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2014年05月22日

        

テラさんのライブを聞いてから思ったこと  陰と陽について

category - 日記
2014/ 05/ 22
                 
賢者テラさんの夜12時ジャスト更新の今朝?のブログは
「因果の呪縛」でした。


この人が意識の在りようを工夫したので(原因)、
その波動に合った現象を引き寄せた(結果)というのは、
錯覚なので、成功哲学はニセモノという内容。

1日前のブログはありのままを認めることは不可能

2日前のブログは不倒

毎日ブログ更新という頻度でこのレベルの高さはすごいと
以前はまとめ読みしていたのに、今は毎日読んでます。(笑)


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賢者テラさんのライブに行ってから、そこで聞いた言葉が
花の種のように私の中で芽が出て膨らんできた気がします。http://plaza.jp.rakuten-static.com/img/user/emoji/h068.gif

「人生は映画のようなもので、みんなストーリーを真面目に演じている」

「陽と陰はワンセット」

出来そこないのSFのあらすじと思って読んでいただければ十分です。
大多数の方がスルーして、今日のは読まないわ~とおっしゃるでしょうが、
こんな怪しくややこしい妄想話を読んでくださる方、ありがとうございます。

でもせっかくご訪問してくださったので、よろしかったら
最期の青字の神谷美恵子さんの詩だけでも読んでいただけたら嬉しいです。


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人の一生には、おそろしくいろんなパターンがありますよね?
日本で戦国時代の武将の家系に生まれるとか、
産業革命時代のイギリスの貧困層に生まれるとか。

時代を現代に、国を日本にという大きな限定を設けても、
もっと限定してある県のある年齢の人、という狭い世界で考えても、
実にいろんな人生があって、みんなその人生を生きています。

それがその人専用の映画のキャスティングで、人類全体のレベルで、
すべての陽と陰を体験(上映?)するためだったとしたら・・・?

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ここから先は、テラさんに触発されて私に浮かんできた、
個人的妄想のようなものです。


私たちの能力が実はマルチなものであって、
映画のストーリー上、あるキャラを与えられたとします。

みんながマルチな能力を発揮していたら、成り立たない映画ばかりです。

ある人は、慎重で、気が弱いという映画キャラだったため、
無鉄砲で気が強いという能力は封印して生きていきます。
おっちょこちょいであまり能率的に仕事がこなせないキャラの場合は、
注意深く、効率的に働く能力は封印していきていきます。
意地悪で相手の気持ちを考えない人は、優しい気持ちや、
相手の立場に立つ能力を封印するという具合に、
元々は持っている能力に蓋をしてストーリーを演じています。
(途中で、こんなところに蓋が?!と蓋を自らはずす設定も、
生涯その蓋が外れない設定もあり、です)

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想像してみると不思議な気持ちになります。

映画キャラに忠実なため、ある能力を封印していると思うと、
効率的に動けない人、意地悪な人が目の前にいても、
なかなか大変なキャラの映画ですね、お疲れ様、という感じで、
こちらに余裕ができませんか?http://plaza.jp.rakuten-static.com/img/user/emoji/h068.gif
目の前に問題がある場合、それで解決はしないでしょうが、
精神衛生上は、いいかもしれません。http://plaza.jp.rakuten-static.com/img/user/emoji/h317.gif

自分の欠点を罵る必要もないですね。http://plaza.jp.rakuten-static.com/img/user/emoji/h348.gif
おっちょこちょいキャラの映画なので、注意深さを封印してるのね、
ここまで大げさに演じなくてもいいかもね。
もう少しだけ注意深くしてもいいけど、
基本的にはそういう主人公キャラの映画なら仕方ないわね~、とか。

世界のバランスのために、慎重過ぎる、石橋をたたいて渡るような人と、
思いついたらすぐ動く、注意不足のおっちょこちょいな人がいるなら、
中庸がバランスのとれた状態だなぁという理解とともに、
アンバランスな両極の人たちも、善でも悪でもなく、
ただそういうアンバランスを体現しているだけ、です。


