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2013/08/18

2013年08月

        

非難に反応する心の奥にあるもの

category - 日記
2013/ 08/ 20
                 
昨日の日記は、「非難」について考えさせてくれました。
私にはまだ非難に過敏に反応する所があるなと再確認しました。

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私はこの夏、愛犬を亡くし、数年前に関わりのあった
某ブログへ、何年かぶりに行ってみたのです。
ペットの犬の画像を見たくて行ったのですが、犬画像はなく、
私のブログを読んだ上での、悪意ある嘲笑の文章が並んでいました。
どんな細かいことも、侮蔑の対象になりました。

いつからかわかりませんが、ほぼ毎日の非難でした。
そのブログの管理人さんは、かつての私のネット友のご主人ですが、
毎日私を侮辱し、嘲笑していたのです。
それに比べて自分は何と立派で、妻子も何と素晴らしいことか、という内容でした。

一面識もない、妻のかつてのネット友にこういうことを?と
驚きや怒り、困惑、気持ち悪さで心が乱れました。

またこんなことを書いている・・・と気が滅入り、
読んでしまった自分の心の弱さを思う日々。
禅のサイトや幸せって意外にカンタンというブログに出会い、
1ヵ月半の間、行かなければいい気分の悪いブログに行き、
そんな日々にピリオドを打てました。嬉しいです。

思い出して気持ちが悪くなる時には、
私はその人に評価される必要はない、と自分に言い聞かせました。

かつてのネット友のご主人でなければ、違ったかもしれませんが、
管理人さんは、私とは波長の合わない人で、関わらずに済む人ですから、
なるべく関わらないでいようと思っています。

この件について書くつもりはなかったのですが、
「非難」という問題を掘り下げるにあたって、
今の私には避けて通れないので書きました。


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非難されると傷つく心の奥には、怖れがあるのだと思います。
評価されていない証拠、それが非難ですから。

非難する側は、自分は非難される相手よりも上であるという
認識が持ちたくて非難している場合があります。
これは非難ブログを読んでしまった1ヵ月半の間、
何度も見知らぬ人に見下されて、噛み締めた認識でした。

私が昨日の日記に書いた、ちょっとしたことに、
今までより強く反応したのは、この認識があったためだと思います。

レジが誤作動という事態ではあったけれど、実際に困りはせず、
大したことじゃないよと励まされたようなことでしたが、
私は心が揺れましたし、揺れた原因は私の中にありました。


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人間は存在することに価値があります。

役に立つと評価をされないと生きている価値がないという
怖れと悲しみの過去が作る誤解が私にはありました。

そういうことがすとんと腑に落ちた経験があるのに
昨日の私は、先輩に、せっかちだと言われたくらいで、
先輩の仕事上これはどうなの?と思う点が頭に浮かびました。
先輩が繰り返し何度も言ったことが、某ブログを連想させました。
繰り返し言うのは先輩の癖だと知っているのに。

せっかちだから気をつけなさいよというのは、
有益なアドバイスです。なのに私は頭の中で反撃しました。

人間は存在することに価値があるのだと確信していたら、
頭の中で反撃する必要はなかったはずです。

私の心にはまだまだ怖れがあるな~とわかりました。

すべての人の心に仏が宿っているのなら、
その仏が、怖れを溶かしてくれますように。


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こういうことに出会ったのも、「因」があると思います。
非難ブログに関しては、すごい災難だったとも言えますが、
ある意味、愛犬メリー教えてくれたブログでした。
メリーが生きていたら、あのブログには行かなかったでしょう。

人間は存在することに価値があるのだという教えが、
もう一段階深く、私の中に沁みこむように、
私の心の目をより開かせてくれる荒療治だったのだと
メリーのおかげで、一歩前進できた、ありがとうと、
目には目を、非難へは非難を、ではなくて、
メリーへの感謝に変えていきたいと思っています。


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今日のブログは非常にわかりにくい内容なので、
数人の方が理解してくださればずごいことだと思っています。

そんな誹謗中傷ブログを書くなんて、と反応するか、
koalaさんってやっぱりヘンな人、と反応するか、
ダブルというのが一番多そうな気がしますが、
ブログは私の心の軌跡なので、飾らずに書いてみました。

みっともない自分でも大丈夫!という気持ちが出てきたので、
ヘンな人と思われるブログを書けるのですけど、
悟っているわけではないので、自分のみっともなさに
書いていて心が揺れたりもしております。(笑)
                         
                                  
        

「優雅に働くご婦人」へと、イメージアップできるかな?(笑)

category - 日記
2013/ 08/ 19
                 
職場のレジで、よくわからないことが起きました。
お金のやり取りとしては問題なかったのですが、
同じことがまた起こると困るかなと思い、店長に報告。
私を含む、午後6時終業のパート仲間も集まって話しました。

とりあえず、お金のやり取りで問題はなかったため、
何か誤って普段使ってないキーを触ってしまったのではないか、
(ではどのキーを押すとそうなるか?というのは不明)
また起こったらその時考えましょうということになりました。

