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2013年03月29日

        

広島からのメッセージ 橋爪文さん

category - 日記
2013/ 03/ 29
                 
最後に橋爪さんがお読みになった広島からのメッセージの全文です。
これはざくっとまとめたりしませんので、ぜひ全文をお読みください。

2011年4月11日

広島から
日本のみなさん、世界のみなさんへ
被爆者 橋爪 文 


私は広島の被爆者で、現在八十歳です。
二〇一一年三月十一日、東日本大震災が起こり、
続いて福島原発事故が発生したとき、
私は六十六年前の原爆被爆と、その前後の市民たちの暮らしについて執筆中でした。
大半を書き終えていた私は、福島原発事故を痛く重く心に抱き、
最終章は故郷広島の原爆の原点に立って書き終えたいと思いました。

夜遅く広島の地を踏んだとき、私は両肩に重い負荷を感じ、
一瞬足が前に進みませんでした。
帰広する度に私は先ず平和公園の慰霊碑に足を運び、
碑の中の親族、友人、知人、そしてあの日、
想像を絶する惨状の中で死んでいった人びとと対話するのが常でしたが、
今回は祈るというよりお願いをしました。
私に、いましばらくの間、健康を与えてください。
私に、ちからを与えてください。
私に、何ができるのか教え、導いてください。

私はあの日、爆心地から約一・五キロメートルの地で被爆し、
瀕死の重傷を負いましたが、
三人の人に助けられ生きのびることができました。
焼け跡でのバラック生活の中で、高熱、鼻や歯ぐきからの出血、
ひどい下痢、嘔吐、全身の紫斑、脱毛など、
急性の原爆症に苦しめられましたが、
このときも奇跡的に生きのびることができました。
しかし、その後、現在に至るまで、次々とさまざまな病気に苦しめられ、
一日として健康体であった日はありません。

「原爆ぶらぶら病」

中でも特に辛かったのは、「原爆ぶらぶら病」でした。
症状は、耐え難いほどの倦怠感です。
私は医師に何度かお願いしました。
「先生、一日でも、一時間でもいいですから、
爽やかで軽いからだにしてください」
でも、それは叶いませんでした。
私は夜寝るときに神に祈りました。
「明日の朝、目が覚めませんように」

それらはすべて放射線による内部被曝によって起こりました。
放射性物質を含んだ水、食物、空気などを体内に取り込むと、
その物質が体内で絶え間なく核分裂を起こして細胞を破壊していき、
遺伝子を狂わせます。それは死ぬまで続きます。
あの日、黒い雨に遭った人、救援や人を探しに市内に入った人たち、
また原爆だけではなく、核実験、原発事故の被曝者たちもみんな内部被曝者です。

内部被曝については、ずっと隠蔽されてきました。
今回の福島原発事故によって、やっと「内部被曝」という言葉が出てくるようになりましたが、
それがどういうものかについて詳しい説明はありません。
原発行政が進められなくなるからです。
原発がクリーンエネルギー、夢のエネルギーと
もてはやされた時期もありましたが、
チェルノブイリやスリーマイル島の原発事故の後、少し控えられていました。
それなのに近年、世界の多くの国が競って原発を造ろうとしています。
それを原発ルネッサンスなどと呼んでいますね。
この傾向を見て、私はあまり遠くない将来、
必ず地球上のどこかで原発事故が起こる思って警告していました。

「原爆被爆国の日本が放射能発生加害国になっていって良いのでしょうか?」

それが現在、私の国で起こり、しかも毎秒高濃度の放射性物質を漏らしつづけています。
それを止める確固とした手立てもなく、危機的な状態が終わる見通しはたっていません。
国土の狭い、地震国の日本に五十基を超える原発。
しかも地震多発のプレートの上に、過疎地に集中して建てています。

