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2015年07月

        

眠りにつくナナちゃん

category - 日記
2015/ 07/ 31
                 
ナナちゃんはおねむになりました。
この顔はもうすぐ寝るぞ・・・という予想は当たりました。




ナナちゃんが眠りに落ちて変な顔になるまでの画像3つ











顔だけアップするとこんな感じです。










猫ってどうして舌を噛んでこんな顔になるんでしょうね。
先代猫、大福も、たまにこんな顔してました。
間抜けな顔であります。(笑)
            
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昨日はイタリアンレストランで夕食を

category - 日記
2015/ 07/ 30
                 


昨日は友人3人とイタリアンのお店で夕食を食べながらおしゃべり。
地元の友人ですが、お互いに夜でも出かけやすい環境になったんです。

コース料理でなく、アラカルトでお願いしました。
ワタリガニのパスタとか、イカ墨のリゾットなど、
家では作らないものを主にオーダー。
そういうものをちゃんと家で作る主婦は作っていると思いますが。(爆)

友人が個室を予約してくれていましたが、部屋はムーディーで暗めでした。
すみませんが、会話とお料理に集中していまして、画像はありません。
お店を出るときに、あ、そういえば・・・と入り口を写したのが上の画像です。

普段、明るい場所で過ごしているので、ちょっと苦手と言いつつ、
打ち明け話するにはいい雰囲気だねなどと笑いあって、
よく食べ、よくおしゃべりしました。

転職を考えている正社員友人の話とか、保母さんの友人が
最近職場の0歳児にママと呼ばれて嬉しいとか、
そんな話をあれこれしながら食べる美味しいお料理。いいよね~。(笑)

私の友人が全部私のように怪しいかといったら、そういうことはありません。
なので昨夜は怪しい話はあまり(皆無ではない)しませんでした。

今、目の前にある人間関係は、この世で今味わうべく目の前にあるんだなぁと
昨日の本からの連想で、感慨深く感じながら、おしゃべりしました。
この世に生きているってしんどいこともあるけど面白いですよね。
                         
                                  
        

小桜姫物語

category - 日記
2015/ 07/ 29
                 
この本は霊界通信と副題があるのですが、著者は英文学者として名高く活躍されていた、
朝野和三郎氏で、日本で最初にシェイクスピアの完訳をした方でもあるとか。

英文学者として成功し、海軍教官としても前途洋洋だった道を投げ捨て、
心霊研究の重大性を深く感じて、人生の方向転換をなさった方のようです。

奥様が霊感が強く、小桜姫の霊媒となって語った物を記録し、
整理して、主要部分をまとめたのがこの本です。

霊界通信と言う言葉だけでも怪し過ぎかもしれませんが、
SFとしてお読みになっても充分面白い本であると思いました。



小桜姫は鎌倉出身のお姫様で、足利時代に現実に生きていた方だそうです。

嫁ぎ先が、3年の籠城を経て落城、戦闘が始まる前に、
女子供は避難し、姫は城の外に仮住まいをしていました。
夫は自害、自分は守られて暮らしましたが、悔しい、恨めしい、
さびしい、情けないという思いでいっぱいで、亡くなりました。

死んでいく時の感覚は、うたた寝のような、うつらうつらした感じで、
気がだんだん遠くなっていくようなものだったそうです。
はためには、顔がひきつり、脂汗が出たりして、いかにも苦しげであっても、
実際には肉体は魂が出たり入ったりしている状態とのこと。

誰かが横で叫んでいたりするとふっと意識が戻るけれども、
次の瞬間は、無意識の中に入っていくというような感じで、
本人はそう苦しくないというのを読んで、怖がりの私などは安心しました。
これが本当ではなくて、死ぬとき、嘘つき~と思ったとしても、なるようになるでしょう。

小桜姫も、意識と無意識の間を行ったり来たりして亡くなりますが、
後で、亡くなって無意識になってから2~3日続いたと教えられたそうです。
これは短い方で、自然に目を覚ましたわけではなく、
亡くなった人の魂を世話してくださる係の方に起こしていただいたようです。
馬鹿馬鹿しいって?
どちみち、読んでもいいよ~という方しか、もうこの先読まれないと思うので、
馬鹿馬鹿しいと思われる方の反応は気にしないことにします。(笑)

死んでから無意識の世界に行き、目が覚めた魂には、
ちゃんと指導する霊も、お世話してくれる霊もあるようですが、
みんな同じところに行くというわけではなく、人それぞれ、
修行のお題が違うので、それにふさわしい環境が目の前に現れます。

