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2013年07月30日

        

仏の計らい

category - 日記
2013/ 07/ 30
                 
昨日のブログに興味を持たれた方、続編です。 
全く興味が持てない方も、当然いらっしゃると思います。


緑の字の部分は前書きです。本文はその後です。

個人の偏った考えですが、人それぞれ、今生のプランが違うので、
必要な状況も、必要な情報も、それぞれなのだと思います。

ピンと来るかどうか、という一見あやふやな見極めからですが、
その時に必要な情報にはピンと来るように出来ている気がします。
ピンと来る情報でなければ、今はご縁のない情報なのだと思います。
しかし、若い頃、無理して読んだ名作が全くピンと来なかったのに、
年を重ねてから読み返したら面白かったということもあります。
その逆もあると思います。

自分に役に立ったから、人の役に立つという確証はなく、
押し付けるのは愚かだし、押し付けられても困ります。
人はそれぞれのプランを、自分の選択で縁を作って生きていますので、
好きに生きればいいし、その結果悪い縁を作ってるよと思っても、
自分の意見を言う以上のことは、余計なお世話になりがちです。
私のようなおっちょこちょいは、余計なお世話に注意すべし。(爆)


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ここからが本文です。では、まずは復習から。(笑)

「因」  物事を生じさせる直接の原因

「縁」  間接的な原因、条件

「果」  縁によって生じるもの

「業」  その過程の中で、「因」が「果」に及ぼす力


仏教にお詳しいsioさんからご指摘をいただきました。

臨済宗のHPの説明に「業」を自分の責任として受け止めて行け、
という言葉があったのですが、これは仏教的でないそうです。

仏教では、自己責任を強調することは多分ほとんどなく、
すべて仏の計らいであるという解釈が一般的のようです。

すべて仏の計らい!
最近、素晴らしい言葉に次々に出会うので幸せです。

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生きていると、望まないことも起こってきます。
自分や大事な人が、重い病気にかかったり、
大怪我したり、死んだりします。
受験に失敗したり、失恋したり、裏切られたり、
失業したり、貧乏したりと、内容は様々です。

できれば避けたいことが起こり、避けることも出来ないことが、
多分、誰の身にも、例外なく、起こってきます。
しかし、そのすべてに「因」があり、それは自己責任。


これを言い換えてみると、こんな文になります。

できれば避けたいことが起こり、避けることも出来ないことが、
多分、誰の身にも、例外なく、起こってきます。
しかし、そのすべてに仏の計らいがある。


どっちの文が好きですか?
軽すぎる?
すみません、軽いブログなんで。(爆)

私は昨日は前者が素晴らしい!と感動しましたが、
今日は、後者は更に素晴らしい!と感動しました。

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起こってくることが、たとえ自分の望みとかけ離れ、
辛いことだったとしても、それは起こるべくして起きたことで、
起きたことには意味があり、仏の計らいがある、と言うのです。

スピリチュアル界ではこれを「すべてはうまくいっている」
などとと言います。(by 越智啓子さん)
今の自分の学びにぴったりの出来事が起こってくるので、
辛いことでも、うまくいっている、と言えるわけです。

人間が自分の中の仏性に添っていくことができるようになるために、
一番ぴったりの事が起きていると思うことができれば、
それを仏の計らいと思うことができれば、
同じことが起こっても、受け取り方が全く違ってくるでしょう。

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こういう問題が解決すれば幸せ、ではなくて、
その問題が起こってきたことこそ、仏の計らいであり、
そこに自分がどういう縁を付け加えることが出来るか、
それが自分の人生における選択、と言えるのではないか。

この考え方が、仏教的かどうか、私にはわかりません。
でも、とても惹かれる、腑に落ちる考え方だと思いました。

同じ苦難を乗り越えるにも、仏の計らいだと思えれば、
愚痴や不平不満、人への批判で心がいっぱいにはならないでしょう。

別に愚痴や不平不満や、人への批判をしたっていいのですよ。
でもそれは悪い「縁」を結ぶことになり、悪い「果」を招くでしょう。
正直な所、他の人たちにも大迷惑です。

愚痴や不平不満、人への批判を垂れ流されるのはきついものです。
シュウトメちゃんとの経験に限って言えば、かなりきつかったです。
私の一番の間違いは、シュウトメちゃんを変えようとしたことでした。
他人を変えようと思うのは、間違いでした。

私の学びとシュウトメちゃんの学びは違います。
シュウトメちゃんは自分の学びを自分でするだけです。
ただ、「縁」がある関係ですから、変えようと思わず、
縁のあった方に、敬意を持って意見を言う、結果は求めない、
というのが望ましかったのではという気がしています。
その時点では私にはそれがわからず、四苦八苦しましたが、
四苦八苦するのも仏の計らいだったのでしょう。

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生かされて、学びの道を歩いていられること。
それ自体が、素晴らしい仏の計らいだと感じます。

私の雑駁な頭の中では、神様も仏様もごっちゃになっていますが、
精神的には無宗教の多い日本人には多いタイプでは?(苦笑)
            
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