そのレジは他の人も別の問題が起きたばかりだし、
機械内部の掃除が足りないのでは?と私は思いました。
機械に弱い私が言うと、全く説得力がないのですが、
ある先輩が「koalaさんがせっかちすぎるからだよ」と発言。
そしてこの言葉が10回近く繰り返されて、みんなびっくり。
この先輩にここまで非難されたくはないわ~。

後で同僚がその先輩を悪く言うことで励ましてくれましたが、
実は私の頭の中には、この先輩の仕事の悪い点がいくつも浮かんできて、
それが他の人たちの言う悪口と結構重なっていたので、
心の中で苦笑いしたのでありました。
あら~、私ってやっぱりけっこう性格が悪いわ~、
でも、このくらいの性格の悪さって人間的。
チャーミングだわと開き直りましょうか。

でもね、この先輩の発言は間違ってはいません。
私は、事実、せっかちなんです。
せっかちでない人にとっては、せっかちな人間が
ものすごく不快なのかもしれないのです。
もしかしたら、少し落ち着けよ!と
怒鳴りたいくらいなのかもしれません。 
みんな自分が基準なので、せっかちかどうかだけでなく、
自分の基準に合わない相手を責めたくなるのでしょうね。

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おかげで一瞬湧いた、しつこい非難に対する怒りは、
あまり尾を引かなかったです。
全然尾を引かないわけじゃないのよ。
そんなに優しくないのですよ。誤解があるみたいですが。(笑)

ただ、最近は、非難で傷つく時は、その非難の言葉の影響で、
自分自身が自分を非難しているからだと気がついたので、
「私の人生に非難は必要ない」と自分に宣言してしまうことで、
無用のエネルギーの浪費が防げるようになりました。

自分の心ををグサグサとナイフで刺す必要はないし、
自分で刺したのに、非難した人に刺されたと解釈して、
私も刺してやる!なんて逆攻撃したりというのは、
ホント、無用のエネルギーの浪費だと思います。

私はせっかち。
それは仕事上、直していった方がいい。
ただその事実があるだけです。

私の職場は、とてもいいと思うんですよ。
ちょっとしたこんなことはたくさんあるのですが、
あっても、こじれません。
派閥が、とか、お局様が、といういざこざがほとんどないです。
販売系のお仕事って、すごい所も多いみたいですから。

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非難されたと感じた時、感情的にならずに済ませるには、
もうひとつ、別のテクニックがあります。(笑)

「貴重なご意見、ありがとうございます」と心の中で言うことです。
「私の人生に非難は必要ない」とダブルで使うとすごく効果的。

どんな意見でも、その人にとっては真実です。
そして、今回の意見は一理ある!と思ったので、
素直に「気をつけます」と言えましたよ。
おべんちゃらと思った同僚が多いでしょうが。(爆)
この先輩、よく担当のレジを抜け出しちゃうんですよ。

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春からレジが新しくなったのですが、機械が認識することが多いので、
当然、認識時間がかかり、前のレジより反応が遅いです。

指摘されたとおり、私はせっかちなところがあるので、
遅すぎる~!と感じることが多いです。随分慣れましたが。
機械なので、キーを押すのに適切なタイミングというのがあり、
私を含めたせっかち仲間は「つい先走ってキーを押してしまう」と
話題になったのでありました。

こういうのは慣れですので、少しずつ改善しましたが、
早押し組は、癖が抜けきれず、未だに時々早押ししちゃうのです。
余計なキー操作というのは、機械にいいことではないです。

先輩のように、もともとゆっくり操作していた人には
全く問題ないので、早押ししてしまう意味がわからないのです。
なんでそんなにせっかちなの?!と不審に思うでしょうし、
もっと丁寧にゆっくりやる方がいいのにと思うでしょう。

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丁寧にきれいにレジをした方がいいに決まっているので、
「せっかちの戒め」は大事だなと思いました。

「せっかち」って美的でもないですからね。

皆様、不肖koalaが、「チビのおばちゃんがせっかちで、
ばたばたと気ぜわしく働いている」というイメージ?を脱却し、
チビのおばちゃんは変われないけど「優雅に働くご婦人」へと、
イメージアップできるように祈ってくださいませ。
                         
                                  
        

オットもこの夏、がんばった

category - 日記
2013/ 08/ 18
                 
昔は、自分の土地の境目に印として木を植えてました。
なのでkoala家の土地境にも木がいっぱい。

以前はシルバーさんに剪定をお願いしていましたが、
シルバーさんたちって、容赦なく庭の花たちを踏み潰すし、
これから花が咲くので、これは切らないでと言ったものを
じゃきじゃきに切ってしまったりするので、
もう嫌だ・・とある時、頼むのをやめてしまいました。
その頃は、庭にもっと手をかけて、きれいにしていたんです。