今回の福島原発も第一原発には六号機まであり、
それらは連鎖して危機に陥っています。
また、福島第二原発にも一号機から四号機まであり、
それらもダメージを受けています。
東北の大地震のあと三月十五日には、静岡でも大きな地震が起きました。
東海、駿河湾の大地震は、今世紀前半に一〇〇%起こるといわれています。
しかも直下型。
その上には最大級の浜岡原発があります。
地震の多い日本海側にも原発銀座と呼ばれる福井県をはじめ、多くの原発があります。

日本のみなさん
原爆被爆国の日本が放射能発生加害国になっていって良いのでしょうか?
時間はありません。
現在稼働している原発を止めるように働きかけましょう。
世界の皆さん
加勢してください。
そして、地球上に新しい原発を造ることはもちろん、
いま稼働しているすべての原発を止め、廃炉にするように声を上げましょう。


「反原発に向けて立ち上がる」

私は被爆者として国の内外で反核を訴えてきました。
それは原爆・水爆だけではなく、原発が
地球上の生命を滅ぼす日が来ることを恐れてのことです。
原発は正常に稼働しているときでさえ、
常に微量の放射性物質を放出し、海、空、土を汚しています。
微量放射線の危険性についても隠蔽されています。

地球上に生を受けているのは人間だけではありません。
人間が自らの利得のために、他の生物を犠牲にするのは
不遜ではないでしょうか?
自然と調和して生きていく道を拓くのが、
人間の英知ではないでしょうか?
また二十世紀から二十一世紀に生きる私たちは、
長い人類史のほんの一刻を与えられているに過ぎません。
先達から引き継ぎ、未来へバトンタッチをする、
ほんの一刻を預かっているだけではないでしょうか?

私たち原爆被爆者や、原発事故・核実験などによる
被曝者が一生苦しんできたように、
福島原爆事故による被曝者たちが、これから苦しみつづけることになります。
避難所での厳しい生活にひたすら耐えている人びとの様子が毎日報道されます。
そんな中にあっても、無心な乳幼児、活力を失わない子どもたちの姿に、
私は心を打たれると同時に、そこに希望を見るのです。
放射能は、子どもたちに特に大きな被害を与えて、
彼らの成長を妨げます。
それなのに、政府や電力会社はこの狭い地震国・日本に
さらに十基以上を建て続けるというのです。

放射能に国境はありません。
未来を拓く子どもたちを救うためにも
世界中のみなさん  
共に手を取り合って、反原発に向けて立ち上がりましょう。
            
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橋爪文さんの被ばく体験 その4

category - 日記
2013/ 03/ 29
                 
5完.「あなたは原爆と原発と同じものだと思いますか?」「同じものです」と言いました。 8/5橋爪文氏(文字起こし)

当時は原爆症なんていう言葉も知らなかった橋爪さんは、
6日に被曝して7日の早朝にひどい下痢をしました。
それからずーーーっと下痢は続きました。

日にちははっきり覚えていないそうですが、20日くらい後には、
本当に、急性原爆症と今言われている症状になりました。

高熱が出て、それから全身が、熱のせいもあったかもしれませんが、
ガタガタに崩れるような痛み方、骨がバラバラになるような感じ。
それから鼻血、歯茎からも、口から血が出ました。
全身に斑点、紫斑が出来ました。

そんなになった大抵の方が亡くなっていくのに、
橋爪さんは不思議に生き延びました。

被ばく以来、体調がすっきりした日は1度もなかったそうです。
特に原爆ぶらぶら病という極度の倦怠感とだるさ。
気持ちがいくらあっても体が動かなくなる倦怠感が辛かったそうです。
それでも生活しなければいけない。
結婚すれば子育てもありますし。

そのうちにアメリカの進駐軍が来て
ABCC原爆傷害調査委員会というふうな施設ができ、
ジープが着て連れて行かれました。

放射能の人体に及ぼす影響を調べました。
病気をみんな持っていますけれども、治療は一切しません。
人間扱いをされなかった、まるで品物みたいに扱われた時に、
10代の少女だった橋爪さんは、非常に大きな屈辱感を覚え、
「私もあなたと同じ人間ですよ」と心の中で叫んでいたそうです。


