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2011年05月

        

車椅子送迎問題

category - 日記
2011/ 05/ 31
                 
シュウトメちゃんは両膝が痛い状態です。
右膝は、言い方は悪いけど「がたがきている」ので、
古い機械に油を差すように、注射をして少し楽にします。
左膝は転倒による打ち身なので、日にち薬。

転んだ当初は休んだデイサービスも、昨日から行き始めました。
昨日の朝、「あんた、車椅子を頼んでくれたかね?」
聞かれた時にはびっくりしました。http://image.space.rakuten.co.jp/emoji/h451.gif
車椅子を頼んで欲しいとシュウトメちゃんに言われてないけど・・・。

このデイサービスは小さなバスで来るので、
玄関前の道では細すぎるということで、
裏の車庫でシュウトメちゃんが待っていることになっています。

「頼んでないです。裏の車庫までシルバーカーで歩けないの?」
「だって痛いんだから。玄関まで車椅子で迎えに来て欲しい」
だったら自分で頼んでよhttp://image.space.rakuten.co.jp/emoji/h786.gif・・・と正直思いました。
私が自発的に「おばあちゃん、車椅子で送り迎えしてもらうように
デイサービスに頼んでおきましょうね」と言うのが
当たり前だと思ってもらったら困る~。http://image.space.rakuten.co.jp/emoji/h786.gif

自分でできることは自分でしないと呆けるぞ。
でもまあ、80歳まで生きてきて疲れてるから、
甘えて少し楽したい気持ちもわかるのですよね。
http://image.space.rakuten.co.jp/emoji/h441.gif

シュウトメちゃんが今自分でしているのは、
着替えやトイレ(ポータブルも使うけど)、ディサービスの仕度など、
限られた事だけです。どんどん減っています。
それを出来るのに更に減らすのは、すごく危機感があります。
シュウトメちゃんがやらなくなったことは、全部私に来るんだもん。
その反面、楽したいのは当然だよねぇという気持ちもあります。
http://image.space.rakuten.co.jp/emoji/h444.gif

「私は今からC(長女)を駅まで送っていかなくちゃいけないの。
まだデイサービスは開いてないから電話できないでしょ?
電話で頼むなら自分で電話してくれない?」
「そこまでせんでも、あんたが車で裏まで送ってくれればいい」

集合場所の裏の車庫はオットの車庫で、私の車庫は玄関前。
私の車でオットの車庫まで乗せていってくれという話でした。
すごい大邸宅みたいですよね~。実際は違いますが。http://image.space.rakuten.co.jp/emoji/h786.gif

長女を駅まで送った後、シュウトメちゃんを裏の車庫まで送り、
デイサービスの職員さんによろしくお願いして、
私は普通に出勤しました。

デイサービスの帰りは、私の仕事が終わるより早いです。
シュウトメちゃんは車椅子で玄関まで送って欲しいと
頼むだろうと思っていたのですが、頼まなかったようです。

裏の車庫から玄関まで、シルバーカーで歩くのが、
昨日のように風の強い日は特に、どんなに大変だったか、
いつまでもぼやいていたシュウトメちゃんは、
今朝、また洗面所で転んでしまいました。
http://image.space.rakuten.co.jp/emoji/h441.gifhttp://image.space.rakuten.co.jp/emoji/h350.gif

今度はどこも強く打ったりしてないようですが、
左半身不自由で、両膝が痛いシュウトメちゃんには、
1度転ぶと、起き上がるまで大変なんです。可哀想です。
私が力持ちなら、ひょいと抱きかかえて上げられるのでしょうが、
一緒に転んでしまいそうなので、支えるだけです。

さて、今日は車椅子を頼んだかというと、
これがシュウトメちゃん「頼んでない」と言うのです。
「今日も裏の車庫まで送ってあげるから玄関まで来て」と言ってる間に、
デイサービスのお迎えのヘルパーさんが玄関に来ちゃった。
ナイスタイミング。
朝は車庫まで送るので、帰りは車椅子を頼みたいとお願いしました。http://image.space.rakuten.co.jp/emoji/h348.gif