木は伸びるので、オットに時々切ってもらいました。
なかなかやってくれないと、自分で切ったりもしました。

しかし、今年はなぜか急にオットがやる気を出して、
チェーンソーまで買い込んで、大々的な剪定を始めました。

お盆の前に切ったのがこちら。




燃えるゴミを自己搬入するためには、軽トラが必要で、
借りることの出来る日の都合で、切って数日このままでしたが、
4回往復する量の剪定が完了しました。

しかしkoala家の木って、タダゴトじゃない状態なので、
お盆後にまた剪定して、それがこの画像です。




こちらは切った翌日の画像なので、まだしっかりと緑色。
こちらの搬入は、大盛りにして2回で済みました。

13~15日のお盆期間は、静かにご先祖様をお迎えする日なので、
チェーンソーの音を響かせるべきじゃないだろうと自粛しましたが、
その前後の暑さの中、熱中症にならないように
頻繁に休憩時間を取り、水分を取ってもらって、
何とか熱中症にもならずに、これだけの剪定、というか伐採?が
完了したおかげで、木々もずいぶんすっきりしました。

この夏は、エアコン1台とベッドのマットレスを買い換えた後に、
別のエアコンが壊れ、冷蔵庫が壊れ、洗濯機まで壊れて、
次々に買い換えて、全部ボーナス払いで(苦笑)
出費が痛い気がしていました。どうしてこんなに連続で?と。

でも買い換えるため、その部屋をきれいにしなくてはいけなくて、
いろいろ断捨離もできたし、家がきれいになったなぁと思います。

これでまだまだ断離捨すべきものがあるのが、
我が家ながら、怖いですが。(笑)

急に剪定に目覚めたオットのおかげで、
庭もきれいになってきたし、それなりに大浄化ですねぇ。
                         
                                  
        

買ったほうも「ありがとう」という文化は素敵ですよね

category - 日記
2013/ 08/ 17
                 
名古屋に赴任したことのある方のコメントをいただいたことがあります。
お客さんの「ありがとう~」に感動しました、とおっしゃるのです。
関東の方なのですが、そちらでは「すいません」とか「どうも」と言い、
買う側の「ありがとう」はあまり聞かれないのだとか。

この方のお店は服を売っていて、私の勤務先は産直なので、
大急ぎのお客様もけっこういて、空気が違うような気もしますが、
全部ではないですが、ほとんどのお客さまは「ありがとう」と、
言ってくださいますし、気持ちいい笑顔を添えてくださる方も多いです。

もちろん、苦虫を噛み潰した顔のお客様もいらっしゃれば、
時間を気にして、イライラしていらっしゃるお客様も。

苦虫を噛み潰していらっしゃる場合はどうしようもないので、
お幸せに~♪の念を静かに送るだけですが、
時間を気にしていらっしゃる方には、大至急レジを済ませてあげたいです。

ハイウエイオアシスなので、バス休憩のお客様が、トイレの後で、
どっと流れていらっしゃると、レジが混んで時間がかかるんです。

バスだってお客様を残して出発なんかしないですけど、
集合時間に遅れてバスに入るの、かっこ悪いですもんね。
たまに、なかなかバスに帰っていらっしゃらないお客様がいらして、
アナウンスが入ることもあるのですが、とてもまれなことです。

脱線しました。話を元に戻します。

改めて考えてみると、買ったほうも「ありがとう」と、
笑顔と共に言うことが定着しているというのは、
とてもいい文化だなと嬉しくなりました。

「お互い気持ちよく、幸せに過ごしましょうね」というような
気持ちの反映ではないかと思いました。

さて、今日も仕事です~。
お客様に気持ちよくお買物していただくのが私の仕事です。
                         
                                  
        

「色」の世界、「空」の世界

category - 日記
2013/ 08/ 16
                 
お盆も終わり、今日は仕事です。
普段はあまりお仏壇の前に何度も座らない生活をしていますが、
本家の嫁としては、お盆はそういうわけにいきません。
お仏壇の前にお供えをして、合掌し、
生かさせていただいてありがとうございます、と祈り、
大河の一滴の自分を感じる日々は、いいものでした。
(五木寛之さんの本は読んでいないんですけどね。)

私のイメージの中の「大河」は、ご先祖様の命だけでなく、
この世のすべて、人間だけでなく花も木も動物はもちろん、
一般には命があるといわれていない物質も含んでいます。
物質は非常に速度の遅いエネルギーだって言いますよね?
そうやって考えていたら、そうか、これは仏教で言う
「空」のイメージなんじゃないかと思うに至りました。

仏教でいう「空」はどういう解釈なんだろうと、検索したら、
こんなサイトを見つけました。

色即是空、空即是色というのは どういう意味?