小桜姫は、落城の口惜しさの中で夫も城も失っていますので、
北條氏への恨み、仇を取りたいという願いが強かったそうで、
その荒んだ気持ち、現世の執着から離れる修行が必要でした。
最初に用意された修行場、住処は、岩屋の中でした。
(修業が進むにつれ、修行場は変わっていきました)

小桜姫は、指導役の神様(もともとは自然霊だそうです)に、この岩屋は薄暗く感じられるであろうが、
修行が進むにつれて次第に明るくなる、と諭されます。

この諭しの内容もなかなか面白いです。

修行場は人により違い、親子夫婦でも、天分、行状が違うゆえ、一緒に住むものではない

現世では肉体があるので、衣食住の苦労があるが、今は肉体のない世界にいるので、
出来るだけ早く、そうした地上の考えを頭から払いのけねばならない

恨み、嫉み、その他もろもろの欲望に心を奪われていると、
幽界(あの世)の亡者となってしまう
何よりも大切なのは精神の統一で、現世と違い、こちらの世界ではごまかしがきかない



始めのころ、何よりも困ったのは、現世に残っている両親が
嘆き悲しむ気持ちが、はっきりと感じられてしまうことだったとか。
小桜姫の没後、20年ほどして、姫はお母さまが危篤になったことを感じ、
実家へと飛んでいきました。

お母様は死の間際で、幽体が肉体の真上の空中に浮かんでいたそうです。
肉体と幽体の間にはひもが付いていて、一番太いのは腹と腹をつなぐひも。
小指くらいの太さだそうです。頭のひもはもう少し細いとか。
ひもがすべて切れた時が絶命だというわけです。

面白いと感じたのは、この話。
お母様の臨終に際して、現世での見舞客は、当然ですが沈み切っており、
あの世からの見舞客は、むしろ勇んでいるような陽気な面持ちだったとか。
お帰りなさい、とか、いらっしゃい、という感じなのでしょうか。



こんな風に書いていくと終わりませんので、バンバンはしょりますが(笑)、
ご主人と会うシーンが面白かったです。
小桜姫とご主人のそれぞれの指導霊が、お互いの受け持ちの魂の修行の進み具合を見て、
そろそろ会ってもいいのではと手はずを整えてくれるらしいのです。

ご主人は、3年の籠城の末の落城で、敵の手にかからぬための自害でしたが、
自殺なので、最初はとても暗いところに置かれました。
(その後、修行を積んで、明るい一軒家に引っ越し?たそうです)

夫を亡くした小桜姫が一心に夫のために祈り続けたので、あの世で目が覚めたそうです。
真っ暗な中、どうすることもできずに考え込んでいたら、
うっすらと灯りが差し、指導霊の姿が見え、声が聞こえたとか。

話し込んでいる間に、現世での暮らしも記憶によみがえり、
せめて手の先くらい触れてみたい、と思ったそう。
お互いの指導霊は、気を利かせたのか、見ていない感じでした。
ところが、手の先も触れることは出来ませんでした。
触れようと近づくと、相手の姿がすぅっと薄れてしまいます。

指導霊は2人を諭します。
強いて触れてみたところで、カサカサした感覚があるだけで、
現世のふれあいの様なものはここにはない、
ここで現世の続きをしても得るものはない、
愛情は、どこまでも浄められていかねばならない、と言うのです。
ちなみに小桜姫とご主人は、その後、浄められた愛情を保った関係だそうです。

現世での人間関係と、あの世のそれは違うみたいです。
濃い人間関係というのは、現世でのもので、
あの世でそれを求めると、幽界の中では亡者になってしまうらしい。
これは面白く感じました。



もっと本の後の方で、幼くして亡くなった子とその母が出てきます。
濃い情愛という意味で、ご主人と小桜姫のやり取りに似通った面があります。

6歳の娘を亡くしたこのお母さんは、娘が極楽浄土に行けるようにと、
一心不乱に阿弥陀様にお経をあげていたそうです。
そして時が経ち、亡くなったのですが、一番最初に迎えに来てくれたのは、
この亡くなったお嬢さんだったそうです。

ところが、その後、お母さんの魂は10年近く眠ってしまいます。
目が覚めた時、お母さんは、娘が当然近くにいると思って名前を呼びました。
しかし、何度呼んでも娘は姿を見せず、一人の老人(指導霊)が見えて、
そなたの子供は今ここにいないので、呼んでも無駄である、
修行が積んだら逢わせてあげぬでもない、と言います。

