FC2ブログ

2014年03月23日

        

神の詩 バガヴァッド・ギーター その2

category - 日記
2014/ 03/ 23
                 
昨日の続きです。
数少ないであろう、読んでくださる方に捧げます。(笑)

------------------------------

仕事を至上者(かみ)への供物としなければ
仕事は人を物質界(このよ)に縛り付ける
故にクンティの息子よ、仕事の結果を
ただ至上者(かみ)へ捧げるために活動せよ



供犠をうけて 満足した神々は
人に様々な食物や品々を授ける
それを賜られて 楽しみながら
神々に返礼しない者は盗賊である


仕事というのは、何もお金を稼ぐものに限りませんよね。
自分のなすこと、思うことを、至上者(かみ)への供物にできたら。
主婦業だって、神をたたえつつ、仕事できることを神に感謝しつつ、
毎日洗濯したり掃除したり、ご飯を作ったり。
想像するだけで単純な私はウキウキしてきましたよ。

それに、これなら無理しないで済みそうです。
これ以上頑張ると、神をたたえながらは出来ないなぁと思ったら、
そういうことですので、感謝の仕事はここで終え、
後はサボります~と言っていいような気がしてきました。
主婦業ならそれを言えても、会社員は難しいですね。

私の立場としては、すべての仕事、主婦業も、パート仕事も、介護も、
すべての仕事を神への供物としようと思うことは可能だし、
とてもいいことだなと感じました。

シュウトメちゃんから感謝がないとか、
掃除してもすぐに元通りだから、掃除なんてつまらないとか、
毎日ご飯作ってるのにコメントもないとか、
そういう結果はまったく考えずに仕事をするというのは、
ここ数年、自分でそう感じはじめていたことでした。
そういうの、いらないから、なるべく愛情を持って
行動して、それを喜べるのが自分の幸せだという気持ちが強まっていました。
こういう私の発言を、偽善者で気持ち悪いという人がいるのは知っていますが、
その人にどう思われるかというのも、結果ですからね。

自分がいいと思って頑張ったことでも、いい結果につながるとは限りません。
いいと思った発想の内容がずれていることもあるでしょうし、
立派なことをしても成功するとは限らないです。
その結果が、世間的に失敗と呼ばれる結果だったとしても、
そこで落ち込む必要もないし、成功と呼ばれて称えられたとしても、
舞い上がる必要もない、ということだと思います。


だが 自己の本性(アートマン)を知って
それに満足し 歓喜し
それに安んじ 楽しむ者には
もはや為すべき義務(しごと)はない


故に仕事の結果に執着することなく
ただ為すべき義務としてそれを行え
執着心なく働くことによって
人は至上者のもとに行けるのである


ここで連想したのは、怪しい大阪のおっさん「賢者テラ」氏。
ブログとyou tubeでしか知りません。
本を買っていないし、講演会にも言っていないので、
経済的に一円も貢献していないファンです。すみません、テラさん。

you tubeでは最近のはこんなのがあるんですよ↓
http://www.youtube.com/watch?v=4Y0aJ5lfsu4
ご自宅のキッチン横のパソコンから発信されている飾らないテラ氏。
発達障害がおありで、仕事を辞めて、引きこもり経験もあり、
キリスト教に救われて、神父を目指している途中に、
突然スピリチュアルな気付きがやってきて、現在に至るという
すごい経歴の方ですが・・・すべてyou tubeからの知識です。
インド哲学的に悟りに至っている方ではなさそうですが、
仕事の結果に執着していない人という連想でテラ氏を思い浮かべました。


欲望は 眼 耳 鼻 舌 身の
五感と 心と 知性を住処とし
正しい知識を覆いかくして
正者を迷わせているのだ


すべて欲望を持たずに行動する者は
完全智を得た人と心得よ
賢者たちは そのような人々を
大智の火で業(カルマ)を焼き尽くした人と呼ぶ


この本全体に「穏やかであること」を大切にしている言葉が
何度となく出ている気がします。
欲望を持たないことについての教えの言葉も多いです。
欲望に引きずられる時、仕事(行為と言ってもいいですが)の内容は
神への供物にはふさわしくないと単純に連想しました。

所有すると思うなという内容の言葉も何度も出てきます。
自分が何かを所有しているという感覚が、
もっと所有を増やしたいとか、これを失うのは絶対避けたいなどの
欲望につながるわけですが、この思いが人を物質界に執着させ、
至上者に通じる、平安の世界から遠ざけてしまうということでしょうか。

物質界(このよ)の利害得失を超越して
無執着の活動をする
自由な人のする仕事は
ことごとく至上者(かみ)への供犠(ささげもの)となる


人は自分の心で自分を向上させ
決して下落させてはいけない
心は自分にとっての友であり
また同時に仇敵でもあるのだ


欲望に感覚を支配されている自分に気づいたら、
その感覚を至上者への供物にまで浄化させるようにもっていく。
人間離れしたことではありますが、心がけていきたいです。
心を友とするか敵にするかは自分の在り方なのですね。
すごく単純に、いつも神様に感謝しているといいかもしれません。


自分に好意をよせる者も冷淡な者も
友人も 敵も 嫉妬深い者も
修道者(サードゥ)も 罪人も どこにも属さぬ者も
みな平等に観る人は真に進歩している

これはほぼ不可能じゃないかと思いますが、
周りの評価、出来事に、自分が翻弄されないこと、
常に平静な状態で、至上者とつながっていること、
それを心がけるだけで、違ってくるのではと思いました。

クシュリナの教えは、昨日の引用にもあるように
そして 成功と失敗を等しいものとみて
あらゆる執着を捨てよ

というものです。
結果ではないのです。経験なのです。

その考えからいけば、好意を寄せてくれる人はその人の役割、
冷淡な人はその人の役割をもって、自分の経験に
関わってくれている人ということになります。
この解釈は自己流のものなので、真意は違うかもしれませんが、
私にはそのように思えました。

あの人は人格者だ、あの人はどうしようもない人だ、
この人は普通、そういう判断も、幻想なのかもしれません。
運命に従い、カルマに従い、自己の成長度に従って、
どの人も、必要な経験をしているだけかもしれません。

ここまでの引用で、全体の1/3ほどにしかなっていないのですが、
このまま続けたらしつこいかな~。
書きたいので、読んでくださる方がいなくなるかもという
結果にはこだわらず、書こうと思いますが。(笑)
            
スポンサーサイト