FC2ブログ
2014/05/29

2014年05月29日

        

「本当のことだから」より  大ちゃんとじゅんくんと雪絵ちゃん

category - 日記
2014/ 05/ 29
                 
大ちゃんは、中学の養護学級の生徒さんとして、
先生の山元加津子さんに出合いました。


出会った時、大ちゃんは字も書けず、会話はとんちんかんでしたので、
いろんなことを知っていて、感じていて、表現したい子供だと
いう認識は、先生は持っていませんでした。
漢字はわからないだろうと、ひらがなを教えましたが、
それも覚えないようで、ひらがな文字も書けませんでした。

そんなある日、先生は大ちゃんにワープロを教えました。

大ちゃんは実はいろんなことを知っている子でした。
そしてワープロによって「文字は他の人に自分の気持ちを
伝えることが出来るものだ」と知ったようです。

そのころを境に、大ちゃんは、少しずつ「読める字」を
書くようになったということです。
































-------------------

星の光が見える
星と僕は知らないもの同志やけど
僕の心を動かす力を持ってるんやな

-------------------

葉っぱだって
石ころだって
そこにあるだけで
心を動かす力がある
それが“ある”ということなんかな

-------------------

僕だってそこに“ある”
“ある”ものはみんな
大切なんや

-------------------

僕が生まれたのには
理由がある
生まれるってことには
みんな理由があるんや

--------------------


この大ちゃんの詩を読んだひとりに「じゅんくん」がいました。

じゅんくんには重い障害があって、生れつき手や足を動かすことが難しく、
食べる、移動するなどの日常のほとんどのことを
家族や看護婦さんにお手伝いをしてもらっています。
そのじゅんくんからある日、山元加津子先生に電話がありました。

「大ちゃんの詩を読んだよ。
僕は何もできないのに、本当に僕が生まれたのには理由があるの?」

その答えを出すために、雪絵ちゃんも一緒になって考えてくれました。

自分のことを振り返った雪絵ちゃんは、お母さんに質問しました。

先日ブログに載せたエッセイの「私、これでいいみたい」の通りです。


お母さんとの会話の中に、雪絵ちゃんは、
じゅんくんへの答えを見出しました。

「私、わかったことがあったの。
もし、私とお母さんが逆で、お母さんの体が動かなかったら、
私がお母さんがたとえどんなわがままなことを言っても、
何でもしてあげたいって思うだろうな。
そうだ、人って、愛するため愛されるために生まれてきたんだって思うよ。
じゅんくんに雪絵はそう思うよと伝えてあげて」

-----------------------------------------

そんな風に答えた雪絵ちゃんでしたが、病状が悪化し、
更に体が動かなくなると、何度もじゅんくんのことを考えたそうです。

「私、何度もじゅんくんのことを考えるよ。
私は今、お世話をかけるばかりで何もできない。
私がいて、本当に何かの役に立ってるのかな?」

山元加津子先生は、こんな風に書いていました。
雪絵ちゃんが亡くなってから書いた文章です。
(長いので、略してあります)

もしも雪絵ちゃんがいなかったら、
どんなにたくさんの大切なことに気が付けなかっただろう、
自分の人生も淋しいものになっただろうと思います。

雪絵ちゃんは、たくさんの人と強い絆で結ばれ、
濃い心の交流をしていました。
たくさんの出会いを、雪絵ちゃんはとても大事にしていたし、
出会った人々は誰もが雪絵ちゃんの人柄や生き方に惹かれ、
心を打たれたことでしょう。

雪絵ちゃんは「大きな宇宙」の大切な一齣であったに違いないのです。

雪絵ちゃんは自分の人生を懸命に生き、自分で自分の生き方を決め、
そして亡くなることさえも、自分で決めたのだと思っています。

私は旅をしながらでも、家に帰ってきてからも、
まだ時々泣きそうになります。

私は雪絵ちゃんとこれからも一緒に生きていくってわかってるのに、
雪絵ちゃんは自分で決めた生き方をしたんだってわかってるのに、
でも、やっぱりどうしようもなく泣きそうになります。

宇宙の秘密について書くようになって、
人間もやはり動物なのだということを、よく考えるようになりました。

猫は年を取って、自分があと数日で死ぬのだと感じると、
飼い主に自分の死体を見せないように
ふいっと家から出て行ってしまうというし、
象は群れを離れて森の奥で死ぬのだと言います。

