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2014/03/31
2014/03/27
2014/03/26

2014年03月

        

忙しくしておりましたが春も楽しみました

category - 日記
2014/ 03/ 31
                 

 
自宅のヒヤシンスが満開。
子供たちの車庫前の花壇です。
周囲の雑草のグリーンが映えていますね。(苦笑)
 
今日は市役所でシュウトメちゃんに関する各種の手続きができました。
メインの用事が片付くとホッとしますね。
なんといっても、明日から16日までショートステイです。
その後、デイサービスが使えるかどうかの瀬戸際なので、
この手続きができるかどうかは大問題。
 
もちろん、この手続きが終わったからと言って、即大丈夫ではなく、
シュウトメちゃんの介護度が、区分変更に当たるほど
重大かどうか、適正な介護度の判定のため、市役所から
ショートステイ先まで、チェック訪問があります。
その際には私も同席します。
 
自宅よりきっと元気になるシュウトメちゃんではありますが、
私の目から見たら、介護度は大幅にアップしているので、
市役所の担当の方もそう思ってくださるといいのですが・・・。
 
気疲れして帰ってきましたが、今度はシュウトメちゃんの眼科に。
本人は連れて行かないで、足りない目薬だけを頂いてきました。
 
あとは、ポリデントなどのショートステイに必要なものの買い出し。
シュウトメちゃんが「それはある」と言って安心していたものも、
チェックしたら足りなかったりするので、毎日買い出ししてます。(笑)
 
車で走ると、そこかしこに見える満開の桜。
きれいだなぁ・・・。

4日5日と京都に行くので、そこで桜は堪能できますが、
地元の桜も見たいじゃない~♪
シュウトメちゃんの行く眼科の近くには、桜の名所が。
車で5分です。
自分に言いました。
「今から、桜休憩だ~。行くよ~。」(笑)
 
忙しいという字は、心を亡くすと書きますが、
心を亡くしちゃいけませんね。
 
桜はとてもきれいでした。
子供たちの小さい頃、この公園にどれだけお世話になったことか。
少し大きくなってからも、夜桜に連れてきたりしました。

思い出いっぱいの公園で、たくさんの人が桜を楽しんでいました。
スマホで写真も撮ってきたので、また明日にでもアップしますね。

ヒヤシンスも桜も満開、ムスカリも咲き始めて、時は春です。
皆さんも、春を楽しんでおいででしょうね。
            
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とりあえず玄関のリフォームだけする、とシュウトメちゃん

category - 日記
2014/ 03/ 30
                 
シュウトメちゃんと、ゆっくり話をしました。

夕べふと思ったのですが、叔母はよく膝が痛くなり、
車いすとベッドや便座などの移動が困難になりました。


調子のいい時と悪い時があり、悪い時は、
スタッフさんの介助があっても、泣くほど痛いとか。

家を大きくリフォームしても、そうなったら、
ブザーを押すとスタッフさんが来てくれる施設でないと、
シュウトメちゃんは車いすから降りられません。
あるいはベッドに寝ころんだまま、車椅子に移動できません。

・・・・やっぱり施設のほうがいいと思うよと話しました。
シュウトメちゃんも、実は自分もそう思うと言いました。
しばらくは、お気に入りの施設に、夏と冬に避難して、
あとは家で過ごしてみるそうです。


類似のもう少し安い施設があるとケアマネさんが言っていたよと
言いますと、知らないところには行きたくないそう。

リフォームは、玄関の段差を減らす工事だけしたいそうです。
大工事するとなると、自分のものをかなり捨てなくてはいけない、
自分の作った家の床をはぐのも、私物を捨てるのも嫌なのだとか。

とりあえず、それで様子を見ることにしようと話を終えました。

ご主人は?って聞かれそうですが、シュウトメちゃんのことで
オットは私が頼めば動きますけれど、自分でやったほうが早いわ。(爆)


仲が悪いわけではなく、多分、私の年代では仲良しの方ですが、
こういうことで、私がオットを頼っていないからかもね。

シュウトメちゃんに対してオットが強く出ると、
たいていシュウトメちゃんは、自分が育てた息子に裏切られた、みたいな
被害妄想に包まれてしまって、あとのケアがめちゃくちゃ大変なんですよ。
泣きながら、「お前が小さいころ熱を出した時に、
おぶって医者まで走っていったのに」とか、そんな話まで始めるの。
オットも「そんなの親なんだから当たり前じゃないのか?」と
ムッとして反応しちゃうので、関わってくれないほうが楽。

義姉2人も、シュウトメちゃんに関しては、一切面倒は見ない、
自分たちに迷惑をかけるなと言い切る人たちです。

シュウトメちゃんの介護は、自分で出来る範囲で背負う覚悟が出来てます。
手伝ってと言えば、オットや長男長女は手伝ってくれるし、
困ったらケアマネさんに言えばいいとわかっているので、
自分と同レベルでシュウトメちゃんに関わる人がいなくても、
面倒だな、大変だな、という以上のストレスはありません。

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ところで昨日、介護保険の点数と言う書き方をしましたが、
正確に言うと「単位」です。
全く介護保険のお世話になっていない方はご存じないかなと思い、
少し解説しようかと思いましたので、興味のある方は読んでください。

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例えば、要介護1では、1ヶ月あたりの支給限度額は16,580単位です。
1単位はだいたい10円くらい。
(地域とサービスの種類でかわるらしいです)

介護保険で9割が負担してもらえるので、単位を全部使った場合、
その1割の16,580円が自己負担額ということになります。

要介護2では、194,800 円 (実際にかかった介護費用/自己負担はその1割)

要介護3では、267,500 円 (実際にかかった介護費用/自己負担はその1割)