被ばく者同士はあの時、「原爆の時の話をしてもいけない」
というような雰囲気をつくられたと橋爪さんは言います。
後になったらアメリカの指令があったそうで、
プレスコードをひいて報道陣も全部シャットアウトしていました。

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今は被爆者手帳があって、被爆者の方は医療費が免除されますが、
当時は全部自費ですから、お金が無いから行けませんでした。

被爆援護法が出来たのは12年後。
その間に、どんなに苦しくてもお医者さんに行けないまま、
死んだ人が沢山いたことでしょう。
橋爪さんのお父様は、外傷はないものの、紫斑、悪性貧血、
最後は大腸癌で亡くなりました。


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橋爪さんが本を執筆中に、あの福島の事故が起こりました。
「近い将来、世界のどこかで原発事故が起きるだろうな」と、
ある程度確信みたいなものがあったという橋爪さんは、
以前から、反原発を訴えて歩いていました。
今までは、原爆の話はみなさん真剣に聞いて下さるけど、
原発の事は、そんなに強い関心がなかったと言います。

「これがいつか起こる」と思って原稿を書いていて、
それがすぐ、日本で起きたという事に、大きな衝撃を受け、
広島の原点に立って最終稿を書こうと、橋爪さんは広島に行きました。
行ったらフランスの新聞・ラジオ・テレビ・マガジンから、
毎日インタビューがありました。
最初は1~2週間のつもりが結果的に40日滞在しました。
原発立国のフランス人が、これだけ関心を持つという事に、
橋爪さんは、感動を覚えました。

フランスの方に「あなたは原爆と原発と同じものだと思いますか?」と聞かれました。
「同じものです」と答えました。

原爆は人を殺すために、原発は平和利用として作られた。
全然違うじゃないですか?と言われましたので、
作る過程も、核を燃やしてエネルギーを作るのも同じだし、
放射能の被害があるというのも全く同じだから同じ事ですと、
その時に橋爪さんはハッキリ言ったそうです。

原発を動かしている限り、廃棄物は常に出ます。
それがどんどん世界中に溜まって行きます。
まだ処置の仕方も分かってません。世界のどの国も。

福島の原発で、あれだけのがれきができて、
放射能を含んだ水も漏れて地上も汚してるし、
水も土も食料も汚染し続ける事を思うと、
これは福島だけでも、日本だけでもない、もう世界の問題です。

将来はもちろんですが、先ず身近なところで次世代。
それに重いバトンを渡すことになってしまったことが、
今ずーっと福島以来気持ちを重くしていて、
橋爪さんは書く方が進まないとおっしゃいます。

こんなメッセージがありましたので、これは原文のまま。

地球上に生を受けているのは人間だけではありません。
人間が自らの利得のために、他の生物を犠牲にするのは不遜ではないでしょうか。
自然と調和して生きていく道を開くのが、人間の英知ではないでしょうか。
また、20世紀から21世紀に生きるわたしたちは、
長い人類史のほんのひと時を与えられているにすぎません。
先達(せんだち)から引き継ぎ未来へバトンタッチをする、
ほんのひと時を預かっているだけではないでしょうか。
                         
                                  
        

橋爪文さんの被ばく体験 その3

category - 日記
2013/ 03/ 29
                 
橋爪さんのお話はまだ続きます。
今回は↓の文字起こしをkoalaがざくっととまとめたものです。
4.「知っているつもりで知らないのは日本だな」私は痛感しながら海外を歩いた 8/5橋爪文氏(文字起こし)
お時間のある方はぜひ上をクリックして全文をお読みください。

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スコットランドの学校で被ばく体験を語ってから2年後に
「シルバー英語研修でニュージーランドへ行きませんか?」というお誘いがあり、
橋爪さんは、すぐ応募して2週間ニュージーランドに行きました。
海外で話すようになったのはこれが始まりです。

反応は大きいそうです。
向こうの人達は、原爆の事に関心を持っていて、勉強もしています。
「知っているつもりで知らないのは日本だな」と、
橋爪さんは、痛感しながらここ10数年海外を歩きました。