また、与論島に住んでいる老人は、もうすぐ亡くなるというときになると
病院に入っていても、「もうすぐ僕は亡くなるので」と
病院を出て、お世話になった人たちに挨拶をして回った後に、
家で眠るように亡くなるのだと聞いたことがあります。

雪絵ちゃんのお母さんは、延命治療をしないでほしいという
雪絵ちゃんとの約束を守りました。
だからこそ、雪絵ちゃんは心の声に耳を澄まして
大きな宇宙とすながることができたのかもしれません。

生まれること、生きていること、亡くなること、
それは、大きな宇宙の流れの中ではとりたてて特別なことではなく、
本当なら恐れる必要もなく行われることかもしれません。

人がいろんなことを自分で決めて生きている。
けれど、宇宙の大きな力が私たちに、私たちは今どうするべきなのか、
どう生きていくべきなのかを教え続けてくれてるのだと思うのです。

-----------------------------------

みち  (雪絵ちゃんの詩)

今日まで歩いてきたみち、
さっき歩いてたみち、
明日歩くみち、
今歩いてるみち、
これから歩くみち。
全部私が選んで歩いてるみち。
だからこのみちでいいの。
このみちを歩きたいの。
私の選んでるみちは、いい方に向かってる。
だから全て大丈夫。このまま行けば大丈夫。全て大丈夫。


-----------------------------------------

大ちゃんとじゅんくんと雪絵ちゃん。


「生まれるってことには  みんな理由があるんや」
そんな詩を書いた大ちゃん。

僕は何もできないのに、本当に僕が生まれたのには理由があるの?」
「大ちゃんの詩を読んで先生に電話した、
恐ろしく自由を奪われた体で生きているじゅんくん。

「人って、愛するため愛されるために生まれてきたんだって思うよ。
じゅんくんに雪絵はそう思うよと伝えてあげて」
一生懸命考えて、そう答えた雪絵ちゃん。

「自分のことが自分でできることが大事」という視点や
「将来、お金を稼げることが大事」というような視点、
あるいは「不自由なことがないことが大事」という視点で見たら、
この3人は、価値がないことになります。

このブログを読んでくださっている方は、そんな風に思われないでしょう。
私ももちろんそんな風には思いません。
でも、自分の心の中を覗いてみると、そういう視点、価値観は
ちゃんと存在していると思いました。

世の中にそういう視点、価値観が根を張り、広がっているから、
雪絵ちゃんも、病状が悪化し、じゅんくんの立場になった時に、
「私、何度もじゅんくんのことを考えるよ。
私は今、お世話をかけるばかりで何もできない。
私がいて、本当に何かの役に立ってるのかな?」
という問いかけを、自分自身に
何度も繰り返さなければならなかった気がします。

亡くなる2か月ほど前に、雪絵ちゃんが先生に言いました。
「かっこちゃん、前にね、病気とか障害ってとても大事だって言ったよね。
人間はみんな違ってみんなが大事だということも
科学的に証明されてるってことも言ったよね。
それを世界中の人が当たり前に知っている世の中に、かっこちゃんがして」
「何も言わないで。約束してくれるって言ったよね」

「それを世界中の人が当たり前に知っている世の中」だったら、
「僕は何もできないのに、本当に僕が生まれたのには理由があるの?」
という、じゅんくんの問いもいらなくなる・・・・。
 
-----------------------------------------

   最期に大ちゃんの詩をいくつか

心の奥に座っている
僕の僕が考えている

どっちにしようかと
わからんくなったら
少し休んで
みみできいて
しずかにみてたら
きっとわかる

-------------------

僕が生きていること
君が生きていること
ここにこうして いられること

僕の上の星
時計の上の星
君の上の星

-------------------

僕が今ここにいることは
僕の足あとの
つみかさねやと思う
たくさんの昨日があって
たくさんの明日がある
たくさんの昨日は
いつもたくさんの明日のために
歩いている

-------------------

戦争は
手と足じゃ足りなくて
心まで持っていくんやな
大好きと思ったり
一緒にいたいと思ったり
心は大事なものやのに
みんな持っていくんやな

-------------------

秋の空気は
つぶの
すきまが
大きくみえる

-------------------

行ってしまうもの
さっていくもの
そしてくるもの
出会うもの
どっちが先ということがなく
どっちが後ということもない
それは感じる人が決めること

            
スポンサーサイト