すごく簡略化して書きますとこんな感じです。
青字の部分はこのサイトの内容をまとめたものです。

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「色」というのは、目に見えるもの、形づくられたものという意味です。
木も草も犬も猫も人間もすべて「色」です。
この「色」は、実体としてあるものではなく時々刻々と変化しています。
今日の私は昨日の私ではないし、今日の私は明日の私ではない。
そのように「色」には不変の実体はないのですから
それはすなわち「空(くう)」だということです。


ここに柿の木が一本ある。秋には実がなる。
実がなるためにはまず地球があって、
柿の木が大地にしっかりと根を張っていなければならない。
その土には水分、栄養分がいる。
さらに太陽が照って葉に光が当たらないといけない。
もちろん空気もいる。

そのように柿の実というものは、そのものだけでは存在しません。
周りのものすべてのなかでの一つの表現としてそこにあるわけです。

すべてのものが網の目のようにお互いに関係しあって存在していて、
単独に存在するものはない。で
すべてのものは根本的には一つであるということです。

全部を一つと表現することにしていて、それを「空」というのです。

もとを正せば、宇宙に存在するものはすべて
目に見えないエネルギーのさまざまな表現形態だということになります。

そのエネルギーがすなわち「空」であり、
その「空」から生み出され、形に表れたものが「色」です。

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禅では「父母未生以前の消息」ということがあります。
父母が生まれていなかったとき、あなたはどこにいたのかという問いです。

今「色」としてこの世界に表れているあなたも、
もとは「空」の世界にいたわけです。
ですから、死ねばまたもとの「空」の世界に帰っていく。

決して無くなったわけではない。
「空」というのは、目に見えない常に変転してやまないエネルギーですから、
そこから再び「色」が生じる。

現実の世界では、猿と人間は違うし、人間も一人一人違っています。
それをすべて同じだと言ったら区別がつきませんし、
私のものはあなたのもの、あなたのものは私のものと言っていたら社会はなりたちません。

空即是色というのは、「空」は必ず「色」という
それぞれ個別の様相を取ってこの世に表れる。
もとは同じだが、現実に現れたものには、それぞれ区別がある。
それを忘れないようにしなさいという意味もあります。

仏教は生きている人間を苦と災厄から救うための教えですから、
現実に即していなければなりません。。


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今の私が、「色」として存在しているのは、
「因」あってのことなので、
生かされていることに感謝して、生きていたいと思います。
「色」として存在していることに、意味があるはずなので。

でも、大河の一滴として、「空」の中に溶けこんでいた
生まれる前の自分の記憶があるような気がします。
自由で、満ち足りていて、すべてだった頃の記憶が。

これは本当に記憶なのかな・・・?

すべてのものが網の目のようにお互いに関係しあって存在していて、
単独に存在するものはない。
すべてのものは根本的には一つ。

「空」は必ず「色」という
それぞれ個別の様相を取ってこの世に表れる。  

「空」というのは、目に見えない常に変転してやまないエネルギー


人間は「色」として存在しつつ、実は「空」なのでしょうね。
でも、完全に「空」の意識になってしまったら(多分なれませんけど)
「色」として存在している意味、役割が達成できない・・・。

単独に存在するものはないという「空」の世界でなく、
個々の違いがあり、それゆえの喜怒哀楽・煩悩のある「色」の世界で
生きている意味があるから、個々に存在している、
死んで「色」の世界に存在できなくなる前に、
「色」として体験できることを感謝とともに体験しましょう・・・。

仏教的には、解釈が違うのかもしれませんが、
現時点での私はそう思うようになっています。

仏教の教えについて、いろいろ読んでいきたいと思います。
お盆を終えた日本人の感想としてはすごくまっとうよね?(笑)
                         
                                  
        

シュウトメちゃんの一時帰宅

category - 日記
2013/ 08/ 15
                 
今日はシュウトメちゃんの一時帰宅の日。
お盆の間、2泊3日くらい帰ってくるのはどう?と聞いたら、
日帰りにすると言い張るので言うとおりにしました。

施設は地獄だと言うので、9月いっぱいで帰る?と聞きました。
最初は施設の相談員さんと相談し10月中旬までとしましたが、
ケアマネさんにそう話したら、中旬に帰ると、
その後のデイサービスが、介護保険の点数が足りなくて、
あまり行けなくなるのでシュウトメちゃんが困るでしょうとのこと。
9月末か10月末の2択の方がいいです、どうしましょうかと聞かれました。

その時は正直な所、私の楽できる10月いっぱいにしました。
途中で9月末退所に変更できるか聞くと可能だと言われたので。

シュウトメちゃんは水虫の傷から黴菌が入って病気になりやすいのです。
9月末の退所だと、まだまだ暑くてその危険があるので、
足を洗うのは腰に響いて大変で、サボりたいなぁと思って。

シュウトメちゃんにはどっちでもいいよと何度か言ってきましたし、
今日も帰宅途中の車で、施設に意地悪なおばあさんがいて・・・と
地獄話が始まったので、9月末にしようか?と聞きました。
熱中症対策としたら、9月末までで充分です。

9月末の退所なら、10月初めからデイサービスは再開できます。
私の夏休みは1ヶ月減るけれど、それでも充分長い介護休暇だし、
週2回の訪問では足りないと言われるのもイヤになってきたし。

