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2011年05月21日

        

なばなの里

category - 日記
2011/ 05/ 21
                 
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今日はオットとなばなの里に薔薇を見に行きました。
夏のような日差しで暑かったです!
遊び歩いたり、本のあらすじを長々と書いたりして、
すごくヒマみたいだけど、実は忙しいんです。(爆)

今年は婦人会の役員なので、今夜は7時から会合がありました。
明日は朝7時45分集合で、地区の消毒にまわります。
鮮やかなスカイブルーのTシャツを配られました。
それを着て、消毒にまわるそうです。

12時まで消毒で、12時半に出勤します。
来週のゴミゼロ運動も同様。私は基本的に日曜は出勤なの。
でも婦人会は、けっこう日曜にも行事があるのよ~。

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薔薇は満開でいい香りでした。

なばなの里は三重県にあります。
ベゴニア園も有名なんですよ。

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これ、な~んだ。キリンです。

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これはすぐわかりますよね。パンダと象です。

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外の花壇もそれぞれ工夫が凝らされていてきれいです。
最後の画像はさくらんぼが可愛いので写しました。

温泉に入って帰りました。
ここの温泉はお湯がいいんですよ~。


もう寝ます。おやすみなさい♪
            
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西原理恵子の「あなたがいたから」 その3

category - 日記
2011/ 05/ 21
                 
 
タイに生活の拠点を置いて4年目の鴨志田さんは、
日本の漫画家である西原さんを知りませんでした。
漫画の取材でやってきた西原さんの通訳として
急きょ雇われた鴨志田さんと西原さんは気が合いました。
2人は結婚し、2人の子供に恵まれます。
仕事でも、西原さんの漫画で名コンビぶりを発揮します。

しかし、鴨志田さんに、戦場でのフラッシュバックが襲い掛かります。
吹き飛ばされた兵士の死体、泣き叫ぶ子供や女性達の姿。
鴨志田さんはお酒に逃げますが、飲んでも映像は消えてくれません。
世間の「カメラマンとしてはダメだったのに、
西原理恵子と結婚して名前が売れた」という声にも傷つきます。
酒量はどんどん増えていき、うつ病も患うようになりました。

西原さんにとって夫は、自分をギャンブル依存症から救い出し、
悲惨な現実の中にあっても笑う、
アジアの強さを教えてくれた人でした。
自分を“負の波”から救ってくれた夫が、
毎日ずっとお酒を飲んで、罵詈雑言を浴びせ、人を憎んでいました。


2人の子供を夫から守るだけで精一杯の6年間を過ごしましたが、
鹿児島に取材に出かけた夫にとうとう電話で言いました。
「お酒をやめるまで帰ってこないで」
鴨志田さんは帰宅する代わりに、
自宅と逆方向の那覇に行きました。

西原さんは当時のことをこんな風に語っています。

「沈みかけた難破船の中で、右手に子ども2人をつかんで
左手に彼をつかんでいるとしたら、現実問題として、
離すのは左手なんですよ」
「難破船の中で、一生懸命ただ柱につかまっているだけで精一杯の時に
『あなたにも悪い所があったんじゃない?もう一遍考え直したら?』って
やっぱり言われちゃうんですよ」


疲れ果て、悩み果てて、西原さんもうつ病になっていました。

那覇でも酒がやめられずに、鴨志田さんは吐血していました。
食道静脈瘤破裂による大量吐血・入院を10回も繰り返していました。
普通は2度やれば死に到るそうです。
離婚後も西原さんと鴨志田さんは連絡を取り合い、
共著も出し、子どもを連れて見舞いにも行ったそうです。

「お母さんがお父さんの悪口を言うのが、
私は子どもの頃から嫌だった。
女の人の被害者意識が大嫌いなんですよ。
『あんたたちのために、私は我慢してやっている』という意識が。」

子どもたちは、病院でチューブだらけになっていたり、
ウンコまみれのお父さんでも大好きでいてくれたそうです。


10回目の入院で、断酒を決意した鴨志田さんは、
3ヵ月後に退院し、精神科で抗酒剤を出してもらい、
3ヶ月間断酒します。実質半年飲んでませんでした。
家族と素面で会いたかったのです。
自分にご褒美、と思って入った寿司屋で、飲み物はお茶。
なのに、店の好意で出された奈良漬の酒と香りで、
簡単に再飲酒に戻ってしまったと言います。
アル中は怖いんです。治癒率は20%だそうです。

再飲酒になり実家に居た鴨志田さんは、
ニュースで師匠の死を知ります。
イラク戦争取材中の橋田信介さんと甥の小川さんが、
バクダッド近くで襲撃を受け、死亡したのです。

テレビのニュースに釘付けになった鴨志田さんに、
かつて師匠が言ってくれた言葉が蘇りました。
「ここはお前のいる場所じゃない。自分のすることを愛しなさい」

鴨志田さんはやっと決心して、精神科のアルコール病棟に入院し、
だんだん正気を取り戻していきました。

親しい医師とこんな会話を交わしたそうです。
「『治ったら帰って来ていいよ』と
嘘でもいいから希望を持たせてあげなさい。
そうすれば彼は希望のうちに闘病して死ねますよ」

「殺されるかと思ってやっと別れたのに」
「帰ってこられたら、その時はいい人に戻っていますよ」  

鴨志田さんはアル中を治して、自宅に帰ってきました。
2日間、西原さんは怖くて口がきけなかったそうです。
2日かかったけれど、怖かった数年間の鴨志田さんは、
病気だったのだ、病気の言動は本心ではなく、
病気は治ったのだと思ったら、ストンと腑に落ちて、
出会って好きになった頃の彼として、記憶が上書できたそうです。