で、裏の車庫に行ってみると、お迎えの車がいない・・・!http://image.space.rakuten.co.jp/emoji/h451.gif
裏の車庫まで送るというのをデイサービスまで送ると勘違いされたわけ。
仕方ないのでデイサービスまで送り、職員さんに車椅子を頼み、
帰りの車椅子を「お迎えの方にもお願いしたのですが・・・」と、
この職員さんにもお願いしておきました。
送りもお迎えの車でよろしく・・とも頼んでおきました。


シュウトメちゃんに自分で言って欲しいというのは叶わなかったけど、
とりあえずこれで車椅子は大丈夫だわ。

どのくらい甘やかすのが本人のためになるのか、
実際、難しい問題ですね。
どこまで自分が背負えるかという問題にもつながるし、
本人の自己責任能力を失わせないのも大事だし。

            
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オイルマッサージでほぐされてだるだる~

category - 日記
2011/ 05/ 28
                 
仕事休みなので、オイルマッサージを予約してありました。
シュウトメちゃんがちょっと目まいがすると言ったので、
キャンセルしようか迷いましたが、
オットがいるじゃないかと思い直し、マッサージに行きました。

シュウトメちゃんはたまにめまいに襲われます。
ひどいとめまい止めの点滴を受けに行きます。
何年も前に大学病院に何日も検査入院して、
徹底的に調べていただいた所、原因がわかりました。
耳の奥に奇形があり、年とともにひずみが大きくなってきたそうです。
どうしようもないし、不快なのを除けば実害もなく、
ひどい時には点滴を、と言われているのです。

マッサージは、先週より痛みは軽い気がします。
ゴリゴリと全身をほぐしていただいて、
今は体がだるだる~という感じ。

でも明日は、婦人会のごみゼロ運動に参加してから、
いつもより1時間遅れで13時から仕事というスケジュール。
大雨が降ってごみゼロが中止にならないかしら・・・。
ごめんなさい。こんなこと願って。(爆)
企画して準備を進めてる方たちに謝らないと。
                         
                                  
        

50肩は避けたい・・・!

category - 日記
2011/ 05/ 26
                 
小指の付け根から手首にかけて痛みがあります。

オイルマッサージの先生に言ったところ、
ひじの内側、手の付け根の内側も痛いんじゃないかと
軽く押されたら、もうめちゃくちゃ痛い。http://image.space.rakuten.co.jp/emoji/h350.gif

koalaさん、気をつけないと50肩になっちゃうよ~と
怖ろしいアドバイスをいただきました。http://image.space.rakuten.co.jp/emoji/h789.gif

それ以来、毎週マッサージしてねhttp://image.space.rakuten.co.jp/emoji/h786.gifとお願いし、
明日で3週間連続になりますが・・・
毎回とっても痛いし、ごりごりすごい音がします。
でも、そのごりごりをマッサージで取ってもらうと、
あとは全身がだるくなって、眠くなっていきます。
お疲れなのですよね。年齢による血行不良もありそう。

今朝、畑の草取りをしていたら、同じ場所に激痛が走ってどっきり。
慌てて草取りをやめて、湿布しました。

草取りなんかしたくないけど、しないとジャングルになってしまう。
仕事も重いものを持ったり手首を使うことが多い。
もちろん50肩にはなりたくない。

う~ん・・・・。
50肩にならないことを最優先にすべきですね。
                         
                                  
        

シュウトメちゃんの受難

category - 日記
2011/ 05/ 24
                 
シュウトメちゃんは以前から右ひざが痛くて、
時々湿布を貼っていました。
もちろん貼るのは嫁koalaですよ~。

今朝、洗面所で顔を洗おうとした瞬間、
右ひざにズキズキと強い痛みが走ったそうです。
左半身が不自由なシュウトメちゃんは、
痛い!と右ひざに手を反射的にまわした途端に、
転んで左ひざを強く打ってしまいました。