しかし、施設が地獄だと言うシュウトメちゃんなのに、
9月の終わりでもまだ今年は暑そうだから10月でいいと言いました。
よくわかんないな~と思いつつ、その話は打ち切り。

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義姉たちを招いての自宅での食事会で、シュウトメちゃんは嬉しそう。
下の義姉は車の運転が出来ないので、長男さんを伴って。
久し振りに外孫に会えて、シュウトメちゃんはにこにこ。

食後2時間後くらいに、コーヒーとアイスを出して一緒に食べ、
私は洗濯物をしまいに行ったんですよ。
私がいないほうが、義姉たちと話しやすい会話もあるでしょうし。

畳んだ洗濯物を運ぶ途中の廊下で、義姉の声が聞こえてきます。
シュウトメちゃんに説教中?
立ち聞きではないんだけど、タオルを洗面台にしまう間、
声も大きかったので聞こえてきちゃうし、
私も話が気になるから聞いちゃうし。

シュウトメちゃんは、嫁の都合で入れられたので、
自分は我慢して施設で耐えていくしかないと言ったらしい。
義姉は、入れられたとか、耐えてあげているとかじゃなくて、
自分も施設の方が安心で楽なのではないのか?と言ってくれてる・・・。

そして、自分だけが可哀想だというその考えはいつまで持っているのか、
私だっていっぱいつらいことがあったけれど、
自分だけが苦労しているだなんて、そんなことは言わない、
親が施設に入れられているのは、自分の親だからいい気はしない、
でも施設を上手に利用することは出来るんじゃないか?
そんなことをシュウトメちゃんに言ってくれていました。


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タオルの収納が終わったので、いつまでも聞いているのは
明らかな立ち聞きだからやめようと思い、離れの家に引っ込みました。

義姉さん、すごい。
昔の義姉からは想像できなかった言葉がたくさん飛び出して、
本当に、いっぱい苦労して、義姉が変わったんだとわかりました。

シュウトメちゃん、帰りたくて仕方ないのが本音?
でも、今日、私には、外は暑いだろうな、家の廊下や
トイレは暑いだろうなと車の中で、暑さを心配していたけど。
「エアコンの部屋と暑い廊下を往復するのは、わしみたいな年寄りの体には
すごくこたえて、発作を起こす人も珍しくないんだ」とか言っていたし。
そういう心配も本音、帰りたいのも本音、なんでしょう。

娘に甘えたくて、優しいおばあちゃんだとも思われたくて、
自分は嫁のためにこんなに我慢しているんだよと、
実際より誇張して言ったんだろうとも思いますが、
家にいても、施設にいても、自分は充分に大事にされずに
みじめでいなくてはならないと嘆いているのも事実です。


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2人の義姉は、帰り際に、こう言ってくれました。
(晩ご飯を食べていってくれると思ったけれど、
ちょっと都合が悪いとのことでした。)

「ずいぶんきついことも言ったので、
おばあさんはかなりしょげているけれど、よろしくね。
でも私たちは間違ったことは言っていない。
娘しか言えないからね、こういうことは。
呆けていないのだから、もっと自分に厳しくあって欲しいと思う。

おばあさん、2回も水虫から菌が入って絶対安静になってるでしょう?
10月いっぱい施設にいた方がいいよ。
あんな恵まれた施設にいて、それだけでも惨めじゃないのに、
惨めだ惨めだって言ってる考えを直して欲しい。」

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シュウトメちゃんは、実際、かなりしょげていました。
頑張れ!と心の中で声援を送りました。
シュウトメちゃんさえ、私は惨めなんかじゃないと
自分に向かって宣言すれば、世界はきっと好転すると思うので。

最近私は、少々人生観が変わったので、シュウトメちゃんが
「惨めな私」という経験をまだ心の奥で望んでいるなら、
その選択は自由だと思っています。
光も知りたい、闇も知りたいのが、魂というものかもしれません。
淋しさや惨めさの中に留まる経験をすることで
得られるものがあるのかもしれません。

各自の自由だよね。
でも、自分の娘たちの愛情は、感謝して受取ったほうがいいよ~。
決して上から目線でなく、そう思います。
                         
                                  
        

お盆に思うこと

category - 日記
2013/ 08/ 14
                 
お盆には、精霊棚、というものをお仏壇の前に作り、
そこに決められたお供えのお食事を供えます。

お寺は、こんな風にやります、という情報をお寺の新聞に載せて
若い世代がこの文化を継承していきやすいよう、
簡素化を進めてくださっています。

昨年も一昨日も、この簡素化の波に乗りましたが、
今年はフッと気が向いて、昔のやり方でやってみました。
例えば煮物をお供えするのですが、お寺の新聞では5種類の具。
しかし、昔は7種類でしたので、今日は7種類で煮ました。

「なないろざいの煮物」とシュウトメちゃんは呼んでいました。
昔は煮物に7種類の具を用いることは贅沢だったのではと思います。
農作業に追われて忙しく、電化製品はなくて、
食事は質素に簡単に済ますのが美徳の時代がありました。
お盆に帰っていらっしゃるご先祖さまには、ご馳走をお出ししよう。
そうだ、具材は7種類入れることにしよう。
でも普段の煮物は人参と椎茸の煮たの、という風だったのでは?