この金額が、保険で支払われる支給限度額になります。
支給限度額を超えた分については、全額自己負担になります。

ある人があるデイサービスに行くのに、1回3万円かかるとすると、
利用単位数内の場合は、1割の自己負担で3000円、
利用単位数オーバーでの場合は、10割負担で3万円ということです。


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老人ホームに入っている叔母は、毎月少しオーバーして、
2万円くらい10割負担になることが多いですが、
掃除も洗濯も買い物もすべてお願いしているため仕方ないです。
最初は洗濯も買い物も、すべて私がやっていましたが、
お金を払えばやっていただけるとのことで、お願いしました。

シュウトメちゃんの場合は、普段は、利用単位数が
オーバーしないようケアマネさんに工夫していただいています。

今回ショートステイを利用するのですが、この費用は、
最初に書いた1割の負担で利用できる介護サービスの他、
基本料金と食費などがかかります。

お部屋の居住代と食事代は介護サービスではないので、
そこまで介護保険でカバーしませんよと言うのは当然ですよね。

基本料金は、施設の種類、部屋のタイプ、要介護度によって決まります。
同じ施設の同じ部屋を利用しても、料金(単位)は介護度で変わるのですよ。


以上、ざくっとした介護保険の説明でした。

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シュウトメちゃんのお気に入りのショートステイ先は、
施設の種類が値段の高いタイプで、加算が多い施設でもあります。
いろいろな基準を満たす施設は、加算項目が多いのです。
シュウトメちゃんは、利用単位数オーバーの料金は払いたくない、
でも、この単位数の高い施設でなくては入りたくない、という
ケアマネさん泣かせのワガママばあちゃんなのであります。

嫁泣かせでもありますが・・・
私はもう泣かないことにしたので、腰痛もありますし、
これ以上は腰が痛くて無理、とはっきり言うようになりました。

昔も言いましたが、自己主張度レベルがシュウトメちゃんのうんと下なので、
「痛くたってやるしかないだろうが!」とヒステリー起こされて、
そのうちうんざりして、結局言うことを半分以上は聞いていました。

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これは悪い癖をつけましたね。
シュウトメちゃんは、身をもってヒステリーの効果を学んだのです。

母親のヒステリーを見て、こんなのが俺の母親か?!と
オットの息子心がドン引きしたのを引き換えにして。
義姉さんたちも、愚痴電話の連続で、すっかり母親が嫌いになり、
必要最小限しか関わりたくないという姿勢を隠さないのを引き換えにして。

その頃からすると、うんと穏やかになったシュウトメちゃん。
ずっと関わっていない実の子供たち(オットもですが、特に義姉たち)には、
このシュウトメちゃんの進化の素晴らしさがわからないみたいです。
なんてもったいないんだろうと思います。

義姉たちに教えてあげたい。
あなたたちが、毎日のように愚痴の電話をして困らせた
シュウトメちゃんと今のシュウトメちゃんは
まるで別人というくらい、進化したんですよ!って。
娘として嬉しいことだもの。


だけど私は、黙っています。
会って母親の話を聞いてあげるだけでも迷惑だと感じている人に
嫌味に聞こえない言い方で、それを伝えるすべがありません。
でも、もったいないなぁ!と思うので、たまに義姉たちを思い浮かべ、
「すごく変わったんですよ~。義姉の魂さん、聞こえますか~?」と
怪しいテレパシーを送っていますが・・・伝わると思う?(笑)

とりあえず、大規模リフォームはパスです。

1日から16日まで施設に行き、帰ってきたら、
6月中旬まで自宅で過ごし、週4回デイサービスに行く生活を送る予定。
その間、大変だとなったら、その時に対処を考えることになりました。

結局、丸く収まってホッとしています。
神様、ありがとう。
                         
                                  
        

うまくいきますように・・・・・

category - 日記
2014/ 03/ 29
                 

一昨日は、すごい展開に、こんなにうまくいくものかしら??と
思っていましたが、そうは問屋が卸さなかったみたいです。
昨日の朝、ケアマネさんから電話があり、長話しました。

今のままの状況だと、1日から16日までショートステイした分で
ほとんどの介護保険の点数が使い果たされてしまい、
デイサービスに行く点数は残らないそうです。

デイに行かないとすると、自宅入浴が不可能なシュウトメちゃんは、
2週間、お風呂も入れないということに・・・。
話を聞いてびっくりしてしまいましたよhttp://plaza.jp.rakuten-static.com/img/user/emoji/h350.gif

そんなことになるのなら、施設に入る期間を短くして、
週に2回、いえ1回でも、デイに行けてお風呂に入れるほうが
よほどシュウトメちゃんのためになります。http://plaza.jp.rakuten-static.com/img/user/emoji/h786.gif

予約の前にその辺の危険性を指摘していただきたかった・・・・
私、その事態、想像してなかったのですよ。
当然気が付くべきだったんですけどね。
お願いするときに「その後、デイサービスに週2回くらい
通えるようにしたいです」と言えていたら・・・。http://plaza.jp.rakuten-static.com/img/user/emoji/h786.gif

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ケアマネさんによると、解決策はあるとの話でした。

シュウトメちゃんの介護度は明らかに上がっているので、
ぜひ介護認定の区分変更のための認定調査を
市役所にお願いしてくださいというのが最初の話。

その後、シュウトメちゃんが単独世帯かどうか聞くので、
同居だし、世帯主はオットだと言うと、
単独世帯の手続きをして、シュウトメちゃんを
書類上、おひとりさまにしてくださいとのこと。

今月中に市役所に行って、4月1日からそうなるようにと
双方の課で、よくよくお願いして下さいと言われました。

書類上、4月1日付けで介護度が上がり、シュウトメちゃんが単独世帯になれば、
打つ手はいくつかあるとのこと。
でもとにかく、現状では、自宅で暮らすのがかなり困難なことは
間違いないので、進む道を決めなくてはという話でした。