両ひざが痛くなった哀れなシュウトメちゃん、
それでも今日はデイサービスのお迎えが来るし、
そのうち痛みも引いてくるでしょうということで、
デイサービスに出かけていきました。

しかし、痛みが強くなってしまい、
デイサービスの看護婦さんから電話があったので、
お迎えに行き、医者に連れて行きました。

レントゲンの結果はありがたいことに異常なし。
ただ、普通のレントゲンでは写らない、
微細な損傷がないとは言いきれないので、
湿布と痛み止めで様子を見て、痛みが引かなかったり、
腫れてくるようならすぐ来てくださいとのこと。
前から痛かった右ひざには、注射を打っていただきました。

痛いっ!と思った瞬間にバランスを崩せば転んでしまうので、
痛いのが辛いし、転ばないように神経を使うし、
シュウトメちゃんはかなりお疲れの様子です。
                         
                                  
        

子「どもに年間20ミリシーベルト」の撤回をして欲しいと訴える福島の親御さんたち

category - 日記
2011/ 05/ 23
                 
こんなニュースを見ました。
俳優の山本太郎が、23日、福島からの親たち100人を含む多くの人たちとともに文部科学省前に集結し、文科省が定めた学校の暫定基準20ミリシーベルトの撤回を訴えた。
(詳しくはここ をクリックしてください。)


一般大人の年間許容量は1ミリシーベルトというのに、
放射能の被害を大人よりはるかに受けやすい子どもに
なぜ20ミリシーベルト?!という声は当初から上がっています。
実際に福島に住んでいて、子どもを持つ親御さんの気持ちを思うと
たまらない気持ちです。

年間20ミリシーベルトは、ドイツの原発労働者に適用される
最大線量に相当するそうです。
子どもに“年20ミリシーベルト”」に世界中から抗議

自分の子供が毎日被爆していて、政府はそれを黙認していて、
引越し先の当てがあればいいけれど、普通はそれはありません。

文部科学省前に集結して、どうか子どもたちを助けて欲しい、
そのために年間20ミリシーベルトの撤回をして欲しいと訴えるため、
バス2台を連ねてやってきた必死な親御さんの前に、
対応したのは、文科省職員だったそうです。


文部科学大臣の高木義明氏が出てこないばかりか、
副大臣も政務官も出てこないで、

年間20ミリシーベルトの撤回に、多分何の権限も持たないだろう
文科省職員が対応だとは・・・。
そのスタイルで逃げ切ろうという姿勢しか見えません。

自信を持って、年間20ミリシーベルトで安全だと思うなら、
きちんと大臣が出てきて親に説明すべきです。
出来ないから出てこない・・・。


メルトダウンなんてあり得ないって最初言ってたのに、
実は、メルトダウンしてましたと東電が発表したばかりですよ?!
子どもの健康を第一にした安全策を出して欲しいと
親御さんたちが必死に訴えるのは当然じゃないでしょうか。
直ちに健康に影響がないという言葉は本当にばかげています。
成長期の子どもたちが、被爆し続け、被害が累積していくんですから。

いわき市に知人が住んでいます。
幼いお孫さんもいます。
心が痛いです。
                         
                                  
        

なばなの里

category - 日記
2011/ 05/ 21
                 
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今日はオットとなばなの里に薔薇を見に行きました。
夏のような日差しで暑かったです!
遊び歩いたり、本のあらすじを長々と書いたりして、
すごくヒマみたいだけど、実は忙しいんです。(爆)

今年は婦人会の役員なので、今夜は7時から会合がありました。
明日は朝7時45分集合で、地区の消毒にまわります。
鮮やかなスカイブルーのTシャツを配られました。
それを着て、消毒にまわるそうです。