時代が進んで、肉を入れよう、ごぼうを入れるとだしが出る、
レンコンは食感がいいし・・・と増えていったんじゃないかなと
これは勝手に想像してるだけで、全然違うかもしれませんね。
人参と椎茸の煮たのをおかずに出したら、
こんにゃくも入れろと舅が責めたかもしれませんしね。(笑)

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事実はわかりませんけれど、過去にたくさんのオットのご先祖さまが、
ここで暮らし、いろんな感情を味わい、自分もそのひとりになる、
といった「大河の一滴」である感覚を味わうのはいいものです。

昔はそれもいやだったんですよ。
シュウトメちゃんの愚痴と怨念だけじゃないところが特に。(苦笑)

「ご縁」というものを信じるようになって変わりました。
今ここで私が生きていることには、すべて「因」があり、
自己責任、仏の計らいとも言える意味がある・・・。
そこに留まってもいいし、抜け出してもいい、それは自由。
責任を伴った自由だし、新しい「因」を作る選択です。
この考えに出会い、腑に落ちたことは、私には深い出来事でした。

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お仏壇にお参りをして、自分が大河の一滴であることを感じると、
「自分」なんてないのかもしれないという気持ちが湧いてきます。

現代人は、「我思う、ゆえに我あり」なんて納得しちゃって、
アイデンティティがどうのこうのと思考をめぐらして、
「自分とは?」という思考を重要だと感じる教育を受けるけれど、
一切は空である、というのが真理なんじゃないか。

今はどちらも本当なんじゃないかと思っています。
一切は空であり、すべて大丈夫、みんな繋がっている、
そういう世界もありながら、人間として生きているので、
「自分」の殻の中であがきながら、価値観やレッテルを貼って、
これが自分ですと表現しながら人間経験を積んでいく私たち。
でもその世界にどっぷりだとキツイですし、見えないものもあるので、
時々、空の世界に心を羽ばたかせるのが大事かなと思います。

自分が自分にどんな価値観やレッテルを貼ってきたか、
それを掘り下げるのはとても大事だと思います。
「自分が作ってきた自分」のルーツですから。

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今日は実家のお仏壇にもお参りに行きました。
実家は空き家なので、電気も水道も止めてありますから、
真夏に長時間はいられませんが、風通りの良い家で、
早々と退散、でもありませんでした。

元気だと思っていた両親は、ある日、末期がんだと言われ、
お医者様の見立てより何倍もの期間、そこそこ元気で、
でもある期間を境に、急速に衰えて、少しだけ寝たきりになり
ホスピスに入って亡くなって行きました。

すごく悲しかったのですが、死はこの世からの卒業だったのですよね。
私がまだ卒業していないのは、生きている意味があるからなのねと
しみじみ感じるようになったこの頃です。

お仏壇に手を合わせる時に思うのは、
今日も生かしていただいてありがとうございます、ということ。
卒業したらもう、「自分」などという枠はいらなくて、
随分と身軽になるような気がしますが、
それまでの間は「自分」でいる経験を楽しみたいと思います。

今日も生かしていただいてありがとうございます。合掌。
                         
                                  
        

「そういう自分もいていい」と受け容れること

category - 日記
2013/ 08/ 13
                 
お盆です。

和尚様が家の仏壇にお参りに来てくださる日の朝の瞑想で、
頭に浮かんだのが聖書の言葉って・・・
私はどれだけ天邪鬼なのか?(爆)

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、
怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

(コリントI 13章4節~7節)


これね、うろ覚えにしか覚えていなかったので、
この部分、どうだったか正確に知りたいなと思い、
瞑想はそこでストップでしたね。(笑)
「愛は寛容であり」で検索したらちゃんとヒットしました。  

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どうしてこの言葉が頭に浮かんだのかはすぐピンときました。
昨日読んだブログの影響です。
クリスチャンの方のブログではなくて、ついこの間ご紹介した
平穏無事なんて、本当は面白くない(笑) の次の日のブログ
反省しても、人生はうまくいかない もまたとてもタイムリーで、
その内容が私の脳みその中で聖書の言葉を引っ張り出したのだと思います。

「反省しても、人生はうまくいかない」の内容ですが、

あなたは、どんなときも人に優しく、誰とでも調和して、
みんなに好かれる人でありたいなどと思ったことはありませんか?
それ以外の自分はあってはならない自分だと拒絶したくなりませんか?