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能力面だけでなく、環境面も同じ考えが出来るかな。

お金には全く不自由しない環境に生まれ育つ人がいれば
とんでもない貧困層に生まれ育つ人がいます。

生まれつき頭がよく、特に科学者の才能を発揮する人がいれば、
生まれつき脳に疾患があり、頑張っても数学は解けない人もいます。

誰が見ても、輝くほど美しい美貌を持って生まれた人もいれば、
その逆の人だって存在するわけです。

陽に生まれた人が自慢するのは愚かだし、
陰に生まれた人が恥じるのも愚かなのでしょう。

お金持ちに生まれたり、貧乏に生まれたりを繰り返しながら、
お互いへの理解が出来るといいのだけれど。
激しい陰の場合、飢餓で死んでしまったりします。
その激しい陰は、激しい陽で中庸に出来るのですけど。

ただ、陰を引き受けたらその陰のままで、
感謝や幸福を味わるという、ハイレベルな道もあり、
その道を歩む人は私たちを感動させてくれますね。

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嫁姑の確執を味わう人生、実の親子関係がうまくいかない人生、
誰が聞いても痛ましい事故の被害者になる人生などが存在し、
そしてすべてにその逆のパターンの人生が存在します。

いろいろな人生がこの世で繰り広げられるためには、
ありとあらゆるパターンが生まれる必然があるから。

その「ありとあらゆるパターン」こそが前世であり
同時に来世であり、パラレルワールドなのかも。
人類の記憶として私たちの集合的無意識を創造しているのかも。

そのような想像をしたら、自分の陽の部分には、
その面の陰を引き受けてくれる仲間に感謝して、
謙虚でいられるのではと思います。

反対に、陰の部分には、陽の部分を持つ人にコンプレックスを持たずに
きっと前世でこの面の陽は経験済みなので、
今回は陰の部分の担当になったのだなと納得すればいいかなと思います。

何事も深刻にならずに、生きやすくなるかもしれません。


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深刻にならずに済むと書いてすぐ、深刻な詩を持ち出して恐縮ですが、
私の頭に繰り返し浮かぶのは、神谷美恵子さんの詩
「癩者に」の一節です。

なぜ私たちでなくてあなたが?
あなたは代って下さったのだ
代って人としてあらゆるものを奪われ  
地獄の責苦を悩みぬいて下さったのだ

突然、今までこの詩に持っていた以上のすごい世界を感じたのです。

神谷美恵子さんは、立派な家系のお嬢様として生まれ育った方で、
精神科医として、らい病の患者さんたちに尽くしました。

良い家柄に生まれついた人の中には、逆の境遇の方々を思い、
そのことに罪悪感を持つ人がいます。
宮沢賢治や太宰治もそうだったように、神谷美恵子さんも
罪悪感を持たれていたのであろう、それが詩の背景だろうと、
今までは思っていただけでした。


悲惨ならい患者さんたちの苦しみに日常的に接することになって、
衝撃を受け、人々に疎まれる病気のこの方々と恵まれた境遇の自分と、
命に値打ちの差などありはしない、そういう感覚の表れで、
素晴らしい詩であると思っていました。

でも、この詩を、陰と陽はワンセットということで読むと、
あなたは「らい患者として生きる」という陰の運命を
私に代わって生きてくださっているのだ、という風に読めませんか?
何だか私にはそういう気がしてきたのです。

神谷美恵子さんに詳しいわけではなく、
急にそんな気がしただけですので、全くの個人的感想です。

よろしければ詩の全文を。

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「癩者に」


光りうしないたる眼うつろに
肢うしないたる体担われて
診察台にどさりと載せられたる癩者よ、
私はあなたの前に首を垂れる。

あなたは黙っている。
かすかに微笑んでさえいる。
ああしかし、その沈黙は、微笑みは
長い戦いの後にかち得られたるものだ。

運命とすれすれに生きているあなたよ、
のがれようとて放さぬその鉄の手に
朝も昼も夜もつかまえられて、
十年、二十年と生きて来たあなたよ。

何故私たちでなくてあなたが?
あなたは代って下さったのだ、
代って人としてあらゆるものを奪われ、
地獄の責苦を悩みぬいて下さったのだ。

許して下さい、癩者よ。
浅く、かろく、生の海の面に浮かび漂うて、
そこはかとなく神だの霊魂だのと
きこえよき言葉あやつる私たちを。

かく心に叫びて首たるれば、
あなたはただ黙っている。
そして傷ましくも歪められたる顔に、
かすかなる微笑みさえ浮かべている。

            
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