12時まで消毒で、12時半に出勤します。
来週のゴミゼロ運動も同様。私は基本的に日曜は出勤なの。
でも婦人会は、けっこう日曜にも行事があるのよ~。

http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/77/0000146977/69/img7f5f397bzik8zj.jpeg

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薔薇は満開でいい香りでした。

なばなの里は三重県にあります。
ベゴニア園も有名なんですよ。

http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/77/0000146977/70/img95cb7aeczikazj.jpeg

http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/77/0000146977/71/img94bc6ad0zikdzj.jpeg

これ、な~んだ。キリンです。

http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/77/0000146977/72/imgf5d5b560zik1zj.jpeg

これはすぐわかりますよね。パンダと象です。

http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/77/0000146977/73/imgfb98ca7czikezj.jpeg

http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/77/0000146977/74/img8f64cecbzik4zj.jpeg

http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/77/0000146977/75/imgb711ccdczikfzj.jpeg

外の花壇もそれぞれ工夫が凝らされていてきれいです。
最後の画像はさくらんぼが可愛いので写しました。

温泉に入って帰りました。
ここの温泉はお湯がいいんですよ~。


もう寝ます。おやすみなさい♪
                         
                                  
        

西原理恵子の「あなたがいたから」 その3

category - 日記
2011/ 05/ 21
                 
 
タイに生活の拠点を置いて4年目の鴨志田さんは、
日本の漫画家である西原さんを知りませんでした。
漫画の取材でやってきた西原さんの通訳として
急きょ雇われた鴨志田さんと西原さんは気が合いました。
2人は結婚し、2人の子供に恵まれます。
仕事でも、西原さんの漫画で名コンビぶりを発揮します。

しかし、鴨志田さんに、戦場でのフラッシュバックが襲い掛かります。
吹き飛ばされた兵士の死体、泣き叫ぶ子供や女性達の姿。
鴨志田さんはお酒に逃げますが、飲んでも映像は消えてくれません。
世間の「カメラマンとしてはダメだったのに、
西原理恵子と結婚して名前が売れた」という声にも傷つきます。
酒量はどんどん増えていき、うつ病も患うようになりました。

西原さんにとって夫は、自分をギャンブル依存症から救い出し、
悲惨な現実の中にあっても笑う、
アジアの強さを教えてくれた人でした。
自分を“負の波”から救ってくれた夫が、
毎日ずっとお酒を飲んで、罵詈雑言を浴びせ、人を憎んでいました。


2人の子供を夫から守るだけで精一杯の6年間を過ごしましたが、
鹿児島に取材に出かけた夫にとうとう電話で言いました。
「お酒をやめるまで帰ってこないで」
鴨志田さんは帰宅する代わりに、
自宅と逆方向の那覇に行きました。

西原さんは当時のことをこんな風に語っています。

「沈みかけた難破船の中で、右手に子ども2人をつかんで
左手に彼をつかんでいるとしたら、現実問題として、
離すのは左手なんですよ」
「難破船の中で、一生懸命ただ柱につかまっているだけで精一杯の時に
『あなたにも悪い所があったんじゃない?もう一遍考え直したら?』って
やっぱり言われちゃうんですよ」


疲れ果て、悩み果てて、西原さんもうつ病になっていました。

那覇でも酒がやめられずに、鴨志田さんは吐血していました。
食道静脈瘤破裂による大量吐血・入院を10回も繰り返していました。
普通は2度やれば死に到るそうです。
離婚後も西原さんと鴨志田さんは連絡を取り合い、
共著も出し、子どもを連れて見舞いにも行ったそうです。

「お母さんがお父さんの悪口を言うのが、
私は子どもの頃から嫌だった。
女の人の被害者意識が大嫌いなんですよ。
『あんたたちのために、私は我慢してやっている』という意識が。」

