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2014年01月29日

        

「koalaちゃん、今日はお布団干したから、ふっかふかだよ」

category - 日記
2014/ 01/ 29
                 
私の母は、弟を産んでから仕事を辞め、
父が脱サラするまでの約18年間、専業主婦でした。

昨日お布団を干して幸せ、などと書いたのですが、
母は専業主婦でいた間、かなり頻繁にお布団干してたなと
ふと思い出しました。

ある日、父の会社の安城支部と岡崎支部が合併することになりました。
岡崎支部が格が上だったので、同じ肩書なら、
安城支部の人間が、補佐に回されたと聞きました。
余剰人員が出るので、退職金を上乗して早期退職者を募りました。

母はまだ弟が学生なので、我慢して退職しないでと頼みました。
安城支部からは、仲間が何人も辞めましたが、
肩たたきがあったわけではなく、残ると言えば残れました。
でも父は自分や仲間が格下にされたのが面白くなくて、
よく自宅に同じ気持ちの同僚が来て居間で盛り上がっていました。

私は母の手伝いでお茶を出したりしたくらいで、詳しく知りませんが、
盛り上がっていたメンバーのほとんどは早期退職したようです。
奥さんが可哀想じゃないか、辞めることないじゃないかと
説得しに来てくれた人もいたと母から聞きましたが、
父はあまり家族本位の人ではなかったのでした。

40代の父が再雇用を探すとなると、お給料は激減します。
探しながら、こんなに安いとは!と驚いていたらしく、
今思うと、父はこういう面でお子ちゃまだったのですよね。
だから辞めるなと止めてくれた人がいるのに。
他の業界で役立つ技術を持つわけでもない40代の中途採用者に
高額のお給料を払う会社があるはずないのです。

それでも、現代を思うと、のどかな時代でしたね。
お給料は知りませんが、年齢にしては安いのを我慢すれば、
就職口はたくさんあったようでした。

母は、弟が大学を卒業するまでは、安くてもいいから
会社員でいてほしいと言ったのですが、父は脱サラだと言い始め、
思い立ったらやっちゃう人でしたので、脱サラしました。
母は手伝うしか道がなく、40歳過ぎてから店のおかみさんに。

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子供時代、家に帰ると、母はおやつを作って待っていました。
母は働きに出てお給料をいただいてくるよりも、
おやつを作って子供を迎える方が好きだったのでしょう。
庭にはたくさんの花が植わっていて、いつもきれいでした。

父一人の気持ちで、生活ががらっと変わるしかなかった母が、
可哀想だと思っていましたが、振り返ると、
もっと家事を手伝えばよかったのに、私は自分のことばかり。

帰宅すると食事の支度が出来ていた時代は終わり、
自分のことは自分でする生活が始まりました。
親の店に行って夕食を食べることも、外食も、
お惣菜を買ってくることもしましたが、
私も弟も、そのうち、ハンバーグやとんかつまで
食べたいものを作れるようになりました。

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ふかふかのお布団や毛布で眠る回数は激減したと思いますが、
日曜日などに「今日は天気がいいからお布団を自分で干しなさい」
などと言われると、気にかけてくれてありがとうではなく、
面倒くさいなぁと思っていました。

今日は出かけるから取り込めない、なんて言うと、
お母さんがお店に行く前に取り込むから、今から干せば
2時間干せる、早く!なんて言われたのも、
ムカシの子ですから、しぶしぶ干していましたが、
今の言葉だったら「超めんどくさいし~」って言いそうな
可愛くない娘でしたね、私は。

ただでさえ不本意ななりゆきで、慣れない仕事を始めた母に、
どうしてあれほど思いやりのない娘だったのか。
社会人と言ったって、今の若い子とは違って、
昔は「職場の女の子」扱いで、+家事をしたって
大した負担じゃなかっただろうに、母の負担を
もっと軽くしてあげなくちゃとは思いませんでした。
魂の未熟さというものだったでしょう。

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母は、私を産んだ時は働く母親、弟を産んでからは子育てにどっぷり。
その後、のどかな専業主婦を18年満喫した後は、
ジェットコースターに乗ったような流れで、飲食店のおかみさん業。
こちらは専業主婦歴より長くて25年くらい。

その後、父の末期がん発覚で2人で仕事を辞め、看病する妻、
看取る妻を経験した後、一人暮らしのおばあさんになり、
父と同じ年齢で、同じ病気で亡くなりました。

おとなしくて、家庭向きだと思っていたけれど、
結構チャレンジャーな魂だったかも。

最期の日々、私が母にしっかり向き合えたのは、
父が脱サラして大変だった時代の母に、
未熟さゆえに、全然親孝行してあげなかったおバカ娘のままでは
後悔が残って仕方なかろうという神様の心使いだったかも。

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「koalaちゃん、今日はお布団干したから、ふっかふかだよ」
不意に、子供時代の母の声が聞こえた気がしました。

「私が未熟だったように、母だって未熟だったんだ」
そういう思いも湧いてきました。
母は若いころ、洋裁を習いなさいと言われて教室に行くのを
時々さぼって、お友達と遊んでたとか言ってました。
大人になってから、お母さん、ごめんねと思うことが
きっと母にもあったのだろうと想像できます。

もっと手伝いなさいと怒ることが、私の成長に繋がったかもしれませんが、
母は多分仕方ない娘だと思いつつ、見守る方を選びました。
私はそれなりに手伝うだけで気にかけず、後から後悔しました。

母は若い頃、自分が未熟だったから、娘が若い頃の自分と
同じ未熟さを持っていたことが理解できたのでしょう。

若いころは、どちらが正しいかというのがとても大事でしたが、
どちらが正しいのかは、今は問題に感じません。

もっと手伝いなさいと怒られることで成長する道もあれば、
見守られて成長する道もあったというだけに思えます。

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「koalaちゃん、今日はお布団干したから、ふっかふかだよ」
不意に聞こえた気がした母の声は、私をセンチメンタルにしました。

母のことばかり書くと、天国で父がひがむかな?(笑)
私が子供のころ、父の日にスーパーで買ってきた安物の服を、
何年も大事に来てくれたこと、忘れないですよ。

親というのは、子供から見れば大きな存在だけれど、
実は20代、30代のワカゾーなんですから、
自分が大人になって振り返れば、未熟な所が多いヒトだったりします。
子供の自分も未熟なので、未熟者同士反発もします。

最期に残るのは、愛された記憶と、未熟者同士の連帯感かもしれません。

私が不意に思い出した母の言葉はお布団の言葉でしたが、
子供たちは私が先に逝った後、どんな言葉を思い浮かべるんでしょうね。

未熟な母のことを、明るく笑い話にしてくれればいい、
ただ、お母さんは、長男も長女も大好きだったなと感じて、
子供たちが自分の力でちゃんと生きて行けるって確信してたことを感じて、
明るい気持ちで生きていくうえで少しだけ足しになる言葉を、
たまに、不意打ちみたいに、思い出してくれたらいいな、なんて思いました。
            
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