我が子に会いたくて一心に指導霊の教えを守り、
ある日、面会が叶って、お母さんはお嬢さんを抱きしめます。
しかし、肉体のない魂同士のハグは、軽く、温かくもなく、手ごたえがありません。

お嬢さんは親代わりの指導霊の言うことをよく聞く子です。
指導霊と2人きりでも淋しくないし、特に親に会いたいとも思わないようです。
あの世になじんでいるんです。

お母さんは、現世での生活への未練があり、この手ごたえのなさが
不満でなりませんが、気持ちはよくわかります。
6歳の娘を亡くして、自分も死んだのでやっと会えたのです。
温かく柔らかい娘の体を抱きしめたいじゃありませんか。

娘はあの世になじんで、クールで、抱きしめても、抱きしめた感覚がありません。
しかし、小桜姫もクールでして、つまらぬ女性の繰言、と表現しています。
読んでいて、その感覚は正しいと感じます。そういうものなのでしょう。

映画のルーシーを思い出しました。(笑)
脳が覚醒するに従って、人間的な感情が薄れていったルーシー。



この世であまりに強い執着から離れるのは、大事なことだと思います。
その大事さを理解した上で、人間的な執着がある状態を、
生きている間のこととして楽しめたらいいのかもと思いました。

執着は不要とはいえ、この世は執着を味わう場所でもあります。
あの世で味わいたいと願うと、あの世の亡者となってしまう。
せっかくなので、今生、それを味わっているのね。(←この本の趣旨ではありません。)

執着といえば、この本を読む前に「ブッダをめぐる人々」という
里中満智子さんのマンガを読んで、執着についていろいろ考えたところでした。

ちょうどいいタイミングで、今度はネット友のブログでこの本の存在を知り、
面白そうと思ってポチしたのでありました。
最近、本もいろんなご縁で、ちょうどいいタイミングで面白い本が現れてくれます。



親子や夫婦、親しい友人であって、この世では縁が深い魂も、
この世とあの世では、かかわり方が違うというのは、考えたことがありませんでした。

今のかかわり方は、今できること、なんですね。
そう思うと、今の人間関係がとても愛おしくなりました。


                         
                                  
        

日本エレキテル連合のメイク動画に感動

category - 日記
2015/ 07/ 28
                 
ダメよ~、ダメダメで一世を風靡した日本エレキテル連合。
最近見ないな~と思っていたら、彼女たちはyou tubeで山ほどの動画をアップしているのですね。
ライブなどでも活躍して、好きなコントのお仕事に張り切っていらっしゃるようです。

テレビに向かない芸が多いかも。
しかし、本当にコントが好きなのですね。

メイクの画像があったのですが、すごい才能。



日本エレキテル連合が教える朱美ちゃん3号メイク



面白いんですが、見てて感動してしまった・・・

本気は人を感動させるって思いました。
                         
                                  
        

日曜日

category - 日記
2015/ 07/ 26
                 
人手が足りない日曜日…忙しかったです。

私の職場は、1時間交代でレジに入ることが多いのですが、
人手が足りないと、次のレジまでにやっておきたい仕事が終わらず、
仕方ないと思いつつも、不完全燃焼気味になりますね。

こういう時、コンビを組んで連動して仕事をサクサクこなせる相手と、
そうでない相手がいますが、相性なのでしょうか。

向こうもきっとそう思っていることでしょう。
相性が合う人は、koalaさんと組むと、サクサク仕事がはかどって、
気持ちいいなと思ってくれて(事実というより単なる願望?)、
相性が合わない人は、koalaさんってテンポが違って嫌になっちゃう~って思うのかも。

相性が合う人がいてくれて本当に有難いです。



勤時に私を励ましてくれていたツバメちゃんは,巣立ったようです。
可愛い顔が見えた巣も、もう空っぽ。

もう自分で餌が取れるんでしょうね。


                         
                                  
        

自分自身の本音との会話をもっと密に

category - 日記
2015/ 07/ 26
                 
この間、一緒に犬山に行った友人から、「興味や意見の違う人との間で
率直に会話を交わす練習をしませんか」との指摘がありました。

私はその友人に対して、率直に意見を言わないでいる自覚はなかったので、
少し面食らったのですが、「親しい友人に対して」というくくりを外すと、
確かにそういう傾向があるなと思いました。