子どもたちは、病院でチューブだらけになっていたり、
ウンコまみれのお父さんでも大好きでいてくれたそうです。


10回目の入院で、断酒を決意した鴨志田さんは、
3ヵ月後に退院し、精神科で抗酒剤を出してもらい、
3ヶ月間断酒します。実質半年飲んでませんでした。
家族と素面で会いたかったのです。
自分にご褒美、と思って入った寿司屋で、飲み物はお茶。
なのに、店の好意で出された奈良漬の酒と香りで、
簡単に再飲酒に戻ってしまったと言います。
アル中は怖いんです。治癒率は20%だそうです。

再飲酒になり実家に居た鴨志田さんは、
ニュースで師匠の死を知ります。
イラク戦争取材中の橋田信介さんと甥の小川さんが、
バクダッド近くで襲撃を受け、死亡したのです。

テレビのニュースに釘付けになった鴨志田さんに、
かつて師匠が言ってくれた言葉が蘇りました。
「ここはお前のいる場所じゃない。自分のすることを愛しなさい」

鴨志田さんはやっと決心して、精神科のアルコール病棟に入院し、
だんだん正気を取り戻していきました。

親しい医師とこんな会話を交わしたそうです。
「『治ったら帰って来ていいよ』と
嘘でもいいから希望を持たせてあげなさい。
そうすれば彼は希望のうちに闘病して死ねますよ」

「殺されるかと思ってやっと別れたのに」
「帰ってこられたら、その時はいい人に戻っていますよ」  

鴨志田さんはアル中を治して、自宅に帰ってきました。
2日間、西原さんは怖くて口がきけなかったそうです。
2日かかったけれど、怖かった数年間の鴨志田さんは、
病気だったのだ、病気の言動は本心ではなく、
病気は治ったのだと思ったら、ストンと腑に落ちて、
出会って好きになった頃の彼として、記憶が上書できたそうです。

でも、鴨志田さんはその時、ガンを患い、余命5ヶ月の体でした。

西原さんと鴨志田さんは、子どもたちのために約束します。
どんなに辛くても、最後まで笑って過ごそうと。

「私と彼、初めてだったんですよ。ケンカしない家庭って。
お父さんとお母さんがいがみあわないっていいものですね」


一緒にお風呂に入ったり、ご飯を食べたり、散歩したり、
普通の家族の生活をして、旅行も出来るだけして、
鴨志田さんは42歳で亡くなりました。

最後に、子どもを傷つけずにすんだ
人として死ねる事がうれしいと言っていたそうです。

リビングのテーブルで鴨志田さんの席だった椅子に、
大きなカエルのぬいぐるみが座っているそうです。
                         
                                  
        

西原理恵子の「あなたがいたから」 その2

category - 日記
2011/ 05/ 21
                 
http://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/?pc=http%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Fbook%2Fcabinet%2F3911%2F39113995.jpg%3F_ex%3D128x128&m=http%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Fbook%2Fcabinet%2F3911%2F39113995.jpg%3F_ex%3D64x64
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西原さんは当時連載していた突撃ルポの取材で
予定していた通訳のキャンセルにより代役となった
戦場カメラマンを名乗る鴨志田さんに出会います。

100万円持ってカジノに行き、平気で大金をかける
かっこいい自分を鴨志田さんに見せるのですが、
「つまんないよ、こんなの。何が面白いの?」と言われます。
「本当のギャンブルだったら戦場が一番だよ。
みんな命懸けてるんだからさ。僕と一緒に言ってみない?
君の知らない世界を見せてあげるよ。」
その言葉を聞いたとたん、西原さんは答えていました。
「それ、行く行く。連れて行って」


鴨志田さんと出かけたアジアの国々で、
自分がいやというほど味わってきた「負の連鎖」を
もっと重くした貧困を、西原さんは見ることになります。

戦争で両親を亡くし、ゴミ山で働く少年。
麻薬を買う金欲しさに、父親に2万円で売られた子供。

ゴミ山で10時間働き食費を稼ぐ少女がいました。
父親が酔っ払いで、仕事をしていません。
少女が夜働くのは、昼は暑さと悪臭で目も開けられないため。
10時間で稼げるお金は200円で買って来た焼そばを作り、
家族と食べていると、隣に住む子供たちがやってきます。
その子達は1日何も食べていないのです。
少女はなけなしの焼そばをその子達に分けてあげます。
西原さんが「いいの?」と聞くと、
少女は「もちろん」と言って微笑んだそうです。