前からケアマネさんからはそういうお話がありましたが、
シュウトメちゃんは頑として聞き入れなかったのです。
「普通のお年寄りは、今の状況は自宅で過ごすには限界ですよと
説明すれば、理解して、結論を出してくれるのですが、
〇〇さんはカッとしてしまって、考えられないみたいで・・・。」
「普通はね、お嫁さんにこんなに負担をかけているしと
思うものなんですよ。それがないですし・・・」
というのはケアマネさんのシュウトメちゃんへの嘆き節。

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そのうちこういう日が来るからと、ケアマネさんが、
家にいたいなら部屋の大規模リフォームが必要と言って、
シュウトメちゃんが怒っていたのはつい先日。

ケアマネさんの気持ちも、シュウトメちゃんの気持ちも
両方わかるし、老いは避けられないし、
でも、自分でどうしたいか決めなくてはいけない日が
そう遠くないときに来るだろうと思っていましたが、
こんなに早くとは思っていませんでした。

自宅で暮らすのが体力的に限界で、クタクタで、
胃も悪くなるほどなのですから、確かに限界です。http://plaza.jp.rakuten-static.com/img/user/emoji/h444.gif

老人ホームという言葉にはアレルギーがあるらしいシュウトメちゃん。
老健と呼ばれる施設に主に入って、時々自宅でしばらく様子を見る?
シュウトメちゃんが「ここしかいや」という施設は
人気もあって、部屋が取りにくいです。
とても良くできているので、お高いのです。
当然、介護保険の点数も高いので、
その施設に半分、残りの半分は別のもう少し点数の低い老健、
時々自宅、という生活をとりあえずは考えた方がいいのかも。
ああ、これが私の理想http://plaza.jp.rakuten-static.com/img/user/emoji/h349.gif

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どうしても自宅がいいので、リフォームしてくれと言われる可能性も。http://plaza.jp.rakuten-static.com/img/user/emoji/h441.gif
ケアマネさんがおっしゃった通りなんですよ。
「普通はね、お嫁さんにこんなに負担をかけているしと
思うものなんですよ。それがないですし・・・」

koalaの意向など意に介さず、私たちの負担で大規模リフォームして、
ずっとずっと自分の世話をkoalaさんにしてもらう、
そういうことに決めたから!などと言い出しかねない
シュウトメちゃんを知っているので、ちょっと怖いのでした。http://plaza.jp.rakuten-static.com/img/user/emoji/h350.gif
                         
                                  
        

シュウトメちゃん、16日間施設に戻ることになりました

category - 日記
2014/ 03/ 28
                 
シュウトメちゃんは一週間ほど前に胃の調子を崩し、
受診、投薬で、快方に向かっていました。

しかし、昨日になってまた悪化してしまいました。
主な原因はストレスじゃないかと思います。

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まず、家と施設の暮らしやすさの違いが大きいです。
車椅子でどこでも行けた施設。
セントラルヒーティングでどこもとても暖かく、
寂しい気持ちになったら、仲のいい人のところでおしゃべりでき、
困ったら施設のスタッフさんがいつでも飛んできてくれました。

自宅はまず、シュウトメちゃんの思った以上に寒かったし、
そこそこ歩ける脚力があると思っていた足は、
ほんの2~3メートル歩くだけで息が切れます。
顔を洗うとか、歯を磨くとか、水虫を私に洗ってもらうとか、
その程度のことで、クタクタになっていました。

病院に行こうとか、デイサービスに行こうという場合、
玄関を出入りする必要がありますが、
自分でできると思っていたら、とても一人では無理でした。
右手でしっかり手すりを握りしめ、
左脇には私やスタッフさんの手を入れて支えます。
支えられても、玄関のあがりかまちの段差が怖くて、
ふうふう肩で息をしながら、玄関のたたきに足をつけます。

トイレも、部屋のドアのすぐ向こうにポータブルが置いてありますが、
施設の部屋にあるトイレは、きちんとしたトイレです。
ポータブルとは使い心地が全然違うそうです。

せっかく家に帰ってきても、疲れ切って、寝込んでしまって。
こんなはずではなかったと思っていたことでしょう。

前に夏の入所から帰ってきたときも、1週間くらいで、
蜂窩織炎になり入院、その後リハビリとい経緯をたどりましたが、
施設と自宅のギャップに耐えられないほど、
体も体力も弱っているのだと思います。

また、「家の暮らし」のイメージがシュウトメちゃんの中で
美化されていたかもしれないと私は思っています。
子供たちがまだ学校に行っていたころは、
家族揃って食事したり、おしゃべりしたりという時間が多かったですが、
今はもう大人ばかりなので、家族揃って過ごすことは少ないです。
特に部屋にいるシュウトメちゃんとの接点は、
シュウトメちゃんの期待と裏腹だったことは想像に難くありません。

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デイサービスや病院に行く日は、玄関の出入りや部屋まで歩くのに疲れ、
そうでない日に、布団の中でテレビを見ていると、
悪いことばかり考えてしまい、不安になるのかもしれません。

とにかく疲れ切った顔をして、胃の調子がまた悪いというので、
「ストレスのせいだと自分でも思いますか?
そうなら、少し施設に戻ったら、良くなるかもしれないけど。
もしもおばあちゃんがそうしたいなら、聞いてみますよ」
そう言ってみると、即答で、少し施設に入りたいとのこと。
家は施設とこんなにも作りが違って疲れるのかとびっくりした、と言います。

ケアマネさんに電話して、実はこういう状況なのだけれど・・・と
相談しましたら、「少し施設でやすんだほうがいいかもしれませんね。
施設側と相談してまたご連絡します」との返事でした。

1時間もしないうちに電話がありました。
「4月1日から16日まで、2人部屋が取れました。
それでいいでしょうか?」とのこと。
理想的なお話なので、それで決定となりました。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

