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2011年02月02日

        

アンナ・カレーニナ 感想

category - 日記
2011/ 02/ 02
                 
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/77/0000146977/03/img0dc74bcbzik5zj.jpeg

今日の晩ご飯~
レンコンの豚肉巻き 里芋と人参・椎茸・豚肉の煮物
さつまいもとレーズンのサラダ わかめと胡瓜の酢の物
さつまいもご飯 海苔汁

献立を書いたの、何だか久しぶりです。

14回にわたってあらすじを書いてきました。
この作業は結構面白く、楽しめました。
普通に読むよりも、注意深く読めたと思います。

息苦しくなるほどの苦しみの中にアンナは生きていました。
彼女を追い込んだものはたくさんありますが、
愛する息子を手放したことへの罪悪感と、
社会的立場の失墜によるものが大きいと思います。

彼女はヴロンスキーにしつこく口説かれる前は、
高級官僚の夫を持つ、教養豊かな、信頼できる美貌の女性として、
社交界でも有名な貴婦人でした。

アンナは、人一倍ロマンチストで情熱的な女性でした。
夫のカレーニンは、そういう傾向を恥だと考える人だったので、
具体的には出てきませんが、アンナに注意をしたことでしょう。

アンナには自分を否定されるようで嫌だったとは思いますが、
自分が正しく導いてやらねばならぬ美しい自慢の妻として
カレーニンなりに大事に扱っていたことと思います。
息子であるセリョージャはとても可愛い子でしたし、
アンナは社交界の華でもあり、親戚にも頼られていました。

そんなアンナがヴロンスキーの求愛を受け入れ、
カレーニンに打ち明けたたことで、運命は一変します。

不倫が公然の秘密になっていても、批判されることはないのに、
公表して、結果として子供を捨てた形になったアンナには、
想像を絶した非難と侮辱が待っていました。
自分は正直でいたいというのは、少なくても貴族社会では、
疎外するしかない、恐ろしい発想だったのかもしれません。
トルストイは社交界の偽善が生み出した悪を色濃く描きます。

理想の貴婦人から、いきなり汚らわしい恥ずべき女扱いされることは、
どれほど耐え難いことで、アンナの心を追い詰めたでしょう。
当時の上流階級にとって、社交界からの拒絶は、社会の拒絶そのものでした。
正直に生きたいと思ったアンナと、社交界の虚偽の正義は、
作品の中にずっと色濃く流れている対比です。

もうひとつの、ずっと流れている対比は、都会と田舎です。
アンナとヴロンスキーの世界は、享楽的な都会の生活で、
その中で疎外されたアンナは追い込まれていきます。
ヴロンスキーが社交界で拒絶されることはありません。
不倫について責めを負うのは、女だけだったようです。

ヴロンスキーもこの不倫によって、職を辞していますので、
アンナに自分だけ自由だと思われるのは不快でした。
彼女の失ったものが大きいという理解はあったのですが、
当時の女性にとっては基盤の家庭を失い、息子を失い、
社会的にも拒絶され、罪悪感と屈辱にまみれることが、
実際どれほどの苦痛かという理解は浅いように思えました。

死ぬ前のアンナは、自分は嫉妬深いというより不満なんだと
分析していますが、それを説明できていたらと切なかったです。
アンナは不安のあまりひどくヒステリックになってしまうので、
ヴロンスキーもうんざりした表情を隠さなくなっていきます。
勝ち負けの意識もあるので、わざと冷たくしたりもします。
その冷たい顔がアンナを更に追い込んでいくという、
悪循環の中に2人は生きていました。
お互いが、お互いのエネルギーを奪い合っているだけで、
何も解決せず、問題は一層深刻化していくだけです。

当時の女性は、1人で生きていく道などなかったのだと思います。
「私はあの人に許しを求め、屈服して、謝って、でもどうして?
私が1人で生きていけないっていうの?」
独り言でしたが、私には、このアンナの叫びは悲痛でした。

アンナが現代の女性であったら、胸を張って
生きていく世界はたくさんあったでしょう。
美人で、頭の良い、勉強家の女性で、才能豊かだったのです。
しかし彼女には何をしても時間つぶしでしかありませんでした。
全てを失った彼女にはブロンスキーしかいなかったのです。

愛しているのに、彼に不満があって、それを言えないアンナには、
彼との間に、すぐに支配の問題が出てきてしまいます。
言い争いの結果、主導権を握るかどうか、勝ち負けの世界です。

アンナが欲しかったのは、そんな勝負に勝って、
謝罪の言葉を受けることではなかったのに、勝とうとします。
負けて謝る形になったヴロンスキーは不満を募らせます。
いったいどうしたいんだ?!とヴロンスキーは何度も言いますが、
それに対して、自分はこう思う、こうして欲しいと、
具体的な、本質的な言葉は、アンナから出てきません。
ヴロンスキーも、どうしたいのかアンナに聞くだけで、
具体的に彼女の心を救うにはどうしたらいいかわかっていません。

