れようと近づくと、相手の姿がすぅっと薄れてしまいます。

指導霊は2人を諭します。
強いて触れてみたところで、カサカサした感覚があるだけで、
現世のふれあいの様なものはここにはない、
ここで現世の続きをしても得るものはない、
愛情は、どこまでも浄められていかねばならない、と言うのです。
ちなみに小桜姫とご主人は、その後、浄められた愛情を保った関係だそうです。

現世での人間関係と、あの世のそれは違うみたいです。
濃い人間関係というのは、現世でのもので、
あの世でそれを求めると、幽界の中では亡者になってしまうらしい。
これは面白く感じました。



もっと本の後の方で、幼くして亡くなった子とその母が出てきます。
濃い情愛という意味で、ご主人と小桜姫のやり取りに似通った面があります。

6歳の娘を亡くしたこのお母さんは、娘が極楽浄土に行けるようにと、
一心不乱に阿弥陀様にお経をあげていたそうです。
そして時が経ち、亡くなったのですが、一番最初に迎えに来てくれたのは、
この亡くなったお嬢さんだったそうです。

ところが、その後、お母さんの魂は10年近く眠ってしまいます。
目が覚めた時、お母さんは、娘が当然近くにいると思って名前を呼びました。
しかし、何度呼んでも娘は姿を見せず、一人の老人(指導霊)が見えて、
そなたの子供は今ここにいないので、呼んでも無駄である、
修行が積んだら逢わせてあげぬでもない、と言います。

我が子に会いたくて一心に指導霊の教えを守り、
ある日、面会が叶って、お母さんはお嬢さんを抱きしめます。
しかし、肉体のない魂同士のハグは、軽く、温かくもなく、手ごたえがありません。

お嬢さんは親代わりの指導霊の言うことをよく聞く子です。
指導霊と2人きりでも淋しくないし、特に親に会いたいとも思わないようです。
あの世になじんでいるんです。

お母さんは、現世での生活への未練があり、この手ごたえのなさが
不満でなりませんが、気持ちはよくわかります。
6歳の娘を亡くして、自分も死んだのでやっと会えたのです。
温かく柔らかい娘の体を抱きしめたいじゃありませんか。

娘はあの世になじんで、クールで、抱きしめても、抱きしめた感覚がありません。
しかし、小桜姫もクールでして、つまらぬ女性の繰言、と表現しています。
読んでいて、その感覚は正しいと感じます。そういうものなのでしょう。

映画のルーシーを思い出しました。(笑)
脳が覚醒するに従って、人間的な感情が薄れていったルーシー。



この世であまりに強い執着から離れるのは、大事なことだと思います。
その大事さを理解した上で、人間的な執着がある状態を、
生きている間のこととして楽しめたらいいのかもと思いました。

執着は不要とはいえ、この世は執着を味わう場所でもあります。
あの世で味わいたいと願うと、あの世の亡者となってしまう。
せっかくなので、今生、それを味わっているのね。(←この本の趣旨ではありません。)

執着といえば、この本を読む前に「ブッダをめぐる人々」という
里中満智子さんのマンガを読んで、執着についていろいろ考えたところでした。

ちょうどいいタイミングで、今度はネット友のブログでこの本の存在を知り、
面白そうと思ってポチしたのでありました。
最近、本もいろんなご縁で、ちょうどいいタイミングで面白い本が現れてくれます。



親子や夫婦、親しい友人であって、この世では縁が深い魂も、
この世とあの世では、かかわり方が違うというのは、考えたことがありませんでした。

今のかかわり方は、今できること、なんですね。
そう思うと、今の人間関係がとても愛おしくなりました。


            
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