京都旅行をそろそろ言わなくてはと思っていたところ、
こんな形でこの問題が解決するとは思っていませんでした。

1日の夜にお友達4人で集まろうというお誘いも
受けたばかりで、行きますとお返事していました。

1日は夕方6時まで仕事で、帰宅してシュウトメちゃんの食事を出し、
大急ぎで着替えて出かければギリギリ間に合うかなと思っていましたが、
入所するとなれば、お休みをもらうことになります。

ケアマネさんは朝10時に入所してくださいとおっしゃったので、
お昼には支度はすべて終わると思います。
余裕で夜の集まりに出席できそうです。

シュウトメちゃんにとっても、私にとっても、
とてもいい展開が急に開けてびっくりしています。

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シュウトメちゃんは、実際に、家で暮らすなら
大規模リフォームが必要で、
老人ホームで暮らすなら、どういうところがいいか、
比較検討していくことが必要な時期です。

心理的抵抗が強くて、「両方、考えたくもないっ!」と
突っぱねていたかったのですが、それが難しくなりました。
今すぐというわけではないですが、考えておかないと
近いうちに選択しなくてはいけない時期がきてしまう状況です。

今、2週間強の施設暮らしの機会が来たことは、
私はいいことだと解釈しています。

シュウトメちゃんはもちろんそんな気になれないのですが、
今はとにかく「自宅は疲れるから一時避難できる」と
前向きにとらえてもらえるように発言に注意しています。

足の力が衰えたことを嘆いても、得るものはないですから、
困ったらケアマネさんに何でも相談できるのはありがたい、
一時避難が慣れた施設で出来ることはありがたい、
昔は介護保険などなかったのだから、これはとても恵まれている、
そんなことをいつも言っています。
だって、本当のことだもの。

この状況で困っていますと老人や家族が相談すれば、
専門家が集まって、「ではこうしましょう」
「こういう方法と、ああいう方法があります」など
即座に対応してもらえる国が世界でどれほど少ないか。
文句を言ったら罰が当たりますよと脅して?います。

今朝は話を聞きながら、入所に持参する衣類を選びました。
私がとりあえず多めに選んで、服を目の前で見せて、
これは持っていく、これはいらないと意見を聞きながら、
1枚ずつチェックしていきました。
これが一番早くて、シュウトメちゃんも疲れません。
                         
                                  
        

人力車のように進む車いす

category - 日記
2014/ 03/ 27
                 
シュウトメちゃんが自宅にいるのがわかっていましたが、
4月4日・5日と京都に友人と1泊する予定があります。
日程が動かせない事情があって、予定通り行くつもりです。

ちょうど金・土曜日なので、2日ともシュウトメちゃんは
朝から夕方までデイサービスがあります。
金曜日の食事は用意して出かけられますが、
土曜日に関しては長女に頼んであります。
肝心のシュウトメちゃんにはまだ言っていないのですが、
そろそろ白状しなくてはね。

ところで京都のニュースで、こんな素敵な記事を読みました。

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http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20140320000029

補助器具を取り付け、人力車のように進む車いす(東山区・清水坂)




車いすの利用者に夜の京都観光を楽しんでもらいたい-。「京都・東山花灯路」を開催中の推進協議会が、障害のある人や高齢者を招待し、車いすにけん引式の補助装置を取り付けて人力車のように進む観光ツアーを初めて企画した。ライトアップされた清水寺(京都市東山区)を訪れた参加者は「こんなにきれいだったとは」と感激していた。

ツアーには、車いすに取り付ける補助装置を開発、販売する会社「JINRIKI」(長野県)が協力した。前輪を持ち上げた状態で引き、後ろから押すこともできるため、坂道や段差をスムーズに移動できるという。

17日夜にあったツアーには、京都市在住の3人が参加した。ボランティアスタッフらが引っ張って清水坂を上り、清水寺を拝観。「清水の舞台」の真横まで車いすで進み、幻想的に演出された境内と、遠くに浮かぶ京都タワーなどを眺めた。

伏見区から訪れた前田美智子さん(72)は「テレビで見て、いつか来たいと思っていた。言葉にできないくらい感激です。乗り心地もよく、お姫さま気分を味わえました」と話していた。

協議会が身体障害者団体連合会を通じ、計12人を招待した。
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社会がどんどんこういう方向に進んでいくといいなと思います。
                         
                                  
        

春 雑草と共存して逞しく咲いてくれる愛しい花たちの画像

category - 日記
2014/ 03/ 26
                 
今日は雨が降るといわれていたので、
昨日の出勤前に、庭の花の写真を撮っておきました。

我が家の庭の花たちは、雑草と同居する逞しさを強いられていますが、
みんなけなげに文句も言わず(言ってるのに聞こえないだけか?)
美しく咲いて、心を和ませてくれています。




黄色のミニ水仙と冬知らず




クリスマスローズ  ヒヤシンス 後ろの黄色い花はれんぎょう




ヒヤシンス すみれ ローズマリー
ここが一番ジャングルに近いでしょうか・・・。

草取りをそれなりにはしているのですが、
感謝の言葉で草取りできる間限定の作業にしております。(笑)




ヒヤシンスとすみれのツーショット
                         
                                  
        

なぜこんなブログを書いているんだろうと思った朝 サットウ・ラジャス・タマス

category - 日記
2014/ 03/ 25
                 
こんなことばかりブログに書いて、
私は一体何がしたいのかな?という気持ちが湧いたので、
自分の心の中をのぞいてみようと思いました。

修行して、悟りたいわけではありません。
魂は永遠だと思うけれど、証明したいわけでもありません。
違っていても別に困りませんから。

私の中に不安がある、と感じました。


「私でごめんなさい」という思いが湧くという内容のブログを昨日読みました。

昔バイトをしていた時も、二人で組む仕事の時に、自分と当たった人に
「私でごめんね」と本当に言ったことがあるそうです。
少し驚いて、かよさん(ブログ主さん)にはかよさんの味があるのですから、
そんな風に思うこと、ないですよとコメントを書きました。
長男にそういうところがあるなとも感じました。

