FC2ブログ

2014年12月11日

        

シュウトメちゃんとのあれこれはきっと、経験をして身を持って知るためのシナリオだった

category - 日記
2014/ 12/ 11
                 
昨日の日記にシュウトメちゃんとのことを書きましたが、
若いころの私には、シュウトメちゃんは、無理難題を押し付けて、
嫁だからすべて我慢するのが当然と言い切ってくる、
とんでもない人でしかありませんでした。

シュウトメちゃんは、シュウトメちゃんなりに、
自分の前に与えられた人生を、一生懸命生きている人だという
人間の尊厳への尊敬の念とでもいうべき感覚が、
あるかないかの違いが、この30年間の違いだと、
同居生活を振り返って感じています。

不思議なことに、この思いは一方通行でない気がします。
お互いの関係にそれを感じるのです。
口には出さないけれど、私が嫁いできてからの30年を振り返って、
嫁koalaにもそれなりの苦労があって、頑張ってきたのだなぁという
私がシュウトメちゃんを思うときに感じるような感覚を、
シュウトメちゃんも私に対して持っているような気がしています。



「人間の尊厳への尊敬の念」などというと、どうも美しすぎる気がして
しっくりと来ないのですが、他に適当な言葉が見つかりません。

では、どんな人間でも貴いのか?という声が聞こえる気がします。
少し話が脱線して大げさな話になりますが、
どんな人間の行為も、それにふさわしい背景があり、
その選択をした価値観があって、私たちの目の前に現れています。

危険ドラッグを吸って事故を起こして人を巻き添えにした人は、
結果的に人に危害を与えることになっても、現実逃避した方がいいという選択をしました。

自分の子供を虐待して殺してしまった親は、
自分のストレス解消に、自分より弱い命を痛めつけてもいいという選択をしました。

この間犬を大量に捨てて殺したようなペットショップオーナーは、
お金さえ儲かれば、動物にどんなことをしてもいいという選択をしました。

そういう感覚は違うという道に進む可能性もあったと思いますが、
残念ながら、その選択は、なされませんでした。
でも私は思うんですよ。

ニュースになったこういう事件はみんなに知られるけれど、
そういう選択をしないで済んで、ニュースにならず、
誰にも知られなかった件が、たくさんあるんだろうなって。

最悪のシナリオを選択した、氷山の一角の件がニュースになって、
私たちの心に警鐘を鳴らしてくれているのかもしれないって。

他の人に危害を与えても、現実逃避することってどうなの?
逃避しないで現実を大事に生きるってどういうこと?
私は今、何かから逃避したい気持ちがあるの?
あるとしたらそれはどんな現実?
そこから逃避しないで生きるってどういうこと?

ストレス解消に弱い立場の人を痛めつけるってどうなの?
八つ当たりもこれに含まれるよね?
そもそもそのストレスってどこからくるの?
どんな価値観が生んでいるストレスなの?
価値観の方が間違ってない?

お金さえ儲かれば、何してもいいの?
人間は他の動物よりそんなに偉いの?
そもそも、お金って暮らしに使う道具だけど、
そのお金で得たいものって何?

犯人が許せない!って頭にくるのも、被害者を思うと当然なのだけれど、
この事件が自分の耳に入ったのは、警鐘を鳴らしてるんだと思えたら、
自分に問うことはたくさんある気がします。
昔、ユーミンの歌にあったように
♪目に映る すべてのことは メッセージ♪だと思うから。



脱線終わり。(笑)
実は脱線したつもりはないのですが、読むと多分とても唐突な話なので。

シュウトメちゃんとの軋轢が、同じように、
♪目に映る すべてのことは メッセージ♪だと思っていたら、
若いころのストレスがずいぶん違った気がします。

でも、それはそれでよかったんです。
私は嫁姑の軋轢という得難い経験をしたんです。

シュウトメちゃんは、嫁は家のために尽くすものという価値観を
植えつけられたために、嫁としてとても苦しんできました。
でもそれが正しいと思っていたので、私にも押し付けてきました。
シュウトメちゃんとしては大妥協して、ほんの少しだけ押し付けたのに、
そのほんの少しでもびっくりした私は、とんでもない!と押し返しました。

でも私の中にも、嫁は家のために尽くすものという価値観が実はあったので、
とんでもないと反発しつつ、自己嫌悪も内側で広がっていて、
知らないうちに余計にストレスを募らせていました。
今思うと、自分を責めるなんて、実に不要なことでした。
でも経験しないと、それが自分にあることも不要だったことも認識できませんでした。

当時は、自分が反発している意識しかなかったので、
自分で自分を責めていることすら気が付いていませんでした。

今は、嫁は家のために尽くすものという価値観が不要であること、
自分の中にはそれがあること、それは私が昭和35年生まれで、
その当時の親の世代の育ち方を考えると、
日本の田舎育ちには割に共通していたこと、
特に田舎風土の度合いの高いシュウトメちゃんには、
非常に強く染みついたのも無理からぬことと、
いろんな認識が出来ています。

その認識は私が経験から学んだもので、本で読んだだけとか、
人に聞いただけという知識ではありません。



人は、たくさんの認識を、経験から学ぶために生きているのだと
最近思うようになりました。

シュウトメちゃんの認識は時代錯誤でヘン!と非難することはたやすいですが、
シュウトメちゃんの人生のシナリオが、そうなっていたのです。
本人はその置かれた位置で、一生懸命生きたんです。

ヘン!の一言で否定するのではなくて、人はみんな、
自分が置かれた位置で自分なりに頑張っているのだと思う気持ちを
一言で表現するとどういえばいいかなと考えて、
私は「人間の尊厳への尊敬の念」という言葉にしてみたのでした。




もっと成長しないとダメだと、ずっと思ってきました。
その根底には自己否定があったのですが、
自分では前向きないい思いだと考えていました。

ここをもっとこうしないと、今のままの自分はダメ、というのではなくて、
ここをもっとこうするといいと気が付いた、
今の自分を大事にし、今の環境を大事にして生きていこう、というのは、
言葉の遊びじゃないんだな~と思っています。

同居なんて、ストレスがたまるばかりで嫌な思いと苦労ばかりで、
本当にはずれくじを引いた気分だ、と若い頃は思っていました。

実は、そこから学ぶことが一番私のためになるから、
私が学ぶのに最適なシナリオとして、問題集として、
嫁姑の確執という経験が準備されていたのでした。

シュウトメちゃんにとっても、言いなりにならない嫁に
イライラする経験が準備されていたのだと思います。

いつもながらの怪しい日記です。
読んでくださった方、ありがとうございました。(笑)

            
スポンサーサイト