という問いかけから始まりました。

だいたいあなたは、あなたの理想どおりじゃないこともしますからね、とおっしゃる。


腹も立てる。
けんかもする。
意地悪もする。
ケチりもする。
裏切りもする。
ズルもする。
馬鹿でもある。
凶暴でもある。
醜くもある。
人に嫌われもする。
だらしなくもある。
欲深くもある。
苦手なことも下手くそなこともある。
ぐずぐずもする。
決めたことをやらないこともある。
パッとしなかったりもする。
遅刻もする。
うそもつく。
下品でもある。


これだけ並ぶと壮観ですね。


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こんな面もあるのだけれど、認めたくない。
そうであってはならない。
そういう思いが、苦しみを作り出している、というのです


だったらどうすればいいのか。
認めればいい、のだそうです。
なるほど。

この先、本当に素晴らしいので、ぜひ全文を読んでいただきたいのです。
素晴らしい言葉の連発でした。こんな風に・・・。

「そんなことをして、私ってなんて馬鹿なんだ」って思っているときは、
いかにも反省しているようですが、実は自分のやったことを認めていない。
実は、認めたくなくて、じたばたしているのです。

やったことを受け容れず、
「もう二度とそういうことはするまい」と誓って、
何度その誓いが破られたでしょうか?

自分のやったことを否定したり、消し去りたいと思っているうちは、
実はそういうことを受け容れるまで繰り返しそういうことが起きるのです。

「そういう自分もいていい」と受け容れることです。
決して排除しないでください。
だって、そういう自分も確かにいるんだから。

やってみると分かります。
「何なんだ、この自由は」って。


うそをつく自分を、完全に、心からそういうところもあると
深く深く認め、受け容れたとします。
するとその人はますますうそつきになっていくでしょうか?



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このブログに感激して、一晩経って、先に載せた聖書の言葉が浮かびました。

学生時代、こういう言葉が大好きでした。
こういう言葉の好きな学生というものは、
たいてい、立派に生きたいと願ういい子ちゃんです。(爆)

寛容でない、親切でない、人をねたむこともある、
自慢することも、高慢になることもあるし、
礼儀に反することをしたり、自分の利益ばかり求めたり、
怒ったり、人のした悪を責めたりします。
聖書の言葉を守れないのが多分普通の人間です。


でも、この聖書の言葉に感激していた学生さん(笑)は、
頑張れば守れるはず、少なくとも努力しようと思うわけです。

そうか。こういう言葉が私の原点にあるんだ・・・・。
だからきっと、こうなれない自分が嫌いという
自己否定の思いをずっとずっと抱いてきたに違いない・・・。


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私は自分で「私がこうしたことは正しくなかった」と感じたり、
おっちょこちょいな失敗をしたりするたびに、
「こんなの、もういや!私って馬鹿!」という感情をよく味わってきました。

私の中にしみこんでいる、理想のあり方と自分が
かけ離れているためだったのでしょうね。

これからこの感情を書き換えることにしましょうか。
どんな文章がいいかな?
「やっちゃった!私の欠点って、なんて人間的でチャーミングなんだろう!」なんてどう?(笑)


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最初に載せた聖書の言葉を実行できるのは天使かカミサマだけ。
私は人間の経験をいっぱいしたくて生まれてきた魂なので、
この言葉にそぐわない面をいっぱい持っているのが当たり前なのよね。

こういう聖書の言葉などは無駄、とは思いませんけどね。
例えば「愛は自慢せず、高慢になりません」という言葉。
自分がもし高慢だったと感じたら、この世に生まれた理由の一つは、
高慢にならない修行をするためだったかも、と思えばいいのでは。
反省して、自分の心をぐさぐさと刺すことは、
実は高慢な自分を受け入れられず抵抗しているだけなので、
あまりいい修行ではないですよ、っていう風に感じました。

自分を受け入れる腹をくくりましょうか。
                         
                                  
        

シュウトメちゃんの一時帰宅日は15日

category - 日記
2013/ 08/ 12
                 
ついこの間、冷蔵庫とエアコンが壊れて買い換えた気がするのに、
今度は洗濯機が壊れてしまいました。
まだ6年なのに、ちょっと早いなぁ。http://my.plaza.rakuten.co.jp/img/emoji/h451.gif

しかし、洗濯機なしでは無理。
さっそく買いに行きました。
配送は15日が最短だそうです。
それまではコインランドリーに通います。http://my.plaza.rakuten.co.jp/img/emoji/h441.gif

15日は、義姉2人がkoala家に来てくれる日。
なので、シュウトメちゃんの日帰り帰宅をその日にしました。
その日に洗濯機の配送が重なってしまいましたが、仕方ないです。

(お盆も関係なく、というよりむしろ忙しく、
エアコンの効かない場所で洗濯機の取り付けをする業者さん、
ありがとうございます。熱中症にお気をつけ下さい)


明日は和尚様のお参りがある日。
シュウトメちゃんはお参りに参加したがると思ったのですが、
娘に会いたいだけで、お参りはやめるそうです。

テレビで猛暑のニュースを毎日見ているので、
施設は地獄のようだけど、自宅は怖いみたいです。
廊下との温度差が血圧に悪いからと言っていました。
その通りで、健康な私でも時々くらくらします。

15日、2人の義姉に会っておしゃべりできれば、
シュウトメちゃんもきっと元気が出ることでしょう。
                         
                                  
        