西原さんは貧困を憎んできました。
悲しみや憎しみの塊が自分に襲いかかってきました。
しかし、アジアの人たちは、どんなに貧乏で悲惨な生活でも
微笑んでいるのでした。


貧困は確かに憎いけれど、それを笑い飛ばす力を
アジアの人たちは持っていた。
それを教えてくれたのが鴨志田さんでした。


これでめでたしめでたしにしてあげたいのだけれど、
「毎日かあさん」でブレイクした西原さんと
鴨ちゃん(鴨志田さん)の話はあまりにも有名です。

鴨志田さんの父親は、酒造メーカーのサラリーマンで
仕事のストレスからアル中になっていたそうです。
母親に暴力をふるい、勉強嫌いの鴨志田さんをダメ息子となじりました。
戦場カメラマンに憧れるようになった鴨志田さんは、
偶然に出会った橋田信介さんに弟子入りし、
ポル・ポト派の取材にカンボジアに飛びます。

橋田信介さんはジャーナリストです。
弟子になった戦場カメラマン、鴨志田さんの仕事は当然、
戦場の冷酷さを記録して報道することでした。
しかし、それをするには鴨志田さんは多分繊細すぎたのです。

悲惨な現実の冷静な報道よりも、悲惨な現実の中でも
たくましく生きる人々に心を奪われます。
師匠である橋田さんには「もっと現実を見ろ」と言われます。


戦場で、毎日のように人が殺された写真を撮り、
血まみれの死体や吹き出した脳を見て、
目の前で死ぬ所を見てしまうこともある毎日の中、
鴨志田さんは、自分に自信をどんどんなくして行きました。

鴨志田さんはこう語っていました。

心がすぐぶれてしまうのです。より早く、公平な視点で、
正確に物を伝えていかなくてはいけない仕事なのに、
人の死や、飢えなど不幸を目のあたりにすると、
一緒になって、ついカメラを撮るのを忘れて、
泣いたり、思考を停止してしまったりと、
まるで仕事になっていないのです。


そんな鴨志田さんを見て、橋田さんは、
「お前は戦場カメラマンに向いてないよ」とアドバイスし、
わざわざ鴨志田さんの母親に連絡を取って、
「お母さん、大丈夫です。違う世界で何かをやり届ける男です」と励まし、
鴨志田さんに転身を勧めます。
橋田さんは鴨志田さんのことを思い、見かねて勧めたのですが、
鴨志田さんは「失格」の烙印を押されたように感じ、ますます自信を失います。

そんな頃、カンボジアで鴨志田さんは、
イエン・サリの単独インタビューに成功します。
イエン・サリはカンボジアで国民の大虐殺をした
クメール・ルージュのナンバー2です。
大スクープなのですが、テレビ局を回っても反応はありません。
理由はダイアナ元皇太子妃の事故死でした。


世界中、そのニュースでもちきりになり、
カンボジアの罪なき人々の大虐殺には目もくれない。
その現実に打ちのめされていた時に、西原さんと出会ったのでした。

またまた長くなりましたので、続きはその3に続きます。
                         
                                  
        

西原理恵子の「あなたがいたから」 その1

category - 日記
2011/ 05/ 20
                 
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西原理恵子さんは太っ腹に見えました。
でも、本の最初の方に出てくる彼女の言葉に
痛ましいものを感じました。

怖くて怖くてしょうがないんですよ。
いつまた、あいつが襲ってくるんじゃないかって。
負の波とでもいえばいいのかな。
どす黒くて、大きくて、しかもドロドロしてて。
私はね、その“負の波”に飲み込まれそうな
過去の自分を助けるために、作品を書き続けているのかもしれない。