その後で、私が母親でなかったら、長男はもっと
自信を持った子に育ったかもしれないという思いが湧き、
長女だってもっと・・・などという思いも湧き、
私は自分のことをダメダメだと思っているのだな、
そのために自分を責めているし、不安なのだなと思いました。

長男にそういうところがあるどころか、私自身にあったんですね。

この不安は普段は意識していないものです。
みんな違ってみんないい、と普段は思っているのです。

自分に自信がない部分があった方が、人のミスを見て
見下したり追い込んだりしないので、これでいいのだとも。
でもそれは、嘘ではなく本当にそう思ってはいるのですが、
心のすべてではなく、自分は価値がない、ダメなのだという
不安が消えているわけではないというのを改めて感じました。

これは多分、幼少期に、親に何気なく言われたことなどで、
不安に感じた幼い私の中に残っている痛みなのでしょう。

大好きな親に、最高の子供でいたかっただろう子供の私が、
何かでがっかりした親を見て、私でごめんなさいと言ったのでしょう。
自分も自分の子供に、同じことをしたのだという心の痛みも。

時折、奇跡のように私を包んでくれる、大丈夫だという安心感。
かつても今も、この私で何の問題もなく素晴らしい、
私に育てられた子供たちだって同様で、
みんなそれぞれの成長にふさわしい現実の中で
一生懸命生きている、けなげな命じゃないか、
このような経験ができるのは本当にありがたい・・・。

この幸福感はとても大きいので、私はきっと
常にその幸福感の中にいたいのだなぁと思いました。


このブログの読者の方は、私が変わり者だと御承知でしょうが、
普通の親は変わり者の子供なんか欲しくないのですよ。
みんなから褒められる、わかりやすくて可愛らしく
素直で優秀な子供が欲しいんです。
私は全くもってそういう子供ではありませんでした。

親だって全然そういう子供ではなかったでしょうにねぇ。(笑)

でも、少しは虚栄心もあるでしょうが、
親は心配なのですよね。
子供が幸せになれるような形に育っているかどうか。
自分が親として、ちゃんと機能したかどうか。

不安の連鎖というかすりこみというか。

子供の魂に対して、失礼な話です。
元々は自分の魂に対して失礼なんですけどね。

なんとなく納得したので(笑)、神の詩 バガヴァット・ギーター
その4を今から書かせていただきます。

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プラクリティ(物質自然)には3つの性質
サットウ ラジャス タマスがある
霊魂がプラクリティに接触すると
この三性質によって束縛される


サットウに生きる人々は次第に高い世界に上がり
ラジャスに生きる者たちはこの世界に留まり
いまわしいタマスに生きる者たちは
地獄のような世界に堕ちていく


すべての行為は自分がするのではなく
物質自然の三性質の作用にほかならぬことを知り
その上に至上主の実在を正覚した者は
この三性質を超越してわたしのもとに来る



この三つの分類は特に珍しい考えではないのですが、
すべての行為は自分がするのではない。
これは、びっくりする考え方です。
霊魂が現実世界で生きていく際に、この三性質に束縛されるというのです。
この行為は、どの性質に束縛されているのか?と
自分を振り返るのによさそうですね。

ここで問題にされているのは、特にサットウとラジャスに関しては、
行為自体ではなく、行為する際の動機、心性です。

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サットウ

清らかで光り輝き 健康的であるが
人を幸福に執着させる

生命力を増進し体を浄化する食物を好む

適正な時に 適正な場所で
それに価する相手に対して
何の報いも考えずに 自分の義務だと心得て
行う寄付はサットウである

我執 私心なく しかも
確信をもって 熱心に仕事して
成功にも失敗にも心を動揺させない

心と生命力と諸感覚を自ら支配する
その決意はサットウである

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ラジャス
際限のない欲求と切望
人を利益ある仕事に執着させる

苦味 酸味の強いもの 塩からいもの 熱いものなど
刺激性の食物を好み こうした食物は
心身の病の原因となる

報いを期待してする寄付行為
将来の見返りを望んでする賜(おく)りもの
また 惜しがりながら出す寄付
こうした寄付はラジャスである

仕事とその結果に執着して
成功に憧れ 貪欲不純で嫉妬心強く
成功に狂気氏 失敗に絶望する

名誉と利益を得ようとして奮闘努力し
感覚的満足を追求する決意はラジャスである

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タマス

肉体を持つ魂の迷妄
狂気 怠惰 多眠に束縛される
人の知識を消して判断を狂わせる

古いもの 禁制されたもの 残り屑やそれが入っている食物を好む

不適当な場所で 不適当な時に
それに価する相手に賜(おく)る金品
相手を尊敬せず 無礼な態度でする寄付
これはタマスの行為である

節度なく俗悪野卑で
頑迷で よく人を欺し(だまし)
態度が横柄 尊大で 怠惰な者

夢うつつ 恐怖 愚痴
意気消沈 そして妄想にふける
このような状態から抜け出られる
愚昧な決意はタマスである

---------------------------------------

この地上においても
天上界の神々の間においても
物質自然の三性質から
離脱している存在はない

我執 力 物欲 誇りを捨て
情欲と怒りから離脱し
所有意識を持たず常に平静である人は必ず
ブラフマンと合一し至上完全の境地に至る

(ブラフマンは宇宙の根本原理)

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そもそも、最初に親は子供が心配、と書きましたが、
自分の子供が幸せであって欲しいという気持ちは、
自然な愛情ではありますが、
幸せな状態への執着でもありますね。


幸せな状態への執着!
それですよ、きっと。
私にこんなブログを書かせているのは。(苦笑)
 
そんなのにお付き合いしてくださった奇特な方に
素敵なことが降る雨のように注ぎますように!
                         