目からウロコが落ちた話

category - 日記
2013/ 08/ 11
                 
シュウトメちゃんのことではとりあえず悩んでいません。

義姉2人は話し合って、実家に寄る日を決めたら電話してくれます。
その日の外出届を出して、シュウトメちゃんは日帰りで帰宅します。
シュウトメちゃんにどうしたいのか聞いて、
出来る範囲でそうしてあげる、それで充分かと思います。

どうしたいのか自分で決められると信じるのが大事なことで、
私がでしゃばるのは間違い。
私が何とかしてあげなくてはと思うのも間違い。

役に立たないといけない病は卒業したいと思います。

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今朝は日記を書いてすぐ出勤しました。
愛知県はトヨタ自動車関連の職場が多く、
トヨタ系と呼ばれていますが、トヨタ系は今日から夏期休暇。
だから職場も忙しいんです。

15分の休憩があります。
その時読んだブログ↓が、その時の私にドンピシャでした。
平穏無事なんて、本当は面白くない(笑)

遠くから帰宅途中、ナビにお寺があったそうなんです。
ちょっと回り道を、と思ったら、不安になることがいくつも起き、
ギリギリの道を通ったりしてさんざん。

でも、管理人さんはとてもスピリチュアルな方なので、
そうか!と気がついたそうなんですね。
自分は本心では、何の危険もないような安全な道を進んでも
面白くない、変わった体験がしたいのだと思ったのでした。

そしてそれは自分だけではなく、みんな文句を言っているようで、
平穏無事なだけの人生なんて面白くないと深いところで思っているので、
実は、山も谷も楽しんでいるに違いないと言うのです。

人間は実はかなりキッツイことでも、それを体験して、
乗り越えられる強靭さを持っているから、
自分の好みの人生を歩んでいるはず!っていうブログでした。


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目からウロコ。
とてもタイムリーで、すとんと腑に落ちるお話でした。

この話は、現在苦しみの中にいる人には、
何を言っているのだ!と怒りをかき立てる話かもしれません。
私が一番苦しかった時、このブログを読んでも、
きっと腑に落ちなかったと思います。
苦しむ自分を少し離れた所から見ることが出来てから、
そういうことだったのか、と腑に落ちる人には
腑に落ちる、そういう話だと思います。
人生にはたくさんの登山道があるので、
この道理の道から登山する人限定でピンと来る話かもしれません。

ある方の迷惑になるので、ここに書けない内容で、
私は1ヶ月ほど少し苦しかったです。

でも、この話を読んで、私はこの苦しみを通過したかったのだ、
きちんと苦しんでからこの地点を通過しようと願った
タフな魂だったから、ああいうことに巻き込まれたのだと
突然気がついて、腑に落ちて、多分あの苦しみを克服しました。
苦しみの内容は、外からくるように見えますが、
同じことが起こっても苦しみの度合いが違うのは、
その人の中に、その苦しみに呼応するものがどれだけあるかで
とても違ってくると思います。
私を苦しめたのは、○○さんの悪意だと思っていたのですが、
その悪意に呼応する私自身だったと気がつきました。
わけがわからない文章ですみません。
半分以上、自分の覚え書きで書いています。

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話を戻しますが、シュウトメちゃんの好み、すごいわ。
地獄にいる可哀想な老女役を選ぶとは。
もちろん本人には言えないですね、こんな話は。
ピンと来そうなら言えますけど・・・。

シュウトメちゃんが、地獄にいる役を止めたいと望めば、
心の深い所でそれを望みさえすれば、きっと、
自分のいるのは地獄なんかじゃなかったって、
気がついて、違う目で世の中が見られるんじゃないかな?
でも、それを選択する自由はシュウトメちゃんにあります。

今の自分の環境には、愛や思いやりがあまりにも足りないと、
多分、そう感じているシュウトメちゃん。
あまりにも足りないのは、きっと自分に対する愛と思いやり。

実は心の奥底には充分あるのだけれど、
邪魔しているものがいっぱいあって、それが苦しみのもと。
その邪魔しているものを取っ払えばいいのにと、
お節介嫁が気をもんで、上から目線で、いろいろ言ってきました。

でも、苦しみを味わおうと魂が望んでいる面もあったとは!
何も困難がないと面白くないのだというチャレンジャー魂が
シュウトメちゃんの中にいるのだと思うと、
見る目が全然違ってきてしまいます。

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そういうシュウトメちゃんに若い頃いびられ続けた、
私の好みもかなりエグイ気がします。(苦笑)
でも、その役はもう飽きたので降ります。

せっかくいろんな経験がしたくて生まれてきたので、
虐められる嫁の役ばかりやってるのはもったいない。

自分を信じて、自分の生きたいように生きるって、
そういう意味だったのね。

いろんな経験をしたくて生まれてきたのだから、
こういう経験がしたい!って面白い道を選ばないとね。


何だかすっきりしました。
心が軽くなった気がします。