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2013年08月13日

        

「そういう自分もいていい」と受け容れること

category - 日記
2013/ 08/ 13
                 
お盆です。

和尚様が家の仏壇にお参りに来てくださる日の朝の瞑想で、
頭に浮かんだのが聖書の言葉って・・・
私はどれだけ天邪鬼なのか?(爆)

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、
怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

(コリントI 13章4節~7節)


これね、うろ覚えにしか覚えていなかったので、
この部分、どうだったか正確に知りたいなと思い、
瞑想はそこでストップでしたね。(笑)
「愛は寛容であり」で検索したらちゃんとヒットしました。  

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どうしてこの言葉が頭に浮かんだのかはすぐピンときました。
昨日読んだブログの影響です。
クリスチャンの方のブログではなくて、ついこの間ご紹介した
平穏無事なんて、本当は面白くない(笑) の次の日のブログ
反省しても、人生はうまくいかない もまたとてもタイムリーで、
その内容が私の脳みその中で聖書の言葉を引っ張り出したのだと思います。

「反省しても、人生はうまくいかない」の内容ですが、

あなたは、どんなときも人に優しく、誰とでも調和して、
みんなに好かれる人でありたいなどと思ったことはありませんか?
それ以外の自分はあってはならない自分だと拒絶したくなりませんか?

という問いかけから始まりました。

だいたいあなたは、あなたの理想どおりじゃないこともしますからね、とおっしゃる。


腹も立てる。
けんかもする。
意地悪もする。
ケチりもする。
裏切りもする。
ズルもする。
馬鹿でもある。
凶暴でもある。
醜くもある。
人に嫌われもする。
だらしなくもある。
欲深くもある。
苦手なことも下手くそなこともある。
ぐずぐずもする。
決めたことをやらないこともある。
パッとしなかったりもする。
遅刻もする。
うそもつく。
下品でもある。


これだけ並ぶと壮観ですね。


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こんな面もあるのだけれど、認めたくない。
そうであってはならない。
そういう思いが、苦しみを作り出している、というのです


だったらどうすればいいのか。
認めればいい、のだそうです。
なるほど。

この先、本当に素晴らしいので、ぜひ全文を読んでいただきたいのです。
素晴らしい言葉の連発でした。こんな風に・・・。

「そんなことをして、私ってなんて馬鹿なんだ」って思っているときは、
いかにも反省しているようですが、実は自分のやったことを認めていない。
実は、認めたくなくて、じたばたしているのです。

やったことを受け容れず、
「もう二度とそういうことはするまい」と誓って、
何度その誓いが破られたでしょうか?

自分のやったことを否定したり、消し去りたいと思っているうちは、
実はそういうことを受け容れるまで繰り返しそういうことが起きるのです。

「そういう自分もいていい」と受け容れることです。
決して排除しないでください。
だって、そういう自分も確かにいるんだから。

やってみると分かります。
「何なんだ、この自由は」って。


うそをつく自分を、完全に、心からそういうところもあると
深く深く認め、受け容れたとします。
するとその人はますますうそつきになっていくでしょうか?



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このブログに感激して、一晩経って、先に載せた聖書の言葉が浮かびました。

学生時代、こういう言葉が大好きでした。
こういう言葉の好きな学生というものは、
たいてい、立派に生きたいと願ういい子ちゃんです。(爆)

寛容でない、親切でない、人をねたむこともある、
自慢することも、高慢になることもあるし、
礼儀に反することをしたり、自分の利益ばかり求めたり、
怒ったり、人のした悪を責めたりします。
聖書の言葉を守れないのが多分普通の人間です。


でも、この聖書の言葉に感激していた学生さん(笑)は、
頑張れば守れるはず、少なくとも努力しようと思うわけです。

そうか。こういう言葉が私の原点にあるんだ・・・・。
だからきっと、こうなれない自分が嫌いという
自己否定の思いをずっとずっと抱いてきたに違いない・・・。


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私は自分で「私がこうしたことは正しくなかった」と感じたり、
おっちょこちょいな失敗をしたりするたびに、
「こんなの、もういや!私って馬鹿!」という感情をよく味わってきました。

私の中にしみこんでいる、理想のあり方と自分が
かけ離れているためだったのでしょうね。

これからこの感情を書き換えることにしましょうか。
どんな文章がいいかな?
「やっちゃった!私の欠点って、なんて人間的でチャーミングなんだろう!」なんてどう?(笑)


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最初に載せた聖書の言葉を実行できるのは天使かカミサマだけ。
私は人間の経験をいっぱいしたくて生まれてきた魂なので、
この言葉にそぐわない面をいっぱい持っているのが当たり前なのよね。

こういう聖書の言葉などは無駄、とは思いませんけどね。
例えば「愛は自慢せず、高慢になりません」という言葉。
自分がもし高慢だったと感じたら、この世に生まれた理由の一つは、
高慢にならない修行をするためだったかも、と思えばいいのでは。
反省して、自分の心をぐさぐさと刺すことは、
実は高慢な自分を受け入れられず抵抗しているだけなので、
あまりいい修行ではないですよ、っていう風に感じました。

自分を受け入れる腹をくくりましょうか。
            
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