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2012年06月12日

        

この世に存在すること自体を素晴らしいと評価できたら

category - 日記
2012/ 06/ 12
                 
昨日、シュウトメちゃんのトイレの話を書きましたが、
結婚して1年後くらいのことだったと思います。
考えてみれば、当時シュウトメちゃんは54歳でした。

今の私と3歳しか違いません。
でも、今の私くらいの年齢で、脳出血で倒れ、
左半身が麻痺してしまったので、人生が変わったのです。

私たちがオットの車庫を作ろうとした時に、
車庫メーカーの車庫でなく、もっときちんとした車庫を
自分の知り合いの大工に頼めと強く主張し、
若い人にはわからないだろうが、それが一番だと言われて、
私たちは、仕方ないよねと言いながら従いました。

シュウトメちゃんも嘘をついたわけではないでしょうが、
ついでに自分用のトイレを注文してしまえという
計画があって、それを強く推したのでした。

私はその時、お金のことでカチンときました。
結婚してから貯めたお金の一部で車庫を作るつもりが、
トイレ加算のため、支払い金額が300万以上になってしまって、
なけなしの定期預金を解約することになったのです。
何の相談もなしに!と怒っていたけれど、
今振り返って考えたら、相談されたら断るよね~。


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シュウトメちゃんは確かにずるかったのですが、
シュウトメちゃんの価値観の中では正当なことをしただけでした。
トイレを作ってくれと言われていたら、
お金は払ってくださいね、と答えていたことと思います。
それがシュウトメちゃんにはわかっていて、
でもそれは到底納得できる話ではなかったので、
強硬手段を取ったのでしょう。

私たちは23歳で結婚して、若くてそんなにお金もないのに、
シュウトメちゃんと大姑さんを養う身になりました。
生活費は1円ももらえませんでした。
オットも驚いて、母親に意見したのですが、無駄でした。

この事だって、私からは非常識に思えたのですが、
シュウトメちゃんは、大舅さんと大姑さんの生活費を
自分が払ってきたので、今度は払ってもらう番だと思ったのです。
それが非常識なんて冗談じゃないと。

大舅さんと大姑さんの時代は、年金がなかったけれど、
シュウトメちゃんはしっかり収入があるじゃないと言いましたが、
自分の年金を狙うつもりか、怖ろしい、と言われました。

この時も私は不満だらけでしたが、今思えば、シュウトメちゃんは
シュウトメちゃんの価値観の中で正しいことを言っただけ。
私が自分の意見を言うのは当然ですけれど、
シュウトメちゃんを忌み嫌う必要はなかったですね。
みんな自分の世界から正しいと思うことを言っているだけ。
その主張が自分にとって都合悪いと頭にくるだけ。


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シュウトメちゃんはとてもお金に執着しているようですが、
実は、愛情を示され、評価されたかっただけなんですね。
左半身が不自由になって、役に立たなくなった自分を、
自分が評価できないから、息子夫婦に評価して欲しかったんでしょう。
何も心配しないでね、私たちがちゃんと面倒を見るからって、
愛情込めて示して欲しいけれど、それは難しそうなわけで。

姑さんは大事に敬うのが当たり前ですと言って、
自分にいつも優しく従う嫁を夢みていたんですね。

しかしこの嫁は「毎月小遣いをくれ」と言っても断り、
「盆も正月も実家に帰るな」と言っても夜中の日帰りを敢行し、
3回に1回は姑の要求に「無理です」と答える嫁でした。

お金にはパワーがありますから、
自分にパワーがないと思う分だけ、お金のパワーに頼ったんでしょう。
生活費やトイレなどに、そのパワーを使うわけにいかないと
シュウトメちゃんは無意識に感じていたのでしょう。
もしも息子夫婦に見捨てられたら、頼るものはお金という実例は
その辺にゴロゴロしています。


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今朝、友人にメールを書いていたんです。
メールの一部分の抜粋です。青字にしておきます。

振り返ると、いつも本当に忙しいのだけど、
今年受けた占いの先生が2人とも、外界のせいじゃないというような
内容のことを話されたので、けっこう、人生観が変わりました。

京都のヨーダみたいな先生は、頼られるタイプだからと言い、
  圓徳院の横で易者のヨーダおじいさんに見ていただきました
女性用ふんどしショーツ販売の先生は、ウエルカム状態だからと言いました。
   癒しマーケットに行ってきました

色々考えてみて、これは私の中に「役に立たないと生きる価値がない」という
価値観が居座っているからじゃないかなと思うようになりました。
人のために役に立ってる=私はちゃんと価値がある
このイコールがふさがれることに、私は不安を持ってるんじゃないか?って。

私たちの年代って、こういうことをさかんに躾けられた年代じゃないですか。
努力と根性、我慢、成長、欠点を直せ!必死になれ!などなど。
それって当てはまらない自分も他人も、裁く価値観ですよね。

生きているだけで価値があると思えること。
これが私にとって、いま、とても大事なんじゃないかと思うようになってます。


大事な友人って、元気にしてる?というメールを書こうとして
文章を書いている間にまで、気づきをくださるんですね。
UちゃんとMちゃん、いつもありがとう。
このお2人は、普通のメールでは決して書かないような
普段でも怪しい日記の数倍怪しいメールを送りあう仲です。(爆)

最初にこれを書いたのは、Uちゃんにあてて。
最近日記の更新がないのでずっと気になってたの。
原文メールはもっとうんと長いです。
日記もメールも長い私。

そして、ああ、これはMちゃんと私のテーマでもある!と
この文章はコピー、別にやはり長い文章を書いて、
Mちゃんにもメールを送りました。

UちゃんもMちゃんもとても忙しいのに、
長いメールを送りつけるkoalaでごめんよ!(爆)

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自分で自分を評価することが大事なんじゃないかなと思います。
その評価は「こういうことで役に立つから」じゃないのが大事。
だって、役に立たなくなる日が来るかもしれないじゃないですか。
その時には、その人は無価値になるんですか?

自分がこの世に存在していて、いろいろな経験をしている、
そのこと自体を素晴らしいと評価することができたら、
何も怖いものなどないし、不安になることもないでしょう。
誰かを非難したり、罵ったり、怒ることすら必要ないでしょう。
みんな、存在自体が素晴らしいのだったらそうでしょう?

Aさんはお金をたくさん稼ぐから価値があって、
Bさんは稼げないから価値がない。

Aさんは、容姿端麗だから価値があって、
Bさんは、不細工だから価値がない。

Aさんは、成績優秀だから価値があって、
Bさんは、ひどい成績だから価値がない。

こういうの、挙げるときりがないですが、
もうやめませんか?
上と下を作って評価するこのシステム、
もういらないと思いませんか?

おとぎ話だと思いますか?

私は、魂の永遠を信じているのですが、実は、
あの世はそういうことが当たり前の世界だと想像しています。
            
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