自己分析癖があるので、最近、率直に意見を交わさなかった経験は?と
自分に聞いてみたら、思い浮かんだのは職場での会話でした。



一週間ほど前のこと、バイトの大学生さんが、翌日の釣銭を作る作業の途中で、
レジに入っている私を呼びました。
どうしたらいいのかわからないと言うのです。
朝、始業時にレジには各紙幣、各硬貨が、指定数通り入っていますが、
それを指定数通りに揃えて保管するところに入れる作業です。

難しいことではないので、レジを抜けて見に行きました。
5000円が22枚とか、決まった数に揃えるのですが、全部で20万円分。
1万円札が20枚あると、両替機で専用ボタンを押すだけで一番楽。
次に楽なのは、紙幣合計が20万円ある状態ですが、その時はとても足りませんでした。
両替機はお札でないと受け付けてくれません。

その次に楽なのは、レジにある500円玉を50枚をコインケースに入れれば、
他の硬貨はすべてお札で両替できる状態。(500円玉50枚で25000円)
それよりお札が少ないと、100円玉を50枚分作る、100枚分作る、という風に、
硬貨を合計して20万にする方法を取るのですが、少し面倒です。

そのバイトの子のレジを暗算したら、500円玉を50枚セットを作れば、
その他の硬貨はお札で両替できるお札の量でした。
なので、「500円が12枚足りないけど、それを両替でつくれば足りるよ」とアドバイスして、
私は、自分のレジに戻りました。

でも、バイトの子は「足りません」と言います。
ん?と思って、もう一度頭の中で計算してみてもお札は足りています。

私はそこで、バイトの子のところに行って、ささっと教えてあげればよかったですが、
出来るはずなんだから自分で考えてもらった方がいいかなと判断しました。
でも、バイトの子は、お金が足りないですともう一度言うので、
その時やっと、バイトの子はジャイアンの指導でジャイアン方式のやり方なので、
私が考えた方法じゃないから、出来ないんだきっと、と思い至りました。

このやり方は特にマニュアルはないのです。
ジャイアンはこの作業に自信を持っていて、
この作業をする人を見ると、つきっきりで教えまくっていました。
私のような古株には教える必要はないので指導はなく、
私はジャイアンのやり方で教えられないのです。

でも、もしかして私のやり方の方が簡単なのかも?という気もして、
とりあえず、私のやり方を教えればいいかなと思ったその時、
ちょうどジャイアンがやってきたので、バイトの子はジャイアンに聞き、
私もジャイアンに任せた方がいいと判断して、お任せしました。



ジャイアンはその方が嬉しいだろうし、私はその時間、レジにいる係だったので。
とても空いていたので、別にレジを出ていてもよかったのですが、
一番中央のレジに係がいないのはあまりよくないと私は思っていたのです。

結果的にはそれで問題なく話は終わりましたが、
これでは傍目に私って全然仕事が出来ない人だよな~という思いは残りました。
相手は学生バイトさんなのだから、自分で考えさせた方がなどと考えず、
ちゃちゃっと自分のやり方を教えて、koalaさん、ありがとう~で終わった方が、
もしも私のやり方の方がわかりやすかった場合、
後のちのことを思うとよかったのではあるまいか。
今回の私って、まるで馬鹿で指導もできないみたいだったし・・・。

しかし、厳しいことを言うようだけれど、ジャイアンも私も、
他のパートさんも、古株の人はみんな、やり方を教わるというわけではなく、
やり方を考えてそれぞれこの仕事をやってきたわけで、
大学生の子が、自分で考えないのは、やはり私には謎なのでした。



私が1週間経った今でも、このことを覚えていて、正直面白くないのは、
私が馬鹿みたいな雰囲気になったからというだけではなかったのだと、
今、ブログを書きながら気が付きました。

私が思ったことを口に出すとしたら、きっとこう言ったのです。

「この仕事は難しくない、簡単な仕事なの。
だって、決まった種類のお金を決まった数だけ揃えるだけなんだから。
私のやり方は、お札合計で20万あれば、それを出して両替する、
お札が足りない分は、大きい金額の硬貨を50枚セットで作ることで補充する。
それを算数の問題を解くつもりで、自分で考えてやってみたら、
今回は時間がかかるかもしれないけれど、次回からは早いと思うよ。」