社交界の虚偽的なありかたと、都会生活の空虚さと
対比的に描かれているのは、田舎の生活です。
トルストイはかなり意識的に何度も対比場面を描きます。
田舎での問題点は、具体的に問題が浮き彫りにされ、
それにはどうしたらいいか、これも具体的に解決策が提示されます。

キティとリョービンの世界は、実際に体を動かしての労働を伴う、
現実的な田舎の生活で、現実に根ざした思考が繰り返されます。
リョービンは地主貴族で、農地の管理に手を焼いています。
農奴解放後の混乱期で、ロシア農業はどうあるべきか、
実際の農民を使う身として、考えたり、議論したりしています。
夫婦喧嘩をしても、お互いに素直なので、しこりが残りません。
大地に根ざして生活し、素直な心で生きている幸せを、
トルストイは都会の生活との対比で描きたかったのかもしれません。

アンナとキティを比べたら、幸福なのはキティなんですが、
圧倒的な存在感を見せているのは、やはりアンナなんですよね。
トルストイの意図でしょうが、アンナは暗闇が似合います。
夜の闇の中で、瞳をきらきら輝かせたり、悪夢に苦しんだり、
眠れずにモルヒネやアヘンを飲んだり、ひどく不安になったりします。
自殺を決意しかける汽車の中での独白も闇を連想させます。
「もはやこれ以上何も見たくないとしたら、
何を見ても忌まわしいとしたら、
灯りを消して悪い理由がある?」
アンナは問題を具体的に解決する方法を模索するどころか、
何も見たくない、何を見ても忌まわしいと言い、
灯りを消す=暗闇に沈んでいく ことを願うのです。

キティとリョービンは朝日が似合うのですよ。
草刈に熱中するリョービンのシーンなど秀逸です。

アンナにあまりにも共感できない点があります。
ものすごく相手を責めるのです。
そして自分は不幸だと繰り返すのです。
この強烈な自己憐憫には強い違和感を感じてしまいました。
アンナは、自己憐憫と共に、強い罪悪感も抱いていますが、
罪悪感を抱くことは、ただ自分のストレスを高めるだけで、
相手の幸せを祈る方向には向かいません。

アンナの育ち方については、小説に出てきませんが、
叔母が積極的にカレーニンと結婚させたことが出てきます。
カレーニンの地位とお金しか考えていない叔母だとわかります。
アンナの性格を知っていれば、カレーニンとは合わないと
初めからわかっていたと思われますから。
幸せな独身時代を送ったとは思えないエピソードです。

あれもが羨む美貌と、高級官僚の夫を持っていても、
心の通わぬ20歳年上のカレーニンとの結婚で、
アンナはいつも、自己憐憫を抱いてきたのではないでしょうか。
ヴローニンが求愛してきても、最初はアンナは拒絶します。
しかし、ヴローニンは諦めず、熱く迫りました。
ヴローニンの求愛で、アンナの長い間の自己憐憫が満たされ、
全てを失って、ヴローニンまで冷たくなると、
再び自己憐憫に火がついたのでは・・・と感じました。

カレーニンも、ヴロンスキーも、幸福とは遠い家庭に育っています。

カレーニンは孤児として育ちました。
2人兄弟で、父親のことは覚えておらず、
母親はカレーニンが10歳の時に他界していました。
叔父の大物官僚、カレーニンが2人の教育を引き受けました。
カレーニンの性格の基本は、この叔父の教育によるものでしょう。
彼は感情というものに価値をおきません。
友人をもったことは1度もありません。
アンナの浮気を知ってまず世間体を保つことを考えました。

ヴロンスキーは浮気がちな母親の元に生まれました。
離婚はしていないので、いくら浮気しても、
社交界からつまはじきされることなどない母親でした。
彼は結婚生活など馬鹿にしている、自由奔放な青年で、
何度も恋愛を繰り返しても自由が第一と思っていました。
アンナを得るために変わりはしましたが、
自分の社交生活をアンナのために犠牲にはできませんでした。

幸せな家庭に育たないと、自己愛が強くなるのでしょうか。
厳格と奔放、全く違うように見える2人ですけれど、
幸福な家庭のモデルを知らないという点で、
2人は似ていたのではないでしょうか。

この小説に出てくる幸福な家族というのは、
キティとリョービンだけかもしれません。
ロシアの19世紀の上流社会がそれほど病んでいると
トルストイは指摘したかったのでしょうか。
キティとリョービンは可愛いカップルですが、
何しろ私が感情移入するには若すぎます。
熟年の幸福な家族のモデルも見たいのですが、
それが全く出てこない小説でもありました。
ある意味すごいことかもしれません。
 
この本を読み直すきっかけになったのは、
今月名古屋でアンナ・カレーニナの舞台を
見に行くことになったからです。
観劇がまた楽しみになりました。
            
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