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2012年12月17日

        

私の遺言 佐藤愛子

category - 日記
2012/ 12/ 17
                 
選挙が終わりました。
原発・増税・TPP、全て推進されてしまいそうな危惧を感じますが、とにかく政治家にお任せという姿勢はもう捨てて、おかしいと思ったら騒ぎましょう。
ネット社会は、密室政治をクリアにしていく力があると思います。
 
10年以上前に書かれた文章ですが、ごく一部を抜粋して今日の日記にしたいと思います。
読みやすくするため、勝手に改行してあります。
とりとめのない文章に感じるのは、私がばさばさと「中略」しているためです。
よろしければ、原文をお読みください。
 
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(日本人の)一番の美徳は自然の摂理というものをわきまえていたことである。自分たちの欲望のままに支援や他の生きものを破壊しようとは思わなかった。鳥獣は山に、人は里に。共存を当然のこととしていた。神の存在を信じ、怖れかしこみ、感謝した。人間が一番エライなどとは思わなかった。
 
人間の暮らしのためにやむえをず他を犠牲にすることはあっても、それを当然の権利だとは考えなかった。
 
子供たちはおとなから、「人としての道」を教えられて育ち、それを後から来る者に伝えた。立派な人とはどういう人であるかを教えたが、どうすれば損をせずにすむかということなどは教えなかった。
 
そんな教えを全て守ることは、この世を生きねばならない人間の本性に沿わない場合があるということがわかっていても、いや、わかっているからこそ、それを教える必要がある、それがおとなの義務であると、皆が考えていたのだ。
 
中略
 
ものごとは一旦進み出したからにはもうその流れを止めることはできないのである。後退させることも不可能だ。行きつくところまで行かなかれば、方向を変えることは出来ない。
 
私はかつての戦争でそのことを教えられた。負ける、負ける、といいつつ、原爆をおとさなければ戦争を終わらせることは出来なかったのだ。高度成長からバブル経済に向かっている時、株や土地の高騰に、先行きの不安を感じながら、バブルが崩れて景気が落ち込むまでは日本中がその流れに乗っていた。
 
物質の豊かさと自由快適な暮らしを追い求めているうちに我々は心を荒廃させていった。理由のない衝動殺人、荒れる高校から中学へ、そしてついに小学生にまで荒廃が及んだと思ったら、この頃は親の児童虐待が増えだした。かつてわが国の女性の一番の美徳とされていた「母性愛」が変質してきたのである。
 
中略
 
目に見えて下がっていくこの国の波動。それを高めるためには太陽を仰いで祈ることだと相曽氏は言われた。我々の胃の後ろの方に太陽神経叢があり、そこで自律神経を調整する。朝の空気が清浄な時間に太陽を仰いで息を吸い込むと五感が沈静化され、雑念妄想が遮断されて正しい霊感や直感の世界に入ることが出来るようになる。一人一人がそれを行うことが日本の国の浄化につながるのだと氏は言われた。
 
koala注 相曽氏=相曽誠治氏。古神道研究家。故人
 
中略
 
今まで私が親灸した心霊にたずさわる人たちは皆一様に「波動」という言葉を使って日本の現状を憂いていた。(中略)波動とは「意志と情報と振動数を持ったエネルギー」であることがわかった。
 
人間は肉体の波動、精神の波動、魂の波動の3つを持っている。肉体の波動は健康に関係があり、精神の波動は知性、理性、人格を作る。憎しみや不平不満や心配は魂の波動を低下させるというから、現代のように人が損得のみに一喜一憂する時代では全体の波動が下がるのは自然になりゆきといえよう。
 
中略
 
では魂の波動を高めるためにはどうすればいいでしょうという質問に対して、中川氏はこう答える。
「難しいことは全くありません。学問も知識も必要ありません。人は一人では生きられない。私は生かされている ――。そのことを認識し、ありがとうという感謝の気持ちを表現すればいいのです。感謝することで魂の波動は上がります。実に簡単なことです。」
 
koala注 中川氏=中川昌蔵氏・ 中川無線電機の創業者。社長を辞め本を執筆。故人。
 
中略
 
 物質的充足を幸福であると思いこんだ頃から、我々は我慢を忘れ、要求することばかり考え、不平不満を増幅させてきた。親が子に教えるのは、どうすれば得になるかということばかりになっている。正義も勇気も教えない。
 
中略

悪想念はエネルギーであるから消滅することなく地球表面の四次元世界に堆積して、神の光を遮断する。そうして国の波動は下がり、悪霊浮遊霊が憑依して苦しむ人や凶悪犯罪が増えるという循環が起こっている。
 
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すべては「はからい」だったのだと私は思う。私の過去のもろもろの苦労は、私のカルマであると同時に私に与えた使命をなし遂げさせるための訓練だったのだ。今、私はそう思う。苦しみから逃げなくてよかったと思う。人間は苦しむことが必要なのだ。苦しむことで浄化への道を進むのだ。

自分一人がなぜこんな目に遭うのかと腹が立つことがあっても、これが自分に課せられたカルマだと思うと諦めがつく。
――天や人を恨んでもしようがない。
それを正しく認識すればカルマを解消するためにこの災厄から逃げずに受けて立とうという気持ちになる。そうなればよいのである。そう思えば勇気が出る。生まれてきたことをよかったと思えるのだ。
私は十分に生きた。後は死を待つばかりである。どんな形で死がやって来るのか。たとえ苛酷な死であっても素直に受け容れることができるように、最後の修行をしておかなければならない。

以上をもって私の遺言は終わります。
            
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