そうか、私は本当はそう言いたかったんだと気が付きました。

別に説教したいわけではない、腹立たしいわけでもない、
ただそう思うからそう言いたいところなのだけど、
相手はそうは思ってくれないだろうというのは確実。

教えてくれたっていいのにと思うだろうから、今後一緒に仕事していくのに、
言わない方がいいだろうな~と思って言わなかったんですね。
こうやってブログに書きながらその時の自分を振り返って、
分析してみたから、こんな言葉が出てきたのであって、
ブログを書くまで、そんなこと、思いつきもしませんでした。

なんかかっこ悪かったわ、私・・・くらいの認識でいました。

とても可愛らしくて、感じのいい接客をしてくれるいい子なんです。
好きか嫌いかと言ったら、かなり好きな子です。
だから嫌われたくないし、こんなこと言われた~って噂もされたくないし、
聞いた方が早いっていうのも事実だし。
そうか、私は実はそんな風に感じてたんだ、とブログを書いていて気が付きました。



ジャイアンは、上に書いた私のような言葉はもちろん一切言わず、
わからないのね、こうやってやるのよ~と教えていました。
教えるのが大好きで、姉御肌なんです。

私はその時は、ちょうどジャイアンが来てよかった、と思いました。
私が自分のやり方を教えているときに来たら、そうじゃない、こうだよと言いだして、
多分、教えようと思わなければよかったという結果になっただろうと思いました。

それに、何度もそのやり方を教えていれば、
上に書いた言葉を聞いて私にムッとしたりすることもなく、
気分よくこの仕事を覚えることでしょう。それでいいんです。
私も同じ意見と思っていましたが、、本心は違ったのか?!

ブログを書いて発見しましたが、本当はその場で発見できた方がいいなあ。
でも本音っていろいろあるから難しいです。
今回の例で言えば、大したことじゃないからどうでもいいというのも本音。
結果として必ず翌日の釣銭の準備は出来ることはわかってますから。
優しく私の方法を教えてあげたかったのも本音。
どちらの方法が楽なのか、楽な方でやればいいんだし。
本音はたくさんあるんですよね。



それはさておき、振り返って考えてみると、
私はシュウトメちゃんとの同居生活で、言いたいことを言うことで、
山ほど嫌な目にあってきたし、その後、言いたいことを抑える訓練を
山ほど積んできました。その訓練は私を守ってくれました。

でも、もうそういう時期は過ぎて、別の門が、
目の前で、扉を開けているのかもしれません。

前のお題は、自分を抑える訓練だったかもしれませんが、
今のお題は、自分の本音に即座に気づくこと、なのかもしれません。



今日の日記もややこしくて面倒くさくてよくわかんないと
思われた方が多いかと思います。
私も普段いちいちこんな風にすべて分析したりしませんし、
ましてや友人と話しているときなど無防備で、
私の本音は?!などという思いすら湧きません。

脳みそで分析して理解しようとするから、速度の遅さが気になりますが、
感覚的に自分の本音がわかれば、問題ないなぁと思いました。
(これも怪しい表現で、私に似た人にしかわからない感覚かもしれません)

今回、本音を言っていたほうが良かったとかいう話ではありません。
あれはあれで正解でした。
ただ、私は私の本音に気が付いてあげたほうがよかったという話です。
本音って大事だから。
どんな本音であっても、そうなんだ!そう思うんだね!と
聞いてもらいたいエネルギーを持つものだから。

今はブログを書いて自分の思考の分析ができるという状態ですけれど、
自分に本音を聞く練習を積めば、もっと早く本音に気が付けるようになるのでは。

「興味や意見の違う人との間で率直に会話を交わす練習」は私の場合、
「自分自身の本音との会話をもっと密にする」のが、まず原点なのかもと思う日曜の朝でした。



                         
                                  
        

シュウトメちゃんの要介護認定

category - 日記
2015/ 07/ 24
                 
昨日はシュウトメちゃんの要介度認定がありました。

通常は、1年に1度受けるのですが、介護度が急激に上がったりした場合は、
1年経っていなくても、受けることができます。
シュウトメちゃんの場合は、ずっと1年に1度の間隔で受けています。

先日、市役所に行って、要介護認定をしていただく手続きをしてきました。
その後、日程に関する電話連絡があり、昨日に決めました。

シュウトメちゃんは入所中なので、市の調査員の方に、
施設の部屋まで来ていただきました。
日常生活の自立がどの程度に困難な状況であるかを、
調査員さんが詳しく調べて行かれます。