特にニュージーランドは反核の国で、
一応先進国ですけれども、原発も一基もありません。
夜は暗いもの。必要最低限の街灯もありますが、
日本みたいにコンビニが四六時中やっているということもないです。
大体5時か5時半に閉まります。

そんなもんだと思った生き方をしていますから、
原発がなくても不満を持たないでやってきています。

ニュージーランドは、ヒロシマデ―を毎年やっていて、
灯篭流しをやっているそうです。
「同じ太平洋に注ぐ川を持つ私たちは広島と同じ思いで
反核を訴えよう」という事が趣旨だそうです。

世界のあちこちでヒロシマデ―ってやっているんです。
ヒロシマデーをやっている国を巡ろうと、
橋爪さんは、フィンランド、ヘルシンキにも行きました。
スウェーデンの灯篭流しやカナダの灯篭流しにも行きました。
今は広島・長崎デーにいずれもなっていますけれど、
最初はどこもヒロシマデ―でした。

どこでも出る質問、それは「アメリカ人を憎んでいますか?」
「人間は、憎みません」と答えます。
「アメリカが原爆を人間の上に落としたという事に対しては、
私は許せません」とも答えました。

「報復を考えた事がありますか?」と聞かれると、
「憎しみや報復があるところに平和は来ないでしょ」と答えました。

「あれから63年経ちますけれども、あなたは今もアメリカに
謝罪してほしいですか?保証してほしいですか?」
という質問もありました。
「被爆者に対してでなく、全人類に対して謝罪するのが
アメリカの良心じゃないんでしょうか」と答えました。

原爆を人間に落としたという事は、
人類史上始まって以来の最大の罪悪だと思うのです。
憎むとか、許す許せないっていう事じゃないところにいるような気がします。


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クライストチャーチで、ヒロシマデ―を始めた発起人の中の1人、
作家のエルシー・ロックという人に会いました。

橋爪さんはエルシー・ロックさんに言われました。

原爆は広島だけの事ではない。日本だけの事でもない。
現在の世界と、またそれだけでもなく未来の地球のこと。
あなたは、話さなきゃいけない、書かなきゃいけない。

橋爪さんが詩を作り始めたきっかけは、余命宣告でした。
それまでは、家事に明け暮れていた主婦だったのです。

息子さんたちがまだ幼い頃(3歳6歳9歳の3人)に
「あと半年ですね」と余命宣告された橋爪さんは、
息子さんたちが、生きて行くのが辛くさみしい思いをするだろうと思い、
子どもへのメッセージの詩を書くようになったそうです。

童謡を作って、彼らが苦しい時にその童謡を口ずさんで、
お母さんが「生きるのよ」って励ましてくれていると
思ってくれればいいなと思って、詩を作りはじめました。
ありがたいことに、余命宣告は当たりませんでした。

生きていたので、子どもへのメッセージの詩をまとめようと思っていたころ、
16歳になっていた次男さんが、横須賀に米軍の基地に、
核搭載疑惑の潜水艦が、入港するということで
「反対の座り込みに行く」と言い出しました。
次男さんはぜんそくが持病で、前の晩も発作を起こして寝ていなかったので、
命に関わると思い、橋爪さんは次男さんを止めました。

そうしたら次男さんはボロボロ泣きながら、言ったそうです。
「お母さんは被爆者で平和を求めているのになにもしないじゃない。
家事が大変なのはわかるけれども、新聞の投書とか何か出来るでしょ」

次男さんが寝た後で、「私になにが出来るのかな」と思っても、
何も考え付かなかったのですが、子供への詩をまとめようと
鉛筆を持って紙にむかったら、原爆の6日の夜、
火の粉を浴びながら飯田さんと過ごした、あの夜の事が詩になって出てきました。
出来上がったのが明け方で、それを、次男さんのお弁当に入れました。

次男さんは学校から帰って、「お母さん、わかったよ」って言いました。
非常に不思議なんですけど、それを書いた途端に、
それまでずーーっと背中に重いものを背負って生きてきた、
その重さが、フッと薄れてきたそうです。