                                  
        

神の詩 バガヴァッド・ギーター その3

category - 日記
2014/ 03/ 24
                 
このシリーズはその4で終わる予定です。
しつこくて済みませんが、読書メモとして書いておきたいので、
興味のある方にお読みいただけると嬉しいです。
これが書かれたのは、紀元前4世紀頃らしいです。
はるかな過去に思いを馳せて読むといっそう面白いです。

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物質自然(プラクリティ)は絶え間なく変化するが
物質 霊界 神界を含む大宇宙は至上主(わたし)の体である
そして各個人の心臓に宿る至上我(たましい)は
その至上主であるわたし自身なのだ
 
誰でも心の中に仏がいるとか、神がいるとか、
そういう言葉を連想しました。
各個人の心臓に宿る至上我(たましい)はその至上主であるわたし自身
それを感じるには、邪魔しているものを取り去ればいいのでしょうね。
本の中では繰り返し執着を捨てるようにと語られています。

誰でも肉体を脱ぎ捨てるとき
心で憶念している状態に必ず移るのだ
クンティーの息子よ これが自然の法則
常に思っていることが死時に心に浮かぶ


この言葉には、ちょっとドキッとしました。
常に思っていることが死時に心に浮かぶ
そういうものかもしれません。
私は常に何を思っているのか。
いつも生きている喜びと感謝を思っていられますように。

クンティーの息子よ
この肉体が用地(クセートラ)であり
この肉体を近く認識している者が
用地を認識者(しるもの)である


パラタの子孫よ そして このわたしが
すべてに肉体の認識者であると知れ
肉体とその認識者について理解することが
真の知識であると わたしは考えている



これも面白いと思った考えです。前の引用で
各個人の心臓に宿る至上我(たましい)は
その至上主であるわたし自身なのだ

と語っていますので、私たちの至上我(たましい)は、
用地を認識すると考えていいのではないか?(個人的見解です)
行為をなし、それに影響を受ける肉体を認識(観察?)する者。


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不滅の肉体 はこのようにして
耳 眼 舌 鼻 触覚と
また心意(こころ)をもった物質体(にくたい)をとって誕生し
それらに相対した対象を味わい経験する

この宇宙に二種の存在がある
それは必滅のものと 不滅のもの
物質界の万物は無情にして必滅であり
神霊界のものはすべて常住不滅である

これら二つのものを超越して
志向の大霊が実在する


スピリチュアル好きの私には、すんなり理解できる内容です。
この考えはすでに紀元前4世紀頃にあったものなんですね。


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言葉の修業は 真実を語ること
やさしく快い言葉 有益な言葉を語ること
他人の心を乱したり扇動したりせぬこと

心の修業は 足ることを知って常に心おだやかに
正直 率直 沈着であり
自己抑制をして心身の浄化につとめること


この後、陥りがちな自己欺瞞について注意が続きます。

供犠 布施 修行に関する行為は
止めてはいけない 進んで行え

だが これらの活動をするとき
執着なく 結果を期待せずに行え


人の気質は、サットワ、ラジャス、タマスの3つに分けられるとして、
各気質について語っていますが、明日それを書いて、
このシリーズを終えようと思います。

私の読書メモにお付き合いくださった方に
心からお礼を申し上げます。
                         
                                  
        

神の詩 バガヴァッド・ギーター その2

category - 日記
2014/ 03/ 23
                 
昨日の続きです。
数少ないであろう、読んでくださる方に捧げます。(笑)

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仕事を至上者(かみ)への供物としなければ
仕事は人を物質界(このよ)に縛り付ける
故にクンティの息子よ、仕事の結果を
ただ至上者(かみ)へ捧げるために活動せよ



供犠をうけて 満足した神々は
人に様々な食物や品々を授ける
それを賜られて 楽しみながら
神々に返礼しない者は盗賊である


仕事というのは、何もお金を稼ぐものに限りませんよね。
自分のなすこと、思うことを、至上者(かみ)への供物にできたら。
主婦業だって、神をたたえつつ、仕事できることを神に感謝しつつ、
毎日洗濯したり掃除したり、ご飯を作ったり。
想像するだけで単純な私はウキウキしてきましたよ。

それに、これなら無理しないで済みそうです。
これ以上頑張ると、神をたたえながらは出来ないなぁと思ったら、
そういうことですので、感謝の仕事はここで終え、
後はサボります~と言っていいような気がしてきました。
主婦業ならそれを言えても、会社員は難しいですね。

私の立場としては、すべての仕事、主婦業も、パート仕事も、介護も、
すべての仕事を神への供物としようと思うことは可能だし、
とてもいいことだなと感じました。

シュウトメちゃんから感謝がないとか、
掃除してもすぐに元通りだから、掃除なんてつまらないとか、
毎日ご飯作ってるのにコメントもないとか、
そういう結果はまったく考えずに仕事をするというのは、
ここ数年、自分でそう感じはじめていたことでした。
そういうの、いらないから、なるべく愛情を持って
行動して、それを喜べるのが自分の幸せだという気持ちが強まっていました。
こういう私の発言を、偽善者で気持ち悪いという人がいるのは知っていますが、
その人にどう思われるかというのも、結果ですからね。

自分がいいと思って頑張ったことでも、いい結果につながるとは限りません。
いいと思った発想の内容がずれていることもあるでしょうし、
立派なことをしても成功するとは限らないです。
その結果が、世間的に失敗と呼ばれる結果だったとしても、
そこで落ち込む必要もないし、成功と呼ばれて称えられたとしても、
舞い上がる必要もない、ということだと思います。