シュウトメちゃんは何だかとても張り切っていて、
一生懸命、自分で出来ることもあるアピールをしていました。

「着替えは自分で出来ますか?」と聞かれ、
手伝ってもらわないとと答えるシュウトメちゃん。
やはり出来ないと答えるのは気分が良くないのでしょう、次に、
「ボタンをはずしたりはめたりできますか?」と聞かれると、
「できるのとできないのがあるんだけどね、今着ているのはできます。」と
ブラウスのボタンを外しはじめました。
はずさなくていいんだけど・・・。
「おばあちゃん、わかってくれたから、ボタンはずすのは1個でいいよ。」

自尊心の問題で、できませんが続くより、できますと答えられる方が嬉しいですよね。
ちょっと可愛いシュウトメちゃんなのでありました。



                         
                                  
        

こんなに社会が昇れ昇れと言っている階段を、昇れない自分は情けないという思いを自分の中に見ること

category - 日記
2015/ 07/ 23
                 
世の中には、瞬時に適切な判断を下し、てきぱきと効率よく動き、
アホな失敗などめったにしないという人種がいます。

私と友人は、そこから遠い世界に生息するイキモノで、
そうした特質は、昔からありました。
努力が足りない、注意が足りないと恥じていました。
昔はもっと上手に隠せましたが、今はもう隠しようがない感じ?

加齢により、適切・臨機応変・てきぱき組の人たちとの距離は、
更に加速を見せています。
でも友人と「努力不足・注意不足というより生まれ持ってきたもの」だよねと
自虐というより、心からそう感じて、話をしました。

「あれあれ??」「しまった!!」
「あの時はこういえばよかったんだ」
「うっかり忘れてた」
こういう言葉と、親しくなりたくないのに、親和度が増していて、
このまま呆けていきたくないなぁという不安を抱えています。

こういう言葉と縁のない人っていますね。
仕事が出来る人、です。

自分が難なくできるので、出来ない人が理解できません。
努力不足なんだとしか思えないでしょう。
それはそれで無理ないのです。

何やってんだよ!という言動がきっぱり出る人と、やんわりしか出ない人がいます。
その非難を感じてしまうので、凹むよねという話もしました。

私や友人の年代では、皆さん衰えを感じ、不安も感じていることが多いので、
そうはいないけど、というか、見ていると似たようなドジをしでかしているけれど、
若い人は残酷だよね、などと話しました。

悪い人じゃないの。怠け者から遠いところにいる、
気配りのできる、よく働く気持ちのいい人たち。

私はそういう人たち、好きですよ。
勉強になります。
(そうか、この人は、ABCだけじゃなくて、DEFもいつも視野に入れてる)など、
自分の欠落しているポイントを見せてくれてありがたいです。



でも、できたらそっちのグループに属したいんだけど、
能力的に難しい人の挫折感は理解できないんだろうなぁ、って話しました。

どちらの人種も、ある程度のパーセンテージ存在しているのだと思います。
大多数の人は、その中間のノーマルな場所にいるというだけ。

私や友人寄りで、その度合いがもっと激しい人たちは、
今までの時代よりも、もっともっとそういう能力を求められる現代社会で、
「ダメじゃん!」「使えないヤツ!」という烙印を押されて、
自分も自分がダメで使えないと思いこんで、
暗い気持ちで引きこもったりしているんだろうか・・・。
それはとても残酷なことだし、そういう人が増えていること自体が、
社会への警鐘となっているのかもしれない・・・。

瞬時に適切な判断を下し、てきぱきと効率よく動ける人は確かに素晴らしいけれど、
違う特質を持って生まれた人はダメなのか?
日本社会は、そういう価値観で動き続けてきたから、
孤独な人が増え、鬱や自殺が増え、いじめが増えて、
閉塞感が漂っているのではないのか・・・・。



私の好きな賢者テラさんは、大学を出て、就職して、一生懸命働きましたが、
あれもこれもいろんなことに目を配り、適切な判断と行動をして、
後輩の指導もできるかどうかという点で、難しかったため、リストラされました。
その後、受診して、発達障害がわかり、障がい者の施設で働くこともしましたが、
若い指導のお姉さんが、子供にわかりやすく教えるように、
簡単な仕事を指導する中で、あまりにみじめになり、引きこもり生活に入りました。
ニートになって1年半、ほぼ家を出なかったそうです。
久しぶりに外に出て、人生が変わるようなことが起きたそうですが・・
詳しいことはテラさんの以前のブログに書いてあります → 世情

