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2013年08月14日

        

お盆に思うこと

category - 日記
2013/ 08/ 14
                 
お盆には、精霊棚、というものをお仏壇の前に作り、
そこに決められたお供えのお食事を供えます。

お寺は、こんな風にやります、という情報をお寺の新聞に載せて
若い世代がこの文化を継承していきやすいよう、
簡素化を進めてくださっています。

昨年も一昨日も、この簡素化の波に乗りましたが、
今年はフッと気が向いて、昔のやり方でやってみました。
例えば煮物をお供えするのですが、お寺の新聞では5種類の具。
しかし、昔は7種類でしたので、今日は7種類で煮ました。

「なないろざいの煮物」とシュウトメちゃんは呼んでいました。
昔は煮物に7種類の具を用いることは贅沢だったのではと思います。
農作業に追われて忙しく、電化製品はなくて、
食事は質素に簡単に済ますのが美徳の時代がありました。
お盆に帰っていらっしゃるご先祖さまには、ご馳走をお出ししよう。
そうだ、具材は7種類入れることにしよう。
でも普段の煮物は人参と椎茸の煮たの、という風だったのでは?

時代が進んで、肉を入れよう、ごぼうを入れるとだしが出る、
レンコンは食感がいいし・・・と増えていったんじゃないかなと
これは勝手に想像してるだけで、全然違うかもしれませんね。
人参と椎茸の煮たのをおかずに出したら、
こんにゃくも入れろと舅が責めたかもしれませんしね。(笑)

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事実はわかりませんけれど、過去にたくさんのオットのご先祖さまが、
ここで暮らし、いろんな感情を味わい、自分もそのひとりになる、
といった「大河の一滴」である感覚を味わうのはいいものです。

昔はそれもいやだったんですよ。
シュウトメちゃんの愚痴と怨念だけじゃないところが特に。(苦笑)

「ご縁」というものを信じるようになって変わりました。
今ここで私が生きていることには、すべて「因」があり、
自己責任、仏の計らいとも言える意味がある・・・。
そこに留まってもいいし、抜け出してもいい、それは自由。
責任を伴った自由だし、新しい「因」を作る選択です。
この考えに出会い、腑に落ちたことは、私には深い出来事でした。

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お仏壇にお参りをして、自分が大河の一滴であることを感じると、
「自分」なんてないのかもしれないという気持ちが湧いてきます。

現代人は、「我思う、ゆえに我あり」なんて納得しちゃって、
アイデンティティがどうのこうのと思考をめぐらして、
「自分とは?」という思考を重要だと感じる教育を受けるけれど、
一切は空である、というのが真理なんじゃないか。

今はどちらも本当なんじゃないかと思っています。
一切は空であり、すべて大丈夫、みんな繋がっている、
そういう世界もありながら、人間として生きているので、
「自分」の殻の中であがきながら、価値観やレッテルを貼って、
これが自分ですと表現しながら人間経験を積んでいく私たち。
でもその世界にどっぷりだとキツイですし、見えないものもあるので、
時々、空の世界に心を羽ばたかせるのが大事かなと思います。

自分が自分にどんな価値観やレッテルを貼ってきたか、
それを掘り下げるのはとても大事だと思います。
「自分が作ってきた自分」のルーツですから。

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今日は実家のお仏壇にもお参りに行きました。
実家は空き家なので、電気も水道も止めてありますから、
真夏に長時間はいられませんが、風通りの良い家で、
早々と退散、でもありませんでした。

元気だと思っていた両親は、ある日、末期がんだと言われ、
お医者様の見立てより何倍もの期間、そこそこ元気で、
でもある期間を境に、急速に衰えて、少しだけ寝たきりになり
ホスピスに入って亡くなって行きました。

すごく悲しかったのですが、死はこの世からの卒業だったのですよね。
私がまだ卒業していないのは、生きている意味があるからなのねと
しみじみ感じるようになったこの頃です。

お仏壇に手を合わせる時に思うのは、
今日も生かしていただいてありがとうございます、ということ。
卒業したらもう、「自分」などという枠はいらなくて、
随分と身軽になるような気がしますが、
それまでの間は「自分」でいる経験を楽しみたいと思います。

今日も生かしていただいてありがとうございます。合掌。
            
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