でも、鴨志田さんはその時、ガンを患い、余命5ヶ月の体でした。

西原さんと鴨志田さんは、子どもたちのために約束します。
どんなに辛くても、最後まで笑って過ごそうと。

「私と彼、初めてだったんですよ。ケンカしない家庭って。
お父さんとお母さんがいがみあわないっていいものですね」


一緒にお風呂に入ったり、ご飯を食べたり、散歩したり、
普通の家族の生活をして、旅行も出来るだけして、
鴨志田さんは42歳で亡くなりました。

最後に、子どもを傷つけずにすんだ
人として死ねる事がうれしいと言っていたそうです。

リビングのテーブルで鴨志田さんの席だった椅子に、
大きなカエルのぬいぐるみが座っているそうです。
                         
                                  
        

西原理恵子の「あなたがいたから」 その2

category - 日記
2011/ 05/ 21
                 
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西原さんは当時連載していた突撃ルポの取材で
予定していた通訳のキャンセルにより代役となった
戦場カメラマンを名乗る鴨志田さんに出会います。

100万円持ってカジノに行き、平気で大金をかける
かっこいい自分を鴨志田さんに見せるのですが、
「つまんないよ、こんなの。何が面白いの?」と言われます。
「本当のギャンブルだったら戦場が一番だよ。
みんな命懸けてるんだからさ。僕と一緒に言ってみない?
君の知らない世界を見せてあげるよ。」
その言葉を聞いたとたん、西原さんは答えていました。
「それ、行く行く。連れて行って」


鴨志田さんと出かけたアジアの国々で、
自分がいやというほど味わってきた「負の連鎖」を
もっと重くした貧困を、西原さんは見ることになります。

戦争で両親を亡くし、ゴミ山で働く少年。
麻薬を買う金欲しさに、父親に2万円で売られた子供。

ゴミ山で10時間働き食費を稼ぐ少女がいました。
父親が酔っ払いで、仕事をしていません。
少女が夜働くのは、昼は暑さと悪臭で目も開けられないため。
10時間で稼げるお金は200円で買って来た焼そばを作り、
家族と食べていると、隣に住む子供たちがやってきます。
その子達は1日何も食べていないのです。
少女はなけなしの焼そばをその子達に分けてあげます。
西原さんが「いいの?」と聞くと、
少女は「もちろん」と言って微笑んだそうです。

西原さんは貧困を憎んできました。
悲しみや憎しみの塊が自分に襲いかかってきました。
しかし、アジアの人たちは、どんなに貧乏で悲惨な生活でも
微笑んでいるのでした。


貧困は確かに憎いけれど、それを笑い飛ばす力を
アジアの人たちは持っていた。
それを教えてくれたのが鴨志田さんでした。


これでめでたしめでたしにしてあげたいのだけれど、
「毎日かあさん」でブレイクした西原さんと
鴨ちゃん(鴨志田さん)の話はあまりにも有名です。

鴨志田さんの父親は、酒造メーカーのサラリーマンで
仕事のストレスからアル中になっていたそうです。
母親に暴力をふるい、勉強嫌いの鴨志田さんをダメ息子となじりました。
戦場カメラマンに憧れるようになった鴨志田さんは、
偶然に出会った橋田信介さんに弟子入りし、
ポル・ポト派の取材にカンボジアに飛びます。

橋田信介さんはジャーナリストです。
弟子になった戦場カメラマン、鴨志田さんの仕事は当然、
戦場の冷酷さを記録して報道することでした。
しかし、それをするには鴨志田さんは多分繊細すぎたのです。

悲惨な現実の冷静な報道よりも、悲惨な現実の中でも
たくましく生きる人々に心を奪われます。
師匠である橋田さんには「もっと現実を見ろ」と言われます。


戦場で、毎日のように人が殺された写真を撮り、
血まみれの死体や吹き出した脳を見て、
目の前で死ぬ所を見てしまうこともある毎日の中、
鴨志田さんは、自分に自信をどんどんなくして行きました。

鴨志田さんはこう語っていました。

心がすぐぶれてしまうのです。より早く、公平な視点で、
正確に物を伝えていかなくてはいけない仕事なのに、
人の死や、飢えなど不幸を目のあたりにすると、
一緒になって、ついカメラを撮るのを忘れて、
泣いたり、思考を停止してしまったりと、
まるで仕事になっていないのです。


そんな鴨志田さんを見て、橋田さんは、
「お前は戦場カメラマンに向いてないよ」とアドバイスし、
わざわざ鴨志田さんの母親に連絡を取って、
「お母さん、大丈夫です。違う世界で何かをやり届ける男です」と励まし、
鴨志田さんに転身を勧めます。
橋田さんは鴨志田さんのことを思い、見かねて勧めたのですが、
鴨志田さんは「失格」の烙印を押されたように感じ、ますます自信を失います。

そんな頃、カンボジアで鴨志田さんは、
イエン・サリの単独インタビューに成功します。
イエン・サリはカンボジアで国民の大虐殺をした
クメール・ルージュのナンバー2です。
大スクープなのですが、テレビ局を回っても反応はありません。
理由はダイアナ元皇太子妃の事故死でした。


世界中、そのニュースでもちきりになり、
カンボジアの罪なき人々の大虐殺には目もくれない。
その現実に打ちのめされていた時に、西原さんと出会ったのでした。

またまた長くなりましたので、続きはその3に続きます。