発達障害というのは、いろいろな能力についてのアンバランスが激しい状態なので、
全体に全部の能力が低いというわけではなく、
たくさんのことを欠けなくこなすことができないのだと思います。
能力の凸凹は誰にでもありますが、凸凹が激しい人に向く職場は少ないでしょう。
凸を生かせる職場に出会った人は幸いですが、
そうでない人の方が多いに決まってます。

それについて私に出来ることなどないのですけど、
臨機応変に、適切な言動がとれ、効率的に動ける人は
資本社会のニーズに合っていていいのですが、
それを突き詰めている社会が、鬱や自殺を増やしているのも事実です。
出来る人だって、もっともっとと要求されて鬱になっているのが現状。

それだけが◎で、普通は〇、それ以下は×という価値観を
自分の中から洗い流す作業を、淡々としていこうと思います。
私や友人みたいな人種は、その役割でそういう人種に生まれてきたのかもしれません。
個人的には、ホ・オポノポノの言葉がしっくりきます。
 
私の中には、臨機応変に効率的にてきぱき正確に動けることが素晴らしく、
それが出来ないのはダメだという価値観があります。
でも本当はこの世にダメな人などいません。
それについて祈ります。
ごめんなさい
許して下さい
愛しています
ありがとう



これは家に帰ってからの連想ですが、「べてるの家」という施設が北海道にあるんです。
精神障害の方の施設です。
田口ランディさんが何年も前に、こんなコラムを書かれていました。この文章を読んで、
私はとてもハッとしましたし、その通りだと感じました。
友人に会って話していた時は、この文章を思い出さずにいたので、
このことについて話せなくて、振り返るとちょっと残念です。


締めくくりに、上のリンクのランディさんの文章を一部抜粋して青字にしました。

「こんなに社会が昇れ昇れと言っている階段を登れない自分は情けない、
昇らなければと相当粘って精神を病む」という指摘が胸に沁みました。

病気(べてるの家なので精神病)になるという体験を強いられる人たちは
「自分とは何か」を知るために選ばれた人たち。


勝ち組、負け組っていうのも、昇れているひとは勝ち、
昇れない人は負けという価値観なのかも。
いじめる人は、自分は昇れているのか不安なので、
お前は昇れていないぞと人を貶めることで安心したいのかも。
その社会を変えていくには、社会を構成する一人一人が、
意識を変えていくしかないのかもしれないと感じました。


なんらかの精神的な病を発病してべてるの家に集まって来ている人たちは、
たぶん、必死になって「降りたくない、降りてはいけない」と
階段にしがみついていた人たちなのである。
こんなに社会が昇れ昇れと言っている階段を、昇れない自分は情けない、
昇らなければいけない、だから昇るのだ。
降りてはダメだと、相当にねばってきたのだ。

でも、社会が望む生き方は、彼らの心の内側からあふれ出してくる
「自分らしい生き方」と対立してしまい、その対立によって
自分の内面が引き裂かれてしまい、どうしようもなくなって
精神病として発露してきたのである。
ほんとうの自分を生きる……ということがどういうことなのか、
多くの人はわからないし、私もわからなかった。
自分は、ほんとうの自分を生きているように思い込んでいるし、
それで、案外とうまくやってしまえれば、一生
社会が決めた価値観に添って生きることを不自然とは思わない。

だから、自分をたいせつに生きる……という点から見れば、
べてるの家の人たちは「選ばれた人たち」だろうと思う。
おおよそ、病気になるという体験を強いられる人たちは
「自分とはなにか」を知ることのために、選ばれた人たちなのだ。
いったい誰から選ばれたのだ?と質問されれば、
私は「人類から」としか答えようがない。
神などではなく、人間という意識をもった種のなかで選ばれた人たちなのだと思う。

  中略

選ばれる……ということは、受難なのである。
それは、苦しむ者として選ばれたということなのだ。
人は一人ひとり違う。バラバラに生まれてバラバラに死ぬ。
一人として同じ人はいないけれど、おおむね同じ環境に生まれれば、
同じ環境で同じようなシステムの中で育てられる。

   中略

内的な葛藤に興味のない人……というか、
あまりそれを経験しないでもよい人生を送って来れた人たちは、
自分の自我を揺るがすような葛藤を怖れるがゆえに
他者を批判して叩きつぶすことがよくある。
怖れから生まれる怒りという感情は、とかく正義と結びつきやすい、
人間の心の恐るべき影だ……。

