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2015年05月28日

        

死に向き合うこと、死に際に思いを馳せること

category - 日記
2015/ 05/ 28
                 
ネット友sioさんのブログで知りましたが、欧米では、胃ろうも中心静脈栄養も、
肺炎の際の抗生物質の使用もしないそうです。

食べれなくなった老人に無理に栄養を与えるのは非倫理的で、
時には老人虐待に当たると考えられているからで、
そのため、寝たきりになる前にこの世を去るとのこと。

sioさんは、「そういう文化が日本でも発達すれば、苦痛だけを与えるような
老人の延命措置は随分減少すると思う」と書かれていましたが、同感です。



肺炎の際の抗生物質については、それくらいはいいのではと感じましたが。
確かに高齢者の肺炎は重症化しやすく、収まっても再発しやすく、
苦しみを長引かせる側面もあるとは思いますが、
抗生物質が劇的に効いて、小康状態を保てるかもしれない可能性もあるわけで・・・
でも欧米でそうしないのは、可能性がほとんどないからなんでしょうか。
そういうことも、客観的なデータを広めてほしいと思います。

胃ろうや中心静脈栄養については、苦しみを長引かせるだけと感じています。
でも、それが日本の医療から激減するかと言えば、難しいことと思います。


その難しさの理由の一つは、「死に向き合うこと」に慣れていないことではないか、
死に向き合う姿勢を啓蒙していくことは、日本人に必要なのではないかと感じました。
死に向き合うこと、死に際に思いを馳せること、それは大切なことです。


死は誰しも迎えることがわかっていることなので、タブー視せず、
自分や家族も当然経験する、最後の時について、
しっかり考えておくのが当たり前、という風潮が出来ればいいと思います。



私の両親は、発見時に、転移もしている末期のガンで、
最後はホスピスで亡くなりました。

2人を看取ったので、大切な人が目の前で弱っていき、死んでしまう心の痛みも、
どうにかして、少しでも、その時を先送りにしたい家族の気持ちも、
とてもよくわかります。

頭では、食べれなくなった老人に無理に栄養を与えるのは非倫理的と思っても、

点滴で命を長引かせることができることに心を救われてきました。

それ以上の延命処置はしなくて済みましたが、

振り返れば、点滴で命を長引かせること自体が、本人には苦痛だったと思います。


血管が弱ってくるので、何度も差し直ししたり、

点滴の液が漏れてしまったり・・・どちらも痛い思いを伴います。


父の場合は、痰を出す力も残っていないのに、点滴で生きていたので、

痰を取る作業の苦しさを何度も経験させてしまいました。


母の場合は吐き気があったので、何度も、吐く苦しみを経験させてしまいました。


点滴でさえ、何度も注射針を入れ直す必要が出てきたら、

中止していただいた方が、苦しませずに逝かせてあげられたと感じます。

幸い2人とも、最後はとても穏やかに旅立って行きましたが。





胃ろうや中心静脈栄養では、どれほど苦しみを長引かせることになることかと思います。

本人が胃ろうや中心静脈栄養を希望することは少ない気がします。

静かに逝きたいと願うんじゃないでしょうか。


以前からその件についてはよくよく考えて、話し合いもしてきた上で、

本人も希望も同様で、胃ろうまたは中心静脈栄養を希望します、という人の割合は、

かなり少ないような気がします。

こんな大事なことを、本人の意思に無関係に決めるのは、どうなんでしょう?


私は胃ろうや中心静脈栄養に詳しいわけではないので、

そういう選択肢をとって、本当に良かったと喜んでいるケースも、

(きっと、いらっしゃると思うんですよ)

逆に、そういう選択肢をとるべきではなかったと悔やんでいるケースも、

身近には全く知りません。


そういう人の方が多いのではとも思います。

でも、それこそが問題なのでは?という気持ちになりました。


もしも、死をタブー視するような習慣がなかったら、

もっとフランクに、いろいろなケースの情報が出回ると思うんです。

大事なことなんだから、知ってて当たり前、みたいな感じで。


その上で、人生を支えあってきた家族として、自分はこうしたいんだと、

しっかり考えて、話し合う習慣が出来ていたら、

日本の延命治療の在り方も、変わるんじゃないかと思います。






死ぬことって、いつまで、そんなに最悪で、

口にしてはいけないタブーであり続けるんだろう?


出勤前に考えるにはあまり最適ではなさそうですが、

そんなことをつらつらと考えてしまいました。


            
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