だが 自己の本性(アートマン)を知って
それに満足し 歓喜し
それに安んじ 楽しむ者には
もはや為すべき義務(しごと)はない


故に仕事の結果に執着することなく
ただ為すべき義務としてそれを行え
執着心なく働くことによって
人は至上者のもとに行けるのである


ここで連想したのは、怪しい大阪のおっさん「賢者テラ」氏。
ブログとyou tubeでしか知りません。
本を買っていないし、講演会にも言っていないので、
経済的に一円も貢献していないファンです。すみません、テラさん。

you tubeでは最近のはこんなのがあるんですよ↓
http://www.youtube.com/watch?v=4Y0aJ5lfsu4
ご自宅のキッチン横のパソコンから発信されている飾らないテラ氏。
発達障害がおありで、仕事を辞めて、引きこもり経験もあり、
キリスト教に救われて、神父を目指している途中に、
突然スピリチュアルな気付きがやってきて、現在に至るという
すごい経歴の方ですが・・・すべてyou tubeからの知識です。
インド哲学的に悟りに至っている方ではなさそうですが、
仕事の結果に執着していない人という連想でテラ氏を思い浮かべました。


欲望は 眼 耳 鼻 舌 身の
五感と 心と 知性を住処とし
正しい知識を覆いかくして
正者を迷わせているのだ


すべて欲望を持たずに行動する者は
完全智を得た人と心得よ
賢者たちは そのような人々を
大智の火で業(カルマ)を焼き尽くした人と呼ぶ


この本全体に「穏やかであること」を大切にしている言葉が
何度となく出ている気がします。
欲望を持たないことについての教えの言葉も多いです。
欲望に引きずられる時、仕事(行為と言ってもいいですが)の内容は
神への供物にはふさわしくないと単純に連想しました。

所有すると思うなという内容の言葉も何度も出てきます。
自分が何かを所有しているという感覚が、
もっと所有を増やしたいとか、これを失うのは絶対避けたいなどの
欲望につながるわけですが、この思いが人を物質界に執着させ、
至上者に通じる、平安の世界から遠ざけてしまうということでしょうか。

物質界(このよ)の利害得失を超越して
無執着の活動をする
自由な人のする仕事は
ことごとく至上者(かみ)への供犠(ささげもの)となる


人は自分の心で自分を向上させ
決して下落させてはいけない
心は自分にとっての友であり
また同時に仇敵でもあるのだ


欲望に感覚を支配されている自分に気づいたら、
その感覚を至上者への供物にまで浄化させるようにもっていく。
人間離れしたことではありますが、心がけていきたいです。
心を友とするか敵にするかは自分の在り方なのですね。
すごく単純に、いつも神様に感謝しているといいかもしれません。


自分に好意をよせる者も冷淡な者も
友人も 敵も 嫉妬深い者も
修道者(サードゥ)も 罪人も どこにも属さぬ者も
みな平等に観る人は真に進歩している

これはほぼ不可能じゃないかと思いますが、
周りの評価、出来事に、自分が翻弄されないこと、
常に平静な状態で、至上者とつながっていること、
それを心がけるだけで、違ってくるのではと思いました。

クシュリナの教えは、昨日の引用にもあるように
そして 成功と失敗を等しいものとみて
あらゆる執着を捨てよ

というものです。
結果ではないのです。経験なのです。

その考えからいけば、好意を寄せてくれる人はその人の役割、
冷淡な人はその人の役割をもって、自分の経験に
関わってくれている人ということになります。
この解釈は自己流のものなので、真意は違うかもしれませんが、
私にはそのように思えました。

あの人は人格者だ、あの人はどうしようもない人だ、
この人は普通、そういう判断も、幻想なのかもしれません。
運命に従い、カルマに従い、自己の成長度に従って、
どの人も、必要な経験をしているだけかもしれません。

ここまでの引用で、全体の1/3ほどにしかなっていないのですが、
このまま続けたらしつこいかな~。
書きたいので、読んでくださる方がいなくなるかもという
結果にはこだわらず、書こうと思いますが。(笑)
                         
                                  
        

神の詩 バガヴァッド・ギーター

category - 日記
2014/ 03/ 22
                 
http://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/?pc=http%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Fhmvjapan-plus%2Fcabinet%2F3514000%2F3513111.jpg%3F_ex%3D128x128&m=http%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Fhmvjapan-plus%2Fcabinet%2F3514000%2F3513111.jpg%3F_ex%3D64x64

ふと思いつき、友人が読もうかなと言っていた本をネット注文。
「バガヴァッド・ギーター」

いくつか訳がありまして、私は主婦が訳したという
「神の詩 バガヴァッド・ギーター」を注文しました。
自分がこの本を読むことになるとは思わなかったわ。(笑)

バガヴァッド・ギーターはマハーバーラタの一部です。
世界史でテストに出る叙事詩の名前として記憶にあるのでは?

しかし、すごいです。面白いです。

クル軍とパンドゥ軍の戦いが起きています。
王位継承についての戦いのようで、
血縁者が戦う構図になっています。

パンドゥ軍の王子アルジナュは、戦う相手をしっかり見たいと
クシュリナに願い、願いは叶います。
そして敵軍に血縁者や友人、知人がたくさんいるのに衝撃を受けています。
そしてクシュリナに尋ねます。

クシュリナはパンドゥ軍の一人でアルジュナの親友らしいですが、
神の化身として人間の形をしているのでした。

血縁の人々を殺して
いったい何の益があるのでしょうか
わが愛するクシュリナよ
私は勝利も領土も幸福もほしくない

私は彼らに殺されても
彼らを殺したくないのです

ああわれらは何という大罪を
今ここで犯そうとしているのか
王侯の栄華を欲するあまり
血縁の人々を殺そうとしているのです


率先して戦うべき身分のアルジュナですが、
親戚縁者、友人、師と仰ぐ人たちを殺したくないと
悲しみにくれて涙を流しています。

王子アルジュナは、勇敢な弓の名手ですが、
親しい人を殺すより殺されたほうがいいと
考えるような善良な人間です。
どんな答えが返ってくるか、興味がわきませんか?
びっくりしましたよ。