  中略

私が彼らから学んだのは「私は降りたくない」と思っているということであり、
それゆえに彼らの仲間だった……という自分自身の二重性だった。
「降りましょう、降りましょう!」と言って降りられる人、
「降りるのはすばらしい」と言って自分とは関係ないと思っている人、
そのような人たちにとっては、べてるは全くどうでもいいことなのだと思う。
                         
                                  
        

友人と犬山へ

category - 日記
2015/ 07/ 22
                 


犬山城の城下町散歩。
こんな可愛い傘を差した男の子が歩いていました。
古い街並みによく似合いますね。



名古屋を出たのが1時過ぎでした。
夕食は洋食のコースの予定でしたが、団体客が入って満席とのことで、バイキングに変更。
ランチは、あまり食べてしまうと、夕食に響くので軽くと思い、
菜飯と豆腐の田楽のミニセットにしました。
目の前のお庭、遠目では綺麗でしたが、近くだと雑草が目立ってがっかり。
田楽も菜飯も美味しかったです。



ここは旧磯部家住宅。屋根に特徴がある町屋です。
画像ではわかりにくいですが、屋根が丸みがありました。
こういう昔の町屋は入り口に広さの割に、とても細長いものですけど、
こちらも、細長い敷地に建つ、奥行きの広い住宅でした。
間口(建物の正面の幅)の広さで税金が決まったので、こういう細長いつくりにした方が得だったんです。




立派な蔵も建っています。





                    この縁側に座って、友人とまったりおしゃべりしました。




犬山城の方に戻り、お隣の三光稲荷神社の門をくぐりました。






お稲荷さんの赤い門をくぐるのは昔から好き。(笑)





青紅葉がきれいでした。





犬山城に向かう道で、友人とお互いに「年を取ったら登れないよね」と言い合いました。

確かに歩きやすいようにスロープにしてありますが、スロープも急です。
城ですから、攻められにくいように、坂を急にするのは当然ですけどね。

犬山城は、戦火にあっていないので、新しく作られた城ではありません。
織田信長の叔父にあたる人が作った城です。







天守から川を眺めた景色がとても素敵でした。
風が吹き抜けてとても涼しかったです。




最近、スマホの調子が悪く、すぐ電池がなくなってしまうのですが、
もうここまでで電池が少なくなってしまい、これが最後の画像になりました。
この後は犬山ホテルまで歩き、温泉に入り、バイキングを食べただけですので、
写真を写せなくてもかまわなかったですが。

友人と見慣れない景色の中を散歩して、おしゃべりし、
温泉と食事を楽しみつつ、またおしゃべりという
命の洗濯をした半日、楽しく過ごしてきました。

しゃべるって大事だよね。(笑)

                         
                                  
        

今日は友人と犬山へ

category - 日記
2015/ 07/ 22
                 
友人と会う予定の日です。
彼女はある自営のお仕事をしています。

この日はフリーなの~という日でも、
急な予約が入って、会う時間が限定になったりするので、
計画はいつも何もしないで、前日にどこで会おうと話す感じ。

今回も、やはり前日にメールでどうしましょうかと相談しましたが、
彼女が急な仕事が入って、午前中は出られないとのこと、
でも、暑いけど出かけたい気分というので調べまして、
犬山はどうかなということになりました。

犬山城は、階段がそこそこ急ですが、風が通り抜けるし、
城下町でぶらぶらして、あまりに暑ければカフェに入ればいいし、
近くのホテルで、そこで食事すれば、日帰り入浴OKでしたので、
ランチではなく、夕食をホテルで、ということになりました。

ホテルに電話すると、できたら予約をということでした。
まだ予約してません。
時間を決めないとね・・・って、もう当日です。(爆)
念のため、午前中に予約しておくつもりです。
予約が必須でないのはありがたいです。

子供たちは大きいので、今日の晩御飯は各自ねと言えばそれで大丈夫。
それまでは、遊びで出かける際には作って出かけないとと思っていましたが、
そういうのがすぽんと抜けると、とても楽になりました。

長女は休みの日のランチやお弁当など自分で作っているのですが、
オットと長男は、作ったのがないなら買ってくるor食べてくるタイプ。
出来たらたまにはつくるといいんだけど。
長男は月に1回くらいは作ります。
たった月に一回!と思われるでしょうが、皆無のオットより多い。(爆)

まあそれは私の問題ではありません。
私なりに努力はしましたが、オットを変えることは出来ないと学びました。
友人と出かけて夜留守にしても咎めないだけで満足すべきなのでしょう。
天気予報は弱い雨だけど・・・
楽しんできます。