西原さんの経歴を読むと、「負の波」が
怖くて仕方ない気持ちは当然だと思えました。
逃げても逃げても追ってくる、怖ろしい負の波なのでした。

西原さんがおなかにいた時、両親は離婚しました。
西原さんには、3歳年上の兄がいました。
父親はアル中で、酔うと手がつけれないほど暴れる人だったので、
子供たちを暴力から守るために、妊娠中に離婚したそうです。
その父親は、西原さんが3歳の時、ドブにはまって死んだそうです。

6歳の時、母親が再婚したのですが、今度の父親はギャンブル依存症。
新しい父親は、家に寝たきりの父がいたので、
西原さんのお母さんに、舅の世話をさせるために再婚したらしいです。
自分は給料も入れず、めったに家に帰ってこないので、
結婚した西原さんの母親は怒ってばかりいました。
とんでもない家庭状況ですが、その町はみんなそんな感じだったと言います。

どこの家も、もう戸を開けたら母ちゃんが怒鳴り散らしていました。
すごく太って変なパーマをかけて、子供を怒っているおばちゃんばかりだった。

父親は家庭を省みない。母親は女中としか扱われない。
みんな家の中はグチャグチャで、
町には殺伐とした嫌な空気が流れていた。

周りの幼なじみはいい子ばかりだったんだけど、
男の子はおじいちゃんが泥棒だと、父親が泥棒になり、
その子供である西原さんの友達も泥棒になってしまう。
しょうもない犯罪やケンカを繰り返し、チンピラになっていく。
女の子は10代で町から出て行って男にチヤホヤされるけれど、
あっという間に捨てられ、ヤンキー上がりの男とくっついて、
母親そっくりの、子供を怒鳴ってばかりいる女になっていく。


私も絶対こうなっちゃうんだと思ったそうです。
この「負の波」への恐怖が西原さんの原点にあるのでしょう。

自分の力で食べていかなくては!
ここから逃げ出さなくては!


不良になり高校を退学していた西原さんは、
危機感から大検の資格を取り、美大の受験にこぎつけました。
ところが、受験当日に父親が首を吊って自殺してしまいました。

父親は借金を抱えていましたが、生命保険で返すことができ、
残ったお金は140万円でした。
お母さんは100万円西原さんに渡し、
このお金で東京に行きなさいと言われて上京しました。

19歳で上京した西原さんは、自分の世界の狭さを思い知ります。
絵が上手だと思っていたのに、美大受験の予備校ではビリ。
母親にもらった100万円は学費とアパートの敷金・礼金で消え、
仕送りのお金で予備校生を続けるのは困難でした。
さまざまなアルバイトを経験しながら、
時給に惹かれて、歌舞伎町のミニスカパブのバイトも始めます。
身も心もダメになった人の見本市のようで、怖かったそうです。

「帰りの終電車の中で『私、こんなになっちゃうんだ』と思って、
もう怖くて怖くて仕方なかった」


周りにいたのは、心がすさんでいる先輩ホステス。
オーディションを受け続けても芽が出ない女優の卵。
威張るだけの店長。
悪要してはキツイ言葉を投げつけてくる常連客。
仕事だからと我慢して笑顔でいた西原さんは、
顔面麻痺になってしまいますが、お金が必要なので辞められません。

なんとか漫画で食べていけるめどがたち、店を辞める時、
心の中で「お先に」とつぶやいたそうです。


漫画で食べていけると言っても、きれい事では済みませんでした。
エロ雑誌の小話につけるカットが1つで600円。
でも10個で6000円。飛び上がる程嬉しかったそうです。
そのうち、麻雀の体験ルポの連載漫画の依頼が来ます。

2人目の父親がギャンブル依存症だった西原さんには皮肉な仕事でした。

気がつけばいつも博打場にいる生活。
そこにいるのは、自分の受験日に自殺した父親のような、
ギャンブル依存症になっている人たち。山ほどいたそうです。


「私はお父さんと違って、自分のお金で、
仕事としてギャンブルをやっているから大丈夫」
そう思っていたけれど、単純にギャンブルは面白かったそうです。
西原さんはギャンブルにのめりこんでいきました。