君は博識なことを話すが
悲しむ値打ちのないことを嘆いている
真理を学んだ賢い人は
生者にためにも死者のためにも悲しまない

わたしも 君も ここにいる全ての人々も
かつて存在しなかったことはなく
将来 存在しなくなることもない
始めなく終わりなく永遠に存在しているのだ


ここまでは私には慣れ親しんだ考え方(笑)ですので、
驚きませんでした。
ここから先がすごいんです。
ごく一部の抜粋ですが、これがクシュリナの返事です。
すべて4行詩に美しく訳されていますが、これは2行、
あるいは4行をところどころ中略して抜粋した寄せ集めですので、
実際の文章はもっと美しく流れるようなものです。念のため。

破壊され得るのは物質体(肉体)だけである
故にアルジュナよ 勇ましく戦え!


生まれたものは必ず死に
死んだものは必ず生まれる
必然 不可避のことを嘆かずに
自分の義務を遂行しなさい

おおクンティーの息子よ、君が戦死すれば
上級の星界に往って天国の幸を味わい
勝てば地上で王侯の栄華を楽しむのだ
さあ 立ちあがって戦う決心をしなさい

幸と不幸 損か得か
また勝敗のことなど一切考えずに
ただ義務なるが故に戦うならば
君は決して罪を負うことはない

君には 定められた義務を行う権利はあるが
行為の結果については どうする権利もない

アルジュナよ 義務を忠実に行え
そして 成功と失敗を等しいものとみて
あらゆる執着を捨てよ
このような心の平静をヨーガというのだ


引用部分は、この本のごく最初の部分で、
この先も、目が覚めるようなすごい言葉が続くのですが、
この世の善悪の価値観など吹っ飛ぶような
クシュリナの言葉に、私はドキドキしてしまいました。

殺すのは悪、ゆえに、戦いをやめなさい、ではないのです。
勝つために、あるいは味方のために戦いなさい、でもありません。
アルジュナは王子であり、勇敢な戦士として生きており、
その義務を果たすために戦え、というのです。
おまけに、結果は考えるなというのです。
勝っても負けても、どちらでもいいのです。
結果に執着することは愚かなことなのです。

自分の責任に最善を尽くし、結果として自分が受け取るものは
神にお任せして一切の心配をしない姿勢を要求されています。

古くから伝わるバガヴァッド・ギーターは、
インド哲学を伝えるとはいえ国民的叙事詩として、
人々が面白く読めないと伝わらないということで、
かなりドラマチックに脚色してある気がします。(個人的見解です)

神の化身クシュリナがすごい姿に変身したりもします。
数え切れぬ顔、恐ろしい歯、無数の口に無数の目、
無数の腕、無数の腹、あまたの聖なる武器、まばゆい光彩、
口からは光り輝く火炎などの描写が続く想像を絶する姿です。

わたしは、"時"(死、運命も意味する言葉)である
もろもろの世界の大破壊者である
わたしは人々を滅ぼすためにここへ来たのだ
おまえら兄弟を除いて両軍の将兵はすべて殺される

故に立ち上がれ 戦って栄誉を勝ち取れ
敵を征服して王国の繁栄を楽しむがよい
わたしは既に彼らの死を決定したのだ
弓の名手よ ただ"戦う道具"となれ


戦争の結果は神のシナリオで決まっているという宣言です。

壮大な宇宙の仕組みとでもいうような因果が働いていて、
勝つために、ち密な計画が練れた方が勝つというわけではないと。

「おまえら兄弟を除いて両軍の将兵はすべて殺される」
この運命を、「戦う道具」となって受け入れよというのです。

自分の置かれた立場による責任を果たす行動を
神への捧げものとせよ、というようにも読み取れます。

この本ではよくわからなかったので少し調べたところ、
パンドゥ軍が正当な王国の主であるのに、
クル軍の邪悪な王と王子が卑怯な方法で乗っ取ってしまったようです。

強欲で邪悪なクル軍の王や王子が国を支配すれば、
国民の生活も犠牲になります。
王国奪還のため、そして国民の平和を守るための戦いであったわけです。

わたしは既に彼らの死を決定したのだ
弓の名手よ ただ"戦う道具"となれ


現在の邪悪な王と王子はこの戦いで負け、
虐げられていた国民は、救われる道を歩むことが決まっていて、
アルジュナの弓の腕が役立つことも決まっているということですよね?

人は皆、輪廻転生する魂なので、すでに永遠の魂を得ていて、
アルジュナがここで、血縁者や友、敬う年長者たちを殺すとしても、
そもそも死ぬとか生まれるとかいうこと自体が幻想なので、
肉体を離れた魂は、彼らにふさわしい新しい肉体を得るだけのこと。
無残な死に方をしたように見えても、そのような見かけに
心を惑わされる必要はない、という意味かなと思いました。


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アルジュナはそれでも、多くの知り合いを殺す自分の運命を
受け入れることができず、気持ちが揺らいでいました。
クリシュナの真の姿を見て、気高い教えに感動しつつも聞きつつも、
迷いが消えず、涙を流しながら苦しんでいました。
そして神であるクリシュナの弟子となって教えに従いたいと願いました。

物語は、クシュリナがアルジュナに真理を語る形で進みます。
素晴らしい言葉がたくさん。
今日のブログにピンと来る方は少ないでしょうが、
もしいらしたら、バガヴァット・ギーターに呼ばれています。
ぜひご一読を。(笑)
今日は時間がないのでここまでです。
明日のブログはこの続きを少々、と書いたら、
読んでくださる人が激減しそうですが、多分、書きます。(笑)