医者に依存症の説明をされて、納得したと西原さんは言います。
「お父さんにドキドキハラハラさせられた。それを面白いことだと
心のどこかで思い込んでいるので、仕事も、好きになる男の人も、
ドキドキ、ハラハラさせられることが私には面白いんです。」


自分に自信のないとき「お前はもうダメなんだ」という
「負の波に飲み込まれる感覚」がやってくる。
そんなときは、もっと強い刺激で追い払うのが一番簡単で、
ギャンブルの高揚感に西原さんはのめりこんでいきました。
「結局、生い立ちからは逃れられないんだ」という諦めが
心を支配していきました。

諦めかけた頃、鴨ちゃんこと鴨志田さんとの出会いがありました。
長くなったので、次回はその2にします。
読んでくださった方がいらしたらありがとうございます。(笑)
                         
                                  
        

役に立たない日々 佐野洋子 その2

category - 日記
2011/ 05/ 19
                 
韓国ドラマにはまり、ヨン様にうっとりし、ウオンビンに心を移し、
イ・ビョンホンから目が離せなくなるような毎日を送るうち、
あごがはずれたそうです。
病院で「首を同じ方向に長い時間向けますか?」と聞かれました。
韓流の見すぎで顎が外れるなんて・・・。
そのうち韓流には飽きてしまった佐野さんですが、
それ以来、男好きが全開したなんて書いています。

香取慎吾にはまり、中村獅童に心を奪われ、
ハマコーがかわいくて仕方ないという佐野さん。

波乱万丈の人生を歩んできた佐野さん。
母親であるシズコさんの虐待を受けた子供時代も、
自律神経失調症とうつ病で苦しんだ時代もあったそうですが、
晩年は心が解けて、男優さんに心ときめいたりして。

乳ガンが見つかって手術をし、抗ガン剤の副作用が重かったようです。
そのきつい1年間に韓流にはまったのであり、
健康で韓流にはまったのとは違うんですけどね。

その後ガンは骨に転移しました。
担当医が阿部寛似の素敵なドクターでラッキーだったとか。
初めての診察の時、「あと何年もちますか」
「ホスピスを入れて2年位かな」
「いくらかかりますか死ぬまで」
「1千万」
「わかりました。抗ガン剤はやめてください。
延命もやめて下さい。なるべく普通の生活が出来るようにしてください」
「わかりました」
ラッキー、私は自由業で年金がないから90まで生きたらどうしようと
セコセコ貯金をしていた。


佐野さんはその足で近所のジャガーの代理店に行き、
そこにあったイングリッシュグリーンのジャガーを指して
「それ下さい」とジャガーを買ったのでした。

買って一週間たったらジャガーはボコボコになっていた。
私は車庫入れは下手でうちの車庫は狭いのだ。
ボコボコのジャガーにのっていて、
その上毎日カラスがボンネットの上にふんをする。
私は今、何の義務もない。子供は育ちあがり、母も2年前に死んだ。
どうしてもやりたい仕事があって死にきれないと思う程、
私は仕事が好きではない。
2年と言われたら10数年私を苦しめたうつ病がほとんど消えた。
人間は神秘だ。
人生が急に充実して来た。毎日がとても楽しくて仕方ない。
死ぬとわかるのは、自由の獲得と同じだと思う。


佐野さんは死ぬ日まで好きなものを使いたいと思い、
きれいでおしゃれな寝巻きや見たいDVDもたくさん買いました。

人はいい気なものだ。
思い出すと恥ずかしくて生きていられない失敗の塊のような私でも、
「私の一生はいい一生だった」と思える。
本当に自分の都合のいいようにまとめるのは私だけだろうか。


佐野さんは笑顔で亡くなったんじゃないかなと思います。